出会い
人によっては願い事の1つや2つは持っているだろう。
ある者は流れ星に願いを囁き、ある者は努力して勝ち取るのだろう。普通に考えて願いや夢を叶えるなら、後者の方が効率も可能性も高いと思う。
力のある者は、そのまま力を振るえばいい。
そうでない者は、力を付ける事から始めればいい。
それでも駄目なら知恵を絞り、策を練ればいい。
しかし、それでも叶わない事もある。
人智を超えた事象や世界的規模の変革などが思い当たる。
事象については、創造主にならない限り不可能である事は簡単に解り、諦めるのも容易い。
では、世界の変革についてはどうだろう?
1人で成そうとすれば、それこそ創造主にならない限り不可能だ。1人で駄目なら2人、3人と時間は掛かるだろうが人数を増やせばどうなる?
極端な話ではあるが世界中の人々が「同じ思想を持ち、手を取り合う」事が出来れば直ぐにでも可能だろう。
だが、残念な事に実現するとなると不可能と言うしか無い。
人それぞれに意志や思想があり、色々な主張があり、これにより対立が生まれ、争いが発生し戦が起きる。
これが意味する事は「相容れない意志や思想の存在」である。
ならば、同じ思想を持つ者と繋がりを作り、何者にも屈しない力を得ればいい。
しかし、先程の要因も加えて考えてみても、時は有限であり人生を全て捧げたとしても成す事は難しい。
人は1人では無力である。
そう結論づけた人影は顔を上げると、徐に夜空の星々に手を伸ばし呟いた。
「それでも私は諦める事を許されない」
頬を撫でる心地良い風の感触、青々とした草の香り。
全身を暖かく包み込むかの様な陽の感覚により目が覚めると、目に入って来たのは透き通る様な蒼さの空、薄っすらと光り輝く星々。
「都会ではまず見れないな……」
少し視線を動かしてみると、その先には通常の2倍はあろうかと思われる巨大な月。
「……ここはどこだ? 一体俺はどうなったんだ?」
混乱する思考を抑えながら現状把握に躍起になる。
何とか記憶を辿り、ナイフで刺された事を思い出し胸を探ってみるが、刺さったはずのナイフも無ければ出血もない、少し怠さを感じるがそれ以外は異常も問題もなさそうだ。
「という事は、ここは死後の世界ってとこか……見た感じは天国っぽいな」
思考がまとまり始め、身体を起こしながら冷静に辺りを見回す。
陽は高く今まで見た事もない木や草花、目前には舗装されていない道がある。幅も広く轍も数本有り往来は頻繁に有りそうだ。
巡らせた思考を遮る様に、丘の方から馬の鳴き声と木製の車輪が小石を踏み鳴らし「ガラガラ」と音を立ててこちらに向かって来る。
「馬車? 実際に見るのは初めてだな、荷馬車かあれ?」
呑気に感想を頭の中で巡らせていると、その音が自分の前で無くなった事に気がつき、見上げると光源を遮る様に止まった馬車は想像以上に大きく、少しの間呆気にとられていた。
「おう! 兄ちゃん大丈夫かの、どうかしたんかの?」
唐突に声を掛けられる、声の主は麦わら帽子を被った御者だった。
逆光のため顔は見えないが喉が乾いた様な、それでいて少し低い声からして中年の男性だと思う。
「あっ……いえ、大丈夫です」
急いで立ち上がろうとするが、数歩ほど歩くと膝を着いてしまう。思っていたよりも身体の自由が効かない、慣れない感覚に戸惑いながらも立ち上がろうとすると。
「全然、大丈夫じゃ無いの。兄ちゃん、ちゃんと飯食ってんのかの?」
「いやいや、しっかり朝、昼、晩と3食摂ってますよ」
思わずオッサンの言い草に眉間に皺を寄せ、すぐに言葉を返す。
そもそも、死んだ後まで「食生活の事」でとやかく言われたくない。正直な話、こんな所でも『煩わらしい』があるのは勘弁してもらいたいもんだ。
そんなやり取りを聞いてか、馬車の荷台から声がかかる。
「おやおや、行き倒れの方ですか? この辺りでは珍しいですね〜」
その爽やかな声の主は荷台から降りると、俺の方に様子を伺いながら歩み寄る。
何処かの民族衣装の様な装い、風に靡く腰まで伸びた金髪、透き通る様な白い肌。
猫を想像させる軽やかに歩を進める華奢な体躯は、美少女と見間違える程のものだった。声を聞いていなければ確実に性別を間違えているだろうと確信めいた思いを抱かせる。
「まあ、取り敢えずそんな感じですかね?」
御者の手前、先程のやり取りもあってか肯定し難い所もある。此れが今できる抵抗の限界だろう。
掛けられた言葉に悪意を感じたわけでもない。両親との関わりも極力少なめにして来たが、育児放棄を疑われるいわれもない。そう思われていると癪に障るし、むしろ手を掛けさせないように生きて来た俺を誇らしく思う。
しかし、現状は自分が行き倒れているのは事実である。遺憾ではあるが、渋々納得しながら言葉を返す。
「フフッ質問を疑問で返されるとは思いませんでしたね。なかなかに面白い方ですね〜」
微笑みながら手の平と甲を交互に俺に見せ、悪意がない事を示しながら俺の目の前にしゃがみ込む。
その表情とは似つかわしくない鋭い目付きで全身を見回し、一通り見て外傷が無い事が判ると少し安堵の息を漏らした。
「襲われた訳じゃなさそうですね、少し失礼しますよ」
そう言うと、自分の額と俺の額に手を当てて来る。人肌の暖かさが伝わって来る、熱があるかどうか診てくれているんだろう。長い間こう言う事が無かったのもあってか照れ臭く感じ、少しだけ熱が増してしまった。
「ふむ、少し熱がありますね……大丈夫だと思いますが、素人判断なので一応医者に診てもらった方が良さそうですね」
「だな、旅は道連れ世は情けってな! ほれ、荷台に乗っけてやるからの」
若い男は馬車に視線を送り。御者が頷きそう答えると、馬車から降りてゆっくりと歩み寄ってきた。
「なるほど、死後の世界はこうやって魂を運んでいくのか」そう納得しようとするが、会話の中に少し違和感を覚える。
「襲われた」ここが天国であるのなら、そういう事は起きない筈ではなかろうかと?
「医者」死後の世界に送られた者が負傷する訳が無いのでは?
実際に死後の話は生前に聞いた事はあったとしても、思想の範疇で収まり確信めいたものは何一つ無い、現実での生活の場面を思い起こして見れば腑に落ちると思うのだが。
これらの違和感に対して推測するも答えが出ない中、御者がのっそりと近づいて来る。足音は鈍く地面に響き、巡らせた思考を遮るのに充分だった。
目を向けると未だに逆光の中だが、そこには身長180センチメートル位で筋肉隆々、麻のシャツにズボンそれにベストを着ており腰には幾つもの布袋。声色も加えて御者とは思えない風貌である。
歩を進めるごとに次第に日が当たり始めて顔が見えて来る。黒く艶やかな黒い髭、狩りをする獣そのままの鋭い目付き、そして麦わら帽子から飛び出た大きな耳……ん? 耳?
はっきり言おう「狼である」それも筋骨隆々、威風堂々とした人狼! ハロウィンや映画のために特殊メイクしているのなら解るが、ここは死後の世界で天国と俺は仮定し断定しようとしている。これを崩しかねない不確定要素を俺は肯定する事はしたく無い、むしろ排除しようとした想いが口から出る。
「あの、それって特殊メイクとかなんかですかね? なんかイベントとかあったりする……とかですか?」
発した言葉に後悔した、この返答により思考の末に出した答えが否定され、取り戻した冷静さや平穏を手放す事になる。平静を装いながら祈る思いで返答を待っていると。
「ん? 兄ちゃん人狼初めてなんか、服装からしてこの辺の者じゃなさそうだしの。着ぐるみとかじゃないし、本物だからの〜」
ほれと言わんばかりに大きな口を開けて見せる、上下に鋭く尖った歯が並びその中には一際目立つ大きな牙が4本。吐息からは体内の温度と獣特有の匂いが漂っており、嫌が応でも本物である事を思わせるには充分だった。これにより俺の祈りは無残にも砕かれた。
「怖がらなくてもいいからの、野良と違って取って食ったりせんから安心せいの〜ガハハハハ!」
死後であり天国という前提を持ってしても、この状況は俺の理解の範疇を超えている。此処に来て自分に言い聞かせて得た冷静さが人狼のおっさんによって失われ、さらにはこの世界に対して「疑念」が生じた。
「まさか、この世界って……」
「ん? 兄ちゃん顔が青いぞ、大丈夫かの?」
「意外と重症かもしれませんね、早めに医者に診せた方がいいかも知れません」
2人は心配そうにこちらを見て声を掛けるが、当の本人には届く筈も無い。
抑え込んだはずの混乱が再発しながらも、生まれた疑念に対して思考をフル回転させ回答を得ようとする。
そして、導かれた回答を否定する「そんなはずは無い!」と、思考の迷宮に迷い込み、出口を探す事に躍起なるが見つかる兆しもないまま再び大地に体を預けた。
「おい! 兄ちゃんしっかりせんか! 兄ちゃん!」
「あららら、気を失ってますね。まあ流石に初見であれはキツかったんでしょうね。食べられちゃうと思いますもん普通……」
「おいコラ! だから儂は野良じゃない……あ〜うん、初見さんには確かにキツかったの」
己の風貌を考え申し訳ないと思いつつ、反省しながらも腰に手を当て溜め息をつく。恨めしそうな視線を若い男に向けるとポツリと呟く。
「お前さんは良いの〜エルフのアドレアさんよ……」
「耳さえ見せなければ判りませんし、実際の所やはり中身の方が断然大事だと思いますよ。人情に厚い人狼のガルドさん」
「そのフォロー有難いんだがの、良くも悪くもメンタル結構削られるんだがの……」
げんなりとした表情を浮かべつつガルドは凌二を片手で摘み上げ軽々と肩に担ぎ、馬車の荷台に向かって歩き出す。
「エルフの私から見ても、中々シュールな絵図らですね」
アドレアは意地の悪そうな笑みを浮かべ、人には聞こえない声量で呟くが、人狼の脅威的な聴力を失念していた。
「ギャラは50%カットでええの?」と、何時もの軽口とわかっているガルドは皮肉たっぷりに言い放つ。
「すいませんでした! ちょっとした出来心です、もうしませんので勘弁して下さい」
「フッ」と、笑いながらガルドは馬車の荷台に向け歩き出し、アドレアは謝りながら着いて行く。そして、凌二を優しく荷台に寝かせると、馬車を街に向けて走らせ始めた。