君が、好きだ
*紫乃様主催『ドラマチックキス企画』『おくてさん(遅刻)』参加作品です。
――君が、好きだ――
そう言って、近付いてきた彼の瞳はとても綺麗で、息を呑んだ。眼鏡越しでしか見た事のなかった瞳が、私の目の前にある。彼の体温が伝わってきた気がして、私はぎゅっと目を閉じた。
温かな息が唇に掛かったと思ったその時――
***
「……なあ、涼香。お前これでいくのか?」
「ちょっと、明人! 何、人のノート見てるのよっ!」
B5ノートを宮野 明人からひったくった私は、じろりと幼馴染を睨み付けた。いくら明人が演劇部の部長でも、人が書いてる台本勝手に読むなんて許すまじっ! ノートをひしと抱き締める私を見た明人は、意味ありげににやりと笑った。
「いやなあ、なんつーか……お前それ、誰キャスティングしてるんだよ、頭の中で」
ぎくり。私は思わず目を泳がせた。ここは演劇部の部室――ではなく、生徒会室だ。明人は副会長、私は会計。共に生徒会所属である事もあり、ここでついでに部活の相談をする事も多々ある。けどね。
『ちょっと大声出さないでよっ!』
気付かれたらどーするんだ、あの会長に。小声で明人の耳に文句を言った私に、明人は横目で奥の会長席を見た。
生徒会室の一番奥、窓を背に山積みの書類を手際よく片付けていく男子生徒の姿。さらりとした黒髪にシャープな銀縁眼鏡が特徴の、我が聖苑高校の生徒会長、堂本 明彦だ。
『明彦だろ、これ。あのガチガチ超真面目生徒会長に頼むつもりか?』
『ううう……夢見たっていいじゃない。明人も部長なんだから、何とか堂本くんに持ち掛けてよっ』
『あー、俺じゃ無理無理。お前が言えよ』
明人はふっと顔を上げ、彼の方を向いた。
「なあー明彦? ちょっと休憩がてら、涼香の話聞いてやってくれよ」
「明人っ!?」
ふっと堂本くんが顔を上げた。書類に書き込んでいた手を止め、焦る私とにやにやする明人を見比べた彼は、「俺に何か用か? 斉藤」と言って私を鋭い視線で見据えた。
「う」
眼鏡越しの視線が痛いっ……! 私がうろたえてる間に、「んじゃ、俺一足先に部活に顔出してくるわー」と呑気な明人の声がした。
「えっ、明人!?」
咄嗟に振り返ると、ばいばいと右手を振りながら、ドアの向こうに消えていく明人の姿が。あああ、あの大ばかやろーっ! 逃げたなっ! 無情にもばたんと閉まったドアに、私は呪いの言葉を吐いた。
「で? 俺に話って何だ?」
「う、あ、はい」
再び堂本くんの方を向くと、いつもと同じ冷静な顔が私を見上げていた。私はごくんと唾を呑み込んで、堂本くんに一歩近づいた。あああ、間近で見ると本当綺麗な顔立ち。茶色をベースにしたブレザーの制服がよく似合ってる。平々凡々なわが身が呪わしくなるぐらい。
「そ、その……今度の文化祭なんだけど」
ああ、と堂本くんが机の上に置いた黒の手帳を見た。
「斉藤と明人は一日目演劇部の方に出るんだろ? 明人から聞いてる」
「そ、うなんだけど」
ぐっと手のひらを握り締める。もう、こうなったら土下座してみるしかないっ!
「あ、あのね、堂本くん。その、演劇部の演目、学園物なんだけど……その」
訝し気な表情を浮かべる堂本くんに、私は勢いよく頭を下げた。
「ど、堂本くん、生徒会長役で、劇に出てくれない!?」
「は?」
呆気にとられたような声がした後――二人きりの生徒会室に沈黙が訪れた。
***
「へえ、OKしたのか、明彦」
感心する明人を前に、私はああああ、と頭を抱えていた。
「斉藤先輩っ、生徒会長が劇に出てくれるって本当ですかっ!」
「木村さん」
大きな瞳をきらきらさせた一年生、木村 美登里がひらっと膝上スカートをはためかせながら私の方へと走って来た。ふわりとした天然パーマ猫毛の彼女は、その演技力で何度かヒロインの座を射止めている。
「うん、それはそうなんだけど、条件が……」
「条件なんて、何だっていいじゃないですかー! あの、『氷の貴公子』と呼ばれる生徒会長ですよ!? 成績はいつもトップ、剣道では全国大会出場の腕前、その辺のアイドルなんか目じゃないぐらい美形なのに、いつだって冷静で真面目で、振られた女は数知れずなんでしょう!? そんな会長が出てくれたら、絶対満員御礼ですよ!」
「う」
中二病な通り名が痛い。だけどそれが似合うところが、堂本くんらしい……。
「演劇部の部費アップのためにも、ここいらで注目浴びないとって言ってたじゃないですか、先輩達も。何が問題なんですかー?」
「あの、その、ね」
私は、視線を床に部室の床に向けたまま、小声で言った。
「相手役を――私がやるなら、って」
暫く黙っていた堂本くんは、台本を見せて欲しい、と言った。私が書いたノートを恐る恐る渡すと、堂本君はぱらぱらとページをめくっていた。ちょっと恥ずかしさに負けそうになったけど、堂本くんの表情は全然変わらなかったから、何とかその場に踏みとどまれた。
『……この生徒会長役が俺?』
そうなのだ。いつもクールで表情を崩さない生徒会長が、ヒロインにだけ甘い顔を見せる、って設定、どう考えても堂本くんしか思い浮かばなかった。
『う、うん。堂本くんがイメージぴったりだなあって思って。ど、どうかな?』
ノートを閉じた堂本くんが、私を真っすぐに見た。
『……相手役決まってるのか?』
『ま、まだだけど。多分、後輩の木村さんか、綾部先輩かな。いつもヒロイン役はその二人だし』
木村さんはキラキラ正統派ヒロインが得意だし、綾部先輩は妖艶な美女から悲劇のヒロインまで幅広く演じるし。どっちかだよね。
『……斉藤は?』
『へ?』
私が目を丸くすると、堂本くんが言葉を続けた。
『斉藤が相手役やるなら、引き受けてもいい』
――私っ!?
私は必死に右手を横に振った。
『む、無理だよ、無理無理! 私台本専門だし、舞台に立ったのも脇役でしかないし、背低いから舞台映えしないよっ』
あわあわと慌てる私を見る堂本くんの目は冷静だった。
『斉藤が相手だったら、生徒会の仕事の合間に練習できるだろ。演劇部まで行く時間はない』
『う……』
そう、生徒会長である堂本くんは滅茶苦茶忙しいんだ。剣道部だって副主将だし、時間がないから無理だろうなあって思ってた。
『ここで明人相手に練習してるだろ、たまに。それだったら、俺にも出来ると思うが』
『え!? 堂本くん知ってたの!?』
人気がない時間を狙って練習してたのに! うわああああ、恥ずかしいっ! だから、ここで練習するのやだって言ってたのにー! 明人のばかー!
『自分が書いた脚本だったら、斉藤が覚える時間も要らないだろうし、その分生徒会の仕事も出来る。一石二鳥だろ?』
『で、でも私、華がないしっ、舞台映えしないよっ』
堂本くんの視線がざっと私の全身を見回した。
『地味で普通の女の子役なんだろ。別に華なんてなくてもいいだろうが』
『う』
それ言われるとツライ。そう、今回の話は「何の取り柄もない平凡な女の子が、全女子生徒憧れの生徒会長から溺愛される」という王道ラブストーリー物。だって、観客数動員しろって言われたんだから! 受け狙いだよ! 恥ずかしかったけど、頑張ったんだよ!
『で? どうする、斉藤?』
『……う』
恥ずかしいけど。上手く出来る自信全然ないけど。でも部員数が減ってきた演劇部を盛り上げるためには、動員できる堂本くんの出演が不可欠っ……!
私ははあと息を吐き、『……お願いします』と頭を下げたのだった。
***
「ふうん」
「へえ」
私の説明が終わると、明人と木村さんの両方から意味ありげな言葉が漏れた。
「明人が悪い! 堂本くんに生徒会室での練習バレたのが原因じゃない! だから、やだって言ったのにー!」
うううと嘆く私に、木村さんが「多分問題はそこじゃないですよ、斉藤先輩」と横やりを入れてきた。
「別にいいじゃないですか、それで生徒会長が出演してくれるなら。全女子生徒が講堂に集まりますよ、きっと」
「そうだけど~でも、あの綺麗な堂本くんの隣に並ぶ自信ないよう……」
「別にそんな事求められてないだろーが」
明人が手を伸ばして、いじいじと悩む私の頭をわしゃわしゃと掻き回した。
「ハイスペック王子様と平凡女子の恋、がテーマだろ? お前らでぴったりじゃん」
「他人事だと思って! 真剣に悩んでるのよっ」
私と明人のやり取りを木村さんがじーっと見て、また溜息をついた。
「先輩達がそんなだから、会長焦ってOKしたんじゃないんですか?」
「え?」
私が目を丸くする一方、明人はにやりと黒く笑った。
「恋にライバルは付き物だろ? まあ、勝手に向こうがそう思ってるだけだけどさ」
「性格悪……本当、部長ってふわっと優し気な外見と違って腹黒ですよねー」
そう言った木村さんは、私の両手を取りにっこりと笑った。
「斉藤先輩は、華やかな美人ってタイプじゃないけど、すごく愛らしいんですよ。目だってくりんと大きいし、色白だし、髪もひっつめにくくってるけど、つやつやさらさらストレートだし。こう、かいぐりかいぐりしたくなる可愛らしさに溢れてるっていうか。舞台メイクは私に任せてください! 絶対会長を唸らせて見せますっ!」
「そ、そう? お願いできる?」
木村さんのメイクの腕前はプロ級だ。もうここまで来たら頼るしかない! 私が「師匠ー!」と縋ると、「学校一可愛い女の子に仕上げますから、大丈夫です!」ときっぱり言い切ってくれた。ありがたいなあ。
「よ、よし! 私頑張る! 部費の為に! 演劇部の未来の為に!」
せっかく堂本くんがその気になってくれたんだし、木村さんも応援してくれてるし。恥ずかしいなんて言ってる場合じゃないよね。うん、この際だ。恥はかき捨てよう。
私が拳を天に振り上げると、明人と木村さんがぱちぱちと拍手をしてくれた。頑張ろう、皆の為に!
――やる気に燃え上っていた私は、「本当、こいつ乗せられやすいよなー」という明人の呟きを聞き逃してしまっていたのだった……。
***
『え、か、会長?』
『会長、じゃないだろ。正樹って呼べよ』
『えっ』
『俺も、朱里って呼ぶから』
「~~~~!!!! ど、堂本くんっ!」
私が叫ぶと、堂本くんがセリフを止めた。じっと私の顔を覗き込む瞳に、うっと声が詰まる。
「どうした? 続きは?」
「あああ、あのねーっ!」
近い近い近い近い近いーっ! 顔が近いよーっ! 顔がかああっと赤くなってくるのが分かる。だって今、堂本くんに壁ドンされてるんだよ!? 10cmぐらいしかないよ、綺麗な顔まで! 焦るよ!
私は変更点とか書き込むために台本を持ってるけど、堂本くんは持ってない。一度読んだだけでセリフ全部覚えちゃったらしい。学年一位の頭脳は伊達じゃなかった。だから彼は台本なしで読み合わせをしてて――しかも演技中、だ。
(もう、心臓に悪いっ……!)
間近で見る堂本くんの破壊力と言ったら! 涼し気な切れ長の瞳に、通った鼻筋。薄めの唇はきりっと引き締まってて、もう美しすぎます! 煌びやかすぎて、本当気を抜いたら、くらくらと倒れそうだ。何とか台本を顔の前で広げて誤魔化してるけど、絶対顔真っ赤だと思う。
「その、ちょっと休憩しない!? 台本確認したい事もあるしっ!」
堂本くんは目を細めて私を見下ろしていたけれど、やがてすっと壁から手を離した。うわあ、ようやく一息つけたよ……。はああ、と深い溜息をついた私に、堂本くんの視線が刺さって来た。
よろよろと生徒会室の片隅にあるポットに近付き、紅茶を入れた。確か堂本くんは何も入れない。私のマグカップにはちょっぴり砂糖を入れる。真ん中の長机に湯気の立つマグカップを二つ置くと、堂本くんがその前に座った。私も向かいのパイプ椅子を引いて座り、マグカップに口を付けた。
「ふう……」
あああ、落ち着くなあ。じんわり温かさが沁みてくる。堂本くんも少し飲んでる。あ、眼鏡が曇った。ちょっとカワイイ。
「……あれ?」
落ち着いてくると、何だかおかしい事に気が付いた。私はきょろきょろと辺りを見回した。
「ねえ、堂本くん。他の生徒会メンバーはどうしたの?」
この忙しい時期に何で二人きりなんだろう。首を傾げる私に、堂本くんの視線が飛んだ。
「明人は演劇部、雅章は職員室で川井先生と打ち合わせ、勇と緒方は買い出し、以上だ」
「佐々木くん一人で打ち合わせ? 真央ちゃんと兵頭くんが買い出しって……」
もう一人の副会長、佐々木 雅章くんに、書記の緒方 真央ちゃん、庶務の夏木 勇くん。みんな揃っていないのかあ。書類が溜まるはずよね。練習の間に片付けてるけど、なかなか山が平地にならないもの。
(まあ、練習見られるの恥ずかしいから、ちょうど良かったんだけど)
自分が書いた台本とはいえ、恥ずかしくて仕方がない。こういうセリフも、木村さんや綾部先輩は堂々と口に出すんだものなあ、やっぱり真似できないわ。
私がそう思ってる間に、堂本くんがんーっと背筋を伸ばした。ブレザーのボタンを外してるから、白いシャツの上で臙脂色のネクタイが揺れてる。あのネクタイ、卒業式で争奪戦になるんだよなあ、きっと。
「じゃあ、全部通しで稽古してみるか」
「う」
堂本くんの言葉に、私はぴきっと固まった。全部って事は……最後までやるって事だよね!? 堂本くんの瞳がすっと細くなった。眼鏡がきらりと光った気がする……。
「慣れるためにも練習必要だろ? 俺がセリフ言うたびに、目逸らしてたんじゃな」
堂本くんが手を伸ばして、机の上に置いていた私の台本を取り上げた。ぱらぱらとページをめくった堂本くんは、「この辺りでセリフが詰まって、この辺りで挙動不審になって……」とチェックし始めた。
「うああああ、やめてー! 恥ずかしいからー!」
頭を抱えて悶える私を尻目に、堂本くんのチェックは続いた。
「……最後は」
ページをめくる手が止まった。そう、最後は――あのシーン。誰もいない教室での、キス……。
――完璧な生徒会長がどうして自分に関わるのか、分からない女の子。そんな女の子を教室の隅に追い詰めて、腕の中に閉じ込める生徒会長。そっと眼鏡を外した彼は、真っ赤になった彼女の耳元で「君が、好きだ」と囁き、そのまま唇を重ねる。
びっくりして身動き一つ出来ない彼女に、再びキスをする彼。いつの間にか、彼の熱に溶かされる彼女。そうして、二人だけの甘い時間が過ぎていく――
……って、ラストだけども!
(誤解、解いとかないとっ!)
「あああ、あのね! これって、フリだから! 堂本くんの唇を奪おうなんて気、さらさらないからっ!」
キスを強要されてるなんて、思われたら大変だ。堂本くんファンに暗殺されるっ! 私は違うの、とぶんぶん首を横に振って、必死に言葉を続けた。
「だ、だから、その、気を楽にしてっ」
堂本くんの表情は全く動かなかった。
「気を楽にするのは、斉藤の方だろ? 声上擦ってるぞ」
あ、ぜいぜいと息が荒くなってた。顔も熱くなってる。やだなあ、もう。両手で頬をぱちんと叩いた。正気に戻れ、私っ。
「先にこのシーンから行くか。一番緊張するシーン先にやった方が気が楽になるだろ?」
「え」
キスシーンから!? 一番の見せ場で――一番の難関。ああ、でも確かにこのシーンさえ済ませちゃえば、後は何とかなりそうな気もする。でも。
「う、あ、そ、そう、かな」
私が押され気味に声を出すと、さっと堂本くんが立ち上がった。
「とっとと済ませるぞ」
「へっ」
目を見開いた私に、堂本くんが――にっこりと笑った!? 私の心臓に巨大ハンマーが打ち下ろされた。ぐはっ。滅多に見ない笑顔に、私の精神力はもう0になってしまった。
「練習するんだろ? 斉藤」
眼鏡の奥の瞳の眼力に、身体が強張った。あ、だめだ、逆らえない。逆らったらだめだ。堂本くんに操られるまま?、私の首はこくんと縦に動いた。
***
生徒会室の奥、カーテンを閉めた窓のすぐ横の壁に――私は背中をくっつけていた。見上げると目の前に綺麗な瞳。堂本くんは右肘を私の顔のすぐ横の壁につけていて――そう壁ドン状態になっていた。
(うきゃああああー! 近い近いーっ!)
内心悲鳴を上げながらも、私は必死に顔を上げた。まともに目と目が合う。じっと私を見下ろす視線に、息が止まった。は、迫力がっ……!
(セ、セリフ言わなきゃっ)
「か、会長?」
声が震える。演技してる訳じゃない。身体も小刻みに震えてる。そんな私に気が付いたのか、堂本くんがふっと笑った。
「会長? まだ正樹って呼べないのか?」
「だっ、て……どう、して」
ごくんと喉が鳴った。何とか声を絞り出す。
「どうして、会長は私、なんかを」
見上げる口元が綺麗な三日月になった。顔がゆっくりと近付いてくる。
(ひゃあ!)
頬に息が当たった。びくっと肩を震わせると、堂本くんの喉元が少し動いた。耳元で低い声が聞こえた。
「君が、好きだから」
「~~~~~!!!!!!」
どくどくと脈打つ音が耳を支配する。鎮まれ、心臓っ! ど、堂本くんは演技してるだけだから! 声がいつもより甘くても、演技だからっ!
「そ、そんなの、おかしいです。だって、私何の取り柄も……っ!?」
長い人差し指が私の唇を押さえた。唇に当たる指の感触に、言葉が本当に出なくなる。
「それ以上は聞きたくない。君は俺の言う事を聞いていればいいから」
一度軽く私の唇を押した指が離れ、そのまま銀色眼鏡のレンズ枠に触れる。流れる様な動作で眼鏡を外し、上着の胸ポケットに仕舞う堂本くんに、思わず目を奪われた。
(きれいな……瞳……)
こんな間近で眼鏡なしの堂本くんを見た事はなかった。本当に綺麗。頬が熱くなって、頭がぼうっとして、何も考えられなくなった。
「君が、好きだ」
はっきり聞こえた告白の言葉。セリフだって分かってても、胸が痛いくらいどきどきしてる。
一度顔を上げた堂本くんは、じっと私の顔を見た。そして、ふっと口元に笑みを浮かべたかと思うと、堂本くんの頭が下がった。
(うわわわわわっ!)
本当に目を開けていられない。ぎゅっと目を瞑る。このまま待ってれば、キスのふりをした後、堂本くんが離れるはず――!?
「……んっ!?」
ふわりと柔らかな感触が唇に当たった。え、と思う間もなく、また唇が塞がれた。軽く触れては離れていた温かな感触が、ぺたりと唇を覆った。このゆるりと動いてるのって……まさかっ!?
(くっ、唇ーっ!?)
「んんんんんーっ!?」
慌てて首を横に振ったけれど、すぐにまた捕まえられてしまう。下唇にちりと刺激が走った。びっくりして口を開くと、生温かいモノがするっと滑るように私の口の中に入ってきた。
「んっ!」
ししし、舌ーっ! 舌が捕まってるーっ! 舌が舌で擦られる感触に、どくんと心臓が跳ねた。感触が生々し過ぎるっ……!
「んんんっ、はっ、んんんんーっ!?」
堂本くんの舌が 歯茎をねっとりと舐めまわす。私の唇を挟んだ彼の唇は、まるで食べ物を食べてるみたいな動きをしてる。ちゅくちゅくと唇から音がする。息が出来ない……!
「ふ、うんんんんんーっ!」
思い切り舌を吸われた後、やっと唇が離れた。
「ふはっ! けほっけほっ」
さささ酸素ーっ! ぜーはーぜーはと肩で息をする私の左の耳たぶが、ぱくと食べられた。
「ひゃああああ!」
びくんと身体が揺れると、くすくすと笑う声がした。
「何度でも言う。君が、好きだ」
耳元にふっと息を吹き掛けられた私は、またひゃああっと身をすくめた。
「どっ、堂本くんっ!?」
頬が熱い。まだ演技続けてるの!? どうして私に、キ、キ、キ……
言葉の出ない私を見下ろす堂本くんの瞳は、どても甘くて優しくて――そして、怖かった。
「好きだから、に決まってるだろ」
「え」
ぽかんと口を開けた私に、ちゅ、と音を立てて軽くキスをした堂本くんが、さらりと言った。
「斉藤が――涼香が、好きだから」
「え」
好き? 好きって……堂本くんが、好きって……!?
(……私をっ!?)
「えええええええええええええっ!?」
思い切り叫んだ私は、堂本くんの腕の中に閉じ込められた。堂本くんの身体も熱い。私の顔も熱い。全力疾走した後みたいに息が荒い。
(なんで!? どうして!? いつから!?)
混乱する私の耳に、また堂本くんが甘く囁いた。
「何度でも、涼香が信じるまで言う――君が、好きだ、と」
「☆&%$△○*~~~!!!!!」
かっと全身が熱くなった。頭の中が真っ白。許容量を超えた私の身体は、へなへなと崩れ落ちるように力が抜け――そしてそのまま、私は意識を手放してしまったのだった。
***
――んで。
どのくらい気絶していたのか。ふと気が付いたら――堂本くんに横向きにお姫様抱っこされて、軽くキスをされていた。
「んきゃああああああっ!」
思わず悲鳴を上げて逃げようとした私に堂本くんは、「また口を塞がれたいか?」と黒い笑みを浮かべた。身の危険を感じた私は、身体を丸めて小さくなった。
「ううう……」
涙目で見上げると、「あ、その目ヤバ……」と口元を押さえ、明後日の方向を向く堂本くん。何がヤバイのかは知らないけど、恥ずかしいよ、今の姿勢! 私膝の上にいるんだよ!?
「おっ、下ろしてっ」
堂本くんがすっと目を細めて私を真っすぐに見下ろした。眼鏡なしの視線は怖いー!
「さっき言った事は本当だ。俺は涼香が好きだ」
「んがああああああっ!?」
また意識が飛びかけたよ! 突然攻撃しないでーっ! (多分)真っ赤な頬でうぐぐと唸る私に、堂本くんはさらりと言った。
「で? 涼香は俺の事、どう思ってる?」
「ど、どうって」
そりゃ、憧れてたよ! いつも冷静で、有能で、勉強だってスポーツだって出来て。私と同じ人間だなんて信じられないくらいなんだから。
(う、でも、こんな強引な人だとは思ってなかった……)
「明人は?」
「はあ?」
私は目を見開いた。何でここに明人が出てくるの? 首を傾げた私の顔に、堂本くんの顔が近付いてきた。んきゃー! 息が頬に当たったっ! 堂本くんが唇を私の左耳に寄せた。
「明人の事、好きなのか?」
「は、い!?」
耳元でそう囁かれ、目が点になった。私が……明人を?
「あの、明人は幼馴染で、幼稚園からずーっと一緒で。家族みたいなものだし、それに」
お互い知った仲だから、遠慮とかないけど。恋愛とかと全然違うし。
「明人が好きなのは、私のおねーちゃんだよ。年上が好みなんだって」
「え」
ぽかんと堂本くんの口が開いた。そんな間の抜けた顔、初めて見た。私がまじまじと見えると、堂本くんがふっと視線を逸らして、ぽつりと言った。
「……あいつ」
「?」
えーっと? もう、膝の上から下ろして欲しいんだけど。ゆっくりと身体を半回転して足を下ろそうしたら、堂本くんの腕に力が入り邪魔されてしまった。
「あの、堂本くん? そろそろ皆が来るんじゃないかなーって」
だから、離れようね。そう言おうとしたら、とても素敵な笑顔が返ってきた。
「あいつらは当分来ない。俺が涼香を落とすまで来るなって言ったら、こころよく了解してくれた」
「えええええええっ!?」
皆グルなの!? ひどい! 逃げられないじゃない! どうするのよ、この状況ーっ!
じわりと伝わってくる堂本くんの体温が熱い。ゆっくりと堂本くんの顔が近付いてくる。
(きゃああああ! 近寄らないでーっ!)
「だから」
にっこりと間近で笑う堂本くんがコワイ。背筋がぞくぞくする。あわあわとうろたえる私の唇に、また堂本くんの唇が落ちてきた。
「涼香が俺と付き合うって言うまで、このままだけど」
「~~~~~~!!!!!!!」
――んきゃあああああ! 唇と唇がくっつきそうな距離でしゃべらないでーっ! 心臓が破裂するっ! もう、やだあっ……!
追い詰められた私に出来る事は、ただ一つ。
「つつつつ、付き合うからあ! だから、もうちょっと離れてーっ!」
私の必死な叫びが生徒会室に響き渡り――一瞬目を見開いた堂本くんは、ちゅ、と音を立ててキスをした後、ようやく私を解放してくれたのだった……。
え、劇がどうなったかって? やりましたよ、私と堂本くんで。観客席は超満員。堂本くんがセリフを言うたびに黄色い悲鳴が上がってた。私の方には、尖った視線がばしばし飛んでいたけどね!
そして、ラストシーン。フリでいいって言ったのに、堂本くんはしっかりキスをしてきた。凄まじい歓声と悲鳴の中、私の意識が再び飛んでしまったのは、仕方がないと思う。
この日から、私たちは全校生徒公認のカップルになってしまい――平々凡々だった私の高校生活は、人目構わずべたべたに甘やかす堂本くんや、殺気にまみれた堂本くんファンから逃げ回る刺激的な毎日になってしまったのだった。まる。
***
おまけ
俺の腕の中で、涼香の頭がくてっと傾いた。覗き込んでみると、真っ赤な顔をした涼香は、完全に気を失っていた。
「……全く気が付いてなかったのか」
はあと溜息をついた後、少し開き気味の唇にまた唇を重ねた。やっと手に入れた涼香の唇は、柔らかくて、甘くて、思わず唾液ごと全部、舐めとってしまいそうになる。
「もう逃がさないからな」
涼香を抱き上げて、生徒会長席に座る。彼女を膝の上に乗せ、横抱きに抱えたまま、俺は彼女の温かさと柔らかさを味わいながら、彼女と初めて会った時の事を思い出した。
二年生の一学期、生徒会会長に選ばれた俺は、副会長に同じクラスの宮野 明人を指名した。明人は俺と違って人当たりがよく、顔も広くて色んな伝手を持っていた。あいつならサポートしてもらえるだろう、そう思って頼んでみたところ、二つ返事で了承してくれた。その時、明人は『生徒会メンバーにぴったりの奴を知ってる』と言って、彼女――斉藤 涼香を連れて来たのだった。
涼香は、零れ落ちそうなくらい大きな瞳の女の子だった。さらさらの髪を二つにくくり、にこと笑う笑顔が可愛かった。小さな身体であちこち歩き回り、会計の計算も早くて正確だった。それまで俺を追い掛け回していた女子生徒とは違い、涼香は俺に対する態度も他のメンバーへの態度も全く同じだった。くるくる変わる涼香の表情を見ているだけで癒された。
……ただ涼香は、明人にだけは、妙に親し気だった。幼馴染で部活も同じ、仲が良くてもおかしくない。だが、どこかもやもやしたような感覚が抜けなかった。
仲良く遠慮なく話す二人を見て、胸に鈍い痛みが走るようになった。二人に気付かれないよう注意していた俺は、更に仏頂面になっていたらしい。涼香の態度がどことなく遠慮気味になり、その事を寂しく思う自分がいて――だが、二人が付き合っているのなら、仕方がない。そんな事を考える自分に驚いた。
そう、いつの間にか。本当に、いつの間にか。
あの大きな瞳で俺を見つめて欲しい、明人のように話しかけて欲しい、そう願うようになっていた。
そんな時だった。涼香から『演劇部の劇に出て欲しい』と頼まれたのは。台本をぱらぱらと斜めに読んだ俺は、最後のシーンに目を止めた。
生徒会長がヒロインに迫り、キスをするシーン。どうせフリだろう――と思った俺に、ある考えが浮かんだ。
――このヒロインが涼香だったら? それなら、台本通り堂々と彼女に迫る事が出来る。そして――
俺は逸る気持ちを抑えながら、半ば強制的に『相手役を涼香にする事』を条件にした。涼香は目を真ん丸に見開いて驚いていたが、最終的には首を縦に振った。いや、振らせた。
そして練習の日。俺は、生徒会メンバー全員に用事を作らせ、『連絡があるまで生徒会室に近寄るな。涼香を落とすから』と厳命したのだった。
明人はにやりと不敵に笑い――俺に言った。
『あいつ、手ごわいぞ。お前に落とせるかどうか、見物だな』
その言葉に内心かっとなった俺は、絶対に落として見せる、と誓った。結果としてかなり強引に彼女に迫った気はするものの、ようやく『付き合ってもいい』と言質を取ることが出来た。
きゅう、としぼむように気を失った涼香。俺の腕の中の、可愛い獲物。真っ赤な頬に、ぽてっと腫れた唇。我慢出来なくて、また唇を重ねると、柔らかくて甘い感触がした。
「もう――逃がさない」
今は彼女の気持ちと俺の気持ちには、温度差がある。だが、そのうち、同じところまで堕としてやる。俺がいないとダメになるくらい溺れさせてやる。俺はとっくに涼香に堕ちているのだから。
「君が、好きだ」
台本のセリフを涼香の耳に囁いた俺は、「ん……」と身じろぎした涼香に、またキスをした。




