交渉
ピッピッピッと聞き慣れた電子音が耳に入る。
今までの事が夢だったと思ってしまう位に、何時もの朝を迎える様にスマホのアラームを止め目覚める。
「そっか、昨日はガルドさんの家で寝たんだっけか……」
凌二は昨日一昨日と起こった事、置かれている環境にまだ慣れていない事を再確認した。
昨日は本を読んだ事も有ってか、良く眠れたし疲れも殆ど取れてる。筋肉痛はちょっとあるけど、この位ならダナさんを手伝うのも大丈夫そうだ。
自分の身体の状態を把握すると、ベットから出て身なりを整え扉に歩み寄る。すると、扉越しに足音がパタパタと聞こえて来た。
バーンと勢いよく開く扉、その向こうには向日葵の様な笑顔のリムイが居た。
「凌二〜 おはよ〜朝だよ! 朝ご飯だよ〜」
子供らしい元気よく澄んだ声が響き渡る。
リムイの目の前には、少々勝ち誇った顔の凌二が居た。
「今日はサンドイッチにはならないぜ!」
そう言うと二人は昨日の事を思い出し、顔を見合わせ笑ってしまった。笑い声を聞き取ったガルドは、二階に聞こえる様に声を掛ける。
「お〜い、早くせんと飯が冷めてしまうからの〜」
二人はそれを聞くと急いでガルドの元に駆けつけ、温かい内に朝食を食べ始めた。その中で今日は祭の前日でもある為、店前の飾り付けをする事を聞き、今日はその手伝いをする事となった。
食事が終わるとガルドが食器を片付け始めるが、すんすんと鼻を鳴らすと凌二とリムイに向けて口を開く。
「お前さんたち汗臭いぞ? 店に向かう前に風呂入ってこいの」
自分の身体を匂い始める二人に、留めと言わんばかりに言い放つ。
「今日も汗かくし、服も洗濯しなきゃならんしの。服出しとくから早く入ってこいの」
鼻を鳴らしながら、流しに行くガルドを見届けると二人は風呂に入る事にした。
鏡台の前に座り髪を櫛で整えるエレナ、後ろで纏め髪留めをする。そして交渉をする為に正式な服装に身を包み腰に剣を携える、その姿は騎士団長として立派な物だった。
扉の向こうからノックの音が響く。
「団長、ガナードです。準備の方は如何ですか?」
エレナは自分の姿に落ち度がない事を確認すると、騎士団長エルビンとして返事を返す。
「ああ、大丈夫だ。今行く所だったよ」
扉を開けガナードと合流し、食堂の方に向かうと傭兵騎士達は既に集まっていた。
「お早うございます、団長」
クラースが挨拶をすると、残りの二人も同様に挨拶をした。そしてエルビンの装いを見ると褒め称えた。エルビンはそれを素直に受け取り席に着く。
このやり取りが終えるのを見届けると、店主と店員はテーブルに朝食を届けた。
「それで、今日の予定はどうなっていますか? 団長」
食事を終えるとクラースが問いかけ、一考してエルビンは口を開いた。
「今日は副長と二人で交渉に出かける。君達はゆっくり休んでくれ」
「わかりました。折角なので観光に出掛けてきますよ」
「ああ、楽しんで来てくれ」
傭兵騎士達はエルビンとガナードに一礼をすると、席を離れ部屋に戻っていった。
「とは言ったものの、交渉相手がまだ見つかってない……どうしたものか?」
「それについては店主に聞いた所。ガルドと言う御仁に相談しては如何かと」
「そうか! 早速伺うとしようガナード。店主よ代金は置いておく、釣りはいらん」
エルビンは席を立ち、上品な外套を颯爽と翻し宿屋を後にした。ガナードは店主に礼をすると慌てて後を追いかけた。
………………
たらふく亭入り口の前に、ぐったりとした凌二が佇んでいた。大量の飾りを運んで疲れ果てていた様で、それを見るリムイも居た堪れなくなっていた。入り口の扉がガチャリと音をたて、ガルドが顔を出す。
「待たせたの。荷物を運び込んでくれ、それで一旦休憩するかの」
「は〜い。凌二頑張ろう、後少しで休めるよ!」
リムイに声を掛けられ、気力を振り絞り荷物を黙々と運び入れる。最後の荷物を運び終わると、椅子に力無く腰を下ろしテーブルに上半身を預ける凌二。
「まさか、ここまで量があるとは思わなかった……クリスマスと正月が一遍に来た感じというか」
「何を言ってるのか解らないけど大丈夫? 凌二」
そう声を掛けてくるリムイ。気を遣って飲み物を持って来てくれた様で、目の前に置くと対面の席に腰を下ろす。
こっちを見る笑顔はほわほわ感満載、疲れを吹き飛ばしてくれる気がする。うん、俺まだ頑張れそう。
「お疲れさんだの。ライトアップの飾りも入ってたから、重かったろうの〜」
テーブルに歩み寄ると、労いの言葉を掛けてくるガルド。
実際は一人でやった方が効率はいいはずだが、仕事を振ってくれる所が有難い。これも本人の気遣いなんだろう、そう思い精一杯の笑顔で返す。
すると、店の中にノックの音が響き渡る。三人は入り口の方に視線を向けると、そこには昨日見た騎士団の二人が立っていた。リムイは気にしていない様だったが、凌二は思わず表情を曇らせてしまう。
その様子を見たガルドは微笑み、気が付いた騎士は苦笑いを浮かべる。
「昨日は済まなかったね。酷いことを言ってしまって……」
「いいえ。大丈夫です! 気にしてませんから!」
エルビンが謝辞を述べるとリムイは元気よく返事を返す。迷いの無い表情に少し気圧されるが、こほんっと咳払いをするとガルドに視線を移し口を開く。
「貴方がガルドさんで宜しいか?」
「うん? ああ、儂がガルドですが何か用ですかの?」
エルビンの表情に思う所があったのか、返事を返すと凌二達とは少し離れた席を勧める。
そして一度カウンターに向かうと、珈琲を二つ持って戻り相手に勧め口を開く。
「では、要件を伺いましょうかの」
「ああ、済まない。この街の相談役として交渉がしたいのだが、問題ないかな?」
「一応代表として話は伺いますが、直ぐに返事が出来るとは限りませんからの?」
「今はそれで充分だ、ガナード」
言葉を掛けられたガナードは珈琲を一口飲むと、席を離れ店の入り口に立ち人払いに徹する。それを見届けると姿勢を正し髪留めを取り外すと、裏側に刻まれた紋章をガルドに見える様にテーブルに置く。
「私は末席ではありますが、ファムファーレン公爵令嬢エレナと申します。訳あって騎士と偽り伺いました」
ガルドはその紋章が本物である事を確認すると、静かに頷き話を促す。
「ドルドガーラとの戦が膠着状態となり、今は国として体裁を保てています。しかし、戦闘が再開されれば国力差で、我が国の滅亡も時間の問題となります」
「その事については商人の情報網にもあったの……」
「それなら話は早いですね。民をこの街に受け入れて欲しいのです」
頭を垂らし願いを申し出るエレナ。しかし、ガルドは表情を曇らせる。
民を受け入れる事は人道的に正しい。誓約に護られ、戦乱から逃れたこの街を選んだ事も間違いではない。しかし、それは昔の話……この申し出において最大の問題。
「誓約の綻び」である。
今は何も起こっていないが、この街の破滅を願う黒ローブの少女の事もある。それを防ぎ綻びの進行が穏やかなものだとしても、このままでは戦乱に巻き込まれ行き着く先は破滅かもしれない。
ガルドが思考を巡らせる中、エレナはそれを遮る様に声を掛ける。
「誓約に護られたこの街に住む人々は幸せです。英雄王が賞賛される訳ですね」
多くの吟遊詩人が各地を巡り奏でる英雄王の唄。
一人の男が誓約を成し民を救う物語。褒め称えた内容が濃いものが主であり、彼女も唄を聞き街を見てそう思ったのだろう。
「そうか、幸せか。そうかも知れんの……」
エレナは怪訝な表情を浮かべ、ガルドに少し語気を強めて言葉を投げかける。
「戦火に恐れる事のない者が幸せではないと?」
「言いたい事はわかる、儂も一時期は戦乱の中におったしの」
「それなら!」
身を乗り出すエレナを掌で制しながら言葉を続けるガルド。
「昔の話だが。戦火の中足掻いて手に入れたのがこの街、それも英雄王の命と引き換えにの……爺さんが言っておったよ、この街に住み守って行く事は」
戦乱の世を知らないと決めつけた不敬、それと命と引き換えという言葉を聞き表情を曇らせ口を閉ざすエレナ。
「英雄王への贖罪だとの……」
贖罪……その言葉を聞届けるとエレナは自分を諫めた。民の為に赴いたにも関わらず、交渉とは名ばかりで自分の感情を顕にした我儘の様なもの。上辺しか見ていないのに、知ったつもりでいた事を恥じた。
「私は自分に酔っていた様です……ご迷惑をお掛けしました」
そう言うとエレナは落ち着きを取り戻し、椅子に腰を下ろした。
「いや、無理もないの。大役を任されたんだ、気負うのも無理もないの」
ガルドはそう言うと諭す様に言葉を掛ける。
「この事については慎重に検討したいからの。他の者にも相談させて貰いたい、少し時間が掛かるが構わんかの?」
「はい! 費用はこちらからも出します。何卒よろしくお願い申し上げます」
希望を取り戻した表情を浮かべ深々と礼をするエレナ。髪留めを再び付け直すと、騎士団長エルビンとなりガナードと共に店を後にした。
カップを片付けながら凌二とリムイに釘を刺し、カウンターの奥に行くガルド。
そして誰も聞くことの出来ない声量で呟く。
贖罪か……儂らは許されるのだろうか、と……。