第一章 冴えない少年、奥田宅雄
「ではミスターオクダ……これを答えろ……オクダ!」
「は、はい!」
「貴様また隠れてコソコソと漫画を読んでおったな!?」
壇上で教鞭を振るう男の言う通り、教室でも冴えない少年は机に巧妙に教科書を立て、その内側で漫画の単行本を読んでいた。奥田は見事にいい当てられたことと、周りに漫画を読んでいることがばれたことが恥ずかしくて顔を赤くした。
教室内ではクスクスと笑い声が聞こえ始め、なかにはまたかと言わんばかりにため息をつく者もいる。
「またあのオタク野郎漫画本持ち込んでやがる……」
「いっつも奥田君って何か持ち歩いているよねー」
周りのクラスメイトの言う通り、奥田の趣味としてまず挙げられるのが漫画を読むことだ。最近ではヒーローものにはまっていて、海外の有名な漫画の翻訳本にも手を出し始めているところである。
「オクダ! これは没収だ!」
「そんな! それ高かったんですよ!」
「漫画に高いも糞もあるものか!」
そう言っては日課のように先生は奥田の漫画本を取り上げる。
「全く、成績はそれなりに良いのだから、この際もう少し勉学に励む気はないのかね」
「はぁ、まあ……考えておきます……」
あいまいな返事を返し、それの引き換えにため息を受け取ると、奥田は窓の外を見つめた。
高層ビル群によってさえぎられる空。
奥田の住む都市バイスプールは、別名『国の交差点』と呼ばれるほどに国際色豊かな都市であり、様々な人種、宗教、文化が入り混じった都市である。その名に違わず奥田のクラスの面々も国際的であり、奥田の様な日系人から隣に座っている金髪の少年の様な欧米人、アジア系からアフリカ系までと様々である。
「…………」
そんな国際的な街であるが、もう一つの一面が存在する。
それは犯罪発生率ナンバーワンという不名誉、そして更に別名『犯罪者の溜まり場』と言われているこのバイスプールでは、凶悪な犯罪が日夜報道をにぎわせている。事実奥田もこの前の強盗を受けてから、この街が改めて犯罪都市という事を思い知らされていたところだった。
そんな最近の奥田の心の中に、一人の人間が住み着いてしまっている。
「……かっこよかったなぁ」
銀行強盗から助けてくれた少女、エイミー=ライバックの事である。その凛とした佇まいから力強い意志まで、その全てが奥田の心に残っている。
「……また会えるかなぁ」
「おいおい、またあのヒーローの事を考えているのかい?」
隣にいる金髪の少年が、やれやれといった様子で両手を横にする。痩せ形の奥田と違って筋肉質であるその体格は一見すると相手に威圧感を与えるようであり、また味方には信頼感を与える姿でもあった。
「君には関係ないだろ、リック」
「全く、つれねぇな」
クラスの中心人物として、リックの周りには常に人が集まっていた。アメフトでは花形であるクォーターバックを華麗にこなし、野球をやらせればエースに四番と、超がつくほど運動神経がいいのだ。
奥田はそんなリックの小学校時代からの友人だった。小学生までは今のようにオタク趣味に走っていることは無かったが、中学生の時に見事オタク趣味にはまってしまった奥田は、それまでいた友人からも気味悪がられて見事孤立してしまう。
皆から蔑む視線を受ける中、リックだけは最後まで奥田の友人であった。そんなリック自身は奥田と真逆の人生を歩んでいるようで、今やクラスの中心メンバーである。
そんなリックと友達でいられるからこそ、奥田はオタクをネタにいじられるぐらいで済んでいるのかもしれない。
「あの可愛いスーパーガールの事だろ?」
銀行強盗の件を皮切りに、エイミー=ライバックは正義のヒーローとしてその名を都市中に轟かせていた。
事件後に彼女は製薬会社ライバックの社長の娘であり、身体能力の強化実験に参加し見事成功、あのような超人的能力を手に入れたとの報道があった。
そしてその後も卓越した身体能力でその後も悪党を成敗。見事バイスプールのヒーローとなったのである。
最近に至っては犯罪発生率自体も減少傾向にあり、その活躍のおかげで彼女のファンクラブまで作られているほど人気がある。
「俺も分かるぜ。可愛い容姿にスーパーパワーを持っている、まるでお前が好きな漫画から飛び出したヒーローそのものだもんな」
週刊誌でも毎週必ずどこかの出版社が表紙に抜擢するくらいに、彼女の人気は白熱していた。
ここだけの話、奥田は彼女が表紙になっている本全てを買い揃えていたりもする。
「うん、確かにかっこいいよね」
奥田は流石に彼女の話となると口が軽くなってしまい、リックとの会話を弾ませてしまう。
「思えばお前が最初の救出者だったもんな。テレビにお前の間抜け面が映った時思わず飯噴き出しちまったぜ」
「はは、確かにあの一件からここまで有名になるとはもっていなかったよ」
奥田はあの少女に会えるのならば、もう一度だけ犯罪に巻き込まれてもいいのかもしれないと考えていた。
しかしやはり一番の思いとしては、平和というものが大事であるのだが。
そんな取るに足らない話をしていると午前中の授業も終わってお昼休みにはいる。
「――じゃあなミスターオタク。俺は学食で野球仲間と飯食ってくるからよ」
「うん、またね」
奥田はリックに手を振ると、その足でとぼとぼ教室を出ていく。この学校では奥田に友達などリック以外におらず、常に昼食は一人でとっていた。
そんな奥田がお気に入りとしている場所が、学校の屋上であった。都市の屋上となると周りのビルしか見るものが無いので誰も上ってこない。そんななかで奥田は一人パンを黙々とかじっていた。
「……はぁ」
ビルの隙間を飛行機が飛んで行く。独特のジェット音が奥田の耳を襲いにかかる。
「……うるさいなぁ」
そう呟きながらも、奥田はビル群を眺めていた。
そこに何の考えもなく、ぼーっと眺めているだけだったが――
「……あれは……」
奥田は遠くの方でビルの壁伝いに人影が動いているのを見たような気がした。
気がしたというのは、普通の人間ならビルの壁を走るなどという人間離れしたことなどできないはずだからだ。
しかし現に壁沿いに人影は走っており、こちらの方へと向かってくる。
「……あれって……」
どうやら奥田の願いは叶えられるようである。奥田の予想している斜め上の展開を携えて。
「……えっ、人間って壁走りできたっけ?」
壁走りができるのは東洋の国ジャパンにいるNINJAぐらいのはずだ。では彼女はNINJAの末裔か?
「てか、こっち来てる!?」
奥田の方へまっすぐ向かって、エイミー=ライバックは走っていた。壁からずり落ちる前に次の足を出しては走る彼女の姿は、まさしくNINJAそのものだ。
「――とうっ!」
すさまじい土煙を上げて奥田のいる屋上へとエイミーは着地を測る。奥田は突如目の前に降り立ったヒーローに驚くとともに、再び会えたことへの喜びを感じていた。
「ふむ、父上が言っていた学校はここか……」
エイミーは何やらぶつぶつと呟いているようだが、奥田はとりあえず何か話をしたいと思いとりあえず声を掛けてしまう。
「……あ、あのっ!」
「うむ? 私に何か用か少年?」
その言葉を前に、奥田は歩み寄っていた足を急激に止めてしまった。
奥田はまずエイミーが自分の事を覚えていないかと淡い期待をしていた。だがエイミーの方はというと少年の事を忘れている様であり、まるで初対面の人を相手するかのような態度である。
「……あのー、僕のこと覚えてます?」
奥田は一応聞いては見るものの、目の前の少女は腕を組んで首を傾げている。
「……すまんな、悪党ばかり追っているせいで君の様に大勢の一般人の名前は覚えていないのだ」
「そうですか……」
一応最初に助けられた人だから自分の事を覚えていないかと密かに期待をしていたが、それはどうやら無駄だったようだと、奥田は肩を落とした。
――目の前の少女にとって、奥田は名前のない有象無象の一員に過ぎなかったのだ。
奥田は一応最後にヒントという訳でもないが、助けてくれたことについて改めてお礼を述べた。
「あの、銀行強盗で人質に取られていたときに助けてくれて、まともにお礼を言えてなかったから……ありがとう」
「正義のヒーローとして当然のことをしたまでだ」
今まで積み重ねてきたあこがれが、業務的な返答を受け取ると同時に冷めてしまい、自分としても不思議とどうでも良くなってきてしまう。
「そっか……」
奥田は食べかけのパンが入ったビニールを手でくしゃくしゃと丸め、屋上から出ていこうとする。
「少年」
あの時と同様に名前ではなく「少年」と一括りにされた単語で奥田は呼ばれると、その場を去ろうとする足を止め、仕方なくエイミーの方を振り返る。
「ここはバイスプールアカデミーで合っているのか?」
奥田の通っている高校の名でこの場所かを問われると、奥田は首を縦に振るしかない。
「……うん、ここだけど?」
「そうか……少年よ、すまないがここの学長室まで案内してもらえないか?」
どうしてヒーローが学長室に出向かねばならないのか。
「もしかしてここの学長が悪いことをしたとか?」
「そうではない」
奥田の予想半分のジョークとは違う答えが帰って来ると、じゃあどういう事なのかが気になってくる。
「学長に何の用なの?」
「私は今日からここに転入する。ゆえに学長に挨拶に行かねばと思ったからだ。ちなみに本来なら午前中一限目から出る予定だったが、来る途中にひったくりが四件に交通事故が五件、強盗が二件起きてしまったからな」
「はは……」
犯罪発生率が減ったとはいえ依然としてこの街は犯罪にまみれている。それを垣間見ることができた奥田は苦笑いをすると、エイミーを学長室へと案内することになった。
♦ ♦ ♦
学長室へと案内する途中、周りの視線が奥田達に集まる。
正しくは、奥田の後ろをついて来るエイミーの方に視線が集まっていた。
「おいおい、あれって――」
「巷で有名なヒーロー、エイミー=ライバックじゃん」
「てかなんでオタク野郎と一緒に?」
「ばーか、あいつがHENTAI的なことをやらかしたからヒーローが成敗するんだろ」
黙っていれば好き勝手言われるがまま。訳の分からない罪をでっち上げられそうになっている事に対し、奥田は大きくため息をついていた。
「……ふむ、この学校は賑やかだな」
「普通の学校に君の様なヒーローが来ることが珍しいんだよ」
再確認であるが奥田の通うこの学校は、国際色豊かでありかつバイスプールでも割と有名な進学校である。かといって皆が勉強できるというわけでもなく、リックの様なスポーツができるという理由で特待を受けて来ている生徒もいる。
要するに勉学だけでなくスポーツができる人も通える、文武両道な進学校である。だが間違っても有名どこの社長の娘が通うような高尚な学園ではないはずである。
「私も早くこの学校になじめるよう努力をしよう」
後ろでエイミーが張り切っているなか、学長室の前で奥田の足は止まる。
「……ここが学長室。じゃあ僕は教室に戻るよ」
「うむ。ありがとう……すまない、名前を教えてくれ」
そう言えば自分の名前を名乗っていなかったと奥田は気づくと、そこで初めて自己紹介をする。
「僕の名前は奥田……奥田宅雄って言うんだ」
「うむ。ありがとうオタク」
自分の発音が悪かったのか、彼女の聞く耳が悪いのか、どうやら名前は間違って彼女に伝わったらしい。
「だからオタクじゃなくって奥田だって――」
奥田のツッコミを聞くこともなく、エイミーは学長室へと入っていった。
「まったくもう……」
奥田はまた大きくため息をつくと、踵を返して教室の方へと戻ろうとしたが――
「おう、まさかのミスターオタクじゃねぇか」
「はぁ、リックか……」
奥田が振り向くと、丸太の集団が立っていた。その腕の太さは奥田の二倍ほどあり、肩幅も背の高さも奥田を軽く上回っている。そんな集団と奥田が向き合っている様子は、まるで枯れ木が大木で構成された森と対峙している様にも思わせる。
「おいおいオタク君よぉ、リック相手に馴れ馴れし過ぎねぇか?」
野球部の一人が奥田の肩を強めにばしばしと叩く。それはジョーク交じりのものだけではなく、あくまで奥田に対する警告の意味も添えられている。
「まあまあ、俺とこいつの仲なんだしいいじゃねぇか」
リックは野球部の手を止め適当にいなし、奥田にしか分からない角度で申し訳なさそうな表情を作り出す。
奥田はそれを分かっていた。自分の様な文系的な人間と、彼の様な体育会的な人間は根本的に相いれないことを。
「チッ、リックがそういうなら仕方ねぇか」
「ハハハ……」
「ハハハじゃねぇっ!」
威圧感マックスで言われた奥田はこれ以上怒らせるのはマズイと思い、さりげなくこの場を早く切り上げるために会話を切り替える。
「そ、そういえばさ、さっき学長室に例のヒーローが入っていったの知ってる?」
「おいおい、ミスターオタクが幻覚でも見ちまったようだぜ?」
今度はリックがやれやれといった様子でいるが、これは紛れもない真実である。
「周りに聞いてみてよ。僕が学校で不祥事起こしたからヒーローに連れられているなんて噂が流れているはずだからさ」
半分自虐に近い事だが、これも真実だ。自虐的に笑いながらも、奥田はリックに対しそう言った。
それを聞くとリックは仕方ないといった様子でため息を吐き、こういった噂に敏感な新聞部員がいる部室の方角へと足を向ける。
「丁度いい。新聞部の奴らに週末の野球の試合宣伝を兼ねて聞きに行くか」
「そうするといいよ。じゃあね」
「おう。じゃあなミスターオタク」
最後にリックにわからない角度でほかの部員から睨みつけられると、奥田はそれにビビりあがってその場をそそくさと去っていくことにした。
♦ ♦ ♦
「――はぁ、午後の授業はやっぱ眠くなるなあ」
予鈴が鳴る中、奥田は机に突っ伏してだらだらとしていた。窓からは相変わらず高層ビルが立ち並んでいるのが見えるだけ。普通の人間である彼と同じ、変わることのない風景だ。
隣の席はまだ空いていることから、リックがまだ帰って来ていないことを示していた。
「漫画も取られたし寝よ……」
腕を枕にして鉛筆を取り、それっぽく勉強しているように見せかけると、奥田はまぶたを閉じた。
「……すぅ……すぅ……」
隣にいるリックと違っていびきをかかないため、奥田の睡眠自体はばれることは無い。
しかし隣でリックも眠っていた場合は話が別となり、一緒に検挙されて廊下に立たされてしまうこともしばしばあった。
「…………」
「――おう、じゃあ放課後グラウンドな……おいミスターオタク、お前の言う通り――って寝てんのか」
奥田が眠りにつきかけていたところでリックの声が聞こえるが、奥田はそのまま目をつむり続けていた。
隣に座るリックの周りにはあらゆる人が集まるが、誰も好き好んで奥田に語りかける者などいない。それを奥田は知っているのでそのまま眠り続けるしかなかった。そうした方が彼の精神衛生上よかったからだ。
奥田がしばらく寝たふりを続けていると、教室内がざわめきだすと同時にリックの周りにいた生徒も散ってゆき、まだチャイムも鳴っていないのに教室に先生が入ってくる音が耳に届く。
普段と違う様子だが、奥田にとっては優先度が低い出来事のため、引き継ぎ眠り続ける事にした。
「――だ。このクラスに早くなじめるよう頑張りたいと思う。宜しくな」
女の子の凛々しい声と、何故か周りの生徒の歓声が聞こえる。どうやら誰かが転入して来たらしい。
一学期の終わりがけという中途半端な時期に転校するなど珍しい人もいるものだと思いつつも、奥田はすぅすぅと寝息を立てていた。
それにしてもこの教室に空席などあったであろうか。あるとすれば皆が嫌がって座らなかった自分の前の席ぐらいだろうか。
そんな事を考えつつも奥田は机に伏せていると、人影が明らかに自分の頭上に差していることに気づく。
明らかに嫌な予感しかしない。
「――おぉ、オタクよ。君もこのクラスだったのか」
奥田はその聞き覚えのある声にどうしようもなくなってしまった。返事を返せば噂が立ち、黙って伏せたままだと先生に大目玉をくらう。
「……ふむ、眠ってしまっているのか? おーい起きろ! 授業が始まるぞ!」
体を揺さぶられていると、周りから嘲笑の声が聞こえる。
リックはすでに起きていることに気づいているようだが、一向に助けようとせずに笑いをこらえるのに必死なようだ。
「すぅー……ミスターオクダ!!」
「は、はいっ!」
教卓前で苛立ちを爆発させた先生の声を前に奥田は反射的に飛び起きたが、それが周りにとっては爆笑の渦を作り出すのに十分だったようで、目の前できょとんとしているエイミーを除いて生徒皆が奥田を見て笑っている。
「貴様これが授業前だからよかったものの……次寝ておったらただじゃ済まんぞ!!」
睡眠と引き換えに大恥をかいた奥田はすごすごと席に着き直すと、今日の単元の所まで教科書をぺらぺらとめくりだす。
そんな奥田の周りからは、いまだ嘲笑の声が届けられている。
奥田は耳障りな音をシャットダウンして、ページをめくって黙って教科書の文字を見つめていた。
そうしてからしばらく時間が経つと、前で座っていたヒーローがちらちらと周りを見て、その後自分の手元を見て何やら深刻そうな表情をし、奥田の方を振り向く。
「……どうしたのさ」
「オタクよすまぬ。どうやら教科書が違っているようだ。君のを見せてもらえないか?」
そう言ってエイミーは奥田が使っているものとは違う教科書をちらつかせる。確かにそれはこの学校で扱っていないものだと奥田は納得した。
「……はい、これ」
「すまない」
奥田は仕方なく教科書を前につきだして、エイミーと二人で見るような形で教科書を向ける。
すると向けられていた周りの視線が、自分に対する嘲笑から、憎悪渦巻く嫉妬へと変わってゆくのを奥田は感じた。
どうやらオタクごときとヒーローが教科書の見せ合いっこをしていることと、何故か仲が良くなっていることが気に入らないらしい。
「……うぅ」
「どうした? 具合でも悪いのか?」
エイミーは親切心からかこちらへと顔を近づけてくるが、それが周りの嫉妬を強くするだけであり、奥田にとっては気が気でならない。
「だ、大丈夫だから」
「そうか……何かあったら私に言うといい。保健室とやらに連れて行ってやろう」
「ハハ……」
奥田はそこで、何とか苦笑いで誤魔化して済ませることに成功した。
しばらくすると教壇で教鞭を振るっていた先生もエイミーの教科書について気付いたようであり、エイミーに予備の教科書を渡した。
残っているのは奥田に対する嫉妬の視線だけ。奥田は教科書でその視線からガードするかのように、自らの顔を教科書で隠して残りの時間を過ごすことになった。
♦ ♦ ♦
午後の授業を終えると、皆の注目はリックからヒーローへと移る。
「ねぇねぇ、本当に本物のヒーロー!?」
「サインしてください! よければ握手も!」
「クラブとかどうするの? よかったらチアリーディングに来ない!?」
噂のヒーローは大人気な様であり、一瞬で彼女の周りには人の壁が出来上がっている。このクラスだけではなく、別のクラスの生徒の姿もちらほらと見える。リックと奥田はそんななか裏でやれやれといった様子で首を振る。
一瞬とはいえ同じ境遇をリックと共有できたことが奥田は嬉しかったが、そんなこともつかの間でリックもまた野球部に囲まれ、そのまま外へと出ていく。
結局のところ、奥田の学校生活に奥田とは関わりが薄い人物が一人転入して来たに過ぎない事が今回判明しただけであった。
「……そうだよね」
自分は唯のモブ。通行人。エキストラ。それだけを分からされた奥田は、机の中をきれいにしてリュックを背負いだす。
奥田は家の都合及び彼自身の都合によりクラブなどに入っていないため、そのまま家へ直帰するための支度を始める。
「忘れ物は……無いね」
奥田は最後の確認だけを終えると、教室をそそくさと去ってゆく。
――誰も自分の後を追わない。当たり前の話であるが。
エイミーの方はというと、未だに周りからの質問攻めになっている途中であった。
「――まだ入学したばかりだ、クラブも見てまわらなければならん――っと、後ろにいたオタクはどこへ行ったのだ?」
オタクという言葉に周りも反応はするが、エイミーにかえってくるのは奥田に対するネガティブな回答だけだった。
「ああ、あいつとはかかわらない方がいいぜ」
「ああ、気味悪いのが移っちまう」
「何故だ?」
男子のうちの一人が、奥田へ関わる事への忠告をする。
「あいつ結構根暗な奴でよ、アンタみたいなこれからクラスの中心人となるやつが関わっちゃいけないタイプの人間なんだよ」
「それはどういう意味だ?」
悪党の倒し方は知っていてもスクールカーストについては無知のヒーローに対し、周りは世間知らずを見るようでやれやれといった様子である。
「まあ……要するに、友人にする人はよく選んどけって話だ」
それに対しエイミーはまだこの学校で友達というものをつくっていないと思い、へんてこな返しをしてしまう。
「はて、私はまだあのオタクとは友達になった覚えはないが……」
その言葉に対し周りの意図は一瞬静まり返り、その後に爆笑の渦に巻き込まれることとなる。
「……ハハハッ! 流石ヒーロー、ジョークのキレが違うぜ!」
「いやー、この言葉をオタクにも聞かせてやりたかったな」
「……そんなに面白かったか?」
「あんたサイコーだよ!」
言った本人はその意味をよくは分かっていなかったが、周りが喜んでくれたこともあってエイミーは一緒になって笑った。
「とりあえずさ、今日はクラブを見てまわるといいよ! あんたの気に入るクラブが見つかるはずだって!」
「うむっ、そうさせてもらおう」
「じゃあ、ヒーロー一名、クラブ見学ツアーにご案内でーす!」
大勢の人に囲まれて、エイミーは学校中を見てまわることになった。そしてもちろんの事、奥田の姿はそこには無かった。
♦ ♦ ♦
奥田の家は都市郊外にあり、朝登校する時にスクールバスで一時間弱といったところにある。
そして帰りはスクールバスではなく交通機関のバスを使って帰るため、奥田の家まで往復約三時間といったところである。
辺りは閑静な住宅街となり、一軒家が立ち並んでいる。そして奥田の家も二階建ての一軒家であり、一般的な建物である。
「……ただいまー」
奥田が玄関のドアを開けると、相変わらず家の中はゴミで散らかっていた。よく分からない怪しげな健康器具や、衝動買いで買った激烈に美味しいと評判のコーンフレークの残骸など、もう一歩でゴミ屋敷まで行くほどの散らかりっぷりである。
「……はぁ、この前掃除したばっかりなのに――」
奥田は二階へと足を進め、自分の部屋に閉じこもる。部屋はデスクトップのパソコンとベッド、後は物置とタンスが置かれているだけと至ってシンプルな部屋である。そして下の階と大きく違う点は、整理が行き届いている所であろう。
ならばなぜ下の階は散らかっていたのか。それは今からわかることである。
奥田がパソコンを立ち上げると、まずメールを確認する。ある人から今日の連絡が来ているかもしれないからだ。
「……あー、やっぱり来てる」
メールの差出人欄には「Dame_Mieze」と表示がしてある。奥田はその差出人を見て大きくため息をつき、メールの本文を開く。
メールの本文はこうだった。
『ごっめーん、今日また忙しくて片づけ出来なくて散らかっちゃった☆ でもさ、優しいタクオの事だからお片付けしてくれるよね? してくれなきゃおねぇさん泣いちゃうぞー? 今日のお夕飯はタクオの好きなカレーにしてあげるから許してね? 六時には帰るよー 麗しきミーツェおねぇさんより』
なんとも悪びれもなく適当な文章であるが、奥田はこれに逆らうようなことはしなかった。
別に差出人から強制され、逆らえば暴力を振るわれるという事ではない。ある条件を満たせばそれも例外ではなくなるのだが、奥田はそれでも差出人のことを本気で嫌うことは無い。
「別にカレーは大好きじゃないし……全くもう、ミーツェさん年を考えてよ……」
文体の若々しさに悪態をつきながらも、奥田はまずパソコンを閉じてタンスから真っ赤なバンダナを一枚取って、下の片づけに取り掛かる事にした。
当たり前だが意気込んで下に降りただけで状況が変わることもなく、足の踏み場は依然少ないままである。
奥田はまず辺りをざっと見渡すと、掃除の順番を頭の中でシミュレートする。
そして箒と塵取りを取って雑巾をバケツに入れると、目深にバンダナを巻いて気合を入れる。
「……掃除屋タクオ、ここに見参! ……って、カッコつけても意味ないか」
一人むなしくポーズを取り終えると、奥田ははたきを手に取って机などに乗っている塵などを掃き落とす作業に移る。お菓子の袋など要らないものと、健康器具などの一応要るものとに分けてゴミを袋に詰める。そして床より上を綺麗にし終えると、最後に箒を持って床の塵を掃きだす。掃いた後には塵一つ残さない様丁寧に仕上げると、最後に塵取りを手に取る。
「……床に溜まったゴミを塵取りでまとめてぽいっと」
手慣れた様子であるが、奥田の素晴らしい手腕により先ほどよりもだいぶ見違えて綺麗になっている。
一通り見回した後奥田は満足げに一息つき、パンパンになったゴミ袋を外へと出しに行った。
奥田が外に出るとちょうど例の人が帰って来ているところで、黒い色の車が車庫に止まろうとしているのが見える。
「……意外と早いお帰りで」
運転手側のドアからは悪びれるように見えて、その実一切悪びれていない女性の苦笑いが覗き見える。
短い髪を後ろで束ねてビジネススーツ姿を着こなしている姿は一流ビジネスマンにも思えるが、首から上はただのやんちゃそうな二十代前半の女性の顔つきだ。
だが目の前にいる女性は倍の年齢の四十代であることを奥田は知っている。
この人が歳を取る様子が一向に無さそうなところを常日頃から見ていると、実は魔女ではなかろうかなどという、フィクションに毒されたような考えが奥田の脳裏に時折浮かび上がってくる。
「ゴメンゴメン、朝から会合をしなくちゃならなくなってさ、タクオの言い付け守れなかった!」
そう言ってはいつもの様に部屋を散らかして仕事へと出ていくのが彼女だ。いつものことながらも、奥田はため息をつく。
「そんな正面切って堂々と言われると何も返す言葉が見つからないんですけど……」
「ゴメンって! この借りは…………ベットの上で返すからさ」
首に手をまわされ、色気がかった吐息とともに耳元でセクハラ発言をされると、奥田は顔を真っ赤にして必死になって言い返してしまう。
「ああもう! そんなんですから彼氏ができないんですよミーツェさん!」
「あー! それは言っちゃダメだって約束じゃん!」
とは言いつつも、目の前の女性はニコニコとしたまま後ろの席から買い物袋を取り出す。
「はい! これ今日の夕飯の材料ね」
買い物袋に入っていたのはにんじん、じゃがいも、玉ねぎ、牛肉、カレー粉――
「……本当にカレーなんですね」
「今日は私一人で作るから楽しみにしててね」
「絶対失敗するでしょ……」
奥田は前にミーツェの料理を食べたことがあったが、その時三日ほど入院をしたという結果を残して終了。それ以来彼女が料理をする際には、奥田もそばで監視しなければならないというルールを決めている。
「まったく、何で普通に作ればいいのに一品だけ訳の分からないものを入れようとするんですか」
「隠し味ってやつだね」
「隠せずに元の味を殺しているんですけど……」
奥田はミーツェが取り出した野菜ドレッシングを取り上げると、買い物袋を持って家の中へと入っていく。
「うわー、本当に毎回思うんだけどさ、タクオって掃除が上手だよね」
「これくらいできて当たり前だと思うんですけど」
「いやー、それにしてもいいわー」
仕事着のままソファーにダイブするだらしないミーツェをよそに、奥田は買ってきた食品を台所に並べだす。
「流石にご飯ぐらいは炊けますよね」
「もしかして馬鹿にしてる?」
馬鹿にするも何も、先ほどのように釘を刺しておかないと食材に何をされるか分かったものではないからだ。
「いいですか? カップ二杯に水を目盛と同じだけ入れるだけですよ」
「分かってるって……タバスコいれる?」
「ふざけないで下さいよ」
奥田から一睨みされ、おお怖い怖いといった様子でミーツェはそそくさと支度を始める。
家では毎日がこういった雰囲気だった。そしてそれが、奥田にとっての唯一の癒しでもあった。
――奥田は自分の両親を知らない。物心がついた時からずっと、ミーツェの手によって育てられてきた。
以前に自分の両親について、奥田はミーツェに聞いたことがあった。
その時に帰ってきた答えは「タクオが赤ちゃんの時に、宇宙船に乗って私の家に飛んできたのよ。だからあなたのお父さんとお母さんは宇宙人で、私がベビーシッターとして指名されたのかもね」とのことだった。
もちろん奥田はそのようなことを本気で信じてはいない。どうせ自分の両親が自分を捨て去った所を、たまたま彼女に拾ってもらったというだけの事であろう。
奥田自身は別に両親を恨んでいる訳でも無かった。それは単に自分がまだ子供の時に捨てられていただけだったからかもしれないが。
もし今両親と再会したならば自分はどんなことを言うのだろうなどと、奥田は一時期悩みもしたが、その考えもすぐに消えた。
そんなことを考えるより今はミーツェという自分を拾ってくれた恩人に全てを尽くす、それだけの方が建設的だと考えるようになったからだ。
「――後は煮込むだけ。ミーツェさん先にお皿取ってくれる?」
「いいわよー……よし、これでライスは美味しくなるはず」
何か小声で聞こえてはいけない言葉が聞こえたような気がしたが、奥田はあえて聞こえなかったことにすることにした。
煮立ったところで奥田は鍋の蓋を開け、味見をする。我ながらうまくできたものだと奥田は自分を賞賛しつつ、ミーツェに出してもらった皿を手に取る。
まずはご飯をよそうため、炊飯器の蓋を開けるが――
「……何でほんのり赤いの?」
ご飯は普通白いものだ。少なくとも日系人としての奥田の認識ではそういったもののはずだ。
「いやー、カレーだからライスも辛めに味付けすると美味しいかなと思って、チリソースを少々――」
「いやあり得ないでしょ! 辛い物を無駄に辛くしてどうするんですか!?」
「フッ、激辛の先を追い求めた結果がこれだよ」
「はぁ……じゃあ残さずに食べれますよね? 辛い物が好きなようですし」
奥田はミーツェが辛いものが苦手と知っててあえてそのような言葉を放つ。ミーツェはそれを聞いて、まだ辛い物を食べてもいないはずであるにもかかわらず汗が噴き出始める。
「……タクオ、それって冗談だよね?」
「僕が冗談を言えるタイプだと思います?」
「いやいやタクオの事だからさ、真っ白な美味しいライスをご用意されておられるのではないのかと――」
「言ったはずですよ。ご飯位なら焚けますよねって」
今更ながらに自分の起こした事の大きさが理解できたのか、ミーツェは笑顔でありながらも涙を流す。
「……はぁ、どれくらい突っ込んだんですか?」
「小さじ三杯くらい」
「……何とかして誤魔化しますから、席に着いていてくださいよ」
不機嫌そうな奥田の声を聞いて、ミーツェはすごすごとテーブルに着く。奥田は改めて炊飯器の中の異物と向かい合い、眉をしかめる。
「……はぁ、カレーの方をマイルドにすれば何とかなるかなあ」
奥田は炊飯器を閉め冷蔵庫の方へと向かい、MILKと書かれた紙パックを冷蔵庫から取り出す。
「……買ってきていたのが中辛で良かった。激辛ならどうなっていたか」
流石にミーツェも日ごろの癖か、カレー粉の箱に中辛と書かれていた物を買っていたようだ。
「……少々甘口になるけど、なんとかなるかなあ」
奥田はミーツェの尻拭いをしながらも、大きなため息を一つだけついた。
♦ ♦ ♦
「――ごちそうさま」
「さっすがタクオ! どうにか食べられるようになったよ!」
「ちゃんとしとけばもっと美味しく食べられたんですけどね」
奥田は皮肉を言いつつも皿を流し台に置くと、お菓子袋が引っかかっていない綺麗なリビングのテレビをつけ、怪しげな健康器具を退かしたソファに座る。
「今日もあの子は悪党を捕まえたのか」
例のごとくテレビに映っているのはバイスプールのヒーローであり、車泥棒を走って捕らえるという超人的なVTRが流れている。
「アハハ、あの子の救命者一号がタクオだもんねー」
ミーツェが皿洗いの当番をこなしながらも口を挟んでくる。奥田はよそ見をしてまた皿を割ってしまわないかと思いつつも、その言葉をきちんと聞いていた。
「…………向こうはこっちのこと覚えていなかったけどね」
一人小さく呟いて、心を沈ませる。
奥田はそのショックを思い出してはすぐに切り替えようとし、ミーツェに自分のクラスに転校生が来たことを告げる。
「そう言えばミーツェさん、僕のクラスにそのエイミー=ライバックが来たんだ」
しかし切り替えた話題の先にも、彼女の姿はある。
「マジで!? すっごい事じゃん!」
「僕の前の席に座っているんだ」
「何か話したりとかしないの?」
「特に……ああ、教科書を間違えたから見せ合いっこしたくらいだね」
「いいじゃん! 青春って感じ!」
「ハハ……」
とりあえず能天気なミーツェを置いておいて、奥田はテレビを見続ける。
「――今日も正義のヒーロー、エイミー=ライバックのおかげで一つの事件が解決、素晴らしい事であります!」
テレビでは彼女に対する賞賛、そして美辞麗句が並べられる。そろそろこの街でも聞き飽きている者がいるのではないかと思いつつも、奥田はそのコメントを毎回毎回聞いていた。
「――そして何と今日はなんと噂のヒーロー、エイミー=ライバック氏本人に来ていただいております!」
奥田がその言葉に反応すると同時に、ワイドショーに例のヒーローの姿が現れる。
テレビに出るというだけあってか、奥田が助けられた時とは違ってきちんとした服装である。
「いやー、お忙しい中このようにテレビに出ていただいてありがとうございます」
「そんなに畏まられても困る。私は唯やるべきことを、正義を実行しているだけだ」
「それにしても本当にすごいものです。ライバック社による超人を人工的に作り上げるというお話、聞かせてもらっただけでも十分すごいのですが、こうして実際に功績を挙げられておられるところを見るとそれが現実という事を思い知らされます」
製薬会社ライバック。医薬品を作る会社として、世界でも五本の指に入ると言われるほどの超大手の会社だ。
そしてテレビに映っているのはその製薬会社の社長の娘。そして世界で初めて超人化に成功した人間だ。
超人化と言っても身体的特徴として彼女はそこらの同年代の少女と変わらない――奥田の個人的な意見としてはそこらの少女よりグラマラスではあるらしいが。
そんなことはさておき、注目すべきはその超人化についてである。超人化についてシンプルに言うとするならば身体能力の超向上である。筋力、瞬発力、持久力、肺活量、柔軟性、その他さまざまな身体能力が見た目そのままに向上するといったものである。
もともとは体細胞を活性化させることにより老化しても健常な肉体を維持するための薬剤研究をしていたらしいが、発表では副産物としてこのようなものができたらしい。
きっかけはある研究員が年老いたマウスに薬を試験投入したところ、元気になるどころか有り余って飼育ケースを破壊したとの結果が出たところから始まる。
これは何かに使えるのではないかと思った研究員は独断で研究方針を変更し、薬を改良して次はサルで実験をし、そして成功。今度は人体実験として最初の被験者を探していたところ、当時社長とともに社内にいたエイミー=ライバックが立候補。そして現在に至るという訳である。
最初は勝手な肉体改造など人権問題に関わるのではと問題視されていたが、エイミー本人は「私は拒んでなどいない。正義のために進んで自ら受けた」と発表している。
「――それにしても見てくださいよこのクライムマップを! エイミー氏が登場する前とした後では、こんなにも犯罪規模が減っています!」
そう言ってバイスプールの地図を二つ並べて比較する。片方は犯罪がおき放題で地図一面にBurglary・Grand Theft Auto・Batteryといった犯罪がちりばめられている。勿論それは奥田の住む都市郊外の方まで広がっていた。
そしてもう一方の地図は、犯罪を示す文字はあるが明らかにその数は少なく、地図としても普通に使えそうなレベルにまで減っている。
「このように、エイミー氏が来る前と後では犯罪数が全然違っています。これも日々我々を救ってくれるヒーローのおかげであります!」
奥田がそれとなくテレビを見続けていると、ミーツェも皿洗いを終えたのか隣に座ってテレビを見つめる。
「……あの子あんなに頑張って、どうして正義の味方になんかなりたいなんて思ったのかな?」
それは奥田も疑問に感じていた質問であった。何故見返りの無い正義の味方になったのであろうか。マンガの世界ならいざ知らず、現実にそうなったとしても褒められるだけで生きていくのは難しい。
「えー、ここで視聴者からネットで寄せられた質問コーナーへと向かいたいと思います! どうして正義の味方になったのですか? これまた直球な質問ですが、確かに私もそう思います! エイミー氏はどうして正義の味方になろうと?」
ちょうど二人が疑問としていたところがテレビでも突っ込まれる。奥田はその答えが気になってテレビの音量を上げる。
エイミーはその質問に真剣に答えるためか、腕を組んでしばらく目をつぶる。恐らく誰しもがその答えに注目している事であろう。
そしてテレビを見ている全バイスプール市民の前で、エイミー=ライバックは驚くべき答えを返した。
「……人が人を助けるのに、悪い人を正すことに理由が必要か?」
「……えーと、そうですね……」
司会者が逆に混乱している中、エイミーはさらに言葉を続ける。
「悪いことをすれば、必ず正義によって裁かれる。困っている人がいれば、手を差し伸べる。そこに理由はいらない。ただそうあるべきだからこそ、私は動いているのだ」
もはや超ともつくべき模範解答を返され、司会者はそれ以上口を出すことはできなかった。
しかしそれに対し、一人だけ異を唱える者がいた。
「……だってさ。確かに彼女の言う通りだけど、彼女の場合それを強迫的にしているような気がするんだよね」
意外にも奥田の隣で座っていたミーツェが口を開く。奥田はミーツェの言っていたことが気になり、そのまま疑問をぶつける。
「どういう事?」
「アハハッ、そんな重大なことじゃないから」
「いや結構大事なことだと思うけど……」
「そう?」
ミーツェはそのまま誤魔化そうとしたが、奥田の真剣な目を見て、やれやれといった様子で解説をする。
「……タクオってさ、どうして家の片づけをするの?」
「どうしてって、そりゃ家が片付いていないと、ミーツェさんだって困るだろうし――」
「でしょ? 私だって家が片付いていたら嬉しいし、片づけてくれたタクオにご褒美の一つや二つはあげたくなるもん」
「実際はくれるのは稀ですけどね」
「そこは良いじゃん……分かった、今晩を楽しみにしてて――」
「それはもういいですから!」
奥田が顔を赤くしているなか、ミーツェは更に話を続ける。
「でさ、見知らぬ誰かの為に正義の味方をしたからって、何かご褒美をもらえるかい?」
「警察とかから賞状もらえるじゃないですか」
「それとは違うんだよねー。まあ警察をそういうつもりじゃないんだけど、もっと身近なところから見てもらいたい。誰かから自分を認められたい。「ありがとう」って言われたいって彼女は思っている。違うかな?」
「誰かから……認められたい」
「もしかしたら友達とか、そういうものかもね。身近に自分を欲してくれる人が欲しいんだと思う」
「そうですか……」
奥田は彼女の前の学校の事について聞いたことが無かった。そして交友関係も。恐らく正義の味方として一人生きてきた彼女に、そういったものは無かったのだろう。
「でも……お父さんとかいるじゃないですか。自分を見てくれる人って――」
「社長が常に定時で家に帰れる訳無いじゃん。こんな国際都市に本社を置いて、しかも世界で五本の指にはいる会社だよ?」
ミーツェの言う通りだ。しかしそうなると今度は正義の味方になる前の彼女はどうだったのかという疑問が奥田の心に浮かんだが、その前にテレビでは最後の質問へと移っていく。
「――えー、これで最後です。何やら凝った手紙の様で…………『バイスプールで調子こいているメスガキへ。今度は俺様を捕まえてみろ。捕まえようとしたところで嬲って犯して、その様子を全国放送してやる。 Byジース=ロジャー』……これって犯罪予告じゃないですか!」
まさかの犯罪予告にスタジオ内はざわめいた。そしてテレビの前にいる奥田も驚いている。
「マジですか……」
「あーあ、番組中という引くに引けない状況を作っての挑発とは、敵ながらやるねぇ」
感心しているミーツェをよそに、奥田はエイミーのことを心配していた。
「どうしよう、あの子の事だから挑戦を真に受けるぞ……」
「でも超人なんでしょ? 大丈夫なんじゃない?」
ミーツェは能天気そうであるが、奥田は不安な表情を浮かべている。
「あれだけのことをするってことは自信があるってことじゃないの? 対策とかうたれていたら――」
「ジース=ロジャーよ」
テレビから一人の少女の、怒りのこもった声が漏れ出る。その瞳は正義の燃え、その拳は悪に鉄槌を下すために打ち震える。
「その卑劣極まりない行動を私は許さない! 貴様の野望を完膚なきまで打ち砕き、罪を償わせてやろう!!」
大見得を切った所でスタジオの観客からも歓声が上がる。奥田もそこまで言い切れる彼女をすごいとも思ったが、同時にどこか危なくも思った。
「……本当に大丈夫なのかな」
「まあまあ、漫画だとこういう燃える展開は大体ヒーローが勝って終わるじゃん」
「そうだけど……」
奥田は大見得を切るエイミーの姿に、一抹の不安を覚えていた。
♦ ♦ ♦
翌日の朝。いつも通りに起きていつも通りにミーツェを起こして朝食の支度に入る。この家の家事全般は、奥田一人で回っていると言っても過言ではない。
「全く、今日の朝食当番は誰でしたっけ?」
「ゴメンねタクオ、昨日の深夜ドラマがいけないんだ……あんな泣ける展開、見逃す訳には――」
「言い訳は聞きたくないです」
嘘泣きを一瞬で看破したところで、奥田はテーブルの上に朝食を並べる。
「おお、これぞJAPANの朝食だね!」
「ボクはパン派なんですけどね」
「まあまあ、私の好み通りの朝食を作ってくれる辺りタクオは本当に優しい子だよ」
ご飯を頬張りながら言われては嬉しさも半減するものだ。奥田はそう思いつつも朝食をとっていた。
奥田の家では食事中はテレビをつける主義ではない。だがこの時はたまたまテレビがつけっぱなしであった。
「本日は朝からビッグニュースが舞い込んでおります! なんと昨日犯罪予告をしていたジース=ロジャーの件でありますが、先ほどエイミー=ライバックの手によって見事! 捕まえられました! ジース=ロジャーは元は軍隊に所属していたようですが、彼は――」
ニヤニヤとした表情を浮かべ、まるで反省していない様子の凶悪犯罪者の姿がテレビに映っている。護送車に乗せられようとしているものの、今に手錠を破壊して脱走する事も出来そうだ。
ミーツェは凶悪犯が一晩で取り押さえられたことに対し、思った通りといった表情である。
「ほーらね? 結局正義が勝つってことよ」
「うーん……」
奥田は何か引っかかる事があった。あれだけ御大層なことを言っておきながら、そう簡単に捕まっていいものなのだろうかと。
「なんかおかしいんだよね……」
「まあまあ、今日も街のヒーロー、エイミー=ライバックが正義を執行したってことでいいじゃん」
「そうか……なぁ?」
奥田は首を傾げながらも、バスが来る時間が迫っているので学校へ行く支度を進めるのであった。
「――じゃ、行ってきます。今日は確か仕事が……」
「休みだから、一日家にいるわよー」
「だったら掃除とかお願いしますよ。いっつも散らかっているんですから」
「分かってる分かってるって。それよりも気をつけて行きなさいよー」
「ミーツェさんこそ、宅配に来た安っぽいイケメンの男に引っかからないでくださいよー」
「あーっ! それを言うかー!」
いつもの挨拶をかわし終えると、奥田はスクールバスの方へと向かって行った。
「おはようございます」
「あぁ、あんたともう一人くらいだよ、あたしに挨拶したのは」
バスの運転手をしている女性は贔屓にしている球団の野球帽をかぶりなおすと、奥田に対して愚痴をこぼし始める。
「だーれもあたしに挨拶してくれない、皆が自分のことしか考えない。全く、いやな世の中になったもんだ」
「そんなことないですよ」
「どうだかね」
女性は長い髪をかき分け、シートによっかかった体勢で車のエンジンをかけ始める。奥田はいつもの様に運転席のすぐ後ろの席に座って、彼女の愚痴でも聞こうかと思っていた。
だがこの日は既に先約がいるらしい。
「……どうして君がいるのかな?」
「私がいてはまずかったか?」
エイミー=ライバックがすでに席に座っており、窓の外の風景を眺めている所だった。
「……仕方ない」
エイミーが立とうとしたところで、他に乗っている生徒の視線が奥田に突き刺さる。それを受けた奥田は意味を察し、しぶしぶ立ったまま学校まで行くことにした。
「そのまま座ってていいよ。僕は立ってるから」
エイミーはまだ他の席が空いていると言っているが、どうやら彼女はこのバスのルールを知らないらしい。
「このバスは誰がどの席に座るか、暗黙のルールで決まっているんだよ」
「何? では私がここに座ってはまずかったか?」
奥田は大きくため息をつくと、世間知らずのヒーローに対して話を続ける。
「そこは僕の席だから大丈夫だけど……スクールカーストって知ってる?」
「スクールカースト? 何だそれは」
学校を知らないお嬢様に対し、奥田は再びため息をついて説明を始める。
「簡単に言えば階級制みたいなものだよ。上の人に対して下の人間は逆らっちゃいけない。たったこれだけの簡単な仕組みさ」
本当に単純だがこれが全てだ。例を挙げれば最下層にいる奥田のようなオタクが、エイミーのような中心人物に物申すことなどできる訳が無いといったように。
「理解した。では私はどの位置にいるのだ?」
「君の様な日なたの人間はそりゃもう上の方でしょうよ。逆に僕のような日陰者は最底辺って所さ」
「なるほど……もちろん下の者もいずれは上に上がれるのだろう?」
「それは有り得ないね」
奥田はすぐさま否定した。
「これは生まれ持ったもので、絶対にひっくり返ることは無い。そして下がることはあっても上がることは無い」
それは奥田が一番知っている事だった。
「だから君はそこに座っていてもいいんだよ。むしろ座らせなかったら僕がいろいろとまずいからね」
「そうなのか……難儀なものだな。その下の人達は苦労しないのか?」
苦労を通り越して、苦痛としか思えない。奥田は心の奥底でそう感じていながらもこの場は嘘をついた。
「まあ、普通かな」
「ふむ…………しかしこういう事は正義を執行する者として放っておいていいのか……?」
どうやらエイミーはこの制度にうっすらと理不尽さを感じ取ったらしく、ひっくり返すべきか思案し始めた。
「そ、そんな余計なことしなくていいよ!」
「しかし普通などという日本人らしいあいまいな返事をされては、私も堂々とできないではないか」
「わ、分かった! 僕この立ち位置楽しいなー! ほら! 大丈夫だから!」
もしひっくり返ることがあったとして、事の発端が奥田だと知られた日には恐ろしい目に合わされるだろう。奥田はそのことに怯えてこの場でまたもや嘘をついた。
「むぅ……分かった、だが何かあったら私に言え。私が正義の力をもって解決してやろう」
「うん、ありがとう」
その時は一生来ることは無いと、奥田は心の中でそう呟いた。
♦ ♦ ♦
学校に着くと同時に奥田の目に入ったのは、正義のヒーローを待ち構える取り巻き達だった。
「待ってたよヒーローさん!」
「昨日のクラブの件もう決めた!?」
「おはよう皆。クラブはまだ決めていないな。当分は家のことと、ヒーローとしての活動があるからな」
「そっか、やっぱヒーローは忙しくて当たり前だもんな!」
「私達もテレビで応援しているからね!」
「うむ、ありがとう!」
エイミーが降りて学校の方へと向かうと同時に、人だかりも動いていく。奥田が降りるころには周りに人影など無くなっていた。
「はは、相変わらず人気だ」
「そんな事はどうでもいいから、早く降りな」
「す、すいません」
「……ニコニコしてばっかいないで、たまにはブチ切れてみろよ。理不尽に対し怒ってみろよ」
運転手は吐き捨てる様に言い残した後、バスを動かし駐車場の方へと入っていった。
バスを見送ると、奥田はその場で小さく呟く。
「まあ……たまには……ね」
来るはずのない機会を理解しながら、リュックを背負い直して奥田も靴箱の方へと足を進めていった。
♦ ♦ ♦
午前中の授業もエイミー=ライバックがいることを除けば滞りなく過ぎてゆく。
「ではここの部分を……ミスエイミー、答えてもらおうか」
「はい、その数式の答えは――」
黒板に分かりやすい回答がきれいな字で示される。
「素晴らしい! ミスエイミーに拍手を!」
まるで幼稚園のようだと、奥田は心の中で思った。
ヒーローだから――英雄だからともてはやされ続けてはいるものの、当の本人は心の底では喜んでいないような、そんな風に奥田は感じ取っていた。
「――では授業を終えるぞ! ミスターオクダは来週までにこの問題を解いておくように!」
「あ、はい」
「きちんと解いとけよ! エイミーさんより分かり辛かったらどうなるか、分かっているだろ!」
「そうだそうだ!」
そして何故が後ろにいた奥田に対して、皆はいつも以上に厳しくなっている。
「…………そうだね。良く考えておくよ」
最高の不快感を味わった後に、奥田は購買部の方へと足を進めた。
昼休みになると奥田はいつもの様に屋上へと向かい、一人さびしくパンを頬張った。
「むぐ……変なもの入ってた……」
じゃりじゃりとした感触がするものをその場に吐き捨てると、奥田はより一層暗い気分となった。
「お昼ご飯ですら嫌な思いをするとは……」
昨日と同様、残りのパンを丸めて下の階に捨てに行こうと奥田は立ち上がった。
すると――
「……あれ? どうしてここに居るの?」
「むっ!? ……なんだ君か。また一人で食べているのか?」
奥田の目には、自分と同じような暗い表情を浮かべる少女の姿が映った。
「エイミーこそ、ジョックなんだから食堂で皆と食べないの?」
「それはだな……」
エイミーはいつもの様にはきはきと喋らず、少し言葉を詰まらせた後に理由を話し始める。
「わ、私は皆の前で食事をとらない主義でな。ゆえにこうして一人で取った方が落ち着いていられる。友達には「犯罪者が現れたから言ってくる」と、嘘をついてしまったがな」
ぎこちない笑みで言われては、それが本当のことだとは思うことが出来ない。奥田は更に問いかけてみることにした。
「でも昨日の様子だとすぐになじんで、一緒に食事とってそうだったけどね。それとも何か、食事を見られると不都合でもあったの?」
問いに対してエイミーは黙ったままだった。奥田は突いてはいけないところをついてしまったかと後悔したが、エイミーは意を決して口を開く。
「……実は今まで食事どころか友達付き合いなどというものをした事が一度も無い。だからその……怖いのだ。マナーとか雰囲気とか、損なってしまう事でヒーロー像を壊してしまうかもしれない」
その言葉を聞いた奥田は少し嬉しかった。完璧なヒーローでも、悩むことがあるのだと。そしてそれが普通の転校生のような悩みなのだと。
「別に食事一つでヒーロー像が崩れるなんてことないよ。正直ちょっとだけ君が食事しているのを見ちゃったけど、特におかしいなんてことは無かったよ。むしろ上品そうに見えたから、ヒーローとしての株も上がるよ」
「ほ、本当か……?」
「うん。大丈夫だよ」
エイミーは皆には見せることの無い素顔を、奥田の前であらわにした。
「……私は生まれてからずっと一人ぼっちだった。君のような同じ年の友人などいなく、周りは常にライバルとしか言えぬ者ばかりだった。学校も個別授業だったから、ああして皆で授業を受けるのは初めてで、実は緊張しているのだ。昨日の様に、大勢の者から親しく話される事など初めてで、実はちょっぴり嬉しかったんだ」
奥田はその言葉を聞いてハッとした。昨日ミーツェが言っていたことと、今目の前の少女が言っていたことが少しだけ重なるからだ。
もっと身近な人が欲しい。エイミーの言った言葉を奥田はそう解釈することができた。
「…………」
だがそれを知った所で次の言葉をかけるには、奥田にとって大変勇気のいることとなった。
――それはナードの身分の人間が、ジョックにかけていい言葉ではない。
奥田はしばらく口を閉じ、ゆっくりと肩で息を吐き、そしてこう自分に言い聞かせた。
大丈夫、彼女は彼らと違う――と。
「……僕で」
「ん?」
エイミーの純粋な眼差しが、奥田へと向けられる。
改めて彼女の可憐さに気づくと、奥田は内心ドキドキしながらも勇気をもってある言葉をなげかける。
「ぼ、僕で良ければ友達になるよ。そうしたら、もっといろいろと楽に話せるから」
自分でもヘタクソな言い方だと奥田は思った。しかし今の彼にはこれが精いっぱいだった。
エイミーはそれに対し、黙ったまま奥田の方を向き続けた。
ずいぶんと長い時間が過ぎたかのように奥田は感じた。ビルの隙間を吹く風が、奥田の瞳にゴミを入れる。
「……どうして泣いているのだ?」
「えっ!? ちょ、ちょっとゴミが入っただけで――」
奥田のその慌て様に、エイミーはクスクスと笑う。
「フフフ……うむ! これから私と君は、友達だ!」
そして心の中で予測していた否定の言葉では無く、肯定の言葉が奥田になげかけられる。
「よろしくな! オタク!」
奥田はその言葉を聞くと嬉しくなったと同時に、ある言葉を吐いてしまった。
「だ、だから! 僕はオタクじゃなくてオクダだって!」
二人の笑い声が、ビル風に乗って街へと響き渡っていった。