英雄王
「今「英雄王」って……会えるの?」
「ええ、勿論で御座います。旦那様と同様にお客様お会い出来るのを、楽しみにしておいでです」
その言葉を聞いた瞬間から、鼓動が速まるのを感じた。
戦乱の世界から街を切り離し、永きに渡り人々に平和を与えた者。少なくとも俺は、彼の行動に尊敬の念を抱いている。
街の様子やカミラさんから聞いた事も、彼に伝えたいと思うし聞きたい事もある。それに、この機会を逃せば、二度と会うことは出来ないだろう。
「メイドさん、案内をお願いしてもいいかな」
「畏まりました、それでは参りましょう」
服を掴み少し上げ一礼すると、右手を頭上に翳し指を鳴らすその瞬間。その腕にクワドの右手が伸びたかと思うと、力強く掴まれ止められる。
「君はいつもそうだ、僕達の意見を蚊ほどにも気に留めない。僕等の存在する意味はあるのかな?」
「存在意義ですか……ええ、御座います。この世界は剣の刀身を現し、旦那様方々がいらっしゃる事で、力を得る事が出来ております」
表情を曇らせ睨みながら、吐き捨てる様に言い放つクワドにそう答えると、メイドは更に言葉を続けた。
「ですが、力を求めているのであって、残念ながらそこに意思は関係御座いません。そして、お客様は会う事をお望みになっております。どうか御理解の程を……」
クワドは苦い表情で仕方なくその手を放すと、メイドは何事も無かったように頭上で指を鳴らした。すると、緑に囲まれていた風景が光に包まれ、次第に輝きが収まると、そこには白い空間があり、四人の他にもう一つ姿が見えた。
まだ距離があり風貌もよく解らないが、直に床に座り片膝を立て思いに耽っている様に見えた。王と呼ばれる事もあり、その仕草に威圧感を感じる。
白く何もない空間だけあって、平衡感覚や距離感は少々変になっているが、逸る気持ちを抑えメイドの歩調に合わせて付いていく。
そして、近付くにつれその姿がよく見える様になって来る。身丈の程は解らないが、少し長めの黒髪に白い肌、赤黒い服に銀色の胸当てと手甲を身に付けており、装いは戦装束の様だ。
あれが「英雄王」。緊張により唾を呑み喉を鳴らし、期待に胸が踊っている。自分の中から生まれる音が煩いくらいだった。
後10メートルと言ったところでメイドは立ち止まり、視線を凌二に向けると口を開いた。
「彼の方が「心」を司る英雄王と呼ばれたアーデルハイド様です。そのお顔からして、積もる話も御座いましょう。私共はこちらで控えております、どうぞごゆっくりなさって下さい」
そう言うと軽く一礼をし、控えめに手を英雄王への元に指し示す。「有難う」凌二はそう応えると歩き始め、その背中を見送りながらメイドはフィルフィアに言葉を掛ける。
「フィルフィア様、先程からお静かにされていますが、如何なさいましたか?」
「いや、ああ……何でも無い、大丈夫だよ」
「誓約の術式を創り書にしたためた者の、苦悩で御座いますか?」
見透かした様に言葉を掛けられたフィルフィアは、俯き口を閉ざすとローブを掴み握りしめ表情を歪ませた。
「貴方様が気に病む事では御座いません、武器と同じです。それを得て取った行動の全ての結果と責任は、御本人に御座いますから」
凌二が歩き出して少し経つと、白い空間に風景が現れた。
闇夜に耳を劈く金属音と人の悲鳴、赤く照らされた大地に、身体を真紅に染め倒れた者達。映し出された場面が揺らぐと消え去り、新たなものが映される。
時には海戦、時には強大な魔物との戦いと、目紛しく場面が切り替わり誓約を結ぶ所で再び白い空間に戻る。多分、これは英雄王が歩んで来た歴史。そして、これまで見たものは全て視覚的だけではなく、他の感覚に訴えてくるものがあった。
夢を見たときと同様に三百年前に起こった事だが、今起きた事を突き付けられた感覚に襲われ衝撃を受けた。
歯を食い縛り拳を握り締め、必死に感情を抑える凌二の前に黒い靄が現れる。それを妨げようとする黒い靄に、苛立ちを覚え振り払おうと触れた瞬間。
なぜ俺が……戦わなくてはならない! なぜ俺が……命をかける必要がある! なぜ俺が! どうして! ふざけやがって!
魔獣の咆哮とは比べ物にならない程の怒声が、頭の中に響き渡り繰り返される。直感的にこれが何なのか解ったが、英雄王への尊敬の念がそれを否定し思考を乱す。
頭の中身を掻き乱す痛みと抑える事に失敗した感情に、押し潰されるように膝をついた凌二。両腕を地に付け地に伏せる事を堪えながら、止め処なく涙を流し嗚咽ながらに声を上げる。
「何だよ……これは……何なんだよ!」
「お客様も解ってらっしゃるとは思いますが、これはアーデルハイド様の本心が現れたものです。三百年の間繰り返されたもの、視覚化されるとは驚きですが……正に「心」を司る者と言えましょう」
背後から掛けられた言葉は、目の前で起こった事を正確に指し示した。黒い靄が消えると、再び現れ英雄王を囲うように増殖し始め、その様子は他者との接触を拒否するかの様に見える。
「そのご様子だと、お辛いでしょう。この辺りで剣の主人として、元の世界にお戻りになりますか?」
「この手をお取りいただければ、直ぐにでもお戻りできます」そう言うとメイドは笑みを浮かべ手を差し伸べる。だが、その眼に宿る鈍い光には蔑みの感情が込められていた。
怒涛の如く流れ込む負の感情、頭が割れんばかりの痛みに襲われ、感情や思考などは無いに等しい。生を求める亡者の様に、覚束ない動きでその手を取ろうとする。メイドもその哀れな姿を眺め、浮かべた笑みを歪んだものに変え、口角を上げた。
しかし、触れる直前、凌二の動きが止まったかと思うと、その手は力を宿し固く握られ床に叩きつけられた。
「ふざけんな! そうじゃないだろ! アンタは!」
凌二の怒号が白い空間に響き渡った。メイドは驚きを隠せなかった、亡者同然の者が突然息を吹き返したのだから無理もない。
ゆらりと立ち上がると、背中を見せ息を乱し覚束ない足取りながらも、ゆっくりと少しづつ英雄王に向かい歩き出す。
思考がまとまらない、真っ直ぐに歩けてるかも解らない。だけど、はっきりと解るのは、昔の俺なら耐えられなかった。ガルドさん達に会えたこそ、その姿を見て想いを知ったから動けるんだ。
アンタは知らないだろ、皆んなが感謝している事を!
埋葬する事も弔う事もでき無かったその辛さを!
それを贖罪として胸に刻み生き続けている事を!
行く手を阻む様に黒い靄が凌二の前に現れる。これに触れれば先程と同じ様に、苦痛を味わう。だが、そんな事は関係ないと、構わず足を進めた。
誓約など成さなければ良かった……民を見捨てれば俺は死なずにすんだ。何と愚かな事をしてしまったのか……
「アンタは民を想い、行動を起こしたんだ! 愚かなんかじゃない!」
黒い靄を搔き消す様に、英雄王に届く様に凌二は力を振り絞り声を上げた。
靄は消えたが、再び新たな靄が目の前に現れる。しかし、足を止める事なく、その中に入って行く。
俺が間違った思想を抱いた為に……彼等を巻き込んでしまったのか……
「巻き込んだのは否定しない。だけど、アンタは間違えちゃいない、命をかけて実現し証明した!」
英雄王の負の感情が幾つも阻む様に現れるが、凌二はそれを否定しながら搔き消して進み、あと少しで手が届く所まで辿り着いた。
徐に英雄王は気怠そうに凌二に顔を向ける。未だ黒い靄が纏わりつき、目も鼻も見えず表情すらわからない。
俺はまだ生きていたかった……仲間と共に歩みたかった……
「ああ、解るよ。誰だってそう思う筈だ」
そう言葉を掛けた瞬間、最後の靄が取り払われた。全ての負の感情が掻き消され、素顔が現れたが表情は無かった。そして、凌二も同様に表情が消えてしまう。
「まあ、負の感情。いえ、怨念と言いましょうか、全て取り払うとは素晴らしいですね」
背後から拍手と共にメイドが感嘆の声を掛ける。錆び付いた機械の様に、ギリギリと首を動かし視線を向ける。
「誓約を成した記憶の続きが、もう少し御座います。どうぞ、ご覧下さいませ」
指を鳴らすと、白い空間に再び風景が映し出された。
王剣を大地に突き刺し、誓約に代償の命を注ぎ込む場面。前に立つ赤眼の悪魔は、短刀を懐から取り出すと英雄王の胸に突き刺し、詠唱を行い呪文を唱えると、その身に光を纏わせる。
「この者のお陰で、代償として得た魂は微々たる物……ですが、不完全ながら誓約は成せました」
赤眼の悪魔は凶々しい仮面を取り払い、隠された素顔を見せた。英雄王は表情を凍らせ、か細い声で言葉を放つ。
「そうか、俺は裏切られていたのか……仲間だと信じていたのに」
それを最後に身体を光と同化させ、短刀の中に吸い込まれる様に消えていった。彼女は赤い瞳から流れる涙をそのままに、許しを乞う様に言葉を紡ぐ。
「貴方を救うには……これしか無かったの」
消えていく英雄王を見つめながら、凌二は得体の知れない感覚に襲われた。
赤眼の悪魔の素顔は、広場で話しかけてきた少女の様に見えた。胸に刺さった短刀の柄は酷く歪んで、最後の記憶に残る月明かりに照らされた物と同じ。黒い靄が取り払われた英雄王の素顔は……
俺の顔そのものだった。
鏡を覗き込む様に映された自分を違和感なく受け入れる、そんな感覚を抱いた……有り得ない、馬鹿な事を考えてるな俺は。
力無く否定するが、この世界に来ての疑問が全て解消される。心に何の抵抗も無く受け入れてしまった凌二は、表情を無くしながらも思考を続ける。
俺はこの世界の人間だった。そして、異世界に転生し呼び戻された、それが意味する事は……
「聡明なお客様でありましたら、もうご理解頂けていると思いますが……」
メイドの言葉を受けると、突然自分の中に泥々とした重く昏いものが生まれ、全身が覆われる感覚を覚える。
やめてくれ……頼む、お願いだ……聞きたくない。
叫んでいるつもりでも、その声は人の耳に届くものでは無かった。全てを理解し抗う事も出来ないでいる凌二の姿を、恍惚の笑みを浮かべ笑い声をあげると、メイドは凌二の耳元に囁いた。
「解ってんだろ、アンタが英雄王復活の器って事にさ」
掛けられた言葉の重さに耐える事ができず、その場に砂がこぼれ落ちる様に崩れ込む。そして、その言葉に抱いた感情が絶望だと知る。




