第8話 勝負ですわっ!!②
※暴力描写有ります
ばちんと頬を叩かれて、雛乃が目を開けた。
「い…いひゃい」
「何ぼーっとしてますの!死ぬ気ですの!」
目の前にはアメリアの真っ青な瞳。
意識がはっきりとしてきて、今自分がいる場所がこの世ではないことを思い出す。
「貴女本当に専門家ですの!?敵の根城で気持ちよさそうに寝て!」
「す、すいません。普段やらないやり方で入ったから、ちょっと眠くなっちゃって」
呆れるアメリアをよそに、きょろきょろと辺りを見回す。
まわりの景色は白い霧がかかっているが、ぼんやりと古い日本家屋が見える。
「ここが呪詛が作った世界なんですね」
「見た限りそこそこの田舎のようですわね…。呪詛は往々にして生前に思い入れのある場所を参考に世界を作るはず」
「怨みを忘れないために、永遠に自分の過去を繰り返していると聞いたことがありますね」
(自分が呪詛になる原因になった記憶を何度も思い出すなんて、本当に辛いだろう)
けれどそれでも彼らは憎しみに身を委ねるのだ。
そう考えを巡らせていると、雛乃がある事に気がついた。
「あれ?黒鉄さんは?」
「黒鉄様は気がついたらいらっしゃいませんでしたわ。思慮深い方ですからね。別で動かれているのでしょう」
「……」
(ただ単にひとりで行動する方が楽だったからだと思うけど…)
協調性や愛想など人間に必要なものは母胎に置いてきたような男だ。
(いや、そもそも人間なのか怪しいけど)
けれど目の前に立つアメリアの瞳は、黒鉄のことを一分も疑ってはいない。
「どうしてそんなに黒鉄さんのことが好きなんですか?」
「まっ!そんな好きなんて下衆な感情ではありませんわ。どちらかと言えば、欽仰や崇敬に近くてよ!」
「あ、アメリアさん最近まで西洋に居たのに、難しい言葉知ってますね…」
「常識ですわよ!…昔はこちらの学校に通ってましたから」
「言葉も流暢ですもんね。その時に黒鉄さんに出会ったんですか?」
その言葉に、アメリアの表情が固まった。
(あ…)
雛乃がふと思い返す。
アメリアは黒鉄が呪解屋を始めたこと知らなかった。
黒鉄の過去はよくわからないが、雛乃と会う前は彼は逆のことを生業にしていたと聞いている。
つまりは。
「あの方に、私は依頼をしたのですわ。呪ってほしい者がいると」
「ご、ごめんなさい…。なにも考えないで聞いてしまって」
「…後悔はしていませんわ。わたくしはあの方の為なら、なんでもすると決めてますの」
そう言ってスタスタ歩いていく彼女のピンと張った背中は迷いがない。
うらやましくなるほどの芯の強さだ。
アメリアのあとを追い、家の敷地に入る。
塀に囲まれた庭は、緑が少なくどこか寂しい。
「家自体はそこそこ立派ですけど、とにかく古いですわね」
「そうですね…庭の木は売ったのでしょうか?ほとんど切られちゃってますね」
老朽化の進んだ家と荒んだ庭に、あまり裕福な暮らしぶりではなかったことが伺える。
「あ…1本だけ残ってる」
塀を背後にひっそりと、寂しそうに立つ木が1本。
幹はそれほど太くはないが、小さな葉がツヤツヤと光っている。
「これは柘植の木ですね」
「この櫛の材料になったあの?」
「はい。特定の地域では、女児が生まれると柘植の木を植える習慣があると言います。その木を切って売りに出し、嫁入り道具を揃えるのだそうです」
「桐を植えて嫁入り時に持っていく箪笥を作るみたいな話ですわね」
柘植は成長が遅い為あまり大きくはならないが、非常に木目が細やかで美しい色合いを持つ。
将棋の駒や印鑑にも使われるものの、主流は櫛。
柘植の木で作られた櫛を使っている女性は歳をとっても綺麗な黒髪だったとの逸話さえある程だ。
「きっとこの家の方も、娘さんの為に植えたのだと思います。だから、ほかの木は売ってもこれだけは残してあるんじゃないかな」
「…まあそれは重要なことではありませんわ。雛乃。構えなさい。わたくしはお守りをするつもりはないですわよ」
アメリアが言い終える前に、目の前の風景が一変する。
朽ち果てていた家は立派な武家屋敷へと変化し、庭も緑に溢れた美しい様相へと変わる。
その庭の隅に、ぽつんと存在する大きな蔵。
その扉がゆっくりと開いて、黒い塊が姿を現した。
〈ここから出て行け…〉
低く憎しみにまみれた声だが、若い女性の声色だ。
雛乃が構えた矢を引く前に、“彼女”に向かって鋭い閃光が走る。
〈ギャァアッ!〉
続いてばちんと地面を打ったのはアメリアの持つ鞭。
通常の一本鞭よりも長く、全体に渡って何らかの文字が記されている。
「エリー!」
アメリアが叫ぶと、彼女の影の中からずるりと真っ黒な獣が姿を現した。
実体がないのか透けているが、その見た目は狼。
アメリアの腰にするりと身を寄せる。
呪詛が頭を抑えながら、その憎しみに満ちた瞳でアメリアを睨んだ。
〈貴様…!〉
「わたくしの呪いは腹を壊しますわよ」
呪詛の気迫を前に、一歩も譲らないアメリアの瞳。
真っ青な瞳が、まるで炎のように揺れている。
その瞳を見て、雛乃が思わず声を漏らした。
「アメリアさん…」
「雛乃。邪魔すると怪我しますわ。隅にいることね」
アメリアが鞭を振りかぶる。
同時に狼が飛び出した。
〈痛い!やめろ!〉
「いい加減になさい!貴女が憎むべき者はここにはいませんわ!」
〈うるさい!お前に何がわかる!〉
「前を向こうとしない、臆病者の気持ちなんてわからなくってよ!」
呪詛が悔しそうに歯を食いしばる。
アメリアに攻撃したくとも、進路を狼に阻まれ、それを避けると今度は鞭が襲ってくる。
(確かにわたくしの呪術は呪解専門ではありませんわ…!)
けれど、呪詛に容量以上の呪いを当て続ければ、いずれ破裂するはず。
「少しでもあの人のおそばにいる為に、貴女には退治されてもらいますわ!」
アメリアの放った一撃が、呪詛の眉間を貫いた。
〈ギャアアアアアアアアア!!〉
呪詛の絶叫がこだまし、黒い塊が霧散する。
その霧が消え切ったことを確認して、アメリアが鞭を下ろした。
「やりましたわ…エリー、もういいですわ」
狼がアメリアの影の中へ再び戻っていく。
その様子を呆然と見ていた雛乃に、アメリアが声をかけた。
「エリーは、狼の霊にわたくしの呪力を注いだものですわ。手間はかかりますけど結構便利ですのよ」
「や…すごかったですね」
黒鉄以外で初めて見る呪術に雛乃は目を丸くしている。
アメリアの鞭を興味深そうに眺めた後、先ほど呪詛がいた地点を見て、ぽつりとつぶやく。
「あの人は救われたんでしょうか」
「呪詛が救われるなど可笑しな話ですわ。あいつらのような、目的もなくただ人を呪う存在は消滅すべきよ」
「それは…そうかもしれませんが…」
雛乃が言いよどむ姿に、アメリアはハァとため息をつく。
(死んだ者のことまで考えるなんてとんだお人よし)
「ああいう後ろ向きな人種は嫌いですわ。ところで勝負はわたくしの勝ちということでよろしくて?」
「あー!そうだった…!私、職無し宿無し決定だ…」
「あらそうだったんですの?てっきり実家にでも帰るのかと。なら、わたくしの家で女中でもすればいいですわ」
アメリアの予想外の一言に、がっくり落ち込んでいた雛乃が顔を上げる。
「えっ、アメリアさんのお宅には女中さんがいるんですか」
「ええ。掃除婦や執事はいるんですが。ちょうどお付きの者が欲しいと思ってましたの」
「お付き…何をするんですか?」
今の職場環境より良くなる可能性が見え、雛乃の心が揺れる。
アメリアも変わった人ではあるが、あの鬼のような雇用主に比べれば常識的かもしれない。
「そうね…。まずわたくしの行く先には必ず付いてきて、買い物する時は一緒に選んでもらいますわ。洋服には助言を頂戴。あと外食にも付き合ってもらいますし、寝られない時は面白い話をしてもらいますわ。どう?」
「ゆ、夢のような好待遇ですね…」
突然の誘惑に雛乃の心は振り子のようにぐわんぐわんと揺れている。
なんて良い条件なんだ。
(でもそれって…)
「あの、アメリアさ、」
〈楽しそうね〉
突如、振ってわいた声。
雛乃とアメリアの体に鳥肌が立った。
「なっ…!」
アメリアが反応する前に、地面に沈み込む自身の足。
先ほどまでそこにあった地面は彼女の場所だけ黒く色を変えている。
彼女の口を、真っ黒な手が塞いだ。
「アメリアさん!」
雛乃が伸ばした手をつかむ前に、地面に引きずり込まれた。
(しまった!どうにか抜け出さないと、)
視界が黒く染まる。
恐怖に支配される心に、一瞬走馬燈が見えた。
それは、アメリアが一番思い出したくない記憶。
〈なんだ…〉
耳元で声がする。
〈あなたも、私と同じじゃない〉
『邪魔!』
『ご、ごめんなさい…』
女学校の校舎の中で、辛辣な言葉にびくりと身を震わせる女生徒がいた。
丸まった背中に、消えてしまいそうなか細い声。
牛乳瓶の底のような眼鏡が、彼女の本来の瞳の輝きを隠している。
顔をほとんど見せないように伸ばした髪はべったりと粘着質な黒色をしていて、くせが強く寝癖のように飛んでいる。
彼女は非常に地味で、内気な女性だった。
今も、決して彼女からぶつかったのではなく、あちらから肩を当てに来られたのだが、くすくすと嘲るような笑いを浮かべられても、彼女は言い返せない。
下を向きながら逃げるように向かった先は、音楽室の扉の前。
この学校に友人と呼べる人もいなければ、さして勉学が好きなわけでもない。
それでも彼女が学校に通う大きな理由がここにある。
『赤津先生』
扉を叩くと、入室を許可する声が返ってきた。
中に入れば、物腰の柔らかい若い男性教諭が彼女を迎える。
『やあ、宮村さん。よく来たね』
当時、15歳の宮村アメリアは、通う学校の音楽教師に恋をしていた。
アメリアが自分の容姿を嫌いになったのは、ほんの6歳の時のことである。
生まれついての金髪と宝石のような瞳、陶器のような白い肌。
人とは違って美しいと言われれば聞こえはいいが、彼女にとってその言葉は重荷だった。
雇われ外国人の父と日本人の母を持つアメリアは、父の血を強く受け継いだ。
『どうして…みんなと同じように産んでくれなかったの?』
ある日母にした質問だった。
とても悲しいそうな顔をしたので、言ってはいけなかった一言だったと知った。
(でも、本当にそう思う)
人とは違う容姿のせいで、アメリアは同年代の男女からひどく虐められた。
歳を食うごとにどんどん卑屈になった彼女は、“みんなと同じように見える工夫”をするようになった。
その美しい金髪を毎朝墨で染めて、瞳は見えないように硝子の厚い眼鏡を、肌は露出しないように髪を伸ばして。
日々の嘲笑は、彼女の声を風にかき消されるほど小さくし、背骨を曲げていった。
『赤津先生。私、ここまで弾けるようになったんです』
『素晴らしい。君には才能があるね』
赤津はピアノ専門の講師であった。
当時では珍しいピアノ奏者から手ほどきを受けた者であり、外国人に触れることが多かった彼はアメリアに好奇の目を向けることがなかった。
それが嬉しくて、彼女は彼に恋をした。
(もっと一緒にいたい)
その為に高価なピアノを親に頼み込んで買ってもらい、毎日必死で練習した。
彼に褒められると嬉しかった。
彼に慰められると心が落ち着いた。
『宮村さん。今度の日曜日の夜、演奏会にいかないか』
だから赤津からこの提案を受けたとき、彼女は天にも昇る気持ちになった。
とっておきの着物を準備して、彼に渡すための洋菓子を焼いた。
当然同級生にも親にも言わず、その日従姉妹と遊びに行くことにして家を出た。
教え子と休日に2人きりで会っていることが露見するといけないからと、赤津に言われたからだ。
恋する乙女の胸は踊り、本来の慎重な性格を変える。
赤津に言われたことを微塵も疑わなかった。
皐月カヨは、士族の家に生まれた。
彼女が生まれる前は指折りの武士だった祖父が亡くなると、賭博好きの父親は堕落し下級武士に落ちていった。
幼少期から苦労を重ねて育った彼女ではあったが、母親からの愛情は疑うべくもないほど深いものだったと記憶している。
少ない食物はカヨ優先。
思春期の娘を気にして、母親が祖父母の形見を売ってまで着物を用立ててくれた。
生活苦で庭の木全てを手放しても、カヨのために植えた柘植の木だけは切らなかった。
そんな母親だから、カヨの嫁入りが決まった時は心の底から喜んでくれた。
相手は武家の分家だったものの、土地も多くあり将来は安泰。
そこで母親は拓殖の木を切り、それを売って彼女の嫁入り道具を揃えた。
そのうちのひとつが櫛。
櫛は彼女にとって、母の愛の証であり、期待の現れだった。
そうして彼女は若いながらも嫁に行き、誠心誠意その家のために働いた。
姑とは少し折り合いがつかなかったが、新しい生活にも少しずつ慣れ、夫と子供を作る算段をしている時の話だった。
『奥さん』
出入りの業者の男だった。
その物腰の柔らかさと細やかな気遣いから微塵も疑っていなかった男だった。
『やめて!離して!』
『騒ぐんじゃねえよ!』
庭に義理の母が居た気がして声を出すが、助けがくることはなかった。
カヨはその時屋敷の離れで掃除をしており、使用人は近くにいなかったのだ。
顔を強く殴られる度に、頭が麻痺し目の前が真っ暗になる。
気に入っていた着物が破られ、乱暴な愛撫で身体の感覚が消えていく。
まるで身体が粘土になったみたいだ。
『離して!お願いだから!お願いっ…お願いよ!!』
悲痛な声。
振り上げられる拳。
下半身の痛み。
地に落ち虚しく潰れる洋菓子。
「ああ…あれは…」
男の下で、アメリアが声を漏らす。
(あれは、赤津先生に作った、大切な…)
心を込めて作ったものだった。
今までのお礼と、確かな恋心を持って。
頰を伝う涙が止まらない。
全て無駄になってしまった。
〈あなたも、私と同じじゃない〉
(この記憶は…カヨの記憶…?私の記憶…?)
思考が混濁する。
彼女の上で乱暴を働く男に、アメリアが叫んだ。
『やめて!赤津先生!』
5年前のあの日、アメリアは赤津に強姦された。




