終結、そして……
王剣の柄を握り精神を集中するクラースを、瞳に捉える観衆は先程の騒動が嘘の様に静まっていた。
「あの方が貴女の薦める王候補ですか……中々血の気が多い方ですね〜」
「あら?まだ喋れるとは呆れるわね、常人なら気絶するくらいなんだけど……」
「いや〜 これでも医者ですからね、身体強化なんかはお手の物ですよ。まあ、残念ながら特化しておりませんので、拘束を解くに至りませんがね」
「成る程、貴方を黙らせるのに魔力を使うのは無駄のようね。……ええ、剣が抜ければ誰でもいいと言った所かしらね」
呆れながらも質問に答える。感情を抑えながら魔力の消費を再調整するアリッサに、ヨシュアは言葉を続ける。
「いや〜 以前から思っていたんですよ。誓約によって治安も安定していますが、本来なら鎮静化された感情を含めて人ではないかと……守り人として言うべきでは無いのですが、住民は洗脳されているとも言えます」
「そう、ならこの状況は歓迎する所かしらね」
医者として誓約に思うところがあったからこそ、私が考えた事と行動を言い当てる事が出来た、という訳ね。
「そうですね〜 結界についてはお見事です。ですが、不思議に思いませんか?」
「? 何の事かしら」
「気になりませんか? 誓約に綻びが出て来た事ですよ」
そもそも自分の知る限り、誓約が綻ぶ事はない筈だった。
効果として物理的に攻撃を弾く結界や、魔法を反射する結界と違い、精神を安定させるものである。そして、魔力を消費しての結界の様に一時的なものではなく、命を代償として王剣と大地に誓いを刻み成したもの。術式も数段上位のものとなっており、その誓いが消されない限り効力は続く。
更には、核となる王剣は誓約の加護により護られ、魔力ではなく自然界にあるマナを使用し、その消費量も少く永久機関となり得たはずだった。
しかし、夢で見た事が本当にあった事ならば、誓約を成す最後の瞬間に赤眼の悪魔の妨害により、代償として捧げる命を削られた。これが原因となり、誓約は成す事は出来たが不完全なものとなった。そう考えると現状にも納得がいく。
「不完全な誓約、そして三百年主人を得る事が無かった王剣……無関係とは思えないんですよね〜」
ヨシュアが疑問を投げ掛けた瞬間。クラースが身体を屈め、剣を抜こうと動き出した。
「安心しなさい、これで下らない疑問は解消されるわ」
アリッサは笑みを浮かべ言葉を放ち。護符により強化された全身の力を込め、雄叫びをあげるクラースに、剣を抜き放つ事を疑わず視線を向けた。
だが、剣はクラースを拒絶するかの様に、微動もしなかった。
アリッサは我が目を疑った。結界を無力化し、護符により強化したにも関わらず剣が抜けない事に。クラースは仲間を裏切り後には引けず、表情を歪め顔を赤く染め歯を喰いしばり尚も粘り続ける。
「アリッサ! 感情が大きく揺れてるよ、安定させて!」
「あっ、ええ……御免なさい直ぐに安定させるわ」サラの思念が送られて我に戻るアリッサ。未だ信じられないといった表情のまま、無理矢理に精神を安定させる。
「ふむふむ、やはり関係しているかもしれないですね〜」
「どういう事かしら……」
「おやおや、貴女らしくないですね〜 まあ、憶測の域を出ませんが、誓約が完全なものなら抜けていたでしょう。ですが代償の命が削られ不完全のまま、剣は削られた命を求めているかも知れません」
その言葉を受けたアリッサは、ギリギリと歯をかみしめながらも感情を抑えつつ口を切る。
「たかが剣ごときに、意思があるとは思えないわ」
「剣の主人にしか解りませんからね〜 ですが、伝説級の代物ですよ、無いとは言い切れません。王の様に荘厳な意思をお持ちかもしれないですね」
未だ剣を抜く事を諦めず粘り続けるクラースを、待機所で傷口を押さえながら睨み蹲るアレンに歩み寄る凌二とリムイ。
「回復魔法とか……使えないみたいだな」そう声を掛け上着を脱ぎアレンの前に屈み込むと、凌二は袖を破り応急手当を始めた。
「傷口は深く無さそうだな。リムイこっちは済んだから、そっちの方頼む」
上着をリムイに優しく投げ渡すと、立ち上がりクラースに視線を向け一歩足を進めた。
「凌二、何をするつもりなの……」
「坊主やめとけ、今の彼奴は何をするかわからん。下手したら死ぬぞ……」
「大丈夫、ただ話をしてくるだけだよ」
二人の言葉を受けて、背中越しに言葉を返すとクラースに向かい歩き出す。
自分の中に先程と同じ、重く鈍い熱を帯びた感覚を覚える。今ならハッキリと解る、これは「怒り」だ、そして歩を進めるたび熱が高まるのを感じる。
仲間を裏切った、騎士に対しての怒りなのか?
いや、違う。言動や態度を見て、簡単にどういう奴か勝手に決めつけ、その感情を抱いた自分に対しての「怒り」だ。知らなければ好き勝手に言えたかも知れない、でも独白を聞き知ってしまった。辛い目に遭いそれに囚われ続けながらも、必死に生きている事を。
もし、自分がそうなっていたら? あの騎士の様に、必死に生きる事が出来ただろうか?
未練、後悔という感情を抱かない、そういう人生を送っていた俺には想像が出来ない。そして、リムイや騎士の様な強さを目の当たりにし、それを持つ事が出来ないでいる自分が情けなく、悔しくて堪らない。そう思うと同時に、自分も強くありたいという想いに駆られた。
凌二が今まで抱いた事のない、感情の正体は「怒り」思考を巡らせ自問自答をし、自分に向けてのものだと知る。それに伴い、いろいろな感情が生まれ絡み合い、複雑なものへと変貌を遂げる。それは死を躊躇なく受け入れた彼に無かったもの、自分の未来への願い、生への渇望だった。
そして、思考を巡らしながらクラースに歩み寄る凌二の姿が、ガルド達の視界に入ってきた。
「凌二! 何をするつもりだ! 奴に近づくんじゃない!」
「不味いですね。このままでは、凌二君に危害が及ぶかも知れません」
ガルドは叫び止めようとするが、人避けの魔法で遮断され届かない。ヨシュアは凌二を止める術を持たない自分に苛立ちを覚えた、その瞬間に結界に揺らぎが見えた。
「何故、彼が……宗方君がそこに居るの?」
背後から放たれた声は先程の凜としたものではなく、弱々しく震えているように感じる。
「アリッサ? どうしたの感情が抑えられてないよ! このままじゃ……」
「宗方君が、そこに居るのよ……打ち合わせでは遠ざける筈よ、なのにどうして!」
思念にも感情が揺れ始めた事が伝わってくる、それを視覚的に表すように結界が変形し始めた。
「その様子ですと、もしかして裏切られたとかですかね?」
「!!……黙りなさい」
更に揺さぶりをかけるようにヨシュアは言葉を放った。アリッサは冷静を装いながら言葉を返すと、クラースに掌を向け「身体強化」の呪文を唱える。
「まだ終わった訳じゃないわ! 早く剣を抜きなさい!」
呪文をかけられたクラースは、全身の筋肉が肥大し血管が浮き上った。まるで岩のような身体つきになり、人では到底得る事の出来ない力を持つ。それでも、剣は拒絶を続け抜ける事は無く、クラースから発せられる雄叫びは次第に弱いものになる。
「まだよ……もう一度、身体強化の呪文を重ねれば!」
「アリッサ駄目だよ! 護符の強化に呪文の強化、これ以上はその人が壊れちゃうよ!」
その瞬間、限界を迎えたクラースは、糸が切れた操り人形の様にその場に崩れ落ち、元の大きさに身体が戻り始めた。その姿を見て、ガルドとヨシュアは一連の騒動に終わりを見る。
「立ちなさい……立って剣を抜きなさい、諦める事は許さないわ……」
命令とも懇願とも取れる声を聞くと、ガルド達に周りの喧騒と身体の自由が戻ってきた。ヨシュアは彼女を拘束しようとしたが、ガルドに肩を掴まれ止められる。クラースに歩み寄る凌二を、滲む視界に捉えると走り出すアリッサ。
「待って……貴方が剣に触れては……お願い、待ってよ!」
叫ぶ様に声を出しているつもりだが、思う様に上手く出せず届かない。人払いの魔法も解け、人混みに遮られ思う様に進むこともできない。その手を掴む事が出来ない事を知りつつも精一杯手を伸ばす、まるで夢の中にいる様に身体が動かない。
そして、アリッサの感情が決壊したのを機に、結界は形を維持する事が出来ず暴走を始めた。
「アリッサ、これ以上は無理だよね。ごめん……」
サラは思念で送る事なく呟くと、護符の魔鉱石に刻まれた魔法回路を切り替え、魔力を注ぎ始めた。
結界を支えた魔力は、護符により増幅され膨大なものになり。暴走させると、誓約の反動も手伝い辺りを掻き消し、その規模は街全体を覆い尽くす。これを防ぐには、魔力量に見合った魔法を使えばいい。サラは予め増幅回路とは別に、魔法回路を設けていた。例え友を裏切る事になろうとも。
魔力を注ぎ終わると、静かに目を閉じ頬に伝う雫を拭う事なく呟いた。
「古の竜に伝えられし口伝魔法「世界転移門」……発動」
呪文と共にアリッサとサラは光の柱に覆われ、結界と共にその場から消え去った。
凌二はその場に崩れ落ちた、クラースの目の前に辿り着き。言葉を掛けようとするが、魂が抜けた様な姿を見て口を開けずにいた。
「笑いに来たのかい坊や。唆されて、欲に負け仲間を裏切り、挙げ句の果てに剣を抜く事が出来なかった俺を……」
クラースは視線も合わせる事もなく。俯いたまま発した言葉には、生気が殆ど感じられなかった。
「笑えない……俺はリムイの夢を嘲笑ったあんたが嫌いだ」
「そうか、堂々とそう言われると光栄に思えるな」
「何も知らなかった。嫌な奴だ最低だって勝手に俺がそう思ってた、あんたの事を知ろうともしなかった。でも、今は違う……あんたの強さが、必死に生きる姿が眩しく見えた」
ゆっくりと顔を上げ、視線を凌二に向けるとクラースは言葉を返す。
「眩しく見える? 馬鹿かお前は、俺は仲間を裏切る様な最低の人間だ」
「かもしれない。でも、背後から不意を突いてあの程度の傷しか与えられないで、傭兵騎士なんか出来る訳が無い。それに、リムイに向けた優しい目も嘘じゃないと思ったんだ……」
暫く沈黙が続くと、クラースは右手で顔を掴み覆うと、天を仰ぐ様に笑い出した。
「俺の名はクラースだ。坊や、名前を教えてもらってもいいか」
生気を取り戻し発した笑い声に釣られ、思わず微笑みながら「宗方 凌二」と告げる。
「いい名前だ……「必死に生きる姿が眩しく見えた」か。何だろうな……感謝する、凌二殿」
指の間から溢れ頬を伝う雫の輝き、それには自身を許され、救われた想いが込められていた。言葉を受けると凌二は王剣に向き、手の甲にあるルーンをクラースに見える様に向け口を開いた。
「このちっぽけなルーンは、何も出来ない誰の役にも立たてない、ただマナを中和させる痣と思ってた。他の人と比べると、恥ずかしくて情けなくて惨めだった」
ガルドさんに渡された本を読んで理解し、「足掻く事を恥じずに生きる」と決めた。でも、実際はどうしていいのか解らないまま。そして、クラースさんの姿を見て、教えてもらった気がする。
「はっ、言いたい奴には言わせとけば良い。恥じる事も悔やむ事も無い、それは可能性そのものだ。凌二殿が想い行動を重ねれば、なりたいものになれる」
「はは、有難う。俺も感謝してるよクラースさん。お陰でこれから先、恥じる事なく足搔けそうだ」
微笑みながら言葉を返すと、凌二は両手で王剣の柄を握り目を閉じて集中する。
勿論この王剣が抜けるとは夢にも思っていない、寧ろこの先色々有るだろうし、上手く行く様に験担ぎをするだけの話だ、早く終わらせよう。
そう心の中で呟き、静かに息を吐き両手に力を入れた瞬間、掌にあった柄の感触が突然無くなった。
状況を把握するために目を開くと、先程いた広場ではなく。そこには外敵からの攻撃を一切受け付けない様な堅牢さと、様々な生き物を彫刻で表し、細かな所にも装飾が施された壮麗な石造りの門があり、その前には黒い服に白いエプロン姿のメイドらしい少女が一人立っていた。
「いらっしゃいませ、お客様」
声を掛けられ我に返る凌二は、思わず間の抜けた声を上げる。
「ひょっとして、俺また異世界に飛ばされたの?」