プロローグ
夕陽が校舎を暖かく、そして少し寂しさを感じさせる橙色に染めていく。
生徒達は部活や帰り道のお喋り、カラオケなどの娯楽にて青春を謳歌する。本来なら俺もその中の一人である事が普通なんだろうが、人との関わりが煩わらしく思ってしまう。
小さな頃から無意識的に人の関わりを持とうとしていなかった様で、今ではこれが当たり前になっている。特にイジメとかされたりしたりも無ければ、他人から期待とか失望される事も無かった筈……たぶん。
放課後の予定を楽しく話している連中を余所に、予定のない俺は荷物をまとめ席を立ち帰路につこうとすると、教室の扉が「カラカラカラ」と乾いた音を立てて開く。
その先にはカジュアルな装いで化粧は薄く、茶色にカラーリングしたマッシュショートの女性が立っていた。確か 氷見野先生だったか……
「宗方 凌二君は居ますか?」
明るそうで誰にでも好感が持たれそうな見た目とは裏腹に、落ち着いた声で淡々と冷静な口調で言葉を放つ彼女は何処か感情の無い人形の様に思える。教室の中を見回し、視線の先に俺を捉えると。
「進路希望調査のプリントが未提出となっています、直ちに生徒指導室へ提出して下さい」
忘れてた、日頃から特にやりたい事も無ければ、なりたい事も無いと考えていた自分にとっては煩わらしく思い、忘却の彼方に追いやっていた。
高校二年となると「進路をしっかり考えとけよ」と授業の合間に連呼してた先生いたな、俺には全く効果無かったけど。
まあなんだ、こういう事は無視する訳にもいかないし「特に無し」と記入するのも論外だし、そう書こうものなら煩わらしい事に会うのは目に見えている。
結論、とりあえず適当な事を書いて提出する。何も決まって無いし、このぐらいは許してもらおう。
「わかりました、記入してすぐに提出しに行きます」
机の中を探りプリントを取り出して記入を始める。
この時、適度に思考を巡らせる振りをする「適当に書いたなコイツ」って思われて突っ込まれたら面倒だしな。
少し時間を掛け記入を済ませるとプリントを持ち、先生に会釈し教室を出る。生徒指導室は階が違って距離が結構あるので、提出をとっとと済ませたい俺は歩を早めた。
「生徒を指導するんだったら教室の近くにあるべきなんじゃ無いの?」
と、突っ込みや文句を独り言の様に呟き、道中の暇を潰しながら歩いていく。気がつけば生徒指導室の前に辿り着いていた。その頃にはうっすらと月が見え始め、夜の訪れを感じさせる夕闇となっており、辺りに下校時間を伝えるチャイムが鳴り響く。
制服の乱れを整え、失礼の無い様に4回ノックをして室内に入る。
「失礼します、進路調査のプリントを提出しに来ました」
室内は照明はついていないが、窓の外から射し込む月の光で様子が伺える。大きな棚に長机とパイプ椅子が数脚、右手の奥にはドアがありプレートに「準備室」と書かれていた。少しの静寂に包まれ一分位待って見たものの返答は無い。流石に時間が遅すぎるか、提出は明日にしようと決め踵を返した時。
「ゴトッ」
少し重そうな音が準備室の方から聴こえてきた、なんだ先生居るみたいだな。少々違和感を感じながらも室内の中を進みノックをして準備室に入る。
さっきの部屋と違い照明がないと様子は伺えないが、暗がりの中に動く人影がある。普通なら驚くかもしれんが、そんな事は大した問題じゃない。プリントの提出を済まして、家路につければそれでいい。
「先生、プリントを……」と、人影に向かい声を掛ける。
その人影は徐に俺に近づき目の前で止まったと思うと、同時に身体の中に何かが入ってくるのを感る。それと共に身体中の力が急速に抜け出し、影から伸びる華奢な指先は俺の額にあてられ、自分の意思とは裏腹に身体が傾いていく。
「痛っっっっ! 何なんだよ!」
床に倒れ込んだ拍子に頭をぶつけ、痛む場所を手で抑えようとするが身体の自由が殆ど効かない。状況が理解出来ない中、何とか力を振り絞って頭を起し、違和感を感じる部分に目を向ける。
僅かに射し込む月の光によって現れた輪郭は酷く歪んだ形の柄、鈍く光る黒い刃、そして刃の半分以上が胸に入り込んでいる。そして、全てを理解した俺は力を抜くと天を仰ぐ。
「……俺、刺されちまったな……死んじまうんだろうなコレ」
死の間際に、自分の過去が驚くほどの速で再生され頭を巡る。しかし、特に楽しいと思った事も辛かった事も無かった、色に例えるのであれば真っ白、いや無色透明だろう。
そんな未練、後悔という感情を抱かない人生を送っていた俺は、この「異常事態」を躊躇いもなく受け入れ意識を手放した。
意識が薄れる中で頬に当る暖かな水滴の感触、そして微かに聞こえる弱々しく震えた声。
「ごめんなさい」
これが俺の最後の記憶となった。
………
「あ〜暇だの〜何か面白い事無いかの〜」
穏やかな日差し、規則正しい振動に眠りへと誘われながら男は言う、その後方から子供の安らかな寝息か聴こえてくるから尚更のこと。
「まあまあ、この丘を越えればあと少しですから頑張りましょうよ」
後方から若い男に声を掛けられる、気を遣ってのことだろうが効果は薄い様だ。
「なんか眠気の取れる歌とかないかの? 出来たら頼む、儂もう限界だしの」
男は手を口に当てて欠伸をするが、大きな口は覆い隠すことは出来ていない。若い男は慣れた手つきで楽器の手入れを終わらし、弦を弾く。
指先から生まれ出る音は、軽快で小気味のいい旋律を奏で、澄んだ声色をもって詩を口遊み始める。何気に子供を起こさない様、音量調節しているあたり場数を踏んで居る様だ。
「おお! いいの〜祭りにはピッタリだの! ガッハッハッハ!」
男は辺りに響く大きな声で笑い、若い男は苦笑いを浮かべながらも演奏を続ける。そして彼らは街に続く道を進んでいった。