02
我が家であるスラム街のテントに戻って、小汚い服に着替えて城から着てきた服を売る。少しでも金に換えて食べるものを確保しなければ生きていけないのだ。
しかし、初めて城の中に入ったけどシンディア様は本物の第三皇子であった事がわかった。金髪の赤い眼は本物だったという事になる。
男と歩けば、使用人と思しき者、どう見ても貴族の偉そうな肥えたおっさんまでもが男に対して頭を垂れていた。
そんな凄い人に、囮として使われたのだ。凄いと言えば凄いかもしれないがむかっ腹が立つ。もう二度と会わないんだから文句の一つでも言えば良かった。
白くて可愛いワンピースに汚れが付いてないかどうか確認してから、麻の肩掛けカバンに服を入れる。結構な値で売れそうだ。多分この触り心地はシルクかもしれない。
「自分の生活のためだしね」
髪もそろそろ売りに出そうかと思っていたのだが、切られてしまったので非常に残念だ。
「でもさぁ、そういうのって普通は後生大事に取っておくのが普通ではないのですか?」
「ぎゃああああああ!!!!!?」
思わずワンピースが入っているカバンを隣で寝そべっている男に投げ付けていた。
「酷いですねぇ、もう」
「シンディア様がなんでここに!!」
豪華な衣装に身を包むシンディア様にはまるで似合わないスラムのテントは随分とチープに見えた。
「まぁまぁ。それよりもさぁ、話があるんだけど」
「なんでしょうか」
「これに着替えてもらえる?」
そう言われて、着替えた服は黒いワンピースだった。
言われた通りに着替えて、ついでとばかりにストッキングと黒い革靴とエプロンを手渡されたので、それも身に着けた。
「ではとりあえず、3週間程みっちりメイド教育してから行ってほしいとこがありますので、城に来てください」
「嫌だ!!!」
魔法で一瞬にして城の客室に移動していた。
そして、地獄の3週間が始まった。
3週間後、私はとある子爵邸にて新米メイドとして働いてた。
あの3週間は本当に地獄だった。まず歩き方から、言葉遣い。文字の練習にお茶の産地から今の流行等、などなどなどなど叩き込まれた。まだ足りないとメイド長に言われたが、時間がないらしくシンディア様が無理矢理とある子爵邸に放り込んだのだ。そんな荒っぽくていいのか問いたいが、先にシンディア様から言った。曰く、「あの子爵、悪い事してるみたいだから証拠見つけてきて」との事だ。
また面倒事に巻き込まれた。
一週間は仕事を覚えるのに必死だった。お茶の淹れ方がなってないから始まり、装飾品の手入れが雑と言われ、先輩メイドのお手本を見れば確かに丁寧で素早く綺麗に磨かれていた。なんだか納得いかなかった。廊下の掃除を一人で任されたのは多分ではなく確実に仕事の足を私が引っ張るからだろう。
「全くこれだから貴族様は嫌なんだ。どれだけ庶民の暮らしが……って私孤児だった」
それだけ美味い飯にあり付けられても、どれだけ柔らかいベッドに寝る事が出来ようとも、私はやっぱり自由がいい。多分、シンディア様とはこの件で最後だろう。そう願うしかない。
黙々と作業を続けた後、ようやっと掃除が終わり夕飯にあり付けた。パン一個に、野菜がごろごろ入ったスープは美味しかった。
今日はメイドになってから初めての休みである。
私の部屋には、我が物顔でベッドに寝そべるシンディア様が居る。
「何かご用で?」
「何か掴めたかな?と思って様子を見に来たんですよ。あー、僕って優しい」
むかっ腹が立った。
一週間、私がやってきた事を素直に話すとシンディア様は「だろうね」と一言言っただけだった。一週間メイド業に必至だったんだ!
「本題だけどね、今日はお暇を貰っているんですよね?」
「はい」
「書物庫、入って一番奥の本棚がありましてね。窓側から三つ目の本棚があるんですよ。その中に『嗚呼、私は貴方の情欲に溺れたいんだか、溺れたくないだか…』っていう微妙なタイトルの本がある」
「本当に微妙なんですけど」
結局なんの本なのかちょっと興味がある。まぁ、目の前に出されたらきっと興味を失うだろう。
「ちなみに本の中身は性的表現満載だったんですけど、なかなか面白かったですよ」
知りたくなかった。
それだけ言うとシンディア様は魔法を使って帰った。頭の足りない私は言われた通り、書物庫へ行き、一番奥の窓側から、三つ目の本棚に例の本がないか探す。だがしかし、私は文字覚えたてな訳でそんなすぐに探せないのだ。ていうか徐々に自信をなくしてしまっている。
「……………」
もう本のタイトルまで忘れてしまっている。あー、どうしよう。
「どうかされましたか?」
耳元で囁かれて、慌てて拳を握って相手を殴ろうとしたが理性が私に「相手が貴族様だったらどうするの?」と言い聞かせて落ち着かせる。
「い、以前、友人に勧められた本を探しているのですが、多分この辺りにあったかと思うんですけど、タイトルも忘れてしまいまして」
「そうだったんですか」
振り返れば目を見張るような美形がそこに居た。
銀色の髪は短く切り揃えられ、蒼い眼に怜悧な表情が雰囲気を冷たくさせている。シンディア様もかなりの美形だとは思ったけれど、この人も負けず劣らずの美形である。
「ここで司書をしています。読みたい本があれば申し上げてくださればすぐに提示できます。どのような内容かは伺っても?」
「えっと、確か…かなり微妙なタイトルで『されたいんだか、されたくないんだか…』みたいな感じの本なんですけど」
「………本当に読みたいんですか?」
凄く残念な顔をされた後で、途端に軽蔑の視線を寄越してくる。
「ご、誤解しないでください!私は、本の中身には興味ありません」
じゃあ、何に興味があるんだよ。と言いたくなる。私バカだ。
「よく意味がわかりませんが、本ならここにありますよ」
そう言われて手渡された本を手に持つ。
ズッシリと重くて、紙一枚一枚はあんなにフワフワしているのに、本とはとても重いものなのだなと感慨深く思った。
「…………」
これ本当に本?凶器じゃないの?重たいそれの表紙を開いて1ページ開いてみる。覚えたての文字に目をゆっくりゆっくり走らせる。
「もしかして、文字を覚えたてなのですか?」
勢いよく本を閉じて、慌てて否定の言葉を口にする。“覚えたて”というのは非常にまずい。身元がちゃんとしているのに、文字を読めるようになったのはつい最近だなんて言えない。問題以外の何物でもない。
身元を疑われる充分な要素だと、メイド頭に言われた事でもある。
「そ、そそそそそそそんな訳ないじゃないですか。全く何を言いますか。文字ぐらい読めないのであれば、ここにはおりません」
努めて冷静に言うが、動揺が隠しきれてなくてどもってしまった。
「なるほど。アナタがシンディア様の仰っていた密偵ですか」
「………は?」
「私は、サージャ・ディーメと申します。シンディア様の補佐をさせていただいております」
補佐!
で、でも、本当に信じていいのだろうか。頭の中でシンディア様が意味深に微笑んだ所で、否定の言葉を口にした。
「ちゃいます」
「ルナさんですよね。シンディア様から報告を受けていますよ。今日書物庫に来る挙動不審の女性が来たら、とりあえず声を掛けるように言われております」
アイツ死ねばいいのに。
王族相手にとんでもない事を思う私は悪くない。
「恐らく、私とアナタを会わせたかったのでしょうね」
「なんの為に、ですか」
「仕事を円滑に行う為にですよ」
ニッコリと微笑んだサージャ様は私の頭を撫でると、飴玉を握らせた。
「何が目的でシンディア様がアナタを密偵としてここに潜らせたのかは私でも分かりかねますが、頑張りなさい。頑張ったら頑張った分だけ、それがちゃんとアナタに返ってくるようにしっかりと努力をするのですよ」
小さな声で、自分の部屋に戻りなさいと言われて、コソコソと自室に戻ると、そこにはベッドに寝そべるシンディア様が居た。
「サージャに会った?」
「え、はい」
「アレと君は仲良くなれますよ」
「……どうしてですか」
「機会があれば、サージャに直接聞いてみるといいですよ。それでは引き続き調査の方をお願いしますね」
そう言って、言うだけ言って消えたシンディア様に軽く殺意を覚えながらも、ポケットに入れておいた飴玉を取り出す。
その飴玉は桃色の薄い紙に包まれていた。紙を剥がすと白い飴玉が顔を出した。それを口に入れると飴玉は少しずつ溶け始めた。
「甘いー!」
一気に幸せな気分になった。
夜までダラダラと部屋で過ごし、夜になって行動し始めた。理由、お腹が減った。
コッソリと、食堂に行くと料理長が少し難しそうな顔をして、誰かと話していた。
「もっと夜のディナーを豪華にしろ、と主人が申しております」
「そりゃあ、無理な話だ。俺等の給料も削られて、材料代も前よりもずっと少なくなった。それで、どうやって豪華にするつもりだ」
「伝えるだけ伝えましたよ。ここはもう終わりかもしれません。次の職場を探した方が無難ですね」
「もっともな言い分だな。だがよ、次の職場なんてどうやって探すつもりだ!」
「そこを考えなければなりませんね」
ここの屋敷の主人は、肥え太っている。ギラギラした指輪に美人な女の人を複数人飼っている。連れてこられた女の人達は、軽蔑の目で主人を睨んでいるか、諦めの表情を作っている人ばかりだ。
「………終わり、かぁ…」
ここの料理長の料理は温かくて大好きだ。ごろごろした野菜スープにフワフワのパン。下っ端の中の下っ端の私にも優しくて食いっぱぐれないように、私の分の夕飯をいつも取っておいてくれた、ふくよかな体系の優しいおじさんだ。
なんとかしたい。ここの使用人の人達はあまりに出来の悪い私にも優しくしてくれた。優しい人達ばかりだ。
こっそりと食堂から出た私は書物庫に向った。サージャ様に知恵を貰おう。私にはさっぱりわからない。どうすればいいのか、私には全くわからない。
書物庫の扉に手を掛けて深呼吸した後に、ゆっくりと扉を押した。
人の気配が全く感じられないそこは、真っ暗闇に包まれていた。なんか出そう。なんかってあれだ。お、おば…
「こんな所で何をされていらっしゃるんですか」
後ろからポンと肩を叩かれ、驚いた私は悲鳴を上げそうになって寸でで声を喉奥に押し込んだ。
「サージャ様…」
死んじゃうかと思いました。とは言わずに後ろを振り向くと、銀髪の麗人がニッコリと微笑んで立っていた。
「こんばんは」
サージャ様と一緒に書物庫に入ると、光が入らないそこはただただ暗く足元どころか、全く周囲がわからない。
「何も見えませんか」
「は、はい」
「手を繋ぎます。気を付けてください」
サージャ様がなんの迷いもなく私の手を繋ぎ、なんの躊躇いもなく歩き出した。
「サージャ様は見えているんですか」
「私は夜目が利きますからね」
ゆっくりと、私が転ばないように歩いてくれる。階段や段差があればすぐに声を掛けてくれたり等し、とても紳士的だ。
「サージャ様、私ここの使用人達をどうにかして、次の仕事先を見つけてあげたいんです」
「そうですね。彼等は被害者でしかありません。何も不正等行っていなければシンディア様が丁重に対処してくださるはずです。だから、大丈夫ですよ。シンディア様を信じてください」
「……はい」
会ったばかりだ。この国の王子とはいえ何を信じればいいのだろうか。でも、普通のお貴族様ではないのだと思う。王族だけど、スラムに住んでいる私から見れば貴族も王族も変わらない。スラムはゴミだと思っている貴族の方が圧倒的に多いだろう。加えて素行も悪いのだ。それで、どうして一国の王子様が私に声を掛け、こうして仕事を与えたのか意味が全くと言っていいほどわからない。
「ここに」
目が慣れてきた頃、長テーブルの下に身を潜め、まるで誰かを待つように息を潜める。
そのすぐ後に、誰かが扉を開けて、重たげな足音と、軽い足音が聞こえてきてどんどん近付いてくる。咄嗟に声を上げそうになって、口を大きな手で塞がれ、耳元で「シッ」と随分と小さな声で言われ、シンディア様からの「密偵」としての仕事を思い出す。
「全く、どうなっているんだ!税を搾り取れんとは情けない」
「全くその通りでございますね。ご主人様」
偉そうな口ぶりの男と、反対に腰が低い男の声。地面には淡い灯が照らされて見えたのは、まるまると太い脚と棒っきれのような細い脚だった。
「民から、どんな事をしても税を搾り取れ」
「そ、それは、」
「女が居るなら、売ればいい。男なら奴隷にでもして売れば金が手に入るだろうが!!」
自分の事しか考えていないその言葉にゾッとした。サッと血の気が引いていき、カタカタと身体を震え始める。
「国王も一体何をお考えなのか。民を第一に考えろだと?政治を動かしているのは、我々貴族なんだ!民は我々貴族を第一に考え、全てを我々に捧げて然るべきだというのに。仕事の出来ん国王とは飽きれますなぁ」
「ご主人様のおっしゃる通りで…!」
「私の方がしっかり仕事をしとるではないか」
がはははと大袈裟に笑い飛ばす男に吐き気が止まらない。
「例の物は」
「こ、こちらに」
ゴトリと何かが、テーブルに置かれる音がした。
「こ、これだ!これだよ!!」
その直後、何かの液体がポタリと床に落ちた。赤黒い何かは、血にも見えた。
ぐぢょりぐぢょりと柔らかくて、水分たっぷりの何かを食べている音が聞こえ、私の体は震えが止まらなかった。きっと私の口に当てられている手がなかったら大声で悲鳴を上げていただろう。
「今日もなんとも言えん素晴らしい味だったわい」
「そ、それはようございました…」
「お前も食ってみればいい。緑色の眼と茶色い長い髪の幼い女の心臓は美味いぞ」
その言葉を聞き、もう意識を保ってられなかった。