03
目を覚ますと、自室のベッドの上だった。
「………嫌な夢を見た」
汗まみれの身体を拭き、メイド服を着た。
部屋から出ると、ガランとしていた。人の気配が一切なく、所々焼け焦げている壁や床に、焦げた匂いがした。
とりあえず、食堂に行くために足を動かす。
何が起こっているのだろうか。これだけの焼け跡で、なんで私は寝てしまっていたのだろうか。
食堂がった場所に行くと、そこには何もなかった。食堂は跡形もなくなくなっていた。
「………なんで…」
急いで、書物庫に行ってみれば、いつもは閉じられている扉はなくなっていていた。
「サージャ様っ!」
「お疲れ様」
書物庫で暢気に本を読んでいたのはシンディア様だった。相変わらず綺麗な金色の髪に赤い目は、なんの感情もなく文字を追っているだけのようにも見えた。
シンディア様が持っている本は、昨日サージャ様がサッと出してくれた、微妙なタイトルの本の表紙によく似ていた。
「シンディア様…あの、みんなは…?」
「既に避難させましたよ」
「なんでこんなにボロボロなんですか」
「ここの屋敷の主が火を放ちましてね」
昨夜、私が気を失ってすぐにシンディア様がその場に現れたのだそうだ。
それにすぐに気付いたここの屋敷の主人が証拠隠滅とシンディア様を抹消しようと、やたら腰の低い男からランプを取り上げ、本棚にランプを投げ付け火事が起こったのだそうだ。そこからすぐに行動したのは腰の低い男だったのだという。書物庫から我先にと逃げ出したと思えば、使用人達を叩き起こし回り始めたのだという。
「その後すぐ、気を失った君を抱きかかえたサージャが怒り狂って暴れた結果がこれさ。書物庫は私がすぐに消火したけど、サージャは怒りのあまりここの屋敷の主人を追いかけ回したのさ。君を抱きかかえながらね」
なんで私を抱きかかえながら主人を追いかけ回した心理が私にはわからない。
「あの、それでサージャ様は」
「先に城に戻って陛下に報告している頃ですね」
パタリと本を閉じたかと思えば、シンディア様は手に持っている本を魔法で燃やしてしまった。一体なんだと言うのだろうか。
「帰ろうか」
ニッコリと笑ったシンディア様は私に手を差し伸ばしてきた。その手に自分の手を乗せた。
城に戻ると、シンディア様の執務室に連れてこられた。綺麗に片付けられた執務室の中に異様な空気が漂っている場所があった。
執務机の上には所狭しと紙の束が置かれていて、今にも崩れそうだ。
「……………兄上の鬼畜…!」
ボソリと恨めしそうにそう言ったシンディア様のお兄様はこの国の陛下だ。優しそうな見た目の陛下は、民の前に出れば一切笑顔を崩す事がなく、スラムでは陛下はまるで化け物であると噂されている。
「へ、陛下が置いていかれたのですか!?」
「そうですね。あの人、機嫌が悪いと我々兄弟にこうして仕事を押し付けてくる癖みたいなものがあるんですよ。すぐに辞めていただきたいものですね」
「まさかそれは俺の事を言っているわけではないよね?」
ポスンとシンディア様の肩に置かれた男の手には白い手袋がはめられている。シンディア様の顔は血の気が失せ、青白くなっていった。
「ねぇ、シンディア」
金色の髪に赤い目の美形は我が国の王様だ。
あまりの突然の出来事に、身体は動かず、たまたま執務室で仕事をしていたメイドが私の頭を無理やり下げさせた。
「あ、兄上ッ」
「俺はね、シンディアが熟せる範囲で仕事を回していたつもりだったんだけど、不満があるなら仕事量を増やすか、俺と追い掛けっこして遊ぶか、どっちがいい?」
「全身全霊を掛けて仕事をやらせていただきます!」
「遠慮とかしなくていいよ」
「いいえ!!仕事をしなくては兄上に迷惑が掛かりますので!!」
「別に遠慮しなくていいって。ディージェも居るし」
「ディージェにも迷惑を掛けられません!」
ディージェ様は国の宰相だ。今の陛下を育てた宰相として、既にこの国の歴史に刻み込まれている。
「あ、兄上!先ほど義姉上を見つけたのですが、物凄く、ものすごーく!寂しそうな背中をしていました!お側に居なくていいんですか!?」
「仕事頑張るんだよ、シンディア」
そう言って颯爽と去って行った陛下は、国全土に広まる程の愛妻家だ。
一部では王妃様可哀想と噂されている事はここだけの秘密だ。
「…っはぁ…」
「シンディア様…」
「ルナ。悪いんだけど、私はあれを片付けなければなりません。サージャに事のあらましを説明させます。その後は好きなようになさい」
「シンディア様」
「ルナ。今回の任務、アナタのお蔭で一つの貴族を潰す事が出来ました。我々だけでは、解決するのがずっと後になっていた事でしょう。あなたの幸運に感謝します」
シンディア様は右手を差し出してきた。
私はその手を取り、握手を交わし、メイドに連れられ裏門まで連れて行かれた。
「本来スラムの娘に渡すものではございませんが、シンディア様が必ず渡すように言われました。これで、部屋を借りて職を手になさい。あなたの幸運ならすぐに見つかりましょう」
差し出されたのは、金が入った巾着だった。
「………」
「盗んだ物ではないという証明にサージャ様からの手記があります。これを見せれば、多少なりとも信頼してもらえるはずです」
それを受け取ると、私は何も言わずに頭を下げてその場から立ち去った。恐らく、あのメイドも貴族なのだろう。佇まい、喋り方、動作に至るまで洗練されていた。私がおいそれと口を利いてはいけない相手だ。それを考えれば、シンディア様は彼女よりも格上のお方だ。
私はあの後、あのメイドに言われた通り部屋を借り、食堂の皿洗いの仕事に就いた。
「シンディア」
ルナが城から出てから翌朝になった頃、延々机に向って書類を片付けていた俺の前に現代陛下である兄上がやってきた。
「兄上」
「流石に、あの娘はダメだよ」
「……何を仰っているかわかりかねます」
「サージャの時は許したよ。彼にはそういう才能があった。お前の懐刀として役に立つと俺もディーヂェも彼の才能を認めた。けれど、あの娘には幸運である事以外に才能を見出せない。幸運はいつまでも続く訳ではない。いつか途絶えるものさ」
たった二回。最初は彼女に会えた幸運に俺は笑った。あぁ、一つ仕事が片付く、とそれだけを考えた。二回目、彼女が居たあの書物庫でまさかの証言とまさかの現場を押さえた。こんな早くに片付くとは思っていなかった。あの男の位は男爵だった。ついこの間までは伯爵だったのだが、絶対にやってはいけない事をした。義姉上にちょっかいを掛け、兄上が大激怒し爵位を伯爵位から男爵位に位を下げたのだ。
元々目を付けていた男だったが、兄上のお陰で仕事はやりやすくなったが、兄上にはしばらく頭が上がらなくなってしまった。
「兄上の言っている事は正しい。俺は出逢って早々に諦めているよ」
「諦めているようには到底見えないけど」
「兄上達のように、丁度良い身分の運命の相手っていうのはとても羨ましい限りだよ。義姉上の身分は兄上にぴったりだ」
「相思相愛だしね」
否定したい。
義姉上はよくこんな化物を夫にしようと思ったな、いや、兄上にはめられて婚姻届に二回もサインしていたのを実は知っている。
「おい」
「いや!全くその通り!!」
兄上の目がギロリと俺を睨み付けた。
幼い頃のトラウマが蘇り、反射的に兄上と義姉上を囃し立てる言葉を選んで言葉に出すのは既に朝飯前だ。
「まぁ、それはそれとして置いとくとして、見合いしてみるか」
「いやいいです。今更、兄上達みたいに順風満帆な夫婦生活を送れるとは思わないし、王族の血筋はもういらない。余計な争いを招く可能性だってある。俺まで結婚して血を残さなくても良い。それに、最初で最後の恋なんだよ。はなっから望みがないってわかってる。ただ想うだけの恋ぐらい好きにさせてよ」
「痛々しいね」
そう言われ、自分でもそれぐらいわかっている事だ。
この先、ルナが別の誰かと結婚し、子を産もうと俺はただ見守るだけの存在だ。悔しくて、気が狂いそうになったとしても、俺とルナが想い合う事は許される事はない。
「シンディア。お前の言う運命って凄く胡散臭いけど、本当の事だから俺は馬鹿にした事なんて一度もないよ」
それは、俺の唯一無二の特異性だ。この兄上と義姉上が結ばれる運命だと、兄上に言ってしまった事を義姉上に地中よりも深く謝罪したいが、反対に兄上には酷く感謝されている。
陛下である兄上はレオナルドといい、近隣国にはある種酷く恐れられているお人だ。そのすぐ下にヴェルフェという兄上が居る。ヴェルフェ兄上の運命の相手は貧乏貴族の令嬢だった。一風変わった世話焼きの姉御肌の義姉上は、俺にまで気に掛けてこの世とは思えぬ手料理を振る舞おうとするのは止めていただきたい。令嬢なんだから大人しくしてほしい。
ここまで言えばだいたい察する事は出来るだろう。俺は、その人の運命の相手が見えるのだ。
そして、俺の運命の相手はまさかのスラムの娘。ルナと出逢った瞬間に、俺の顔が見え、それからこれは俺のものだと認識したが、なんだこの違い。身分差があり過ぎて軽く泣いた。せめて、小さな商家であればまだ兄上を説得出来た。俺が庶民上がりの魔法使いだったら、せめて、せめて王族じゃなかったら。そんな考えが永遠続くのだ。
「先に言ってはおくが、お前以外の人間がその椅子に座る事は許さないよ」
「……わかってるよ」
再び書類に向き合えば、いつの間にか兄上は居なくなっていた。