第2章 大緊張 辺境伯と 対面だ
「父上、母上、ディレイルです。本日より手伝い人として雇い入れた者を、挨拶に連れてまいりました。」
控えの間を抜けたその部屋は、とても豪華なものだった。まあ、控えの間も豪華だなとは思ってはいたけど、ここにはやはり劣る。窓のカーテンは、あの光沢からするとベルベットっぽいし、色も紅色だ。机や椅子、寝台などに使われている木は、色がとても落ち着いていて、しっとりとした光沢を放っている。さらにそれぞれにはとんでもなく細かな彫刻がされている。壁には風景画がかかり、剣、盾もかかっている。さっきまでディレイルさんと話していた部屋も豪華だなと思ったけど、ここはそれ以上だった。ここは、歴代辺境伯が使ってきた私室なのだろうか……?
ディレイルさん(あっと……。ここでは声に出していないから、呼び捨てでいいか)――もとい、ディレイル――の声に反応した2人が私たちのほうに顔を向ける。1人は寝台に横になり、背もたれに背を預けている男の人、もう1人はその男性につき添うように寝台に腰かけている女の人。どちらも50代くらいに見える。でも、2人の顔にはどことなく見覚えがあるような気がした。ディレイルが、“父上、母上”と呼んだということは、考えるまでもなくこの2人は、ウェルディ辺境伯夫妻なのだろう。そんな2人になぜ見覚えがあるような気がするのかは分からないのだが……。……一体どこで見たんだっけ……?などと思いだそうとしたり、そんな風に考えてしまう原因を考えていたりするうちに、ディレイルはどんどん話を進めている。1人考えていた私は、もちろんのことながら全く聞いていなかった。
気づくと、ディレイルが私の脇腹をひじでつついていた。
「おい……、お前の挨拶に連れてきたんだぞ。そんなんでどうする?」
と、小声で言った。私ははっとし、何とか他の人がやっていたように跪いて、
「……ウェルディ辺境伯、アルフレッド閣下と奥様、バルバラ様(ここに来る前に聞いていたのだ)でいらっしゃいますね?今日より、ディレイル様専属の召使になりました、ミレイと申します。」
と、言った。噛むんじゃないかとヒヤヒヤしながら言っていたのだが、そうならなくて本当に良かったと思う。私はこの時ほど、その手の宮廷が舞台だったりするライトノベルを読んでいてよかったと思ったことはなかった。しかし、ディレイルの言葉には、2人はとても驚いていたようだった。何だかディレイルといい、このお2人といい、よく驚かれているように思うのだが、どういう理由があるのだろうか。まあ、ディレイルはよくわからないけど、お2人の場合は、いきなり、身分不確定で、怪しいことこの上ない私を、将来、次期辺境伯になろうというディレイル専属の手伝い人として雇い入れた、とこの一事に尽きるだろう。まあ、それも無理からぬことだろうな……、と、強引に手伝い人にさせてしまった私は他人事のように思っていた。すると、奥方様のほうが、言いづらそうにして聞いた。
「ミレイ……と、言ったわね。女性の方にいきなり年を尋ねるのは、ちょっと気が引けるのだけれど、おいくつなの?」
「17……ですけど。」
この私の答えを聞いた時の反応も、さっきのディレイルと同じようなものであった。何でこんなに驚くのだろう……?私には分からないことだらけだった。とにかく、ディレイルの父上様、母上様への挨拶をすませ、(私がこんなふうにいろいろ考え込んでいる間に、ジェンティラス姓をもらったことは知らされたようだ)部屋を出た。病気だというアルフレッド辺境伯閣下とは一言も話すことはできなかったけれど、体調のこともあるし、それも仕方のないことだろう。
「あの……ディレイル様。」
「他に誰もいない。」
すぐにそう返される。ひそかにため息をついて、
「はあ~……。それではディレイル、アルフレッド辺境伯閣下も、バルバラ様も、私の名前や年を聞いて、あなたと同じくらい驚かれていらっしゃったようですが。」
「敬語も2人だけの時には禁止だ。」
ディレイルは、せっかく言いなおした言葉には応えず、ただ、それだけを言った。そして、それきり黙ってしまう。私はもう1度ため息をつくと、仕方がないとあきらめ、今度は敬語も交えずに言った。
今度は答えてくれた。
「きっと……。あれが原因だろう。」
と、ディレイルが言って指差したのは、廊下にかけられたたくさんの肖像画のうちの1枚だった。ここはどうやら、歴代領主やその家族、功臣たちの肖像画が並ぶところらしく、大方がいかめしい顔か、無表情で描かれている。それに対して、今ディレイルが示している中くらいの肖像画の主は、とても可愛らしい笑顔を見せている。それももっともな話で、その絵は、6,7歳くらいの女の子を描いたものだからだ。そんな女の子に、いかめしい顔なんてできるわけがない。その女の子の藤色の髪、瞳は、私と同じだ。また、すごくいい笑顔をしていると思った。けれども……
この女の子……、どこかで……
それきり考え込んでしまった私を元に戻したのは、ディレイルの声だった。
「この絵はな、父と母の間にできた2人目の子ども――つまり、俺の妹――の肖像画だ。……ちょうど、10年前に描かれたものだ。」
「え?ディレイル、妹なんているの?」
私は驚いて聞いた。今まで(とはいっても半日くらいだが)この城の中にいるが、そんな人は全然見たこともなかった。するとディレイルは、かすかに首を振って言う。
「……いたが、死んだ。10年前……、そうだ、この絵が描かれた直後だったかな。その前に病気らしい病気もしていなかったのに、遊んでいていきなり倒れ、そのままだった……。」
つぶやくような声音で、さらに続ける。「今生きていたら、17歳になっている。ミレイという名前も同じ。さらに加えて、髪、目も同じ色をしている。……まあ、このくらいだったら、この国では珍しくもない特徴なんだが、あー造作とか、雰囲気のようなものも似ているしな。……だから、俺もそうだが、父も母も、お前を死んだ妹と重ねてしまっていたんだよ。」
と。そして、「……さっき、お前はどうして帝国のスパイと疑わないのか、と聞いたな。さっき答えた以外にもう1つ理由があってな、お前が、妹のミレイに似ていたっていうのもあるんだ。」
とも言う。
「さっき……、思い違いかもしれないんだけど……」
ぽつりと、私は言う。「あのね、私自身も何でかはよくわからないんだけど、アルフレッド閣下とバルバラ様に、以前にどこかで会ったような気がしているの。……おかしいわよね、ここには初めて来て、しかも私はそれまでは平民、そっちは領主だっていうのにね。」
「“初めて来”た、というなら、どうして言葉はできるんだ?」
ディレイルが突っ込んで聞いてくる。「……さっきは、こことミレイ、お前が住んでいたところとは、文の構成だとか、言葉のつながりが同じか近いと思って納得していたんだが、しかし、少しは単語上の違い、文法上の違い、変化というのはある程度出てくるものだ。現に、このブルグリット王国と、隣国シェーンバラン王国とでは、言葉はほぼ同じなのだが、言葉の使い方が微妙に違うものもあるのだ。隣国同士でもこれなのだ。この地図にも載っていないような国と一緒というのは、まず考えられん。だがさっきお前が書いた文章には、そういった間違いは一切なかった。……本当に、俺が知らない単語――たとえば、“トーキョー”とか、“てーれび”とか、“チューオーセン”とか、そういったもの――で分からなかったというだけだ。」
それには私も答えることはできなかった。当の私にしても、一体どうしてなのか分からなかったから。……そしてそれは、初めて言葉が通じると分かった時から、ずっと考え続けてきたことだ。
「……まあいい、調べの結果待ちだ。」
しばらく黙った後、それだけを彼は言った。「……ああ、そうそう、さっき言った手伝いの仕事は、明日からやってもらうことにする。それと、もうお前はジェンティラス姓をもらっているのだから、もっと堂々としていろ。まあ、いきなりここにきて、動揺もしているだろうから、すぐにできるとは思ってはいないが、慣れることだ。だから、今日はもう休め。あということとしては、父にも母にも、やたらめったらと丁寧な態度は必要ない。……と、今言うべきものとしては、こんなところかな。では、これからしばらくの間、よろしく頼むぞ、ミレイ。」
と、ウェルディ次期領主は言った。そして、後ろにいつの間にか控えていた侍女らしき人に、部屋に案内するように命じていた。
そんなわけで、私がしばらくの間住むことになった部屋に案内されたわけだけれども……、
「……うっそ……」
これは、私が自分にあてがわれた部屋に案内されてからの、第一声だった。ディレイルはもう、ここにはいない。すでに州の政務に入っている。そしてこの言葉は、部屋のあまりもの豪華さに対してのものだった。窓は大きなフランス窓で、そこからバルコニーに出られるようになっている。そして、部屋の一隅には、大きな天蓋付きのベッドまである。そしてその反対側には、大きな衣装ダンスまである。……どうも、実際の中世ヨーロッパの城の内装とは、大きく異なっているように思えた。しかし、どちらにしたところで、17年間これまで生きてきて、こんなに豪華な部屋に住めるとは思っていなかったけれども……。
「ミレイ様」
ここまで案内してくれた侍女さんが言った。「私は、ディレイル様よりあなた様のお世話を致すようにと仰せつかりました、シエラ・ウルジーと申します。もし御用ができましたら、なんなりとお申し付けくださいませ。」
そうして、深々と頭を下げてくる。……そう、私のために召使の人が付いていてくれているのだ。何だか、完全にお姫様か、あるいはそうでなくとも、それに近いような扱いだ。私はここに来るまで、自分付きになってくれる人が出てくるような家なんて全く知らなかった。
そして、今私に頭を下げていてくれる人はといえば……。青い目に、少し線が細い印象を与える。でも結構美形だと思った。金髪のゆるふわな髪を、1つに結んで背に垂らしている。それに何より、年は私と同じくらいだろうに、完全に礼儀作法はなっていた。けれど、わたしはさっきも思ったみたいに、私は創作されたもの以外で、個人付きに人が付くことは知らないし、自分自身、人にかしずかれる家の出身ではない。だから、何だかこそばゆくってならない。
「ね、ねえ、シエラ……だっけ?」
「はい」
すぐに下げていた頭を上げて、微笑みながら答えてくれる。「何でしょうか、ミレイ様?」
「……あ、あのさ、いきなりで悪いんだけど、“様”付けはやめてくれない?私、そういう風に呼ばれる家の出身ではないしさ。……それにね、なんか、そういう風に言われると、私とシエラとの間に壁があるようで、話しかけづらくなっちゃうからさ。……ていうか、シエラって年いくつなの?私とそう違わないように見えるけど。」
「17です。」
「なあんだ!それじゃあ私と同い年だよ。……ならなおさら、“様”付けはやめてくれると、あと、敬語もやめてくれると助かるなあ……。」
シエラはしばらく考え込んでいたが、やがて、
「何とか努力いたしますね。では、手始めに……、“ミレイ”とお呼びしても?」
「もちろんいいわよ、大歓迎。」
私は即答した。その後は、シエラのこと、私のことを互いに話していた。そこで聞いたところだと、何でもシエラは10歳の時からこのジェンティラス辺境伯家に働きに来ていて、一時――とはいっても私付きになるまでだけど――ディレイル付きにもなったことがあるということだ。しかも、14歳の時から3年間という長期間で、だ。そこで、気になっていたことを聞いてみた。
「ねえ、ディレイル様って、やたら強引なところがあると思わない?」
「え?ええ、まあ……。」
シエラは、弱々しく微笑んだ。「ええっと……、でもそれは、統率力がおありになることの裏返し、ではないでしょうか?」
「ううん、あれはただの我がまま大王よ。」
そう断言する私に、シエラはついうっかり、そうかも……なんて思ってしまっていた。「そもそも、私がここに連れてこられたのだって……」
それから、この城に来るまでのことを、一部を変えて話したのだった。……“一部”っていうのはどこのことかは、具体的に聞かないでほしい。
しかし……、思ったけど、同世代の女の子同士って、ものすごく得なものだ。というのも、話していくうちに、だんだんとシエラから妙な敬語が消えていったからだ。まあそれでも時折素に戻ったりすると、あの堅苦しいこと極まりないような敬語になってしまうのだが、すぐに戻ってくれる。いい兆候だな、と思った。この分でいけば、数日もしたら完全に敬語は落ちていくだろう。
……そんな事を話していると、夕食の用意が整った、と、城で働いている人が知らせに来てくれた。すぐに立ち上がると、シエラの案内で城の大食堂へいった。案内されながら、明日からの手伝いの時にも、彼女の案内が必要だな、と思った。
ネルブース城の大食堂は、その名の通りに、とても広い部屋だった。6人がけのテーブル(とはいっても6人分にしては大きい。10人は座れそうだ)が3つも並んでいる。そのうちの真ん中にディレイルはもう着いていた。私は映画か漫画か何かで、侍女がやっているように彼の斜め後ろに立って、かしこまって聞いた。
「あの……、お仕事は……?」
「もう終わった。……さっきも言ったことだが、お前には、明日から書類整理や運ぶことをやってもらうからな。今日は気にするな。……それに、どちらにしても、このネルブースの城内のみのことだ。そんなに固く、緊張することではない。」
なんて言うけど、私はもちろん、城勤めなんてしたことないし……。それに、知り合いに貴族の末裔なんていう人もいなかったし……。どうすればいいのか分からなかった。ディレイルはそんな私の心を知らないで、
「もう食事が始まる。お前の席はそこだ。」
と言って示したのは、彼の真正面の席だった。
「え?……あの?」
「ちなみに、お前の隣は母上、俺の隣は父上の席になっている。しかし、父上が体調を崩されてからというもの、2人ともごくたまにしか、ここへは来ないがな。」
それから、「だから、ここで誰かと一緒に食事をとるのも、ずいぶんと久しぶりなのだ。」
と、微笑して続けた。私は席に着いた。と、隣にシエラも座る。今日は特別に、シエラも同席を許されたらしい。本来ここは――後で知ったことだが――辺境伯家の人、一部の重臣、賓客しか使えないところらしい。それを知った時に、私はあの時の微笑の意味を知った。彼はここ何年か、ずっと1人でこの広い大食堂で食事をしていたのだ。……淋しかっただろうな……と私は思った。私だったら、ちょっと耐えられないかも、とも思った。
そして、料理が運ばれてくる。私とディレイルと……、あれ?
3人分ある。
気づいたディレイルが物問いたげに召使さんの方を見やると、彼が答える前に、
「遅れて、ごめんなさいね。」
バルバラ奥様が入ってきたのだった。
時は少しばかりさかのぼる……
「バルバラ、お前は食堂で食べてきなさい。」
ウェルディ辺境伯、アルフレッド3世・イェツェール・ジェンティラスは、愛する妻バルバラに言った。一方のバルバラは困惑した。
「え?……でも、あなたは?」
アルフレッドは長い口髭をしごきながら答える。
「私は今日は気分がすぐれないゆえ、ここで食べる。……おいおいバルバラ、そんな心配そうな顔をするな。別のものについていてもらうから、大丈夫だよ。お前は、食堂に行ってきなさい。……気になるんだろう?あの“娘”のことが。」
「それは、アルフレッド、あなただって同じことでしょう?」
辺境伯はすぐにうなずいた。それを見たバルバラはかすかに、
そうでしょうとも
と、微笑した。
「私は――まあ、お前や、ディレイルはどうなのかは分からないが――、あのミレイを死んだ娘と思ってしまったのだよ。……面影があるし、なんとなく、な。」
「面影どころか……、本当に死んだはずの娘ではないか……なんて思ってしまいましたよ、私は。」
バルバラは、フフフ、と笑うと、そう言った。
「まあ……、私はさっきから言っているように、今日はあまり気分がよくないから行けないが、いつか、体がよくなってきたら食堂へいって、この家族で揃って――ミレイも加えて――、一緒に食べようと思っている。……だから、今日のところはバルバラ、お前が行ってきてあれと一緒に夕食をとって、あの娘がどういう感じの娘なのか、何を話すのかを見てきてほしいのだよ。」
バルバラはしばらく黙りこみ、何事か考えていた。が、すぐに微笑んだ。
「分かりました。わが愛する夫が言うように。」
そう言うと、優雅に辺境伯に礼をすると、部屋を出た。
「え?え?あう……?ええ?」
私は、バルバラ奥様がここに入ってきた瞬間、混乱し、なおかつ、硬直してしまっていた。これを、某RPG風にすると、
ミレイは こんらん している!▼
ミレイは かなしばりに あって うごけない!
というように出ていることだろう(いや、バルバラ様は、○ダパ○を使ってくるような厄介極まりない魔物じゃないんだけど……)。……え?ディレイルが言うところでは、“たまにしか”来ないはずなのに……。これはまた一体どうして……?
どうやら、今日はディレイルの言っていた、“たま”に当たっていたことすらもちっとも頭に浮かんでこなかった。それに、今日は全く得体のしれない私が、このネルブース城に入ることになったこともあり、見に来るかも、ということを予想しておくべきだったとも思う。でも、そのままで固まっているわけにもいかない。なので、慌てて立ち上がると、跪拝する。と――
「こおらあああああああ!!ミレイ!」
鋭く叱責する声が響いた。びっくりして頭を上げると、バルバラ様だった。腰に両手をあて、すさまじい形相をしている。
「……ミレイ、お前は我が家、ジェンティラスの姓をもらったということだの。しかもそこにいる、息子のディレイルから。そうであれば、私とミレイとは、親戚ということぞ。親族同士となれば、そのような堅っ苦しいこと極まりないような例は必要ない。」
……ここには、“親しき仲にも礼儀あり”という言葉はないのだろうか(ちっと意味は違うけど……)。
「それに、さっきも言ったように、我が家の姓を与えたのがディレイルとなれば、お前は我が娘も同然じゃ。それにディレイルからすれば妹じゃ妹!……何しろあれは20歳じゃし、お前は17じゃ。それでもそんな堅苦しい礼をとるか?」
「も、申し訳ありません奥様。以後、気をつけます。」
「ミレイ!」
またも鋭い声だ。思わず背筋がピンとなってしまうような一喝だ。「……そなた分かっておらぬであろう。親と子との間には、そのようなものは必要ない。そんなことはするな。これは命令じゃ。」
……め、命令……?……ていうか、バルバラ様って、怒るとあんなにも口調が変わるのか……、と思う。一方のバルバラ様はというと……おもしろいの、ミレイは。いじりがいがあるのお……、とか思われていたことは私は知らない。
「母上。そこまで言わなくても、ミレイには分かりますゆえ。」
と、今まで様子を見ていたディレイルが助け船を出してくれる。そうなってようやくバルバラ様は、言いつのるのをやめた。それから私の方を振り返ると、
「それにミレイも、分かっただろう?あそこまで丁寧な態度は必要ないと。」
と、言った。私は心の底から同意して、何度もうなずいていた。そこで、めいめいの席についた。少ししてから料理が運ばれてきて、夕食となった。
やっぱりというか、何というか、料理は肉系統のものが多かった。世界史の授業で聞いたところだと、こういう時代にはフォークがなく、ナイフで切って手づかみで食べていたそうだ。なので、ここに来た時に、食事のときにはそうなることを覚悟していたのだが、きちんとテーブルの上にはフォークがのっていて、心底ほっとしていた。献立は、肉を焼いたものからいろいろな野菜を煮込んで作ったと見えるスープ、そしてパンだった。ただし、パンとはいっても、日本でよく見かけた食パンではなく、丸いものだ。そして、小麦の全粒粉というわけでもなく、小さな黒い粒々の入っているパンだった。
バルバラ様は、さっきの叱咤でもう言いたかったことは言ってしまったのか、最初に会った時のような物腰に戻っていた。そして、いままでどういうふうにして暮らしてきたのかとか、好きなものとか嫌いなものとか、そういったことをいろいろ聞いてきてくれた。それに私は、さっきのようにかしこまらずに答えていく。
そんなこんなで、1時間ほどで夕食は終わった。ディレイルもバルバラ様も、さっさと立ち上がって戻っていく。対して私はというと、元いたところからの習慣――嘘です、ごめんなさい。故郷の日本ではそんなことは一切やっていませんでした――で、全員分の食器をまとめて重ねて、シエラに案内してもらって、厨房の洗い場へ持っていこうとした。しかし、それをシエラに止められてしまった。首をひねる私に、
「ミレイがそこまですることはないですよ。」
と、にっこり笑って言う。
「?」
まだよくわかっていない私に、さらに、
「さ、私たちも戻りましょう。」
とも言う。けれどもそれでは私の方が申し訳なくなってしまう。
「え?で、でも……」
「まあ、家人や召使の仕事を確保すると思って……ね?」
と、このように言われてしまった。私はしぶしぶうなずいた。そして、安心させるように微笑んでくれた使用人さんによって運ばれていく皿を見ていた。
話を聞いていて、彼女からだんだん敬語が消えていっている。これはいいことだと思った。さらに残っていると、シエラが、
「ミレイ……もしかして、足りなかった?」
などと、とんでもないことを聞いてきた。私は、ブンブンと音がしそうなくらい首を横に振っていた。……な、なんちゅう乙女事情(?)に踏み込むようなことを聞いてくるんだ、シエラはぁ……。
「ううん!そ、そんなことはないわよ。すごく量もあって、おいしかったわ。ただ、これからのことがん、ね。」
「そういうことでしたら……。……もしもこの先、不安になるようなことがございましたら、いつでもこの私がおります。ちょうど、これからのディレイル様に、いつでもミレイがそばにいますように。」
「!」
お……おいおい……。こんなことを言われるなんて、全く思いもしていなかったよ……。うーむ、惜しいのは、それを言ったシエラが女の子だったことだよなあ。……なんて、そんなことを考えてしまうのは、私の頭、思考がそっちの方向に行ってしまっているからだろうか……?とまあ、そんな風に思えてしまうくらいに超ドストライクの、彼女の殺し文句だった。
「ん……ありがとう。」
私はそれだけを言って、食堂を出た。
「ただ今戻りましたわ、アルフレッド。」
大食堂での夕食が終って、バルバラは夫の待つ領主辺境伯の寝室に戻ってきた。アルフレッドの方も、すでに夕食を終えていたらしい。寝る支度を整えていた。そうして、寝台に腰かけている。
「おお、そうか。で、どうだったね?ミレイは。」
と、聞いた。バルバラはこう答えた。
「いきなり私に跪づいてきたものですからね、叱りつけてやりましたよ。我が家の姓を、ほかならぬ息子のディレイルから受けているのなら、そんなに堅苦しいものは必要ない、と言いましてね。……クフフフ……、その時のミレイってば、アワアワ、オドオドしちゃってね、とってもかわいらしかったわね。いろいろといじりがいもあって、よかったわね……。」
最初はケロッとした口調だったが、最後の方には、ふふふふふ……と、妖しい1人笑いをしてしまっているバルバラに、さすがの辺境伯アルフレッドも、両方の意味で少し引いてしまっていた。
「でも、今からそんな態度をとらなくてもいいことを、教えておこうと思いましてね。」
「あ?ああ、もしかすると、もしかするかもしれんからな。」
と、アルフレッドは、顔をひきつらせつつも答えた。
私はあの後、シエラと自分に割り当てられた部屋に戻ってきていた。
「ねえ……、明日からの書類運びのときには、案内してもらえる?……私は、まだこの城の中がよくわかっていないから。」
「はい、ミレイが覚えるまで、何回でも案内するからね。」
にこりと笑って言ってくれるシエラに、私もかすかに笑ってうなずいた。それから、さっきまでしていた話を続けた。聞くと、シエラは、このウェルディ州の副兵士長の娘なのだそうな。するとシエラは、あ、と思い出したような声を上げて、やや勢い込んで聞いてきた。
「そう言えばミレイ、今日の昼に、ネルブースで黒獅子党の破落戸騒ぎがあったんだけど、その破落戸をのしたのはミレイだっていう話があるんだけど、本当?」
「?……ネルブース?」
分からずそう聞く私に、シエラは、ああ、と思い出すように言った。
「そっか……。ミレイはまだここに来たばかりだから、分からないか。“ネルブース”っていうのは、このウェルディ州都の名前よ。それで、もっと平たく言ってしまうと、この城の城下町ね。」
そう教えてくれる。
「う……うん、確かに。そうね。」
……もうこんなところにまで話が広がっちゃっていたのか……。いや、ここは州の中心地だし、なによりこの町で起こったことなんだから、当然って言えば当然なんだろうけど……。私は何とも言えない複雑な気分になってしまった。……はあ~~。スタイルと言い、ああいったことを公衆の面前でやっちゃうところと言い、本当私って、女っぽいところから無縁よね……と思ってしまう。
けれどもシエラは、そんな私の気持ちに気づくことなく、ガシッと私の両手を握りしめると、ぱあ、と顔を輝かせる。
「わあ、やっぱりそうだったんですね。……それじゃあそれじゃあ、ミレイはどういう武器が一番得意なの?そんでもって、結構できるの?」
「うーんと……、武器はそんなに使わないわね。あ、強いて言うとこれね。」
そう言って、制服のポケットから鉄扇を出してシエラに渡す。シエラは、……なんか、普通の扇に見えるわね……というように首をかしげながらもそれを手に取った。そして、さっき(とはいっても数時間前だけど……)のディレイルと同じような反応をした。
「い、意外と重い。」
「でしょ?あの時にもディレイル様が興味を示されてね。……これで破落戸たちをのしていたとは考えられないって言ってた。それで、渡した時にも、今のシエラみたいな反応だったわ。ちなみに、鉄扇っていうのよ、それ。骨の部分が木じゃなくて、鉄でできているの。」
そう言ってから、どうやって使うものなのかを教える。シエラは青い目をさらに大きくさせて、ひたすら感心しきった様子で聞いている。
「あとは……、柔道って言って、まあ、体術みたいなものね。剣はあまりやったことがないし。」
それを聞いた時、彼女は少し残念そうな顔をした。……もしかしたら、剣は得意なのだろうか?
「……そうなんですか……、残念です。剣だったら、私もいくらかは自信がありますのに。」
その通りだった。……さすがに父親が副兵士長では、その娘もそういうところに関心が行くのだろうか……?
「でも意外ね。私が言うのもなんだけど、女の人って、そういう武術はやらないと思ってた。」
「ミレイ、ここで働く人は多かれ少なかれ武術はかじっていますよ。それに、私はディレイル様付きになっていましたから、なおさらです。」
納得した。当主だとか、それに準じる人に仕える人の大きな役目は、護衛だ。「……まあ、言うまでもないでしょうが、私よりもディレイル様の方がずっと強いので、万一のときには、私はせいぜい時間稼ぎくらいしかできないでしょうけど。」
淡く微笑んで言う。私は少しシエラを遠い存在だと感じた。やっぱりここは日本じゃないんだと思えた瞬間だった。
「どういえば、シエラのお父さんって、普段はどういう人なの?あと、お母さんも。」
「そうですねえ……。父は普段から、兵法書だとか、戦争関係の本、軍記物を読んでいるような人ですね。それで、私にその話を繰り返し話すもんですから、こっちも内容を覚えてしまいましたね。」
それはすごい……。生粋の軍人、というわけか……。「ですから、遊んでもらった記憶は、数えるくらいしかありませんね。……まあ、軍人として忙しかったですから、仕方ないんですけど……。対して母は、この州に勤めたこともない、普通の女性ですよ。辺境伯家に働きに来るまで、一番接していたのは、母でしょうね。」
「じゃあ、お父さんのことって、あまり好きじゃないの?」
「いいえ。」
私が聞くと、首を振ってこたえた。「父は、軍人として、州、ひいては国を守るために働いているんです。そんな父は尊敬していますし、また、大好きですよ。」
そして、私の家族についても聞いてきたので、今までのことを話して聞かせた。それを聞いてシエラは驚きを顔全体に表して、何度もうなずきながら聞いている。
「あ、それからシエラって、剣以外には何かやっているの?」
「他には……。槍とか、あとは、フラウト・トラヴェルソも少しやっていますね。」
「何?その……、ふらうと……何とかっていうのは?」
私は何が何だか分からず、そう聞いた。するとシエラ、すいと立ち上がるとどこかに行ってしまった。しばらくして戻ってくると、その手には40センチくらいの横笛を持っていた。そして口に当てると、少しばかり吹いてくれる。なんとなく、向こうで聞いた、ピッコロを少し低くしたような音だと思った。ただ、とてもきれいな音だと思った。そして吹き終わり、口から離すと、少し顔を赤らめながら言う。
「……これがフラウト・トラヴェルソです。楽器なんですよ。……このウェルディ州の隣にある、リンディラン州の次期領主様と、そのお付きの方のお2人が、とても上手なんですよ。」
「シエラも上手だと思うけどね。」
「あちらは私以上です。1度、お父上の侯爵閣下に連れられて見えられた時に、よく吹いていらっしゃいましたのをよく覚えています。何でも、お母上がとてもお上手で、お2人とも、その方に習われたのだそうです。……でも、とてもきれいな音だったなあ……。」
素に戻ってそんなことを言うシエラに、相槌を打っている。と、そんなことを話していると、湯殿の用意ができたと召使の人が入ってきて言った。そこで私は、その人について行って、1日の疲れを流すことにした。
湯殿は、辺境伯宮殿の奥の方にあった。世界史の先生に教わったところだと、このような中世ヨーロッパでは、入浴の習慣がなかったというから、少し不安だったのだが、きちんと浴槽もあって、そこは安心した。
ただ……、背中を流したりするために人がつこうとしていたのにはさすがに面食らった。そんなことをされなくてもきちんと入れるし、それに何より、恥ずかしいことこの上なかった。なので、侍女の皆様には丁寧にお引き取りいただいた。1人でゆったりと入ることができるようになったのだった。
軽く湯をかけ、浴槽につかる。
は~~~~~~~~~~あ~~~~~~~~。
……
ご・く・ら・く・だぁ~~~~。
やっぱり日本人はお風呂だよなあ……。
でも……、何でいきなりここに来てしまったんだろう。湯を肩にかけながら思う。あの時、階段でぶつかられて落ちかけ――いや、間違えた――落ちた拍子にここに来てしまったんだったな……。でも、どうしてここに?っていうか、あっちの“私”はどうなってしまったんだろう?……行方不明にでもなってしまっているのかなあ……。……ああ~~父さんと母さん、親戚一同が心配している様子が目に浮かぶなあ……。
そんなこんなで湯殿から上がり、部屋に戻ってみると、シエラもその間に入っていたようで、服が変わっていた。
「あれ?シエラ、あのお風呂にいたっけ?」
そう聞くと、首を振って答える。
「ううん、私は家人用の湯殿に入っていたのよ。……辺境伯宮殿の東側の大塔にあるんだけどね。」
「へえー。じゃあ明日はそっちに入ってみようかな?」
するとシエラ、今度はあわてて言う。
「いえ!そんなことはおっしゃってはなりませんよ!そ、それに、ミレイにはとても汚いと思えるところですよ、家人用の湯殿は。」
なんて。どうも言っていることが分からないが、首をかしげながらも言う。
「多少汚くても平気だけどね。……私、そんなに蝶よ花よで育てられたわけじゃないし……。」
「え?」
シエラはびっくりしたような顔をしたまま固まっている。「そ、それじゃあ、ミレイってもしかして、みなしごだったりするの?どこかの、路上で暮らしていたりとか、そこを通りかかる誰かに食べ物をもらったりしながら暮らしていたことがあるの?……あ、あれ?でもここに来た時には結構身だしなみは整っていたわよね、ここらへんでは見ない服だったけど、それだけは分かるわ。ディレイル様に整えてもらった……なんていうことはないでしょうし……。」
……私も大概、想像力はたくましい方だと思っているけど、シエラは私以上だと思った。まさか、“蝶よ花よで育てられたわけじゃない”というセリフだけでここまで想像してしまえるのは……。……ちとたくましすぎやしないだろうか?ただ単に、そこまで金持ちの生活ではなかったと言いたかっただけなんだけどなあ……。ていうか私の家族関係ってさっき説明したと思うんだけど。私がいろいろ説明して、何とか誤解を解いてやると、シエラは大きく安堵のため息をついていた。そして、さらにぶっ飛んだセリフを言ってくれた。
「ああよかった……。私てっきり物乞いどころか、人身売買をされまくっていたんじゃないかとか、どっかでいろいろなものを“売っていた”んじゃないかって心配しちゃったわ。」
本当に、シエラの“想像力”――もとい“妄想力”――って、すごいと思う。……ていうか、どこかで売っていた“いろいろなもの”って何なんだ?それを聞くと、顔を赤らめて、
「えっ?い、いや、いろいろなものっていったら、……あ、アレよ。」
としか言わない。そんなシエラの様子を見ていると、聞いているこっちもなんとなく気恥ずかしくなってきたので、話題を変えた。湯殿に行ったときにシエラが机に置いたままになっているフラウト・トラヴェルソを示して、
「ねえ、シエラ。私にもそのフラウト・トラヴェルソを教えてくれないかな?」
「……」
シエラは、いきなりの私の言葉に、すぐに反応できなかったようだ。数秒、あの柔らかな笑顔のままで固まっている。
「……え?」
「だから、その楽器を私に教えてほしいの。」
もう1度、繰り返して言った。「だって私、さっき見せた鉄扇だのなんだのでさ、体動かすしか能がないし、それに、男と間違えられるような女っ気がないし。……あ、別にこれは関係ないか。……まあ、ただ単に、誤解しているかもしれないような人に、体を動かしたり、悪漢と立ち回るだけが私じゃないんだっていうのを見せつけておきたいだけなのよこれって。」
シエラは、私のとんでもなく不純な動機を聞かされて、まずはしばらくポカンとしていた。それから口元に手をやってクスクス笑いだし、ついには声に出しての大笑いになってしまった。私はそんなシエラに、むう、と頬を膨らませて、抗議の意を伝えた。
「……そ、そんなに笑わなくたっていいじゃない。それに、やりたいと思った1番の理由は、そんな音を私も出してみたいなと思ったからよ。」
「ちなみに、誰に聞かせたいの?」
ニマニマ笑って聞いてくる。
「ディ、ディレイル様よ。……破落戸をぶん投げたところを見られて、おまけに胸倉までつかみあげちゃったからさ。あのね……」
説明にならない。
「クスクス……、申し訳ありません、ミレイ。分かりました。私でよろしければ。」
こうして、シエラにフラウト・トラヴェルソを教わることになった。もっとも、始めるのは私用の楽器が届いてからになるんだけど。こうして、ウェルディ州での1日目が終わった(はあ~~長かった)……。