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第6章 変なこと 口走っちゃった どうしよう

 黒獅子党つぶしから、10数日はたっていた。私とシエラは相も変わらず、ディレイルの書類運びをやっている。そうして、前宮殿の料理担当官長の料理に辟易してしまうのも同じだ。さらにフラウト・トラヴェルソもやっている。ずっとシエラが吹くのを聞いて、合わせて楽譜を読むだけだったのだが、8日くらい前に私用の楽器が届いて、本格的に練習が始まったのだ。

 今日は、ディレイルと一緒に、州議に参加した。変わらず、アルフレッド閣下は参加していない。バルバラ様もまた、付き添いのため、いなかった。私は玉座脇に立って、会議の様子を見る。

 「今日は、各町の復興割り当てより始める。意見のある者は述べよ。」

 ディレイルがそう言って、始まった。スッと手が上がる。文官長のキース・ハーラントさんだ。

 「恐れながら、私に案がございます。州都、その他の町より、税収が安定してはいるようにもなってきましたので、ここは1つ、税収もままならない全町に配分するのではいかがでしょうか?」

 さらに手が上がる。今度は、アマンダさんだ。

 「文官長、それはあまりにも無謀ではないかと思います。確かに一部の都市からの税収は安定しておりますがまだ少ない状況です。それで全町に配分では額も微々たるものになってしまい、十全になりません。ここは、特に荒廃を被ったところに重点的に援助していき、軽微な損害のところは自力復興してもらうことにした方がようございます。」

 しばらく全員で話し合う声が響く。ディレイルはその光景を黙ってみている。次第に話し合いが白熱してきた。熱くなっているのはそれぞれの意見の第一発言者たちだった。2人に支持する人が囲んでいた。なんか、日本にいたときにたまたま見た、紛糾したときの国会中継みたいだな……と玉座脇で思った。

 「皆、言いたいことは分かった。このままではどちらも伯仲していて、決まらぬ。……ミレイ、お前はさっきから発言していないが、どちらの意見に理があると思う?また、代わる意見があるか?」

 いきなり私に振られた。個人的な想像にふけっていた私は、少しうろたえた。少し考える。

 「えっと……、お2人以外の案は思いつきません。ただ、どちらに理があるかと聞かれると……。文官長には申し訳ないのですが、州都長官に賛成したいと思います。」

 私の言葉で一瞬、州議が静まりかえった。「理由としては、州都長官が先ほどおっしゃったとおりです。現在の税収では、全町に支援を行うには少なすぎ、それだけで使い切ってしまい、他に使えなくなってしまう点、十全に支援もできないことです。」

 「ミレイ殿に賛成いただけて、よかったですわ。」

 アマンダさんが一礼しつつ、優雅に笑んだ。文官長は少し悔しそうだ。でも、州都長官の意見にうなずけるところがあったのでしかたない。

 さらに軍備拡張、経済政策について話し合われ、終わる。ディレイル、シエラ、私とで執務室に向かう。

 いつものように書類を届けていく。その途中――

 「ねえ、シエラ。」

 気になっていたことをぶつけてみる。

 「え?」

 「アマンダさんとキースさんって、仲悪いの?」

 シエラが目を見開く。こんなことを聞かれるとは思っていなかったのだろう。

 「え?な、なんでそんなことを……?」

 分かりやすいくらいに動揺している。目が泳ぎまくっている。

 「だってさっきの州議、主にアマンダさんと文官長とで言い争うことが多かったじゃない。しかも政策云々じゃないところまで発展してたし。」

 「……」

 しばらく黙っている。

 「まあ、そうね。というのも、今のネルブースの政界って、アマンダさんとキースさんの派閥に大きく分かれちゃっているのよ。ちょうど半々くらいの人数になっているから、決まらなくって……。」

 完全に日本の国会じゃないか……。

 「どういう感じに分かれているの?」

 「うーん……、基本的には文官で分かれているのよ。軍人はその時々で賛成できる方に賛成しているという感じ。ちなみに文官だけどラウラさんはどちらの派閥でもないわ。調整役に徹しているわ。」

 聞くと、財務局長、副官の1人、修築局長、副城主総代、アレキサンドルさんはアマンダさん派、州務局長、城主総代、武官長、エドゥアルトさんはキースさん派なのだそうだ。他はいわゆる“無党派層”というやつで、賛成できる方に賛成しているという。

 「じゃあ、軍人はまったく派閥争いに関係してないの?」

 「ううん、一部の軍人は加わっているの。たとえば、兵士長はキースさんについてて、コンスタンツさんは、どちらでもないのよ。」

 「ふーん……。ジェラルドさんはどうなの?」

 「どっちかっていうとアマンダさんなんだけど、完全に派閥に入っているわけではないわ。」

 勢力図的に言うと、若干アマンダさん不利というところか。私としては、勉強を教えてもらっていることもあって、アマンダさんに有利になってほしいのだが、まあ、そういうわけにもいかないだろう。

 しっかし、こんな時代にも、派閥争いがあるなんてね。もっとも、世界史の先生が言っていたけど、16世紀のイングランドでも、主流派、反主流派程度の派閥はあったって言ってたっけな。まあ、それ以外に分かれていないようだから、日本の国会よりかはましだろう。

 そんなことを考えていると、ディレイルの執務室に戻ってきた。すると、いつものように猛スピードで処理をしていたディレイルが、

 「ああ、ミレイ、シエラ、ちょうどいいときに戻ってきたな。そろそろ一段落つくから、またもう1回行ってきてくれないか?」

 と、言った。私たちはうなずく。「よし、これで半分終わった。とりあえずこれで持っていってくれ。ただ、2つだけ言うことがある。まず、この、官吏、武官への俸禄のことについては、この後当分の間、今までのままで行くことを、財務局長に伝えておいてくれ。それから、このカルプブルクの商業振興策についての書類だが、もう1度練り直してこいと伝えろ。その時にこう言い添えることも忘れるな。『こんなものがよく俺を通せると思っているな。こんな水ダダ漏れの計画では、とてもではないが裁可を出すわけにはいかん。10日間だけ待ってやる。その間にもう1度練り直してこいこの海綿脳みそ。』とな。」

 「……」

 ドカリと書類を手渡された私たちは、何も言うことができずにディレイルの執務室を出た。いや、言おうと思ったのよ。だけど、相手が書類を渡し終えたら、もう話は済んだとばかりに仕事に戻っちゃったから、言おうにも言えなかったのよ。書類の束が重く感じられてしまうのは、何も書類の重さだけのせいではないと思う、絶対。とにかく、カルプブルクの商業振興策を出した人へは後回しにして書類を届けていった。いの一番に訪ねた財務局長は、

 「そうですか、ディレイル様がそのようなことを……。まあ、出した私が言うのもなんですが、十中八九、そうなるのではないかと思っていたのですよ。……分かりました。下官たちには私の方から説明しておくと、ディレイル様にお伝え下さい。」

 と、言ってくれた。それから私たちは、裁可済みの書類を各所に届けていった。そして最後に残った書類、さて、あの人のところだ。

 「ねえ……、あの言葉、一言一句違えずに伝えなくちゃいけないのかなあ……?」

 私は聞く。アレを全部伝えなくてはならないとすると、ものすごく気が重い。……え?特にどこの部分かって?もちろん最後の“海綿脳みそ”よ。

 「少しくらい省略したって大丈夫よ。」

 と、そんな私にシエラが答える。……ていうか、シエラは言ってくれないのね……、とは心の中での声。

 「いくらディレイル様でも、こんなところでまで聞き耳を立てているとは思えないわ。」

 とも言った。そうは言ってくれるのだけれど、私にはやっぱり気が重かった。そして、ディレイルがああ言うくらいだから、内容が気になり、パラパラと見てみた。すると、確かに穴が目立つような気がする。……確かにこれでは通るわけがないよな、ディレイルでなくとも……と思ってしまった。

 結局、発案者当人には、“海綿脳みそ”以外の言葉をそのまま伝えてしまった。それを聞いた途端、本人が声にならない悲鳴を上げたのを、私とシエラにははっきりと見ることができた。ああ、却下されたのが、よっぽどショックだったのね……、とは思ったが、どうにもかける言葉を見つけることができなかった。

 戻ってみると、今日まで裁定期限になっている書類全てに裁可非裁可練り直しの印を捺し終えたディレイルがいた。それを全て届けてきたら、休憩にしようと言ってくれる。私とシエラの2人は、喜び勇んで書類を届けに行った。


 私たちが戻ってみると、すっかりとディレイルの机は片付いていた。確かまだまだ書類がたまっていたはずだけど……、と思ったが、どうも他の人にも担当部署のものであれば持っていかせたらしい。そこで私は、執務室に備え付けられていた茶器(中世ヨーロッパ風の世界なのにこんなのがあるんだ……と、私は心底感心していた)でお茶を入れる。入れてみると、向こうの緑茶とほとんど同じ色、味、香りだった。これが向こうと同じ茶だとしたら、近いところで作られている、ということなのだろう。その様子を見ていたディレイルは、意外だ、というように私を見ている。さらに飲んでいくとその度合いが強まる。

 「……どうしたの、ディレイル?そんなに私を見て?そんなに見られていると、やりづらいんだけど。」

 と、聞くと、

 「いや……、あんなに武闘派なお前が入れた茶だからな。てっきりまずい茶を飲まされるものだと思っていたんだが、うまいな。」

 なんて言いやがった。それを聞いた私は、何気なさを装ってコトリと茶器をテーブルにおいて、にっこりと笑って鉄扇を取り出し、構える。

 「クスクス……。正直に言ってくれてありがとうディレイル。……でもちょっと納得できないところもあるから、一発殴らせてね。」

 そう言いながらジリッ、ジリッとディレイルに詰め寄る。ディレイルはといえば、助けを求めようとシエラを見るが、彼女もどうすればよいか分からないようだった。そういったことには一切お構いなく、私は鉄扇を振りかぶって殴りかかった。しかしさすがにディレイルはこのウェルディ州の次期領主なだけはあり、簡単に殴らせてはくれなかった(チッ……)。

 「ちょ、ちょっと待て、ミレイ!ここはれ、冷静に、な!話し合おう!話せば分かる。」

 ここでプチン、と何かが切れた。私はカッと目を見開き、

 「問答無用!」

 と叫んでいた。

 ……5.15事件かよ!というツッコミを内心では期待していたのだが、そんな単語、事件を知っているのは、今のこの場には私しかいないわけで……。ツッコミもされないままで、さらに私は殴りかかる。……セルフツッコミはしないわよ、空しくなるから。ネルブースにたむろしていた破落戸をものした一撃をすんでのところでかわすと、近くにおいてある剣をとって、続く第2撃をさやで受けてそのまま流す。そうして何度も何度もいなし、かわしていく。それが何回か続いた後、私はニッと口の端を上げ、自分の中で最低温度の声にして言う。

 「へえ~~……。ディレイル、あくまでも殴らせてくれないつもりなんだあ~~……。」

 「あ、当たり前だ。そんなものを頭に受けてみろ、よくて失神、悪くてあの世行きだ。」

 この時のディレイル、まさか妙に間延びした声が怖かった……なんて絶対に言えない、と思っていたという。だけれども私はそんなことを知るよしもない。もう無心になって、殴りかかっていたからだ。

 けれども、ずっとこうしていても、らちがあかない。そう思った私は、一計を案じた(といってもそんなに大したことじゃあないんだけどね)。なんということもない、打ち合っているさなかに急に体を沈めただけのことだ。パッと目の前から今まで打ち合っていた相手と得物が消えたことに?マークを浮かべていたディレイルだったが、それはすぐに!マークに変わった。さらにその一拍後には、脇腹を押さえてうんうんと悶絶していた。私が、少し動きが止まったディレイルの隙を突いて、鉄扇で彼の脇を思い切りぶったたいたのだ。私は、うなっているディレイルを尻目に、戦いが終わった後の剣豪よろしく、余韻たっぷりに鉄扇を上着の内ポケットにしまいこむと、

 「……ま、一発だけ、ということだったからね、……本当は顔面がよかったんだけど、これでよしにしておくわ。」

 と、言った。


 「……み、ミレイ……、本気で殴りすぎだ。」

 あれから数分、まだ脇腹を押さえてうんうんうなっているディレイルが言った。私はというと、椅子に座り、優雅に茶を飲みつつ、

 「……こういうものって、本気でやるものって相場が決まっているでしょ?」

 と返す。

 それにしてもこのお茶、本当に味も色も、そして香りも向こうで飲んでいたものと何ら変わるものがなかった。本当にどこで作られているのかしら……。あるいは、形、味、色、香りが似ているというだけで、実は全くの別物なのかもしれない。シエラは、そんな私たちを心配そうに見ている。

 「うむむむ……しかし、」

 ディレイルは、うなりながら言う。「俺はとても悔しい。そりゃあ、いろいろと武術をやってきていたとはいえ、17の娘に俺が負けるとはな。……よし、決めたぞ。」

 力強く言うと、すくっと立ち上がり、びしっと人差し指で私を指したのだ。さっきまで脇腹を押さえてうんうんとうなっていた男とは全く同一人物とは思えないようなその気迫に、勝利者気分を味わっていた私は、思わずひるんでしまった。

 「絶対に、俺はお前を負かせてみせる。その時を覚悟して待っていろ、ミレイ!」

 と、高らかに宣言したのだった。……あちゃー、私全然そんなつもりなんてなかったんだけどなあ……。どうやらさっきのことで、ディレイルを本気にさせてしまったようだ。多分、というか絶対に、その決意、宣言はすぐに現実のものになるだろうということは、私にもすぐに分かった。さっきわたしが彼を殴ることができたのは、彼にできた一瞬の隙を突くことができたからだ。さらには、いきなり私の方からかかっていって、防戦一方になっていたことも要素の1つになっていただろう。ただし、その防御のやり方も、激していた私から見ても、理にかなったものだった。

 それを言おうかとも思ったけど、どうせ引きずり下ろされてしまうような勝利者の椅子だったら、最後までとことん座っていてやれと、すんでの所で思い直した。なんどえ、余裕たっぷり(なように見える)微笑をひらめかせて、(……まあ、内心は心臓バクバクものなんだけど、さっきから)

 「そう……じゃ、楽しみにしているわ、その時を。」

 と言った。互いに(とはいっても、一方の側に片寄ったものだけれど)武芸の好敵手と認め合った瞬間だった。


 「しかし、ミレイは本当に強いな。ここに来た初日のことといい、今のといい。」

 茶を飲みながら、ディレイルが言う。

 「まあ、向こうでいろいろと手を出していたからね。」

 と、私は答える。「ほとんどは、親のすすめだったのよ。そんなんだから長続きしなかったものもあるんだけど。護身術はかなりやっていたわね。みんなも見ていた鉄扇から始まって、それから柔道――まあ、体術みたいなものよ――が加わったのよ。あと、弓もやっていたわね。それと、あまり自信はないけど、剣道も少しやっていたこともあったわね。」

 「え?そうだったの?でも確かこの前、剣にはあまり自信がないって言ってなかったかしら?」

 シエラが小首をかしげながら聞く。

 「あのね、剣道っていうのは、……うーん、なんて言えばいいのかなあ、純粋に剣術を鍛えるっていうわけじゃあないのよ、うん。まあ、精神修養みたいなものと思ってもらっていいかしら。」

 「“精神修養”といってさっきのことか?」

 すぐに私は、笑みをディレイルの方に向ける。別に私は地獄耳というわけではない、誤解のないように言わせてもらえば。ただ単に目の前10数センチのところでしゃべれば、どんなにその声が小さくても聞こえてしまうというものだ。しかし、このときのディレイルとシエラには、私の背後に黒いものが見えていたとか見えていなかったとか……。

 「い……いや、何でもない。」

 目をそらし、口ごもりつつも、彼はいった。私はさして追求せず、

 「そう。」

 とだけ言った。そして、さっきの話の続きに戻る。「だからね、剣でシエラと勝負したら、私は負けると思うのよ。」

 「はあ……。」

 「それじゃあ……、ミレイはいろいろと武術をやっていたということは分かったが、他には何かやったことがあるのか?」

 「そうねえ……。」

 私はしばし考え込む。「……まあ、さっきのことがあった後で言うのも何だけど、料理は割と自信があるわ。あと、2年前くらいまで、音楽もやっていたわね。」

 「ん?音楽か……。楽器は何をやっていたんだ?」

 「トランペット」

 「と、とらんぺっと?」

 ディレイルとシエラが面食らったような顔と声で同時に聞く。私はもっと簡単に言い換える。

 「ラッパよラッパ。」

 そう言うと、2人にもようやく分かったらしい。数回2人してうなずき合っている。

 「ああ、ああ。……そうか、あれか。ということは、ミレイのいた“日本”とやらには、兵士を養成するための場所があるのだな?」

 ?え?なんでそういう方向に考えがいってしまうのか分からない私は、ただ首をかしげるばかりだった。さらにシエラが、

 「ミレイはそこで訓練を受けていたんだね。」

 なんて言ってくる。あれー?なんかすっごく勘違いされているんだけど……。あ、まさか、こっちではラッパは軍隊でしか使われていないのかな……。だから、こんな風に思われているのか?

 「違う違う。私は普通の高校2年生の17歳よ。……そんな特別な学校になんか通っていないから。……まあ、兵士を養成する学校みたいなところならあるっちゃああるけど、日本の兵士って、別にそこに通わなくてもなれるのよね。……ていうかそもそも、そこに住んでいる人が必ず兵士にならなきゃいけないっていうわけでもないのよね。」

 「コウコウ?」

 またもディレイルとシエラが同時に聞いた。今度は私は、日本における小学校から大学、専門学校までの教育がどのようになっているのかとか、それぞれの入学試験に関する現状――たとえば、高校以上と小、中学校の入試の違いについて――と、就職氷河期となっている日本の現状を説明しなければならなかった。……2人に説明してみて、ここまでできる私に驚いた。“自分で自分をほめてあげたい”某元有名女子マラソン選手の言葉が脳裏によぎるほどだった。

 「ほう……そうだったのか……。大変だったのだな、ミレイは。ううむ……“おじゅけん”ねえ。俺はそんなに早くから子の将来を決める必要はないと思うのだがなあ……。」

 しみじみとした調子でディレイルがつぶやいた。

 あ……。ディレイルは、この辺境伯家の嫡男として生まれたから、ここを継ぐ以外の選択肢がないんだ……。すると、思いついたように聞く。

 「そうか……。そういうところに通う子供たちというのは、俺のように、親の仕事を継ぐとか、そういうものなのか?そのためにある特別な教育を受けるのか?」

 私は首を振る。

 「ううん、そうじゃないわ。普通の市井で働いている人の子供たちも働いているわ。ていうか、親の仕事を継ぐわけじゃない子供の方が、多分多いと思うわ。」

 「……」

 ディレイルはしばらく黙っている。「なあ、ミレイ……。これはお前が元いた世界のことを全く知らない、俺の勝手な考えだということを承知で聞いてほしいんだが……。人には必ず、子ども時代がある。その時には子どもらしく過ごすのが1番だと思っているのだ。学びだけで費やしてしまうのは、とても惜しいものが、子ども時代にはあると思っているのだ。」

 と言った。私もうなずく。

 「うん……うん……。ディレイル、私も同じ考えだよ。私も、小中学校から、私立に行くというのがよく分からないのよ。……本人が納得しているのなら別に構わないんだけどね。なんでわざわざ早い時間の乗り合い車に乗って――しかも満員の混んでいるものよ――くたくたになって行くのかなあって。」

 3人でしばらく黙る。ディレイルが話題を戻す。

 「……で、さっきのことに戻るが、お前がいたところの軍隊というものは、どういうものだったんだ?やはり、剣と槍、盾、弓矢、そして騎士の戦いなのか?我がウェルディ軍9万5千人と戦ったらどうなる?」

 え?いやいやいや、あんたら絶対負けるから!スペイン人と戦ったインカ兵のように大敗するから!つーか全滅だから!それでも私は言葉を選びつつ答える。

 「うーん……。私がいたところの兵士っていうのは、簡単に言っちゃうと、大砲のようなものを使うわね。兵士1人1人は、剣とかじゃなくて、大砲を小さくして、持ち運びできるようにしたものを使うのよ(……ていうか、鉄砲や機関銃、自動小銃のことを、“大砲を小さくして、持ち運びできるようにしたもの”という説明で合っているのかなあ……?)……まあ、この大砲っていうのをいろいろなところに使っているわね。車に取り付けたり、船に取り付けたりね。あとは爆弾も使うかしらね(飛行機のことは伏せておいた)。だから、ディレイルとシエラの誇りを傷つけてしまうようで悪いんだけど、ウェルディ州軍……、ううん、この国全ての軍隊で立ち向かったとしても、“日本”には負けちゃうと思うの。……というよりも、向こうが何か大きなへまをしない限り、こっちが勝つなんていうことはまずないと思っていいわ。」

 私は、ディレイルとシエラが怒りだしてしまうことを承知で、そう言った。……だって、自分たちが今までずうっと住んでいて、一番よく知っている国であり、州だもん。それが、名前も聞いたこともなかったような国に負けるって言われているんだから。普通だったら、

 「そんな馬鹿げたことを言うな!」

 とか何とか言われても仕方のないことだった。しかしディレイルはじっと黙って考え込んでいる。

 「うん……、そうだな。それなら、こっちが負けてしまうな。」

 と、やがて言った。「しかし、ものすごく魅力的ではあるな。もしも、もしも開発することができれば、我がウェルディ州、ひいては我らがブルグリット王国軍は――」

 「やめた方がいい。」

 私は、我知らずディレイルの言葉を遮って、ぽつりとつぶやいていた。……え?私、何言ってるの?戸惑う間もなく、私の口から言葉が次々とこぼれていく。

 「……“日本”の軍備は確かに優れたもの。だけど、その軍備は、兵士が自分の手で、敵を倒すものじゃあないのよ。少なくとも、倒される相手の顔が見えるものじゃないの。……戦い、戦争っていうのは、倒す者、倒される者という関係でしょ?倒す者には、倒される者の命の重さ、大きさが分かっていなければならないと思うの。……でもね、“日本”の軍備には、そういったものがないのよ。相手を1人の人間ではなくて、ナンチャラ国という国、軍隊という“組織”の中の単なる1人として見てしまうのよ。……私はこう思っているの。自分の手で倒すからこそ、相手の命の重さが分かるんだって。……もしもそんなものを開発しちゃったら、戦いの中で命の大きさなんか分からなくなっちゃって、自分の欲望のために、戦争を何回でもするようになってしまうと思うわ。……そうは思わない?“兄様”?」

 終わると、またはっと意識が戻ってくるような感覚がする。と、ディレイルとシエラが目を丸くして私を見つめていることに気がついた。え?何か、やっちゃったかしら、私……・?そんなことを思っていると、ディレイルがガタリと席を立ち、ゆっくりと私に近づく。

 「……お……お前、今、“兄様”と言ったのだぞ、覚えていないのか?」

 「誰が?」

 「お前だ、ミレイ。この状況で何言ってる?」

 「誰に?」

 まだ私にはこの場の状況がよく分かっていなかったので、とんでもなくとぼけたことを聞いてしまう。と、ディレイル(とシエラも)は急に呆れたような顔になる。

 「シエラは女だぞ。それに同い年ではないか。俺にだろう。」

 そう言ってからディレイルは、それ以上の混乱をおさえこもうとするかのように、額に手を当てている。混乱しているのは私も同じだった。

 私は首を振りながら、

 「え?……私さっきディレイルにそんなことを言ってたの?覚えてない……。え?あれ?でもさっきディレイルの妹って……?」

 「ああ、あの時、あいつの肖像画の前でミレイに言ったように、もう死んだ。死んだんだ。それも、昨日今日ではない、10年も前にな。」

 シエラは何も言えないで、ただ立ちすくんでいるだけだった。

 「ね、ねえディレイル」

 「もういい、何も言うな。言わないでくれ。これ以上やっていても、混乱するだけだ。今日はもうミレイは仕事を終えろ。ゆっくり部屋で休んでいろ。それから、明日は来なくていい。この国に住むことになった以上、そして、ここで――このネルブース城で――働くとした以上、このウェルディ州、ひいてはブルグリット王国のことを知っておいてもらいたいからな。我が国、そして各州について勉強していろ。アマンダにもそのように言っておく。シエラ、お前も同じだ。明日は1日、ミレイについていろ。明日1日、アマンダに教えてもらえ。こっちの書類運びは別の者にやらせる。」

 「ね、ねえディレイル……」

 「もういい。ミレイ、何も言うな。」

 私はもう1度分からないなりに説明しようとした。けれどもその前にディレイルに遮られてしまう。

 「何も言うんじゃない。俺もお前も、シエラにも、心の整理が必要だ。そしてそれを、今日のこれからと、明日1日でつけておきたいんだ。さあ、ミレイ、シエラ、今日はもういい。部屋に戻れ。俺はもう少しここでの仕事があるから残る。……さあ!分かったら2人とも出て行ってくれ!」

 そう言ってから、ディレイルは、半ば強引に私たちの腕を引っ張ると、廊下にドンと押し出した。数歩たたらを踏んで何とか転ばずにすんだ私だったが、シエラはすっころんでしまっていた。

 「いつっ!」

 ディレイルは、しまった……という顔をする。私は文句を言おうと(シエラのこともあるし、何よりもいきなり追い出すなんて……)振り返ると、その目の前で、バタン!とドアが閉じられてしまう。ついでガチャリ!という音。鍵までかけられてしまってはもうどうしようもない。仕方なくシエラを立たせる。

 「ねえ、大丈夫、シエラ?足、くじかなかった?」

 「ええ、大丈夫。」

 微笑んで私の手を取り、立ち上がるシエラ。それから2人してとぼとぼと戻るしかなかった。


 そんなわけで、部屋に戻る途中である。シエラの足は、彼女が言ったようにどこも痛くしていないようだった。そこにはホッとしながらも、さっきのディレイルの仕打ちについて文句を言いながら歩く。

 「ねえ、さっきは本当にどうしたの、ミレイ?」

 そんな文句があらかた出尽くしたところで、シエラがそう聞いてきた。けれども、はてな、私にも全く訳が分からないのだ。何が何だか分からないうちに――私は覚えていないのだが――、そういったことをつらつらと言っていた、ということだから、首をかしげるばかりだった。

 「そう……。でも私、ミレイが本当に妹君だったとしても、あまり驚かないけどな。」

 うつむいていた私は、はっとしてシエラを見る。シエラは指折り、私と“ミレイ様”との共通点を挙げていく。

 「だって、年齢は同じだし、名前も同じ、さらにあの肖像画と目と髪の色が同じ、それに……」

 「それに?」

 私は聞く。このモヤモヤとした気持ちに、しっかりと納得させてくれるような答えを聞きたかったからだ。けれども、シエラは、

 「そういった生まれ変わりだとか、そういった伝承、物語はあるし、現実にそういったこともあっていいかなって。」

 なんて言ったのだ。オイオイ……。私は古代エジプト人とか、古代インド人じゃあないんだけど……。全く……、私も言えた義理じゃあないけど、シエラってこうも現実と空想をごっちゃにする人なんだなあ……、なんて思ってしまう。

 「でもね……」

 私は言う。「私はさ、その妹君が生きていた時にも、別のところですっと生活していたんだよ。……まあ、ここに来る前のことだけれどもさ。それは、どうあっても動かしようのない事実よ。そしてそれは、ディレイルだって、このウェルディ州の州文武官、当の辺境伯閣下ご夫妻も、……そして、シエラ自身だって知っていることでしょう?……10年前までの7年間、ディレイルの妹君が生きていたっていうことは。」

 シエラは、あー、と言ってから、

 「まあ、それはそれっていうことでね。」

 なんて言ってごまかす。「けれどね、さっき言ったことは本当よ。ミレイが、本当に妹君であったら、どんなにいいかって。私はその時まだこの城に上がっていなかったから、父から聞いたことしかなかったんだけど、妹君が亡くなられた時、ディレイル様の嘆きようは大変だったらしいのよ。それこそ、ご両親の閣下ご夫妻以上だったと聞いているわ。」

 と、続けた。うん、私はそれは何となく分かった。妹君の肖像画の前でのディレイルの瞳には、哀しみ、怒り、悔しさ全てがない交ぜになっていたからだ。そこでとりあえず話は終わり、部屋まで歩いて行く。すると、前から1人官吏さんが歩いてくる。ただし、その手には、どうやってバランスを保っているのかと聞きたくなるような量の書簡やら書類やらがのっているのだ。しかも今の時点で既にふらついている。と、案の定思い切りぶちまけてしまっていた。私とシエラも拾うのを手伝う。と、さっき書類を届けに行った、財務局長(名前は確か、ルーヴァス・レックラークさんだったかな……)だった。彼は微笑をひらめかせて礼を言った。

 「ああ、ミレイ殿にシエラ殿……。どうもありがとうございます。……まだお仕事ですか?」

 「……」

 私は何も答えられない。さっきの書類だって、半ば機械的に拾っていたのだ。

 「いえ……今日はもういい、とディレイル様から言われまして……。」

 と、シエラが代わって答える。するとルーヴァスさん、水色の目をぱちくりとさせると、

 「そうなのですか……。まあ、慣れない城内で疲れてしまわれたのでしょうな……。では、ゆっくりと休んでください。どうもミレイ殿の顔色もよろしくないようですからね。」

 「お心遣い、ありがとうございます。では、失礼いたします。」

 そう言って、私とシエラは、辺境伯宮殿の部屋に戻っていった。


 ミレイとシエラを追い出した後、ディレイルは自分の机に戻り、大きなため息をついた。こんな状況で、2人に言ったように仕事に戻れるはずもなかった。机に山積みになった書類もそのままに、またため息をつく。さっきのようなやり方を、今はもう反省していたのである。

 「はあ、そんなに後悔なさるなら、追い出さなければよろしいのではなかったですか?」

 文官長のキース・ハーラントが、書類をもって入りながら言った。

 「言ってくれるな、ハーラント。……あのときの俺は混乱しててな……。なにせ、いきなり、“兄様”だぞ?10年間聞いていなかった台詞を、名前、年、髪色、目の色が同じな女に言われてみろ、お前だって混乱するはずだ。」

 文官長は机に書類を置いてから少し肩をすくめる。

 「まあ、混乱なさるのも無理はないことでしょうか。ディレイル様は、亡き妹君を溺愛なさっていらっしゃいましたから。」

 そして文官長は退室する。

 ディレイルは再びため息をつく。

 そうしていると、混乱し、ため息をつきながらも実は、あれが本当に妹の“ミレイ”であってくれたらと思っている自分にも気がついた。そうして、そんな自分に嘲笑が漏れる。……フン、こんなことを思ったところで、妹は……、……ミレイはもうとっくの昔に死んだのだ。今もってこんなところにいるはずがない。もしも幽霊だったとしても、嫌に実体があったしな。それに今までにも戦っていたし、あれが幽霊なわけがない。……そうだ、間違いない。あれとミレイとは別人だ。名前、歳、髪、目の色が同じだったが、それにしたって、別にどれもこれも、今にして思えば、とりたてて珍しいものでも何でもないのにな……。このウェルディ州、そして、州都のネルブースだけで、藤色の髪、目をした17歳のミレイがどれだけいるというのだ?……この国には、人名が他国に比べて多い。とはいっても、大方の人がつける名前は、たいてい神話だの、国作りの物語にでてくる人物からだからな……。ミレイとて同じことだ。……それに、ミレイの生まれた年は、このウェルディ州に限って言えば、それにあやかって、ミレイと名付けられた子は多いというのにな……。

 「……ハハハ……。」

 そう思っていると、今度は声に出て、乾いた笑いがこみ上げてきた。全く……自分がバカみたいだ。死んだのに、もう戻らんのに、あれがもしかしたら死んだはずの妹かもしれないと無駄な希望を持ったがために、あんな幻聴をもたらすのだ……。もう悲しくて聞きたくもなかった、あの幻聴を……。

 そんなことをぐるぐると考えていると、なんだか眠くなってきた。軽く両の目頭をおさえると、衛兵にその旨言いつけ、部屋備え付けの寝台に横になる。すると、すぐに眠ってしまった。


 私たちは辺境伯宮殿の、自分の部屋に戻ってきていた。中に入ったとたんに、2人して手近な椅子に座り込んだ。そして、どちらからともなく、ため息がもれる。

 「もし、ミレイ様――いえ、あなたではなく、ディレイル様の妹君の方の、ミレイ様です――が、生きていらしたら、と思うと……。」

 シエラが言った。「そしたら、多分ミレイ、あなたのようになっていらしたのでは、と思うんです。ここにあなたが来たときから。私は、直に妹君にお目にかかったことはないのですが、それでも、そう思えるんです。」

 私は顔を上げて、彼女を見る。

 「私みたいに?……あのさ、シエラ、そう言ってもらえるのは、私としては嬉しいよ。けどさ、それって髪、目の色、名前、歳くらいのものでしょ、根拠って言えば。それに、私みたいなどこの馬の骨かしれない、素性も知れないような人がディレイル様の妹君のミレイ様だとか、そんな風に言っちゃったら、それこそ、10年前に亡くなられた、ミレイ様ご本人に失礼っていうものよ。」

 言ってもシエラは納得しない。

 「そうですか?……でも私にはそう思えません。ミレイは覚えていないようだけど、あのときあなたは、あの言葉を言っていたとき、最後に確かに、“兄様”と、他ならぬディレイル様に向かって言っていたのですよ。そこはどうなのですか?」

 うん、それを言われると困ってしまう。

 「そうらしいわね。でも、そこがよく分からないのよ。」

 私はそう答えた後、あくびをし、のびをした。「……ごめん、シエラ。今日はちょっといろいろありすぎて疲れちゃったわ。少し寝るわね。」

 「はい。では、夕食の準備が整ったころに起こしますね。それでは、お休みなさい。」

 シエラの柔らかな声を聞きながら寝台に横になる。そして少ししかしないうちに眠ってしまった。シエラもその後、急に眠気に襲われ、長いすに横になると、上着をかけて眠ってしまった。


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