1.いつもの冒険
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日の出の鐘が一つ、アルフガルズの街に響き渡る。辺りは朝靄に包まれ、うっすらと冷え込んでいた。
朝靄に紛れ、アルは、草食鬼竜である大きな一角鎧鬼竜が牽く荷車とともに、西の大門を潜り抜け中央区に戻ってきた。
ふわふわの灰色にくすんだ髪を無造作に風になびかせたアルは、まだ早朝だというのにその琥珀色の瞳には眠気が一切なかった。毎朝の日課となっている水配りは、まだ10歳の少年には重労働のはずであるが、歳の割りにしっかりとした身体で背も高いアルにとっては朝飯前の作業であった。そんなアルだが、年齢の割りに幼く見られたり、性別を間違われることがある。それは、その少女のような顔立ちと、くりくりと愛くるしい大きな瞳のせいである。
まだ日が昇る前から中央区の防壁の周囲に点在する共用の水場へと大きな水瓶を配って回ったアルは、一仕事を終え、商家の台所へと入っていく。
「おはようございます、カランさん。朝の水配りが終わりました」
「おはよう、アルちゃん。今日もいつも通り早いわね」
これから起き出してくる商家の人々へと朝御飯を作っていたカランは、盛り付けを終え、アルに笑顔を向けてくる。
アルが商家に奉公するようになってから2年が経つ。見た目も性格も良く、働き者のアルは商家の人々には大変気に入られていた。
「配膳が終わったら、あたしらも朝御飯にしようかね」
「はい!」
商家の使用人であり、料理担当のカランは、自分の息子のようにアルを可愛がる。アルが母性本能をくすぐる性質があるのかもしれない。
商家の人々への配膳も終わり、カランと他の使用人と一緒にアルも食事をとる。
「アルちゃんは、この後いつもの仕事だよね?」
食事も終わり、皆で片付けをしているところで、カランがアルに話し掛けた。
「仕事ではないですけどね…いつもの予定が入っているのは、そうです」
アルの話を聞いているカランや他の使用人達は一様に可哀想に、という表情でアルを見ていた。それにアルも気付き慌てて訂正する。
「毎日ですけど、僕も嫌じゃないし、結構、楽しいんですよ?そんな、心配されるようなことじゃないですから」
捲し立てるように楽しさ等をアピールするアルであったが、カラン達は更に悲しげな表情へと変わっていく。
「楽しいっていってもね…毎日、傷を付けて帰ってくるのを見ると、あたしは心配で仕方ないよ」
「傷は…確かに…でも、それは僕が未熟なせいで、リズさんは悪くないんです」
アルが庇っているのは、この商家の次女であるリズ。アルと同い年で10歳の少女であるが、普通のお嬢様ではない。冒険心や探求心が人一倍強いと言えば聞こえは良いが、大変なお転婆であり、常に木剣を持ち歩いていたりするのだ。
「あっ、時間に遅れちゃう!ごめんなさい、僕、行きますね」
そう言って慌ただしく外に出ていくアルを、カラン達は優しい表情で見送った。
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「今日は西の果てまで行くわよ!」
リズは、アルと出会うなり、今日の予定を告げる。いつも、リズは冒険と称してアルを連れ出すのだ。
リズは商家のお嬢様である。髪はサラサラの金髪で、物語に出てくるエルフかと思うほどに整った顔立ちをしているので、そこだけ見れば、確かにお嬢様なのだが…
格好は物語に出てくる英雄を意識している。黒のロングブーツに厚手のズボン。肩から腰までの革の軽鎧を身に付け、マントを羽織る。革鎧にも、マントにも獅子鷲を象った銀糸の刺繍が入っている。腰には木剣を二本差している。全て、10歳のリズの身体に合うように作られた特注品であった。
「西の果て?西は大きな河で行き止まりですよね?」
「アル!私と二人の時は敬語やめてって言ったでしょ!」
「あっごめん、つい癖で」
同い年とは言っても自分が奉公している商家のお嬢様に、タメ語で話すのには抵抗を感じていたアルだったが、リズの性格がさっぱりしているお陰もあり、もう最近は慣れてきていた。
「西の大河へ行くのよ。知ってる?最近、西の方で畑を荒らす害獣がいるらしいわよ!」
リズは持ってきていた二本の木剣のうちの一本をアルへと渡し、父親達が話していた噂話をアルに話して聞かせる。
「害獣って、危ないんじゃない?僕らまだ子どもだよ?」
「何言ってるの?私もアルももう10歳よ?それに、私もアルも近所の同年代の子どもの中じゃ物凄く強いと思うけど?」
アルは日頃から力仕事をしているのに加え、元々、身体がしっかりしているので、力が強くても違和感がない。しかし、商家のお嬢様で、年相応の成長しかしていないリズの力が強いことには違和感しかない。リズのその細い腕で振り下ろされる木剣での一撃が、アルよりも威力があるのだから、アルは不思議で仕方なかった。
「西の大河まで歩いて30分くらいだけど走っていくよ!どっちが早く辿り着けるか勝負ね!よーい、どんっ!」
「あっちょっと待ってよ!」
中央区を囲んでいる防壁には東西に大きな門が設置されている。中央区から外に出るにはどちらかの大門を通ることになる。
その西の大門から西の大河までは距離にして3キロメトル程である。子どもの足でもそう遠くない。ただし、普通の子どもであれば3キロメトルを徒競走の如く速さでは走りきれないだろう。だが、リズもアルも普通の子どもではない。ほぼ、全力疾走に近い速度でその距離を走り抜いてしまう。
「やった!僕の勝ちだね!」
「はぁはぁはぁ…ちょっと、距離が、長くなると…途端に、強くなるわね。
もう少し、短い距離なら…私の方が、速いのに」
肩で大きく息をし、本当に悔しそうな表情を浮かべるリズは、次回は絶対に勝つために、もう少し短い距離での勝負を考えていた。
「それにしても、今日は牛や羊がいないわね~」
「そうだね。その害獣とかのせいじゃないかな?」
いつもは牛や羊が放牧され牧草を食む姿があるのだが、今日はその長閑な風景が見られなかった。川原にも人気はなく、どこか寂しい雰囲気が漂っている。
害獣と呼ばれる獣は、野犬や狼などの家畜を食い荒らす獰猛な獣や、畑などを食い荒らす猪や鼠などのことを指している。しかし、このアルフガルズは、高く堅牢な防壁、大河や海に囲まれており、そういった害獣が入り込むのは稀であった。
「どうせ小型の害獣でしょ?なんなら小型の鬼竜なんかが現れれば少しは剣の練習になるのに」
「鬼竜はやだよ、せめて野犬とか小型の魔獣までにして欲しいな」
アルフガルズの防壁の外の世界には、魔獣や魔物と呼ばれる生物がいる。獣などの生物が、悪魔の力によって悪しき存在に化けると言われている。その生物の悪しき変化を魔化や凶化などと呼び、変化した生物を魔物や魔獣と呼んだりするのだ。
アルがせめて小型の魔獣として頭に思い描いたのは、額に一本角を生やした少し大きめの兎であった。あの兎は肉が美味しかったよな、と考えていたため、小型の魔獣でもいっか、と思ったのだ。
「この辺りを探し回るわよ!どっちが先に見つけるか勝負する?」
「いいよ!僕が先に見つけるさ」
「今度は負けないからね!」
リズ、アルは気合いを入れて周辺を探し始めるのだが、それは直ぐに見つかった。
「リズ?…」
「アル…やっぱり、あれ、そうよね?」
二人は街中で飼われている草食の大人しい鬼竜以外の鬼竜を見たことがない。
少し先の草原でこちらを見ている小さな生物は初めて見る生物であった。
「リズ…あれ、二足歩行だね…」
それは、背の高さが0・5メトル程度で、立ち上がった蜥蜴のような姿形である。両腕には、薄く鋭い爪が生えており、橙色の瞳は真っ直ぐにリズとアルを捉えていた。
「私、お父さまの書斎の図鑑で見たことがあるわ…多分、鋭爪鬼竜よ…」
リズの推測は当たっていた。体高が0・5メトル、体長は1メトル、体重は僅か25キログランという、鬼竜の中で最も小柄な鋭爪鬼竜であった。最も小柄な鬼竜ではあるが、その強さは、小型の鬼竜の中でも一、二を争う程であった。
「リズ、ヤバいよ。逃げた方がいいかな?」
「アル…残念なことにもう遅いわ」
鋭爪鬼竜は、小型の鬼竜の中でも最も動きが速い。リズやアルが歳の割りに走るのが速くても、中央区の大門に辿り着く前に追い付かれることは明白であった。
「アル…覚悟、決めるわよ…」
「うん…」
リズ、アルは覚悟を決め、この場で撃退するために、木剣を構えるのであった。
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