かみの国
部屋は広く、流しの付いた大きなテーブルが並んでいた。
壁には大きな棚が備え付けられ、ガラスの容器や薬液の入った瓶、何かしらの機材が並んで入っている。
入り口に『理科室』と書かれたプレートがその部屋の用途を表していた。
今、この部屋には二人しかいなかった。
「ねぇー。今調合しているのって自由研究の課題?」
少女が話しかける。
相手は少年だ。
少年は目の前で煮沸する容器をかき混ぜながら応えた。
「ああ。将来の調合術師として魔法薬をな。あとは恩返しかな」
「やっぱりそうなんだ。昔から好きだもんね調合。でも恩返しって誰に?」
「教科担任。そっちは研究何にするんだ?」
容器に粉末を加えながら応える。
その動きに淀みは無く、慣れている様子が窺えた。
「おっ、聞いてくれる?」
待っていましたといわんばかりに笑顔になる少女。
「じゃーん」
足元の鞄から出したそれを少年に見せる。
「へー。――っえ゛!?」
思わず二度見する少年。
そこには、
「愚王が統治する弱小国、そこからの華麗な成長! 現在名だたる大国となったこの国、通称『神の国』と呼ばれた考察!」
得意げな表情の少女と違い、少年の表情は引きつる。
「……えっとー。確か大国になった経緯の資料って無かったんだよな」
「そう! もう大国になったのも何百年前の事だし、紛争や世界大戦で成長期の数少ない資料は四散したか焚書で無くなっちゃからね」
でも、と少女は鼻息荒く言葉を続ける。
「有ったの! 友達の祖父母の家に有ったって! 国へ寄贈する前に特別に見せてくれるんだって!」
「お、おう。将来は考古学者って言ってたもんなお前」
あまりに高いテンションにドン引きする少年。
しかし、そんな様子に気付いてはいない。
「未だに急成長の原因は分かってないのよね。数少ない資料には神の語源になった『かみ』って単語が何度か出てくるけれど、『かみ』が何を指しているのかがね……」
「あー、その……何だ」
何かを言いたげな少年を置いて少女はヒートアップする。
「でもね、友達から貰った表紙の画像は大国になる前の言語書式で書いてあったの! 成長期の秘密が書かれている可能性が高いのよ! それに――」
箍が外れたように語りだす少女を横目に少年は調合を続ける。
……まぁ、あんまり記録に残らないよう指示したしなー。
少年は胸の中で呟く。
……今作ってるこの魔法薬が原因って知ったらどうなることやら……。
少なくとも質問攻めは確定だろう。
「はぁ、まさか3回目とは……」
少女に聞こえないよう複雑な気持ちを吐き出しながら、少年は記憶を辿る。
●
転生、というものがある。
記憶を持ったまま生まれ変わる。というのが分かりやすいだろう。
神話でいうなら不死鳥が当てはまるだろうか、そこまで格好良くはないか。
設定として使いやすく、事実ネット小説ではありふれた事象だ。
それが自分の身に起きただけだ。
薬剤師になるため大学に通っていたのが最初の人生での最後の記憶だ。
死んだ原因は知らない。
気が付いたら小国の第3王子として生まれていた。
長子ではなかったが、王族としてなのか蝶よ花よと不自由なく育てられた。
いや、平成の日本と比べれば何かと不自由だったが。
しかし、日本には無いものがあった。
魔術だ。
生まれた当時は、
「転生チートキタァアア!」
とか、
「小さい頃から魔術修練で魔力チートじゃぁああ!」
などとはしゃいでいた。
が、王族でも人生甘くなかった。
まず、転生による特別な能力を得る転生チートなんてものは無かった。
言語を覚えるのにも苦労した。
日本語でないのは当たり前だが、前世に引っ張られて習得は並みの子供より遅かった。
魔力は伸びたが、大魔術師かと言われればそうではない。
資質と魂の問題だそうだ。それでも並よりは上だし、3度目の今の人生では引継ぎ、修練しているので魔力チートといえるだろうか。
2度目の人生ではそこそこの恩恵があったか。
そして人生甘くない原因の一つ。
当代の王と王妃。
すなわち自分の両親が暗君、暴君と呼ばれる者だった。
側近の配慮なのか、両親の興味がなかったのか、顔を合わしたのは3歳が初めてだった。
部屋に飾られた姿絵では、両名ともにスラリとした体型でいかにもデキる人だった。
「ふぉおお! 美人な母と美形の父、これは勝ち組キタコレ!」
ドキドキしながら謁見の間へ向かう自分の頭はお花畑だったと言うしかない。
「きっと政治で忙しいんだろうな」
とか考えていた。
実際会った両親の姿は……豚だった。
父である国王は、でっぷりとした腹を高そうな服に詰め込み、つるっとした頭に置いた王冠は二重の意味で眩しかった。
ぶくぶくと丸い脂ぎった手で撫でていたのは薄い衣を纏った美女。
尻やら乳やらを弄られる彼女の眼は死んでおり、首に繋がれた首輪と鎖が女性が所有物であることを物語っていた。
母である王妃も似たようなものだった。
父と同じくまん丸に肥えた肉を煌びやかな服に詰め込み、汗を誤魔化すためか香水をガンガンに掛けていた。もう、原液をぶっ掛けた方が早いんじゃないかってくらいに。
ギトギトの髪には宝石が付いた櫛が刺さっており、顔には分厚い化粧がコーティングされていた。
美女の代わりに美形のイケメンを侍らせているのも、似たもの夫婦なのだろうか。
ていうか豚に失礼だった。
彼らは体脂肪率15%前後のマッチョメンなのに。
……こりゃ、アカン。
そう思ってからは色々行動した。
お約束のお忍び外出とかメイドや執事へのさり気ない聞き込み。
両親の興味は長男の第1王子にしか向いていなかったので凄い動きやすかった。
王家への評判とか噂、国の現状など知れは知るほど危機感が加速した。
「これ、遠くないうちにクーデターが起きるぞ……」
政治に詳しくない自分でも分かるぐらいに国の現状は酷かった。
唯一の希望は兄だった。
上の兄である第1王子ではない。第二の豚……ではない、暗君に用はない。
下の兄である第2王子だ。
歳は10近く離れてはいるが仲は良かった。
聡明であった。転生か特別な能力を持っているんじゃないかって疑うぐらいだ。
容姿もイケメンだ。あの両親から生まれたのを疑うくらいに。
自分は平凡だった、クソが。
「……そうか、お前も気付いたのか、この国の現状を。その歳で気づくとは流石自慢の弟だ」
現状に焦り、相談に行ったときの兄の言葉だ。
兄も兄で現状を把握していたようだ。おまけに幾つか現状打開プランを考えていたらしい、……逆立ちしても勝てる気がしない。
現状を変える方法が思いつかない自分は決めた。
この兄を全力で手伝うことを。
●
この国を変える。
言葉にするには簡単だが、行うには金もコネも何もが無い。
幾ら王族とはいえ子供2人。
まずは人手を集めることだった。
権威を振りかざすには悪評が半端無い。
国を守る騎士隊には嫌われ、近衛騎士と貴族の大部分は腐りきっている。
おまけに国として特筆すべきものも無い。
かつては貴重な薬を生産して他国へ売り渡していたようだが、今は見る影も無い。
研究費は父と母の浪費の金と消えた。
資金難に喘いだ研究所のたった一度の陳情で、所属職員とその家族は反逆罪で処理された。
両親や腐った貴族が主導で行う、そんな吐き気を催すような出来事があった。
「いや、数少ない貴重な資金源を潰すとか頭大丈夫?」
「目の前の事しか考えられないんだろう。現に国が傾いていることすら気に掛けていない死ね」
「あれ? 兄さん、最後のイントネーションがおかしくなかった?」
「そうかい? 気のせいじゃないから大丈夫だよ」
「そっかー。あははは」
ストレスが溜まっているなー。と流すくらいには俺達は現状に疲れていた。
流れが変わったのは、城の書庫を漁っていた時だった。
「……これは」
「ああ、魔法薬の研究成果かな? 研究所が潰された時の資料がここに運び込まれたみたいだね」
ペラペラと資料を流し読む。
そしてそれに気付いた。
とある魔法薬について、そしてそれが完成したのは研究所が潰される少し前だ。
それはこの国、延いては自分を含め周辺民族を救う希望、奇跡だった。
「素材は……馬鹿なっ、こんな簡単に!?」
「ねぇ兄さん。これ、ヤバイんじゃ……」
「いや、これを俺達の武器にしよう。しかし、造るための手順が何を意味しているのかが解らないのが……」
「?」
そんな兄の言葉に首を傾げてしまう。
資料を確認するが、使用言語はこの国のもので暗号化はされていない。
手順も基本的なものが多く、複雑な部分もきちんとアドバイスがある。
「これが解るのか?」
「こんなの基礎じゃ……あ」
気付いた。
前世の記憶。それを活かして金儲けや内政を行うという知識チート。
薬剤師の勉強としての知識が活かせる。
「知識チートキタコレェエエ!」
「弟がついに壊れた!?」
ついにって何だ、ついにって。
でもそんなこと気にしない。
喜びで一杯なのだから。
「落ち着け!」
兄の鋭い一撃は自分の意識を刈り取った。
そういえば武芸も達者でしたね兄上。
●
それから数年。
国が荒れていく中、俺達兄弟は頑張った。
例の魔法薬の他、資料にあった様々な魔法薬や新薬を開発した。
いやぁ、魔術って便利。
兄上もサロンや舞踏会やらでコネを作っていた。
姿も平凡で口が上手くない自分は裏での生産役だ。
決して人付き合いが面倒とかそんなんじゃない、適材適所という奴だ。
実際ウィットに富んだ知的な会話とか本当に無理。
そうやって時間をかけて準備を終えた。
次は動き出す番だ。
最初のターゲットは騎士長だ。
全ての騎士を束ねるリーダー。
彼を味方にできれば国を二分する騎士という武力は手に入れたも同然。
しかし、清濁併せ呑む器ではあるが、その忠誠は国と先代国王、つまり祖父に捧げられている。
クーデター筆頭候補だ。てかそういう情報がある。
色々と忙しい騎士長を自室に呼び出すだけでも至難だった。
「お呼び出しとは珍しい。何の用ですかな、殿下」
ビシッと伸びた背筋と鍛えられた筋肉を纏った巨躯。
つるっとしたスキンヘッドに幾多の戦場と視線を超えた鋭い眼光。
グラサンを掛ければ完璧にやばい人です。
笑顔で挨拶をしてくる。が目が完全に笑ってない。
汚物やゴミを見る目だ。
祖父は賢王ではなかったが、堅実な政治を行っていたし、彼の騎士長と宮廷魔術師長という友と協力して国を動かしていた。
それに比べて、両親は言わずもがな。
息子その1は小さい両親だし、その2は1程ではないがパーティで遊び呆けている。
その3なんて表に出ないで引きこもって、薬草から貴重な爪まで買い漁る得体の知れない引きこもりだ。
そりゃクーデターを起こすわ。もうこの国駄目ですわ。
でもそうなったら兄上も自分も纏めて首を晒すことになってしまう。
それを回避するために、
「単刀直入に聞きます。この国をどう思いますか? いい国ですか?」
どの口が言うんだって思う。
騎士長も同じ事を思ったのか笑顔が消えた。
おまけに何やら首筋に冷たいものを感じる。
これが殺気というやつか、ちびりそうだ。
答えは無い。
このまま黙っていたら、この場で首を刎ねられかねない。
言葉を続ける。
「私はもう駄目だと思います。これは下の兄も同意見です」
意外なのかそうではないのか反応は小さかった。
少なくとも冷たいものは消えたので助かったようだ。
「言葉で飾ることは意味が無いのでありのまま話します。私達はこの国を変えるためにここ数年動いていました。しかし私達2人だけでは何もできません。人手が、コネが、伝手が全く足りないのです。お願いします、どうか私達に手を貸してください」
そこまで言って私は動く。
土下座だ。
何だかんだ言って、今まで国のトラブルを対処していたのは彼の騎士長と宮廷魔術師長なのだ。
力が無いとはいえ、それに甘えて研究なりコネ作りしていたのは間違いないのだから。
「顔を上げて下さい殿下。その誠実さに応えて話しますが、手を貸すにしてももう遅いのです。もう国民の不満は限界なのです。王族の首が無ければ止まらない程です」
そう、もはや国民の我慢は限界だ。
殆んどの国民がクーデターを待ち望んでいる。
それだけこの国の上層部は腐っていた。
止めるには奇跡が必要だ。
「確かにもう限界を超える直前なのでしょう。止めるには奇跡が必要だ。……でもその奇跡が私たちにあるというならどうですか?」
「……どういうことです?」
立ち上がり懐から取り出す。
あの魔法薬を。
「それは?」
「これが、この魔法薬が奇跡なのです」
琥珀色の液体が詰まった瓶。
それを開ける。
「言葉より、実際に見た方が早いでしょう」
部屋の隅から箱を持ってくる。
中には一匹のネズミ。
「本来、この魔法薬は薄めて使うものですが、原液の方が解りやすいでしょう」
新品の筆に薬液を漬け、ネズミに塗った。
効果は直ぐに現れた。
「なんと!?」
「これが、私たちの奇跡であり、希望であり、武器です。もう一度お願いします。私を、兄を手伝って下さい。この国を変えるために」
暫しの沈黙の後、騎士長は答えた。
「わかりました。これほどの奇跡ならば民を止めるどころか味方にできましょう。我が剣を民とあなた方兄弟の為に振るうことを誓います」
「……本当にありがとうございます」
ここからはトントン拍子で話が進んだ。
宮廷魔術師長に話をつけに行った時は、魔法薬を使用した騎士長のバックアップもありあっさり終った。
その日の夜は何とか死亡フラグは回避したと兄弟2人で抱き合って泣いた。
●
それからは激動の人生だった。
根回しやら調剤やらで兄弟で走り回った。
騎士長と宮廷魔術師長のサポートが無かったら絶対に出来なかったことだ。
最終的に両親と長男、貴族連合との衝突があったが、少なくない犠牲を出して内乱に勝利した。
騎士長と宮廷魔術師長と兄が暴れまわっていた。
少なくとも象徴である兄が戦地で無双するのはいかがなものか。
士気は尋常じゃなく上がっていたが。
自分は弟子達と後方で回復薬とか色々作っていた。
そのまま兄が新王として君臨したわけだが、国はズタボロで小国な事実は変わらない。
内乱中から他国からのちょっかいが増えてきたわけで、そちらの対応もしなければならないわけで。
だが、他国とはいえ魔法薬の奇跡は効いた。それはもう怖いぐらいに。
他国と停戦協定を簡単に結べてしまった。おかげで国を立て直す時間は十分に得られた。
それどころか他国を吸収合併すら優位に進んだ。
生前を若いうちに死んでしまったから、その恐怖がわからない。
まぁ、ストレスで進行していた兄は泣いて喜んでいたがな。
わかめから始まり、大豆やら鶏肉やら比較的手に入りやすいものが素材で作った魔法薬。
「凄いなぁ。毛生え薬」
この国周辺の人種は呪われてんじゃないかってぐらいに髪が抜けやすい。
男性は歳が四十を超えたあたりで完全に無くなっている人が四人に一人いる感じ。
焼け野原が五割を超えた人は数え切れないが。
女性は完全に抜けないが、かなり薄くなるのでやはり気になるのだろう。
そんなこんなで気が付けばもう四十も後半になっていた。
兄は嫁さん貰って子供も居るが、自分は独身だった。
後進の弟子達の育成や新薬の開発に熱を入れすぎた。
国の資金源として作らねばという強迫観念もあっただろう。
今更嫁というのも何だかという気持ちだったし、ぶっちゃけ性欲より知識欲が上回っちゃったのだ。
何故か弟子たちの結婚スピーチをする羽目になったがな。クソが。
結局死ぬまで独身でした。状況から考えてたぶん過労死。
流石に老体に十徹はアカンかったようだ。
●
結局、遥か遠い未来に転生したわけで。
何の因果か、時の流れで失われたコレをまた作ることになるとは思わなかった。
「ふぅ、完成」
「あ、出来たんだ」
まぁ、理由というのは贖罪というか、尻拭いな訳だが。
「綺麗な琥珀色だね。ねぇ何の薬なの?」
「毛生え薬」
「あー……」
少女が言い淀む理由は解る。
時代が進み、多種多様な血が混ざった結果、髪の毛は抜けにくくなった。
体感では平成の地球と変わらんが。
そしてこの薬を渡そうとする教科担任はまだ若い。
イケメンでエリートで人柄もいい。という何処かの兄を思い出す人だ。
だが、出る杭は打たれる、というか妬み嫉みというか。
まぁ、そういうことで、そんな彼らが選んだ手段がまた最悪だった。
「毛抜き薬。第一種指定薬剤を掛けられたら並の薬じゃ治らないしな」
過去に自分が作った薬だった。
拷問用に作った薬がまさか伝承されているとは。
「昔どっかで見た文献を思い出して作ったけど、実際に効果があるかどうか怪しいしな。結局は学生の研究の域だな」
効果は確実だが問題はどうやって使用してもらうかだな。
「なら今から持っていく? さっき職員室で書類作ってるの見えてたし、まだ居るかも」
「……そうだな。善は急げって言うし、見るだけ見てもらうか」
機材の片付けを手伝って貰い、薬を持っていく。
実は結構軽い気持ちで作っていた。
言い訳もあるし、自分の魔法薬の被害者だし、今では失われた物だし。
認められたら特許申請して不労所得ウハウハとか考えてた。
結果として髪の毛は元に戻った。
特許申請で問題が起きた。
「何で王族の口伝で残してんだよ兄上ー!」
作り方、は、失われたが存在したという記録と少量の実物は残していたようだ。
今回作った魔法薬と成分どころか魔力まで完全に一致する、ということで騒動が起きたのだが、また別の話だ。