序章 正義のヒーロー、エイミー=ライバック
目の前に麗しきヒロインが降り立っている――と言えば素晴らしきラブロマンス、ラブコメディ、あるいは未知への冒険の一つでも巻き起こるのではないかと、誰もが思ってしまうだろう。
だが現実にはそのような都合のいいことが起こるはずもなく、ましてやそのまま自分がヒーローになれるはずも無い。そんなこともまた誰もが分かり切っていた筈だった。
「て、てめぇ! この人質が見えねぇのか!?」
舞台となるのは国際色豊かな大都市と評判の都市、バイスシティー。その中心部にある大型銀行店内。高そうな銅像などが置いてあるここに強盗に来れば、それなりどころか一生遊べるほどのお金が手に入るかもしれない。
「黙れ! 泥棒に屈するほどこのエイミー=ライバックは落ちぶれおらぬ!」
銀行の外にはすでに警察が取り囲んでおり、既に数名は警察の手腕によりお縄を頂戴している。そして「貴様は既に包囲されている!」などとよくある決まり文句を拡声器で放っているところだ。
そして最後の一人の強盗が、たった一人の少女のために足止めをくらっているところからこの物語は始まる。
「どうして僕がこんな目に……」
物語の主人公であるはずのさえない少年、奥田宅雄は強盗の人質として一役買っていた。眼鏡をずらしてひきつった顔は、映画であるなら真に迫る演技として絶賛されていただろう。
だがしかし今起こっていることは全て現実だ。この後都合がいい展開が満載に起こる訳ではない。
「俺が引き金を引けば、このガキは一瞬で死んじまうんだぞ!」
バラクラバで顔を隠した強盗の言う通り、奥田のこめかみには拳銃が突きつけられている。高校生でなければ、この場に彼の自尊心を傷つけるものがいなければ、恐怖で漏らしていてもおかしくはないだろう。なぜなら彼のこめかみ数ミリ先に、彼の命運は握られてあるからだ。
そしてもう一つ、彼にとっての不安要素となっている存在があった。
「この私の目が黒いうちは、貴様ら悪党に跳梁跋扈させぬわ!」
凛々しく仁王立ちするその姿。長い髪に正義に燃えるその瞳。学校の優等生という小さな枠を超え、正義の執行人としてその場に立っている少女エイミー=ライバックの存在だ。
「黙って逃走用の車を用意しろと言っているのが分からないのか!」
「黙って人質を解放しろと言っているのが分からんのか!」
奥田としては彼女が強盗を必要以上に刺激している事が分からないのか、黙って引き下がってくれないのかと思っているところであった。
強盗が一歩も引く様子が無いのを見かねて、エイミーは強盗に挑戦状をたたきつける。
「貴様らが一歩も引かぬと言うのなら、まず私に引き金を向けろ! そうすれば人質など必要ないはずだ!」
学校ではへたれオタクのあだ名で通っている奥田でも、流石に少女に銃口が向けられるのを黙って見ていられるわけではない。
「ちょっ、ちょっと待ってよ! この人の拳銃本物だよ!? 当たったら死ぬんだよ!?」
奥田の震え声を聞いても目の前の少女は臆することは無く、むしろ正義の使者として当たり前であるかのように振る舞っている。
「安心したまえ少年よ。この正義の味方エイミー=ライバックがいる限り、この世に悪は栄えな――」
少女はそこまで言うと上半身を急に仰け反らせた。
物静かな銀行内に火薬が弾ける音が響き渡り、薬莢がカランカランと音を鳴らす。
「あっ…………」
「くっ、てめぇがごちゃごちゃとうるさいのが悪いんだよ!」
強盗は捨て台詞を吐きながら、ゆっくりと地面に倒れその短い人生を終えようとする少女の姿を見届けていた。奥田はただ自分の無力さを嘆き、目の前の少女が死に行くさまを見ることしかできない。
少女はそのまま地面へと倒れ、その短い人生を終えようとしていたが――
「…………ふ、ふはは」
少女は途中で仰け反るのをやめ、不敵な笑い声を響かせる。
強盗も、奥田も、その状況が理解できなかった。確かに発砲音とともに体が仰け反り、そのまま倒れようとしていたからだ。
「ふはははははははは!!」
少女は再び体を起こし、元気に白い歯を見せつけていた。そしてその口にはさんでいるのは先ほど強盗が撃ち出したはずの弾丸。それを綺麗に歯で受け止めていた。
奥田と強盗は同時に悲鳴を上げた。それはあり得ないものを見たことによる驚愕の声。目の前の異常事態に警鐘を鳴らす声。
「え、ええぇぇぇぇぇぇ!?」
「遅い! 実に遅いぞ貴様の弾丸は! 私に何通りの回避法を思いつかせるつもりなのだ!」
いやいや音速を超えて放たれる弾丸のどこが遅いのかと、奥田は心のなかでツッコみを入れる。
強盗の方はというと開いた口がふさがらないといった様子で、口をあんぐりと開けたままぼう然としていた。
少女は口にはさんでいた弾丸をばりぼりと噛み砕くと、まるで運動する前の準備運動と言わんばかりに足を屈伸させる。
「では次は私の番だな! いくぞ悪党! 覚悟するがよいわ!」
少女は左手を前につきだし、照準を強盗の頭に定める。そして右腕を構えて拳を突き出す体制を整える。
「ゆくぞ! 悪党成敗拳!!」
一瞬――辺りに鋭い空気の衝撃波が走りぬけていく。
次の瞬間には奥田の身体は自由になり、それと引き換えに強盗は奥田のそばから離れていた。
「……へ?」
奥田は自分の後ろに広い空間ができたことを感じ取ると、恐るおそる後ろを振り返る。すると先ほどまで奥田のこめかみに拳銃を突きつけていたはずの強盗が、壁に叩きつけられてのびていた。
「……あり得ない……」
あまりにも常識離れした状況に奥田は気を失ってその場に倒れようとしたが、そうは問屋がおろさなかった。
「っ! しっかりしろ! 少年!」
目の前の超人にお姫様抱っこをされた状態で何度も体を揺さぶられる。振動は奥田にこれが現実だと分からせるだけで、夢から覚めさせる訳ではなかった。
少女が奥田を抱えて銀行内を脱出すると、奥田の閉じかかっていたまぶたをまばゆいフラッシュが襲う。
「あ、貴方はいったい何者なのですか!? 最後の強盗相手に、一体どんな仕掛けを施したのですか!?」
「警察の制止を振り切った事だけのことはあるのですが、貴方の正体は!?」
「この犯罪はびこる街で貴方の目的は一体!?」
押し合いへし合いで少女に質問をぶつけるマスコミをよそに、少女は奥田を警察に引き渡し病院に連れて行くように告げる。
そこでやっと奥田も頭の整理がついたのか、少女にお礼の言葉をつづる。
「よく分かんないけど、ありがとう」
少女はお礼の言葉に対して、満面の笑みを奥田に向ける。
「私にとっては当たり前の事だ、少年。君の方こそ、私を心配してくれてありがとう」
奥田は少女から逆にお礼を言われたことに対して顔を赤らめていると、少女は既にその場を立ち去って自らを囲んでいるマスコミの方へと向かって高らかに宣言をしていた。
「私の名はエイミー=ライバック! 犯罪都市と呼ばれているこのバイスプールに、正義の味方として参上した!!」