第七章 ぶつかり合う意思、Collide
レッドキャップの身体はこの日初めて、殴り飛ばされるという経験をした。そして殴り飛ばした相手とは、あのエイミー=ライバックだというのがレッドキャップにとっては理解ができなかった。
「――ッ、何をするのさ!?」
「ふむ。流石は私と同じ、ヒーローと呼ばれるだけのことはあるな」
手首を回しながら、まるでこちらを始末せんとしている少女を前にして、レッドキャップは困惑せざるを得なかった。
「どうして……君が……」
「…………」
エイミーは答えなかった。敵にかける言葉など、ないということであろうか。
「……レッドキャップ……貴様が、邪魔だ!!」
人知を超えた身体能力による、超高速でのラッシュ。レッドキャップはそれに対し戦う意思など無く、何とか避けては話し合おうと声を張り上げる。
「どうしてさ!? 君がこんなことをするはずが――」
「黙れ!! 貴様さえいなければ、私は、私は――ッ!!」
幾重にも重なるラッシュの瞬間――レッドキャップの瞳には、悲痛に顔を歪ませ、一筋の涙を流すエイミーの姿がうつっていた。
「――ガハァッ!?」
そのことに気を取られていたレッドキャップは、右こぶしの一撃を回避することができず、そのまま左の頬に受けてしまった。
「ぐっ、がァッ!?」
地面を何度かバウンドしそのまま壁へと叩きつけられ、レッドキャップはぐったりとしたまま動かなくなった。
「……フフ、フフフフ、フハハハハハハハ……ッ!」
エイミーはその姿を見て勝利を確信し、高らかに笑おうとした。だが不思議と元気は湧き出ずに、乾いた笑いしか出てこない。
「私は、勝ったのだ……あの忌々しきレッドキャップに……なのに、何故だ……この虚しさは……」
自分の勝利を確信したはずなのに、胸に去来する虚無感はなんだというのか。エイミーは勝利を掴んだはずの右手を振るわせ、じっと見つめている。
「……ぐっ、げほっごほっ!」
エイミーが戸惑っている内に、レッドキャップは口に溜まった血を吐き出して再び立ち上がる。
「……まだ戦う気か」
「…………僕は……君と戦う理由がない!」
「ッ、黙れ!!」
エイミーは更にレッドキャップを殴りつけるが、その度にレッドキャップは不屈の意志で立ち上がる。
「ぼ……くは……戦わ……ない」
「くっ!!」
何度も立ち上がり、その度にエイミーに殴られ、蹴られ、突き飛ばされる。それでもレッドキャップは立ち上がる。
「何故だ……何故立ち上がるッ!?」
「それは……僕が……ヒーロー……だから……ッ!」
レッドキャップは立ち上がる。何度でも、何度でも。ヒーローとして、英雄として。力尽きようと立ち上がる。
「……ッ!!」
エイミーはその姿に羨望すら覚え、そして同時に嫉妬した。
何故だ。何故自分はこうならなかった。何故自分は、同じヒーローを倒しにかかっているのだ。
「……エイ……ミー……」
「くっ、その名を呼ぶなッ!!」
――ヒーローとして落ちぶれた名など、今更呼ばれたくもない!!
「うあああぁッ!!」
今までで一番力がこもっていた。怒りと悲しみ、羨望と嫉妬、それら全てが混じり合って共鳴し、エイミーの振りかざす拳となってレッドキャップにぶつけられる。
「ガハァッ!!」
力はレッドキャップの肉体を貫通し、床を大きく割った。そして瓦礫の中、レッドキャップは今度こそ、起き上がろうとはしなかった。
「……ハァッ、ハァッ……クッ!」
エイミーはとうとう、力でもってその地位を奪い取ったのだ。
「……私の……勝ちだ……」
「そうだ、あんたの勝ちだ。だが――」
そう、この物語はエイミーの勝利だけで終わることは無い。
「俺の勝ちだ」
どこからが騙されていたのであろうか。ジース=ロジャーはビデオカメラを持ってその一連の映像を撮っていたのだ。
「なかなかすごかったねぇ。まさか英雄同士で潰し合うとは、しかもあの新生ヒーローレッドキャップを、エイミー=ライバックが何の理由も無しに殴り殺す。これは再生数が取れそうだ」
ロジャーの撮っていた映像は全て、動画サイトに放映されていたようである。正義のヒーローの醜態をさらすという企みは達成されていたようで、街のヒーローの醜態を市民に晒し、その信頼を崩すことに成功している。
「ほら見てみな、ソーシャルメディアであっという間にその醜態が拡散されているぜ」
ロジャーが見せた携帯端末の画面には、文字通り人々の呟きが次々と流れている。
失望した。ヒーロー同士でも争うのか。エイミー=ライバックは味方ではなかったのか――それら全てがエイミーの心を崩してゆく。
「あ……あぁ……」
「世間はあんたを必要としない。あんたは俺達と同じ、悪役でしかない」
「違う……ちが――」
「無駄だよ。もう既に真実は伝わっている。仮に俺との会話を後悔したとしても無駄だと思うがね。それよりもだ」
人々の心を操る策士は、エイミーすら歯牙にかけようとしている。
「どうせ悪役になるなら、俺と組めばいい。そうすればこの街でアンタには向かうものなんざいなくなる。何せ支配するかならな」
英雄という肩書すら奪われたエイミーは、普段ならそんな言葉など絶対に受け入れたりなどしなかっただろう。
「私が……」
「そうだ。全てがうまくいく。戦車すら壊せるあんたが、今更何を恐れるというのだ」
そうだ、恐れるものは何もない。全て力でねじ伏せられる。
「レッドキャップも、あんたには手を出せない」
そう、自分と同等の力を持つ者にすら、力で勝つことができた。
「…………」
エイミーは黙ったままだった。このまま、彼の言う事を信じるしか道はないのかと。
「…………私は――」
「エイミー……」
瓦礫の中、消えかかった声がエイミーの耳に届く。
「……そいつは無視しろ。またお前の栄光への道を妨害してくるぞ」
「エイ……ミー……」
その者は、力尽きたかと思われていた。だが瓦礫の中で、同じヒーローの名を何度でも呼ぶ。
「…………」
「おい、無視をするんだ! あんたが聞いちゃいけない言葉だ!」
「――エイミー!」
全てを振り絞って自分の名を呼ぶ者。それに応えずして何がヒーローか。
「――ッ!」
エイミーは瓦礫の山の方へと向かうと急いで瓦礫を退かし、ボロボロになったヒーローの顔を覗き込んだ。
「…………」
「やっと……届いた……」
自慢の赤帽子に土ぼこりと血が染みついているが、それは正義のヒーローレッドキャップのトレードマークである。
「……何故、私を呼んだ……」
「一つだけ……話を聞いてほしいことがあるんだ…………僕が……ヒーローを目指した理由を……」
自分の原点を語る――そう言ってレッドキャップは静かに自分の帽子を取って、その素顔を始めてエイミーに見せた。
「……そんな、まさか――」
「そう。あのレッドキャップの正体は、たった一人のオタク少年だったってことだよ」
奥田は初めてエイミーの前で正体を晒し、そして乾いた声で笑った。
「正直、僕も……こんなことになるとは思っていなかった……でもね、僕だって人助けができるなら、人助けをしたかったんだ」
いくら蔑まれ、笑われても、この帽子を被れば皆のヒーローになれる。皆があこがれ、感謝されるヒーローになる。
「僕は、そんなヒーローに憧れていたんだ……」
「…………そうだったのか」
「そして、僕がヒーローになるきっかけとなったのは――」
その時奥田は初めて、自分のヒーローとしての原点を語る。
「――エイミー、君に憧れていたからなんだ」
「――ッ!」
エイミーは言葉を失った。あの憎かったヒーローが、自分に憧れていたことに。自分のように、人助けができる英雄になりたがっていたことに。
「でも、僕のせいで君が苦しんでいたことに気づけなかったなんて……ヒーロー失格だよね……」
「違う! 間違えていたのは私だ! 私は、勝手にお前を敵と見ていた…………私は、お前に嫉妬していたのだ!」
「ハハ……そんなまさか」
「本当だ!!」
エイミーはせきを切ったように涙を流し、そして自分の想いをも吐き出した。
「私は、お前に取って代わられるのではないかと、恐れていたのだ……! エイミー=ライバックはこの世界に必要とされないのだと、恐れていたのだ!!」
今まで誰にも見せることの無かった自分の弱さ。それをエイミーは敵対していたはずの相手にさらしている。
怒るだろう、嘲るだろう、軽蔑するだろう――そんな言葉がエイミーの頭をぐるぐるとまわっている。
だが、目の前のヒーローはそうは思っていなかった。
「……そんなことないよ」
奥田は泣き崩れるヒーローに微笑み、優しく頬を撫でる。
「――僕にとって、君は大切な人だよ」
英雄の行動が世界を救う。そして少年のたった一言が、一人の少女を救うこともある。
「……タクオ…………!」
つき物が取れたかのように、エイミーの肩の荷が降りて行く。その瞳に、正義の炎が再び宿り始める。
「……やっと名前、憶えてくれたね」
奥田は再び帽子を被り直し、エイミーの肩を借りて立ち上がる。
「……どうやら、甘言は失敗だったようだね」
二人の纏う雰囲気が変わったことで、ロジャーは眉間にしわを寄せる。
「……あんた、俺以上に言葉巧みだったようだな」
「そうでもないさ。僕はいつでも本音で喋って、本気で生きている」
レッドキャップは不敵に笑い、エイミーの方を向いて、そしてロジャーの方を向きなおす。
「だからこそ、通じるものがあるんだよ」
「……どうやらあんたを見くびっていたようだ」
ロジャーが指をパチンと鳴らすと、どこに隠れていたのか二機のヘリコプターが突如現れる。
「いっ!?」
「見くびっていたからこそ、隠しておいた切り札を出す必要がある」
ヘリコプターによるガトリング掃射。音速を超えた弾丸が、窓を破って床を抉る。
「えっ!? これ僕避けられない――」
「フン!」
動けなくなったレッドキャップを抱き上げ、エイミー=ライバックは宙を舞う。弾丸の嵐をすり抜け、ヘリコプターのコックピットへとレッドキャップを抱えたまま飛び掛かる。
「私達の邪魔をするな!!」
コックピットにいる操縦士一人を引きずりだし、ヘリコプターからコントロールを奪いとる。クルクルと回りながら墜落していくヘリコプターを背に、エイミーは右手にレッドキャップ、左手に気絶した操縦士を抱えて立っている。
「次!」
エイミーは二人を床に降ろし、今度は単騎ヘリコプターへと突っ走り始める。
「くっ! 化け物め!」
ヘリコプターは急いで高度を上げ、追ってくる英雄の手から振り切ろうとした。
「逃がすか!」
エイミーはとっさに二つのビルの壁の間を三角飛びで蹴り登り、ヘリコプターの真ん前へと飛び掛かる。
「ふははは!」
「馬鹿が! ミサイルの餌食にしてやる!」
ヘリコプターの両脇から放たれるミサイルがエイミーに直撃し、空中で大きな爆発が二回発生する。直撃をくらったエイミーはそのまま墜落するかと思われたが――
「――この程度、レッドキャップが受けた痛みに比べれば何ともない!!」
両手を顔の前でクロスに構え、エイミーはそのままヘリコプターへと突っ込んでゆく。
「う、うわああああ!!」
そのままエイミーの身体はヘリコプターを貫き、ヘリコプターはそのまま空中で爆発四散した。
「……これで、奥の手も終わりだ」
「流石エイミー! ナイス!」
笑顔で迎えるレッドキャップを前に、エイミーもまた笑顔でハイタッチに向かおうとした。
その時だった――
「――終わりだ」
たった一発の弾丸が、音を置き去りにして奥田の横顔へと飛んでくる。エイミーにとってその瞬間は、長くもあり短くもあった。
そしてレッドキャップも当然気づいた。だが既に弾丸は目の前まで来ており、回避しようにも体が動かない。
――次の瞬間、レッドキャップの頭は大きく後ろへとそれていった。
「……うそ……だ…………」
「流石のヒーローも、不意打ちには弱かったようだな」
ロジャーは最後に一人の英雄を殺せたことに、一矢報いたという清々しさと絶望へと押しやった愉悦を交えた笑みを浮かべていた。エイミーは、やっとのことで分かりあえた仲間を失ったショックで、力なくその場にへたり込んだ。
「うそだ……私が……私は……!」
動く様子の無いレッドキャップを前に、エイミーの目からは自然と涙があふれていた。今まで体じゅうに漲っていた力も、たった一人の仲間を失ったことへの絶望を前にへなへなと抜けていく。
「次はあんただ……」
もちろん、そんな姿をロジャーは見逃す訳が無く、今度はエイミーに向かって銃口の狙いをつけ始めている。
ロジャーが引き金を引こうとしたその時――
「……ハハ、ハハハハハハハハッ!!」
「ッ!? 何だ一体!?」
死んだはずのレッドキャップが、笑っている。後ろにそれていた首を前へ向け、元気に白い歯を見せ笑っている。そしてその白い歯の間には、先ほど放たれていた弾丸が綺麗に挟まっていた。
「レッドキャップ!」
「あの時エイミーがしたあれを思い出してね」
「……ッ! 私も、思い出したぞ! その時の人質が――」
「僕だったってこと。やっと思い出したー?」
レッドキャップは弾丸をペッと吐き出すと、目の前の悪党を相手に一人で立ち上がり始める。
「それにしても、卑怯だよあんた。最初から最後まで人を騙し続けてさ」
レッドキャップは右手をぐっと握りしめ、一歩一歩ロジャーへと近づいてゆく。
「エイミーも文句があるはずだよね」
レッドキャップはそう言いつつエイミーの方に目配せをすると、エイミーはその意図を読み取ったのか、指を鳴らしながらロジャーの元へとじりじりと近寄り始める。
「……そう言えばそうだな。仮にもヒーローすら騙したというのは許されることではないな」
「ま、誰であろうと騙すのはいけないけどね」
「ムッ、そうだな」
自分の身体が少しずつ回復していくのを確認しながら、レッドキャップはわざとらしくロジャーの目の前で右腕をぐるぐると回し始める。
「これは一つ、きつーいお灸が必要だと思うけど」
「偶然だな。私もそう思うぞ」
事態を察し始めたジース=ロジャーの表情から余裕が消え、代わりに焦りと恐怖とが表情の支配を始める。
「ま、待ちな。あんた等――」
二人は同時に拳を振りかぶり、そして同時に拳を振り抜く。
「――悪党両成敗拳!!」
超人二人からの正義の鉄槌。それをまともにくらったロジャーの身体は建物の壁を突き破り、外で包囲待機していた警察の目の前まで吹き飛ばされる。
「はい、強盗罪で現行犯逮捕」
外で待機していた金髪の若い警官は、この時に警官生活初めての凶悪犯罪者を逮捕することとなった。