錯綜する思い 2
月の光と静寂に包まれた世界。街外れの一軒家からシュッシュッと木を削る音が辺りに響く。
「親方どうしたんですかい? ぼ〜っとしちゃって怪我しちゃいますよ」
「ん? いや何でもない……すまねえ気を付けるぜ」
工房で木を製材しながら、ダナは今朝の話を思い出し思考を巡らせていた。
アイツとは古くからの付き合いで、見た目はああだが意外と繊細で思慮深い所がある。不安にさせまいと隠してる事があるに違いねえ。
「何でもかんでも、一人で抱え込む所は悪い癖だが……」
俺は頭が良い方じゃねえから、何抱えてんのか良くわかんねえ。
「この街の破滅か……どうなるんだろうか?」
そう小声で呟くと、手を止め表情を曇らせる。
守り人として、俺が出来ることをやるしかねえよな。
ヨシュアみたいに探索魔法が使えるわけでもねえし、ガルドみたいに俊敏に動けるわけじゃねえ。
肉体強化がメインの俺は敵が目の前に居て漸く動ける、向かって来る相手なら問題ねえ。しかし、逃げる相手とは滅法相性が悪い。
そんな儂がアイツらの邪魔はしちゃなんねえ、守り人としては情けねえ話だがまだ動かない方がいい。
どうなるにしろ剣の存在は外せねえし、祭で何らかの動きがあると思って間違いねえ。今出来ることは職人として、この祭を成功させる事に集中するだけだな。
「よっしゃ! やったるぜ! さあ、お前ら気合い入れろ!」
「あっ、親方。俺たちの分は終わってますよ、後は親方だけですけど?」
「へ?」
間の抜けた声を出し、辺りを見ると弟子達の分は終わっていた。
図面通りに木を切り鉋をかける、手際の良さと丁寧な仕事に成長を感じ嬉しく思っていると。
「それじゃ俺もう上がりますんで、戸締りお願いしますね」
「お疲れ〜っす」
「ちょっと、お前ら……手伝ってあげようとか無いの?」
ダナの願いを無情にも遮る扉の音が辺りに響き渡る。
夜の帳が下り街の灯りも、月の光に掻き消されそうになっていた。人の通りも少なくなってくる中、少し冷たくなってきた風に頬を当てるエレナ。
酔いを醒まそうと、俯いたまま動かないガナードを横目に思いを巡らす。
ここフルクランダムから北西に、100キロ程離れた小さな国ファムファーレン。大国ドルドガーラと隣接しており、戦乱の渦中にあった。
他の隣国と同盟を結びこれを退かせていたが、幸いな事に現状では膠着状態にある。だが、緊張の続く睨み合いで騎士達も精神的に疲弊し始めていた。
いくら近隣の小国が束になったとしても、大国の物量には敵わない。戦闘が再開すれば次第に押され始めるだろう。
最悪の状況に陥った場合の事も考え、民の避難先などを視野に入れ始めたのはつい先日の事。其処で白羽の矢が立ったのがこの街だった。
交渉するにしても相応の身分が無いと説得力が無い。此方から申し出るのだから、現状で最善の対応するべきだ。末席だが、公爵の爵位を持っている私が提案し志願した。
遠く離れたこの街に来るため、護衛に古くから仕えていた騎士のガナードを付けてもらい。道中で敵国の襲撃も考えられた為に男装し、騎士の格好をして傭兵騎士を雇い馬車も一般の物にした。
そして、情報漏洩を防ぐ為にそれを知る者はガナードだけにした。
「ふふっ。出国する時は危険より、楽しみの方が強くてワクワクしてたわね」
その甲斐あってか道中は安全な物で、祭の準備が始まり屋台業者が挙って街に向かい孤立する事が無かったのもあった。
「道中楽しかったけど、拍子抜けしたのも事実だった……」
この街に着くと、検閲所で帯刀許可を取るのには苦労した。私は騎士の誇りに対して疎いもので、あそこまで彼等が検閲官に腹を立てるとは思っていなかった。
「あれは見てて面白かったわね。結局は私が検閲長の所まで走る事になったけど」
そして街に入って驚きの連続だった。
貿易で栄えただけあって豊かな街、祭も有名で古城も観光地として皆が知るほど。
そして異種族の共存、其処には差別も嫌悪感も存在していない。誓約に守られた300年の間に培われたものだろうが、眩しく見え自分の国が見窄らしく思えた。
更には爵位が存在していないと言う事だ。多少の役割とかで差は有るものの、住人は全て平等に扱われている。
「理想の街。いえ、国がこうなれば言うことはないわね」
そう呟くと視線を落とし顔を曇らせる。
民の避難先の交渉。こう言う事は然るべき手続きを取らないと痼りを残す。それが軋轢を生み、争いを起こす原因になる事は経験上知っている。この街は誓約に護られているため、起きる事はないだろうが筋を通しておきたい。
しかし、検閲所で混雑の原因を作り焦ってしまい、誰と交渉をすれば良いのか聞きそびれてしまった。
「明日は交渉の相手を探す所から始めないといけないわね」
「エレナ様、そろそろ宿の方に向かいましょう……」
酔いが覚めてきたガナードが提案して来る。
「そうね。夜更かしは美容にも健康にも良くないわね」
そう呟くと立ち上がり、雇った騎士を呼びに騎士団長エルビンとして向かった。入り口に差し掛かる時に、一人の少女とすれ違いざまに肩が当たってしまう。
「すまない、痛くはなかったかな?」
「ええ、大丈夫よ気にしないで頂戴」
そう言うと少女は気にも止めずにその場を去り、傭兵騎士達に視線を向けると怪しい笑みを浮かべていた。
「どうしたんだ? 彼女と何かあったのか?」
エルビンは不審に思い問いかけ、彼等は返事を返す。
「何もありませんよ。ただの世間話に付き合って貰っただけですよ」
そう言った男の周りにいた者もそれに同意する。
「そうか。そろそろ頃合いだ宿に戻るぞ」
傭兵騎士達はしょうがないと言わんばかりに席を立つと、酔った足取りで酒場を出て行く。其処にガナードが合流し宿屋に向かい歩き出した。
吟遊詩人として酒場に招かれていたアドレア。観光客に向けて何曲か演奏をしていると、騎士団が入って来るのが見えた。
それだけでは別段気にはならかったが、暫くすると酔い始めた男が放った言葉に耳を傾ける。
剣を抜くには誓約をどうにかしないといけないと言っていた。300年も抜けなければ、気付く者は出て来るのは当然の事だ。
ただ、ガルドさんから聞いた話の他にも、破滅を願う者が居るかもしれない。
外の戦乱の世界は人を、そうでない者も蝕んでいく。悲しみ嘆き、恨み憎悪する負の感情が常にあり渦巻いている。
誓約はこういった感情を限りなく薄める力があり、異種族共存の実現や他国の侵攻を防ぐ事ができ。それに加えて守り人の存在により、今まで平穏は保たれた。
この平穏に満たされた街は、外の者は羨望の眼差しで見られ。手に届かぬものと諦め、そして妬み恨み憎悪を抱く対象となる。
吟遊詩人として、各地を巡業していたアドレアはそれを感じていた。それでも綻びが見えて来たとは言え、まだ目立った事は起きてはいない。
「効力範囲内で凌二が倒れてたのには焦りましたが……」
そう呟くと背後から店主に声を掛けられる。
「アドレアさん、今日はもう上がって貰って大丈夫だ。有難うな、久し振りに演奏聴けて嬉しかったよ」
「そう言って貰えると嬉しいです。有難うございました」
報酬を貰い楽器を片付けると、「我こそは!」と喚き出す酔っ払いを横目に酒場の出口に向け歩き出す。すると口を押さえ青い顔をした男が、横を勢いよく通り過ぎて行った。
どうやらさっきの騎士だったようだ、少し離れた所で蹲っているのを見たアドレア。
「ふむ、あの方は無害そうですね」
安堵の声を漏らし、月の光に照らされた道を歩き帰路に着いた。