25・大乱戦
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アルは姿勢を低くし、平原を東へと疾走していた。その横にはピタリとリズが並走する。後ろには少し離れてルナが追走する。
プルトは大きく迂回し、大軍の背後へ単独で向かっていた。
【新月の闇】を纏って気配を殺していても、走る音は消せない。
醜豚鬼がこちらに注目すればたちまちばれるだろう。
それでも、アル達は疾走しなければならなかった。今も戦い続けている人族の少数部隊の劣勢を見ているのだから。
大河から大軍までの距離はおおよそ3キロメトル。その距離をアル達は全力で疾走する。もうすぐ大軍の側面に辿り着く。
「おおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおお!」
突然響き渡る怒号。アルの雄叫びだ。
まだ戦闘に加わっていなかった大軍の中盤以降の醜豚鬼や醜悪鬼は驚愕し、一斉に振り返る。
アルは雄叫びをあげたものの、突撃はせずにその場で踏みとどまる。リズはアルの横に並び、見せびらかすように斧槍を掲げる。この二人の役割は敵の注意を引くこと。
その隙に、草陰に隠れたルナが風操術を使う。
「風よ、鋭き刃となり大気を切り裂く竜巻となれ!」
ルナが詠唱すると、アル達の正面にいた醜豚鬼どもの中に竜巻が現れる。
突然の攻撃に慌てふためく豚ども。血飛沫が舞い、仲間がバタバタと倒れていくのを見た豚どもは、更なる混乱へと落ちていく。
「おおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおお!」
アルの咆哮。それは更に豚どもへ混乱を巻き起させる切っ掛けとなる。
その中でも直ぐに立ち直り、周りの豚どもへと指示を飛ばす者がいた。おそらく、集団のリーダー的な存在なのだろう。
それを感じ取ったルナは、ピンポイントでリーダー的な豚を狙い打つ。
「光よ、鋭い矢となり敵を穿て!」
鋭い光の矢が次々と放たれる。いずれも狙いは指示を飛ばす豚。狙い違わず、その豚へと光の矢が吸い込まれる。
指揮者を失った豚どもは、各々の判断で勝手に動き出す。
多くの者は、目の前で目立つ二人へと突撃する。
アルとリズは、臆することなく、豚どもを迎え撃つ。
アルは、大鉈を横薙ぎに振るい、先頭を駆けてくる豚をぶっ叩く。
先頭を駆けていた豚は、腹を斬り裂かれ、斜め後ろへと吹き飛び、後方から駆けてきていた豚どもを巻き込んでいく。
アルの横で、リズも同じ様に豚をぶったぎっていた。
アルもリズもここを通すつもりはない。迫りくる無数の豚どもをバッタバッタと斬り伏せていく。
そこへ、豚よりも大柄な鬼族が現れる。醜悪鬼だ。見た目通り鈍重であるが、見た目通り怪力でもある醜悪鬼は、大きな棍棒をアルに向かって振りきる。
既に豚どもに囲まれていたアル。醜悪鬼の棍棒は、数匹の豚を巻き込みながらアルへと迫ってくる。
アルは、大鉈を上から振り下ろし、横薙ぎの棍棒を叩くと、己は宙へと飛び上がり、醜悪鬼の両目を斬った。
着地と同時に多数の醜豚鬼に囲まれるアル。
そこへ、風が吹く。アルの周りの醜豚鬼のみを襲う風の刃。アルは、ルナの援護の隙に、囲いを脱する。
アルもリズも周囲を無数の醜豚鬼と醜悪鬼に囲まれ始めるが、後方の草陰に潜んでいるルナの援護により、何度も囲いを脱する。
大混戦であった。四方八方から攻め困れるアルとリズ。お互いの背中を任せ、見える限りの、手の届く限りの敵を斬り伏せていく。
ルナの援護は、より多くの敵を巻き込むように放たれるが、囲いの数は変わらなかった。
と、その時、大軍の後方から怒号が巻き起こる。
無事に大軍の大将を倒したプルトは、必死にアル達の元へと走っていた。
そのプルトを追い掛ける怒り狂った醜豚鬼達。己らの将を討ち取られ、生かして返すものかと憤る。
プルトの進路を塞ぐ醜悪鬼の一団の中心に竜巻が巻き起こる。
竜巻が収束すると同時に竜巻を突っ切るように走るプルト。
ようやくプルトがアル達へと合流するが、その圧倒的な数の差により、アル達の窮地は変わらなかった。
「ルナ!一旦引く!どでかいのを頼む!」
アルは後ろを振り返らずにルナへと指示を飛ばす。
ルナはその指示を待っていたかのようにアル達の前方へと竜巻を巻き起こす。
周囲の醜豚鬼を斬り伏せ、囲いを脱したアル達は、後方へと走る。
追い掛けてくる醜豚鬼には、光の矢の雨が降り注ぐ。
その頃になると、大軍の前線も後方の異変を感じ取り、人族の集団への攻撃に乱れが生じ始めた。
数こそ一割も減っていない醜豚鬼と醜悪鬼の大軍であったが、プルトが大将を仕止め、ルナが各小隊のリーダーを仕止めたことにより、全体の統制が乱れていた。
アル達を追い掛ける者、その場に留まる者、前線へと足を向ける者、前線から引き返してくる者。
隊列が乱れたところに、大きな炎が巻き起こる。
人族の集団の中に火操術を使える者がいたのだ。しかも、その威力はルナの竜巻をも凌ぐほどであった。
アル達と人族の集団はお互いにお互いを認識していた。距離は遠かったが、タイミングを合わせて醜豚鬼と醜悪鬼の大軍を更なる混乱へと導くように、至るところに竜巻や炎を出現させる。
竜巻や炎から逃げ惑う醜豚鬼も多くいたのだが、我を忘れてアル達や人族の集団へと突撃する醜豚鬼も多く存在した。
個の戦いであれば、圧倒的にアル達が上回っているのだが、数の暴力により、徐々にアル達は体力が削られていく。
逃げることも出来るかもしれなかったが、そうすると人族の集団が逃げ遅れる可能性があった。
人族の集団もそうなのだろう。助けに入ったアル達を見殺しにして、自分達だけが逃げるという選択をしないのだ。
「アル!引き際は考えていますか!」
ルナが後方から鋭くアルへ言い放つ。
「このままじゃ、引くに引けないよ。向こうの集団へ合流する?」
アルは目の前に迫る金砕棒を潜り、醜悪鬼の腹を斬り裂きながら、ルナへと返答する。
「そうですわね。向こうに合流して、一緒に逃げられれば一番良いかもしれません」
ルナは焦っていた。自分の使うことが出来る最大威力の竜巻を連発していたため、体力とは別の精神力のようなものが限界に近いことを感じ取っていたのだ。
「リズ!南へまわるよ!リズが先頭を!プルトは脇を固めて、ルナを守って!ルナは全方位へ牽制して!殿は俺が引き受ける!」
「了解よ!」
「任された!」
「お任せください!」
前を塞ぐ醜豚鬼をリズが斬り伏せながら進む。横から襲ってくる醜悪鬼に雷を纏ったプルトの拳が突き刺さる。後方から追い縋る醜豚鬼どもは、アルの大鉈によって、体を2つに裂かれる。ルナの風の刃が多くの醜豚鬼を斬り裂き、近寄らせない。
アル達と人族の集団の距離は200メトルを切る。
人族の集団は100に近かったのだろうが、今、立って動けている者は、その半分にも満たない。多くの者が地面に倒れていた。
集団の中で指揮を取る男の容姿がアル達からも見えるようになってくると……
「ギル兄!」
「ギルさん!?」
集団を指揮し奮闘している男は、ギルバートであった。
その男を認識した途端に、リズの進む速度が上がる。
「リズ、突出していますわ!少しペースを落としてください!」
「でもっ!」
「リズ!ダメだ。突出するな!」
リズの気持ちが分かるアルであったが、ルナと同様にリズを止める。
「ギル兄!」
声の届く距離までくると、リズは目一杯の声で叫ぶように呼び掛ける。
リズは、ギルバートの左腕の肘から先が失われていることに気付いた。ギルバートの頭から夥しい血が流れていることに気付いた。
アルやルナが止める間もなく、リズは疾走し、ギルバートの元へと走り寄る。
「リズ!」
ようやくギルバートも助太刀に入った四人がリズやアルであったことに気付く。
ここで、久し振りの再会を喜んでいる暇はない。ギルバートとアル、リズはお互いに目を合わせるだけで、戦いへと戻っていく。
リズとアルは、ギルバートを守るように集団と鬼族の間へと飛び込んでいく。
「アル!引き際を!」
ルナの呼び掛けに頭を少しだけ冷やしたアルが考える。
「ギルさん!俺とリズが殿を受け持ちます。皆を纏めて撤退を指揮してください!」
「分かった……皆!撤退だ!」
生き残っていたものは、目の前の敵を斬り伏せると踵を返して逃げていく。統率の取れた集団のようで、撤退しながらも周囲の仲間の援護も忘れない。
じりじりとアル、リズと集団の距離が開いていく。
「アルも撤退してください!」
ルナは最後の力を振り絞り、アル達へ襲い掛かっていた醜豚鬼の一団へ光の矢の雨を降り注ぐ。
近い距離にいた醜豚鬼が倒れていくのを把握したアルとリズは素早く撤退する。
追い縋る醜豚鬼にどでかい炎の弾が降り注ぐ。
「このまま引くぞ!」
いつの間にかアルとリズの元へとやってきたギルバートが残っている右手を突きだし、炎の弾を放っていた。
元々、1000を超えていた醜豚鬼と醜悪鬼の大軍は、指揮する者を失い、その数も半数の500を下回っていた。
未だに怒り狂ってアル達を追い掛ける者もいるが、少しずつ追い掛ける者の数が減っていく。
「はぁはぁはぁはぁ……アル、リズ、無事か?」
ようやく、逃げきったところでギルバートがアルとリズへと声を掛けてくる。
「僕たちは無事だけど……」
「ギル兄!大丈夫?」
明らかに無事には見えないギルバートへと、逆に問いただすリズ。
「ははっ……これが無事に見えるか?」
ギルバートは渇いた笑みを浮かべ、肘から先のない左腕を見せびらかす。
「とりあえず、止血を」
そこへ、ルナが高価な治療薬を持ち現れる。
「ん?雄大な新星のルナか?」
「はい。今は聖銀の新星と名乗っていますが」
「初めまして、ルナの弟のプルトです。その、左腕は残念でしたね……」
ギルバートの左腕を見て、どう言って良いのか迷いながらもプルトはそう言うと。
「命が助かったからな。俺のダチは、半分が死んだ。奴等に比べれば俺の片腕なんて何でもねぇよ。ついでに片目も失ったっぽいけどな」
わざと軽い口調でそう告げるギルバート。頭から血を流していて気付かなかったが、よく見れば、額から左目の部分が抉れていた。
「ギル兄、私の肩貸すよ」
「リズだと肩が合わねぇよ。アルもでかすぎるぜ」
軽口を叩きながらも、しっかりとした足取りで南を目指すギルバート。その周囲を守るように固めるアル達。更にその周囲を守るように固める集団は、その数日後にアルフガルズへとたどり着くのだった。
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