第4章 案内で 城内の広さ 痛感す
こうして前宮殿を案内してもらえることになったわけだが、まず聞かされたのは、この前宮殿が具体的にどういう建物なのか、ということだ。話してくれたのはシエラで、彼女の話によると、この前宮殿という建物は、ウェルディ州の全体の統治を行う建物で、地上3階地下2階、東西に長い造りであるということだった。そして、両端の屋根には、ウェルディ州旗、ジェンティラス辺境伯家の紋章旗が翻っているらしい。そして、地下は主に、倉庫、牢屋となっていて、そっちの案内はないということだ。
私たちはとりあえず、外に出ることにした。州都への城門前で、改めて前宮殿を見上げてみると、やはり大きい。というよりも、この城自体が大きいんだけどね。今、私の頭の中では、某有名RPGゲームの、誰でもすぐに名前が読めてしまう作曲家による、王宮の音楽が鳴りっぱなしになっている。東西の長さは、だいたいそれぞれ70メートルくらいかな。振り返ると、重厚きわまりない城門があり、10メートル以上はありそうな塔が、私たちを見下ろしていた。
「ねえミレイ、あそこに州旗と領主家紋章旗が翻っているんだけど、どっちがどっちか、分かる?」
と、シエラがいきなり聞いてきた。私は、彼女が指さした方を見て、2つの旗を見比べてみる。1つの旗には、薔薇と王冠、それに獅子が縫い取られている。もう1つには、獅子が2頭、互いに躍りかかるように縫い取られ、さらになにか文字も縫い取られている。私は勘で、
「えーと……、獅子が2頭ある方が、領主紋章旗?」
と聞いた。シエラの顔が輝く。
「大正解。もう片方は、王家の紋章の薔薇が入っているから、ブルグリット王国内の1州っていうのを表しているのよ。……でねミレイ、私はさ、あそこにある、領主家の銘がすごく好きなのよ。」
……シエラがなんだか、妙なテンションになりつつある。けれどもそれは、言わないでおこう。彼女は続ける。
「それはね、“ジェンティラス家、民とともに歩まん”っていうのよ。ほかの領主家は、たいてい国との関係、国王との関係を強調するんだけど、ジェンティラス家だけは、民――つまり、私たち――との関係を強調しているのよ。ねえミレイ、これってすごいことだと思わない?」
目をキラキラさせて聞いてくる。私は少し引きつった笑みを浮かべつつ、うなずいておく。確かに、民を中心において、銘を決めたというのも、この時代においてはすごいことだと思えたからだ。
そうしてまた、前宮殿の中に入る。改めて見回してみたら、今更なんだけど、やっぱりここは、ウェルディ州の中心地であり、領主辺境伯の居城なんだな……と思える造りだった。至る所に塔が建っていて、見上げてみると、兵士さんが遠くを見張っているのが分かる。また、前宮殿自体も、張り出した部分がそのまま見張り台になっているところもある。さらには地上でも兵士さんが立っていて、始終あたりに目をやっている。その間を、官吏さんや、召使いといった人たちが歩いていく。そうした人が、私と目が合うと、軽く黙礼してくれる。そして、私もそれを返す。ディレイルの命令がここまで行き渡っている、ということなのだろう。
まず案内してくれたのは、州都長官とその副官2人の執務室だ。これは、前宮殿の2階西側――ディレイルの執務室とは反対側になる――にある。そして、その両隣が副官の執務室になっている。この2階西側が、主要州官たちの執務室になっているのだと、シエラが教えてくれる。
「だから、ほとんどの書類運びは、ここの一帯で大丈夫だと思うよ。」
とも言ってくれる。と……
「おや、ミレイ殿と、シエラではありませんか。」
穏やかそのものといった、女の人の声がした。振り向くと、当の州都長官が、副官2人を従えて歩いてきたところだった。
「あ……あの、ろ、ローリア州都長官……、でしたっけ?」
「そんなにかしこまらずとも、気軽に、“アマンダ”だけで結構ですよ。あと、肩書きもなしで、お願いしますね。」
ニッコリ微笑まれ、ゆったりした声で、そう言われてしまった。さっきもいったかもしれないけど、アマンダさんは、見た感じは30代初めくらい、金茶色の長い髪を緩やかに編んで背に垂らしている。何か……向こうでいうところの、井上 喜○子さんだな……と思わせる声だった。
「さ、ここではなんですから、中にどうぞ。」
と、州都長官は言ってくれる。それに甘えて、私たちは中に入ることにした。
入ると、すぐにアマンダさんがお茶を用意してくれる。部屋の広さは、だいたいディレイルの執務室と同じくらいだと思ったが、こちらのほうが広そうに見えた。……整理がキチンとされているせいだろう、絶対。ただし、いつもアマンダさんが仕事しているのだろう大机には、たくさんのファイルのようなものが山積みにされている。また壁には剣、槍、盾がかけられている。……文官吏でももし戦いとなった場合では、参加するのだろうか……?と、壁の武具を見て思う。すると、そこで目がとまっている私を見て、長官も同じ方を見る。それから、私の疑問に答えてくれた。
「ああ……、私も、多少武術はやりますよ。……というか2年前には、閣下から1隊を預かって、出陣したこともありましたねえ。」
「2年前、ですか?」
するとそこでシエラが、慌てたように割り込んだ。
「あ、あの!州都長官、その、ミレイにはまだこの話は……。」
「ああ……。ミレイ殿、まあ、あまり聞いていて気持ちのよい話ではありませんからね……。これは、また今度、お話ししましょう。」
私は訳が分からないなりに、うなずいていた。……まあ、文官である州都長官が出陣しなければならなかったような事態だ、かなり悪い話だっただろうし、聞くべきでもないだろう。また、そうペラペラと内情を話すわけにもいかないだろう。
「さて、それで、ミレイ殿は、シエラにこの城の中を案内してもらっていたのですか?」
話を変えて、聞いてきた。私はうなずく。
「はい。ディレイル様が……今席を外していまして……。」
それを聞いてアマンダさんは、口元に手をやって、クスクスと笑った。……なんかこうしていると、10歳以上年上のはずなのに、……かわいい……、と思えてしまうから不思議なものだ。
「フフフ……、あの食堂の料理にあたってしまわれたようですね。運ばれていくところは見ていましたから。」
ここで私は聞いてみた。
「あの、話は変わりますけど、アマンダさんは、結構歳はお若く見えますけど、何歳なんですか?」
シエラもコクコクとうなずいている。……て、シエラも知らなかったのか。するとアマンダさん、ニッコリしたまま、
「では、ミレイ殿は、どのくらいだと思われますか?」
と、逆に聞いてきた。私は、じっと州都長官の顔などを見てから答えた。
「……30歳、ですか?」
「惜しかったですね。それは、閣下より、州都長官の職を拝命した歳ですよ。……2年前でしたから、今は、32歳ですよ。」
これには私も驚いた。いや、見た目は30代くらいだけど、州都長官にもなれているくらいなんだから、実際はもっと――そう、10歳くらい――上なのかなと思ってて。それで、若さを保つ秘訣に話を持っていきたかったのに……。実際に見た目通りの年齢だったとは思わなかった。仕方がないので、別の話につなげる。
「でも、すごいですよ。そんな年齢で、この州都を取り仕切っていらっしゃるんですから。……きっと、すごく有能で、閣下の信頼も厚くいらっしゃるんでしょうね……。あこがれます。」
「いえいえ。私などは、諸官府の経験が多いだけですから。それに、こちらの副官2人のおかげで州都長官としてやれているんですよ。」
「それは違いますぞ。ミレイ殿、シエラ。」
副官の1人――ええと、名前は確かエドゥアルト・ルグランさんだったかな――が言った。
「実際、我々副官2人には、あまり実務的な仕事は来ていないのです。裁決はもっぱら、長官がなさってしまって。」
「そうですね。我々が携われるのは、長官が不在の時だけですから。」
と、、もう1人の副官さん――ごめんなさい、こっちは覚えられませんでした――が、うなずきながら相づちを打つ。アマンダさんは、さらに言う。
「いや、本当にこの2人がいてくれて、助かっているんです。エドゥアルトさんは法律、民政方面、アレキサンドルさんは財務方面に明るくいらっしゃるので、彼らの意見を聞くことがしょっちゅうなんです。」
「あの、アマンダさん」
聞いてみた。「さっき、“諸官府の経験が多い”っておっしゃっていましたけど、何歳の時から働いていらっしゃるんですか?」
州都長官はあごに手をやって、しばし考え込む。
「ええっと……シエラが入ったときの年齢と一緒でしたから、10歳からですね。……まあ、そのときにはずっと、書類運びとかでしたけどね。」
「ここって、労働基準法はないのかしら?」
それを聞いて、私はぽつりとつぶやいてしまっていた。シエラ、アマンダさんが?マークを浮かべている。
「ロウドウ……キジュンホウって何?」
シエラに至っては、小首までかしげて聞いてきた。その様子はとてもかわいらしかった。それでもその法律を分かる範囲で説明していく。そして、説明しながら、10歳の頃のアマンダさんを想像してみた。アマンダさんを縮めていって、そんでもってもっと童顔にして、そこに書類を胸抱きにしてみたら……。……ヤバイ……鼻血でそうなくらいにかわいい……。
「?……どうしたの、ミレイ?」
いきなり鼻をおさえた私に、シエラが聞く。私は、何でもない、と答えておく。
それから2,3話してから、部屋を出た。
次に見せてくれたのは、州将軍の、ヴィルヘルム・レックサンさんの執務室だった。この部屋だけは、3階の西側にあった。ここには当の州将軍はいなかったので、ドアの前だけにとどめて、位置だけを覚える。次に、文武官長、その副官、各局長とその副官城主総代と副城主総代の執務室となった。ここにも主はいなかったので、位置だけにしておく。こうしてみると、州将軍の部屋が3階にあったことをのぞけば、ほとんどこの2階西側の区画に集中していた。そうして私は、大まかな位置関係を頭にたたき込んでいく。私はこれでも、記憶力と方向感覚は、さして悪い方ではない。……けれども、これだけあると、1つ1つを覚えていくのはいつになることやらと思ってしまう。さらに、兵士長、副兵士長の執務室へ行く。ここだけは入る。まあ、シエラのお父さんもいるしね。
「……おや、シエラにミレイ殿、このようなところまで、一体何のご用ですかな?お呼びくだされば、我々の方から伺いましたものを……。」
朝と変わらず……、いや、昼を過ぎてますます磨きがかかった美声で聞いてくる。
「いえ……特には。ただ、ディレイル様が今席を外しておりますので、その間、シエラに前宮殿の中を一通り案内してもらっていたんです。」
と、私が答える。3人の兵士長は、それを聞いて当惑したような、理由は察した、というように微笑んだ。
私には州将軍、兵士長という役職を聞いて気になっていることがあった。聞いてみた。
「あの……聞きたいことがあるのですが。」
「何でしょう?」
「州将軍と兵士長って、どう違うんですか?」
答えてくれたのは、兵士長だった。
「州将軍は、文字通り、このウェルディ州全軍、9万5千人の頂点です。この役職名、役割は、王府州以外の他州でも同じです。そして、兵士長というのは、この州都に詰めている、1万人の頂点ということになるんです。この役職名は、州によっては、州都軍隊長と言うこともあったり、また、ただ単に、軍隊長と言うこともあります。さらに言いますと、有事の際に臨時に兵役についてもらう、予備役兵7千人の長でもあるんですよ。ですから、合計して、1万7千人の長、ということになりますね。」
「でも、この州都に詰めている軍も、最終的には、州将軍がまとめているんですよね?」
「まあ、そうなりますな。しかし平時においては、州将軍が指揮権を振るうことはありませんよ。ほとんど我々以下、各城の兵士たちで動いていますからね。ですから、州将軍が指揮するということで、有事になったと、その中でも重大なことになったと考えていただいても、よいということになります。」
と、兵士長が教えてくれているところへ、ジェラルドさんが、あの美声で後を引き受けて言った。
「そしてですね、兵士長が統率している7千人の予備役兵というのは、この州都近辺の住民で構成されているんです。……この意味がおわかりですか、ミレイ殿?」
……えっと……?州都の兵士長が近辺の住民を予備役兵にしていることで、分かること……?私はしばらく考え込んでいた。……!
「あ」
ひらめいた。「ほかの町や城にも、その近辺の住民で、予備役兵が編成されている、ということですか?」
「ご名答。」
愉快そうに微笑みながら、兵士長が答えた。さらに教えてくれる。「ミレイ殿も先ほどおっしゃいましたが、このウェルディ州にもたくさんの城や町があります。そして、そこには必ず1人、城主だとか代官のような人がいるのです。他の予備役兵というのは、それぞれの近辺にある城や町の城主、代官がまとめているのです。1番多いのが、州都の私が持っている7千人で、最も少ないのが、ここから北西に20バールほど行ったところにある、城兵170人ほどのロスケール城主が持つ、30人でしたかね。」
……20バール?私にはその単位がどのくらいの長さなのかが分からない。それって遠いのだろうか……?
「……ああ、ミレイ殿、ちなみに1バールの長さは、このネルブースの南北の長さですよ。」
付け足すように言ってくれたので、だいたい分かった。……40キロメートルくらいだ。どうも、私がこの国の人間ではないことを了解してくれているようだ。
「さらに、予備役兵のことで言えば、私たち副兵士長も、1000人ずつですが持っていますよ。お互いにね。」
と、もう1人の副兵士長が言った。……ということは、州都軍はすべてひっくるめれば、1万9千人、ということになるのだろうか。
「それでは、さっきの全軍9万5千人の中に、予備役兵の人は……?」
「含まれていません。」
と、兵士長が答える。そして、さらに続ける。「……あくまでもこの9万5千人、という人数は、いつもいつも各地で兵士として、常駐できる数を言うんです。彼らは、副業をしているかもしれませんが、基本的には兵士なんです。そして一方、予備役兵というのは、さっきも申し上げましたように、臨時で兵役についてもらう人のことを言います。生業が別にあって、兵役が副業ということになりますね。いつも兵士というわけではないんですよ。……ですから、あの9万5千人の中には含めないのです。……もっとも、その予備役兵に人でも、大きな功があれば、正規軍に加えることもあるんですが……。」
ここで言いよどむ。2人の副兵士長、シエラが当惑しきった顔をする。私は気になり、先を促した。
「ええ、まあ、予備役兵の中には、完全に兵士になってしまうのを、嫌がる人もいるんです。予備役兵あたりが気が楽なんでしょうね。」
……なるほどね。確かにそっちの方が楽かもしれない。普段は一般人の生活をしていて、戦時になったら兵士になって戦って、お金なり何なりをもらった方がいいかもしれない。それに、その構成員はこの州に住む人だ。下手に傭兵を雇うよりも、きっちりと働いてくれるかもしれない。なんとなく、私は古代アテネや15世紀頃のヴェネツィア共和国の市民を思い出していた。
「おそらく、全部含めれば、ウェルディ州軍は、12万人くらいにはなりますかね。」
と、ジェラルドさんは言った。私は納得し、
「ありがとうございました。」
と、礼を言う。すると、3兵士長が、3人とも、いきなり姿勢を正した。つられて私とシエラもそれにならって姿勢を正してしまう。
「……さて、州議の時にも致したが、今一度改めてご挨拶申し上げましょう。私は、ウェルディ州、州軍兵士長、レオポルド・ベルトランと申します。」
「同じく、副兵士長、ジェラルド・ウルジー。」
「同じく、副兵士長、コンスタンツ・フベルトゥス。」
「あなたのことは、昨日のうちに、ディレイル様より伺っておりますよ。何でも、この国ではない、“日本”というところのお生まれであると。」
ジェラルドさんが言う。それに私がうなずく。その後また2,3話していると、シエラがつっついた。
「……あ、それでは他に見ていくところもありますので、これで失礼いたします。お仕事中に長々とお邪魔してしまい、すみませんでした。」
「いやいや、ミレイ殿、あなたはジェンティラス姓をお持ちだ。ここは、あなたの家も同然です。そんなに気になさることではありませんぞ。」
と、ベルトラン兵士長は言ってくれた。私は、それに感謝しながら部屋を後にした。
「さてと……、それじゃあ最後に謁見の間に行くわよ。これでほぼ前宮殿の中は一通り案内したと思うわ。」
兵士長の部屋を出た後、シエラが言った。私はそれにうなずくと、彼女の後に続いた。
謁見の間は、前宮殿の3階にある。前宮殿を入った正面にある大階段を上がった真正面のドアをくぐり、まずは小さな部屋に入る。シエラによるとここは、謁見に来た人の控えの間だということだそうだ。壁にはいろいろな絵が掛かっていて、本棚には退屈しないようにだろうか、いろいろな本が入っていた。その脇は、衛兵の詰め所になっている。兵士さんたちは、私たちを見て、少なからぬ驚きを受けたようだ。
「シエラ殿とミレイ殿……。こんなところまで一体……?いやいや、それよりも、今はディレイル様のお手伝いではなかったのですか?」
と、とがめるように聞いた。
「ええと、そうだったんですけど……。ディレイル様は、例の料理担当官長の料理で、“地獄”をみてしまったようで、今席を外しているんです。そのために書類運びもできなくなっていまして、その間に、シエラに前宮殿だけでもと、案内してもらっていたんです。」
私がそう答えると、兵士さんは引きつった顔になった。
「さ、さようでしたか……。私はずっとここについておりましたので、下ではそのようになっているだろうなと思っていましたが、いやいや、そこまでになっているとは知りませんでした。」
「ずっと……何時からですか?」
私はいぶかしんで聞いた。
「朝の交代の時からですよ。もうそろそろ交代のはずなんですがねえ……。多分、この分だと、その交代の者も、“地獄”を見てしまったんでしょうね、来ないんです。」
今はもう昼を回ってかなりになる。ずっとここに立ち続けていたということだ。お疲れ様です。そこで、シエラが言う。
「それで、前宮殿最後の案内が、この奥の謁見の間なんです。ミレイに見せるだけでも……いいですか?」
「ああ、そんなこと、訳ありませんよ。ただし、一応私がついていますがね。……ウィレム、ここをしばらく、1人で頼めるか?」
隣で同じように立っている兵士さんに聞いた。するとその兵士さん、ニヤッと笑って、
「ああ、いいぜ。……それにしてもいいな、アルベルト。美人2人のエスコートで。まさしく、“両手に花”っていうやつだな。」
と言ったのだ。するとその途端、私たち3人は、3様の反応をした。シエラは何か言われ慣れているのかカラカラと笑うし、私は真っ赤になって視線を下にやってしまう。……だってこんなことを言われるなんて思ってもいなかったから……。そして、もう1人の兵士さんはというと、慌てて、
「おい、そんなことを言うのはよせ。」
と言っている。するともう1人の兵士さんはさらにニヤニヤして、
「いいから、さっさと見せてやれ。」
とも言った。兵士さんはそれで気を取り直すと、両開きのドアを開けて、私たちを入れる。
「うわあ……。」
入った私は、思わず感嘆の声を発していた。というのも、この謁見の間は、今まで(これは今までの人生でだが)見てきた部屋の中で、1,2を争うような豪華さだったからだ。広さだけならば、今朝行った、大広間よりも一回りくらい狭い。けれども、豪華さの点では、間違いなくこちらの方が上だった。入って正面奥に玉座が2つ据えられており、床には一面赤じゅうたんが敷かれている。私たちがいるところから玉座までは、段が3つほどある。どうも、謁見に訪れた人がいるであろうところには、赤ではなく、灰色のじゅうたんが敷かれている。それが、入り口から私たちのいるところまで伸びている。私はすぐにこの部屋が使われているであろう光景が想像できた。向こうでやっていた、某RPGの玉座の間を思い浮かべていた。右側に並ぶ窓からは、州都ネルブースの町並みが見えていて、玉座脇には、そこから辺境伯夫妻が出てくるのだろう、細かな浮き彫り付きのドアがある。窓とは反対側の壁には、何人かの肖像画が掛かっている。
あらかた見終えたのを見計らい、
「……これで案内は終わり。戻ろっか。」
シエラが出ぎわに言った。私はうなずいて、案内してくれた兵士さんに礼を言った。兵士さんは、何、そんなこと、と言うと、謁見の間へのドアを閉じ、鍵もかける。ちょうどその時、交代の兵士さんが上がってきた。復活してからすぐに来たのだろう、服が少々よれている。心なしか、やつれてもいるようだ。
「こんなに遅くまでやらせてしまってすまないな、アルベルト。後は俺が代わるから休んでいてくれ。……それと、このお2人は?」
走りながらそう聞くと、案内してくれた兵士さんが答える。
「ああ、昨日この辺境伯家に雇われた、ミレイ・イェツェール・ジェンティラス・ニシノ殿と、もう1人はお前も知っているだろう、シエラ殿だ。」
「そうか……。シエラ殿、ミレイ殿、私はネルブース城軍歩兵第5隊所属、シェルビー・ウェルトゥスと申します。以後お見知りおきを。」
優雅な仕草で挨拶した。私たちも返すと、執務室に戻った。
「かなり回ったから、きちんと覚えられたか不安なんだけど。」
「大丈夫よ。前にも言ったけど、ミレイがちゃんと覚えるまで、私が何回だって案内してあげるから。」
などと言い合いながら行く。そして戻ると、
全快したらしいディレイルが、猛然とたまっている書類に印を押しまくっていた。
その勢いに、私たちはしばらくその場に固まってしまっていた。そのくらいディレイルの勢いがすさまじかったからだ。
「ああ、2人ともすまなかった。今の書状で一段落するから、それを持っていってくれ。それで、戻ってきたら休むとしよう。」
気を取り直して、シエラが黒い微笑をひらめかせ、さっきの惨状についてもの申そうかと思っていたら、その間もなく書類がドカンと手渡される。仕方なく私たちは届けに出た。シエラの案内で私たちは、さっきもよった州都長官の部屋、文武官長、官人たちの仕事部屋を回っていった。州都長官の部屋では、長官と副官の3人で会議中で、入っていったら議題についての意見を求められた。
届け終わり、戻ってみるとディレイルが茶器(中世ヨーロッパ風の世界なのに、こういうものはあるんだから不思議なものだ……)を用意していた。シエラが完全に言うタイミングを逃してしまったのは明らかだった。どうやらあきらめてしまったようだ。
飲みながら――
「……どうだミレイ、ここまでやっていて、分からないこととか、ないか?」
と、ディレイルが聞いてきた。……一応、気にかけてくれているんだ……、と思いながらも答える。
「うん。今のところは大丈夫。分からないところといえば、道順くらいなもので、それも今覚えているから。それに、書類を届けに行くだけなんだから、分からないところなんて出ないわよ。」
「そうか……。よかった、なんとかやれているようだな。」
ディレイルがうなずきながら茶を飲んだ。私も飲む。結構おいしかった。そんなこんなで仕事を終え、夜になった。
「はあ~~……。今日はなんだか疲れたわね……。」
寝じたくを終えて、寝台にシエラと並んで座り、今日のことを話していた。「城内をくるくると走り回ったし、昼ご飯を食べたら気絶するし……。」
と、私は続けて言う。シエラは大きくうなずいている。
「でも……、ミレイも災難だったわね……。あの料理に“初めて”食べて当たってしまったんだもの。でも実際他の担当官さんが作ったものはあそこまでひどくないのよ。気絶も、笑み崩れもしないからね。」
「分かっているわよ、シエラ。……さってと……。もう遅いし、私は寝るね。明日も早いだろうから、シエラも部屋に戻っていてね。」
寝台に横になり、掛布を引き上げながら私は言った。昨日ここに来たときにほっとしたことがある。寝台がきちんと足を伸ばして寝られるようになっていることだ。この時代から近世くらいにかけてヨーロッパの寝台って、座った状態で眠っていたと聞いていたから、少し不安だったのだ。
「はい、それではお休みなさい、ミレイ。」
シエラが、部屋のランプを消して出て行った。それから私は、すぐに眠りこんでしまったのだった。
夜中……
私は、ふと目を覚ました。上半身だけ起こして、寝ぼけた目で部屋の中を見回す。一瞬、私なんでこんなところにいるんだろう……と思ってしまう。少し考えて思い出した。昨日から私、ここにいたわ……と。
そうしているうちに、手洗いに行きたくなった。寝台から降り、廊下に出る。確か手洗いはここから近かったよな……とか思いながら行くと、角のところでシエラがランプを手に立っていた。
「……あれ?シエラ、休んでいたんじゃなかったの?」
私が聞く。シエラは、ランプを持った手を少し上に掲げながら、
「いえ……。部屋に戻っていたんですが、ミレイがきちんと眠れているか、気になったものですから。」
と答える。「ほら、まだここに来て2日目ですから、前に住んでいたところを、懐かしく思っているかもしれないと思って。」
とも続けた。シエラ……なんていい子なんだろう……。
「ありがとう……。でも大丈夫だよ。ちょっと手洗いに行きたくなって、起きただけだから。シエラも戻って休んでよ。明日に響いちゃ悪いし。」
と言う。シエラは1つうなずき、戻っていった。私も手洗いに行くと、部屋に戻り、朝までそのまま眠った。
翌日
私は、昨日と同じ時間に起きた。1つのびをしてから起き上がると、着替える。簡素な服を身につけると、廊下に出る。そこではもうシエラが待っていた。
「おはようミレイ。」
代わらない柔らかな笑みを浮かべて、シエラは言った。私も返してから、
「大丈夫?昨日夜あんなところにいて、よく眠れた?」
と聞く。シエラはにこりとしてうなずく。
「うん、大丈夫よ。あれから部屋に戻ってからは朝までぐっすりだったから。」
私はその答えにほっとする。そうして、私の部屋に戻り、朝食となり、1日の仕事が始まった。
執務室に入ると、ディレイルがちょうど州議に行くところだった。軽く挨拶を交わし、彼を見送る。戻ってくるまでの間、たまった書類を整理する作業に追われる。こうしてみると、本当にディレイルが裁いている案件が多いんだなあ、と思わせる。アルフレッド閣下が病床に伏せっているために、大変なんだなあとも思う。早く閣下には元気になってもらいたい……。
1時間半ほどでディレイルが州議から戻ってきた。今度は彼が裁を下したものを持っていく。それを何回か繰り返したころ、昼の休憩となる。羽ペンをインク壺に戻しながら、
「ミレイ、シエラ、午後から外出するから、2人とも一緒に来てくれ。」
と、いきなり言ったのだ。
「え?……う、うん、分かった。」
「かしこまりました、ディレイル様。」
今までにディレイルと付き合ってきた時の差か、私は戸惑いながら、シエラはすんなりと返した。そうして、食堂に向かった。
昼食後、3人で馬車まで行く。馬車は城を出て、城下へ向かう。
「ねえ、ディレイル、どこに行くの?」
「ネルブース・ギルド総元締の屋敷だ。」
簡潔に答える。……“ギルド”?ギルドって確か、世界史の授業で出てきた、中世ヨーロッパの商人だとか職人の同業者組合のことだったよな……。それは各業種ごとにあるやつで、“総元締”なる存在はなかったように思うのだけれど……。ゲームとかだと、商人組合みたいなもので出てくるか……。
「ギルド?」
疑問符付きで返した私に、ディレイルは、
「ああ……ミレイは知らなかったか……。うーん……、説明するのが面倒だから、シエラがしてくれ。」
なんてことをぬかしやがった。……ちょっと……説明するのが“面倒”って何よ、“面倒”って……。そんなディレイルにシエラが呆れながらも説明してくれる。
「あ、あのね、ミレイ……。ギルドっていうのは。それぞれの町ごとにあるものなのよ。それで、それぞれの町の商人、職人をとりまとめているところなのよ。それと、ギルドはそれぞれでお金を出して集めた私兵も持っているから、町の治安維持の一端も担っているのよ。」
「それで、今面倒なことが起こっていてな。」
ディレイルが後を引き取って言う。……て、説明はシエラに任せると言っていたくせに、最後だけとるのか、こいつは……、と思った。しかし、その後の説明は、彼しかできないものだった。
「……ほら、ミレイ、お前が俺と初めて会ったときにのしていた連中がいただろう。そいつらは、“黒獅子党”というんだがな、ここ数年、この州都をそいつらが我が物顔で暴れていてな。強盗はする、商家からの略奪はする、力の弱いものを襲うなどしているのだ。……まだ人殺しまではしていないのだが、治安としてはもちろんよろしくない。……しかも、所属している奴らの中には、どこかの軍隊崩れのような者もいてな、そのせいで、うかつに手を出せないでいるのだ。」
「……ギルドの私兵はよく分からないけど、そんなことをしている奴らだったら、州都兵を繰り出して、何とかできないの?」
「にしても……、双方、いや、州都にもある程度の損害が出てしまう。だから、あまり強い手に出られないのだ。」
「それで、ギルドと共闘して、なんとしてでも追い払おう、ていうわけなの?」
なんとなく狙いが読めた私は、そう聞いた。ディレイルはうなずく。
「ああ、その通りだ。ついでに言うと、治安維持もこの件を契機として、州府の権にしたいとも思っている。……今までに手が出せなかった理由はもう1つあってな。情けないことだが、州都は州府、ギルド双方が管理しているために、向こうの仕事と互いが思ってしまっていたこともあるんだ。」
……オイオイ……、それじゃあどこぞの国のお役所仕事と変わらないじゃないか……。と、そんなことを思っている間に、ガクンと馬車のスピードが落ちた。そして、今まで真正面に見えていた景色が後方に流れる。どうやらネルブース・ギルド総元締の屋敷に着いたようだ……。






