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08話 一難去って、また一難!


空がゆっくりと白み始めて、金色に輝く太陽が世界を目覚めさせる予感を強く予感させる、深く蒼い空が広がっている。

夜の冷たさを含んだままのひんやりとした風が、薄いピンクの髪を撫でていった。

青年は、薄くなっていく宵闇と共に姿を消していく月を見送り、次第に姿を現していく黄金に背を向けていた。だらりと垂れ下がった右手の中の赤い石が、太陽の光を受けて煌いている。だが、煌きはかき消されるように少年が強く握りしめたてのひらの中へ消えていった。


「考えを変えるつもりはないのね?」


少女が、少年を真っ直ぐに見据えて言った。少女は真っ黒いコートを羽織り、手には鍵の形をした大きな杖を持っている。

彼女は少年が首を横に振るのを見て、彼に背を向けた。昇りゆく太陽を見上げる。


「あんたもくどいな」

「まぁ、出来る限りあなたを止めるのが、約束だからね」

「約束か」

「ええ、彼らとの。あなたも、約束をしているでしょう?」

「ああ。だが……約束など――果たされない。果たされるはずがないんだ」


少年は呟いた。その声音には苦渋が滲んでいた。その苦渋を振り切るかのように、少年は右手に握りしめる赤い石を天高く掲げる。

少女はもう、引きとめる言葉を発することはなかった。

石は太陽の煌きではない、自らの力で赤く澄んだ光を放ち始めた。


「我が意志に従え、澱みし力の成れの果て――”魔物”達よッ」


赤い石が一際大きな光を放ち、真っ直ぐに天空に向かって伸び、空高い場所で霧散した。その光に呼応するかのように、遠く荒野となったその場所に立つ二つの塔の片方が、赤い光に包まれる。

森に眠る”魔物”達が、ゆっくりとその瞳を開き始めた。




―――*―――




刺客に襲われた夜から、四日が経過した。


「このっ、ばかものが――ッ」


唐突の男の怒声は、洗濯物を抱えて廊下を歩いていた嵐と快晴の耳に届いた。

そのあまりな声の大きさに、手にしていた洗濯物を嵐は取り落とした。バサバサっと勢い良く落ちた洗濯物を、快晴が拾う。そして、苦笑した。


「今のって医者の声だよな。またジェードかなぁ」

「また? 今度は何したんだろ」

「初日は荷物まとめようとして怒鳴られて、昨日は退院しようとして怒鳴られて……抜け出そうとしたのか?」

「だったら、僕達に一言なきゃおかしいよ。そもそもの旅の目的は、僕達を安全な場所まで送り届けることなんだからさ」

「あー、そっか」


快晴から洗濯物を受け取った嵐は、そのまま小走りに駆け出した。

その後ろを、快晴は歩き出す。行き先は、当然、ジェードのいる病室である。

刺客に襲われた後、さすがにジェードの怪我を放置のまま山越えなど不可能で、一同は一番手近な村の医者に駆け込んだ。

その医者は、ジェードの背中を診るなり、「入院」と一言申し渡したのだった。

当然、先を急ぎたいジェードは入院を快く受け入れられるわけもなく。

当然、プリムローズも嵐も快晴も、そんな怪我人と旅をしようと思うわけがなく。

当然、怪我人をはいそーですかと旅に見送る医者もなく。

入院三日目となった今日も、ジェードは無駄な騒ぎを起こしている。


「ったく、病院で怪我を治すだけだってのに、何でいちいち騒動ばっか起こすんだろうね」

「……まぁ、気持ちは分からないでもないけどさ」

「何、快晴。ジェードの気持ちが分かるっての?」

「ちょっとだけな。ほら、俺も捻挫して、外で遊ぶの禁止された時あったじゃん」

「ああ、あったね。そんでもって、快晴は初日から外でサッカーしようとして、じーさんに柱に縛り付けられた」

「そんなことは覚えてなくていいっての。あの時の俺と同じ気持ちなんだと思うなー。ダメだと言われたら余計にやりたくなる気分? あ、それ以前に俺から遊ぶことを取ったら窒息するぞな気分? そういやジェードって、アウトドア派っぽいよな」

「……それって、単に我慢が出来ないだけなんじゃ」

「絶対違う!」


他愛ない会話を交わしていると、すぐにジェードがいる病室へと辿り着いた。

部屋の入り口にはプリムローズと数人の看護師らしき女性がいて、開かれたドアからおそるおそると中を覗いていた。二人がプリムローズに声を掛けると、彼女は苦笑を浮かべつつ中を指差した。


「今度は、体力作りをしていたようですよ。ほんと、ジェードって子供ですね」


彼女に促されるように部屋の中を覗くと、上半身が白い包帯を巻いたジェードが、地面の上に座り込んでいた。

その額や、腕や体にははっきりと汗が浮かんでいる。あの汗は、痛みからくる冷や汗の類いではないことは、近くに槍が転がっているところを見て、間違いないだろう。プリムローズと共にいた女性達も、おかしそうにクスクスと笑っている。


「君は怪我人だと、何度言ったら分かるんだ! 武人の君にとって、確かに傷そのものは重症ではない。だが、怪我は完治させておかないと、後で困るのは君自身! そもそも、手負いで”竜の爪”を登ろうとするなぞ、人間のすることか!」

「……」

「どんなに辟易な顔しようが、泣き落としをしようが、駄々をこねようが、絶対に退院は許さんぞ! 君のような大馬鹿者は、完全完治まで絶対入院だ!!」

「ちょっと待て! いくら医者だからって、そこまで決める権利はねぇだろうが!」

「すごんでもムダだ!」

「すごんでねぇ!」

「その顔のどこが、すごんでいないと言うんだね!!」

「この顔は生まれつきだっ!!」


この会話も、入院初日から繰り返されている。よく飽きないものだ、と嵐も快晴も思う。

次第に、医者とジェードの怒号に看護師やら患者やらが集まってきて、嵐と快晴は洗濯物を抱えて、その場から離れることにした。珍騒動の種となっているジェードの関係者だと知られるのは、遠慮したい。

洗濯場に戻ると、看護師の一人が大きな洗濯物を抱えて歩いてくるのとすれ違った。洗濯されたベッドシーツを、両手で抱えている。


「あら、もう戻ってきたの?」

「はい。一昨日や昨日とまったく同じ光景でしたから」

「あらあら」


嵐の言葉に、看護師はさもおかしそうに笑ってから、二人が抱えたままの洗濯物を見た。

二人が抱えているのは、患者が着る衣服だ。


「それじゃあ、それを片付けた後、休憩にしましょうか。もうすぐお昼ご飯だものね」

「はい、分かりました」

「やった! 今日の昼ご飯って何?」

「代わり映えのない、野菜中心の食事よ」

「そんなことないって! 俺、野菜あんまり好きじゃなかったけど、ここの野菜料理ってすっげーおいしいから好きだな」

「あら、ありがとう。後で料理長に言っておくわね。すごく喜ぶ――あら、何かしら」


看護師はふと、騒がしい気配がする方向へと目を向けた。

ジェードと医者が騒いでいる方角とは正反対の、病院の入口の方角である。誰か重症の患者でも運び込まれたのだろうか、と嵐と快晴はお互いの顔を見合わせた。

この病院は、近隣では一番大きくて、唯一の入院施設もある。

そのため、小さな医者では面倒が見切れないと判断された重症の患者はここに運ばれてくる仕組みになっている。それほど大きな町や村ではないので入院数も多いわけではないが、数日おきには緊急で患者が運ばれてくるようだった。ジェードが入院して四日だが、毎日誰かが運び込まれている。


「僕達でこのシーツ片付けましょうか。大変になりそうですし」

「でも、」

「大丈夫、俺達、これでも力持ちだから」

「そう――それじゃあ、お願いするわね。ありがとう」


躊躇いつつも、看護師は山のようなシーツを嵐と快晴に半分ずつ手渡すと、玄関に向かって急ぐように小走りで駆けて行く。


「また魔物に襲われた人かな」


渡されたシーツを抱えなおしながら、嵐が看護師の走って行った方角へと目を向けた。

快晴もつられるように振り向いて、そうかも、と頷いた。ここ毎日のように運び込まれる病人の原因は、魔物に襲われたせいだ。それも、町に近い場所で。


「そういやこの大陸って、今、魔物の被害が酷いんだったよな。俺達、一度も魔物に襲われたことないから分かんないけど」

「うん。……でも、今入院してる人達のほとんどが魔物に襲われたって言ってたし。僕達がここに来た時も、真っ先に魔物に襲われたのか、って聞かれたしね」

「足が食われちゃった人、いたよな……」

「死んだ人のほうが多いって」


そこまで言ってから、二人は口を噤んだ。

脳裏に蘇るのは、魔物に大怪我を負わされた人の姿で、そして、二人がここにいるすべての”原因”だった。

”救いの者達”

300年前にこの大陸の救い、再び降り立つと予言を残していった者達。だが、彼らを呼ぶはずの儀式で呼ばれたのは、14歳の何も知らない子供二人だった。嵐も快晴も、”救いの者達”など知らない。それはつまり、儀式の失敗を意味しており、魔物被害が減っていないということは、”救いの者達”は今もこの地に降り立っていないということだ。

間違われて呼ばれたことは、二人にとって迷惑の一言しかない。

だが、こうして間近で魔物被害を見ると、どうして今ここにいるのが本物の”救いの者”ではないのだろう――という、罪悪感にも似た感情が沸き起こる。

そうすれば今頃、きっと、魔物で傷付いたり死んだりする人はいなくなっているはずなのだから。


「”救いの者”、か……。何で僕達、そんなのと間違われて呼ばれちゃったんだろう」

「そうだよな。ちゃんとそいつらが呼ばれてれば、今頃、魔物の被害はなくなってたかもしれないのにな」

「……」

「……」

「はぁ。何だかイヤになるよ。何で僕達がこんなふうに思わなくちゃいけないんだよ。全然関係ないのに」

「そうだな。でも俺、何となくだけど……うん、何となく関係なくないような気もする。あ、でもやっぱり関係ないかなぁって感じ」

「それ、どっちだよ」

「どっちもだよ。俺も分かんないや」

「頼りないなぁ。それってさ、快晴の力がそう感じさせてるわけ?」

「多分。すごくすごーく遠いところから、呼ばれてるような感じがするけど、気のせいかなぁって思う時もあるんだ」

「ますます頼りない。それに、一歩間違えばアブナイ人みたいだよ」

「い、いーじゃん! とりあえず、さっさとこの洗濯物、片付けちゃおうぜ」


快晴が誤魔化すように歩き出して、嵐は溜め息をついてから、追い掛けるように歩き出した。

病院内は、先ほどまでの穏やかさとは異なる慌しさが、漂い始めていた。人づてで、やはり今日の患者は魔物に襲われて運び込まれたのだと聞き、二人はちくりと心が痛むのだった。




―――*―――




ジェードが入院している間、プリムローズ、嵐、快晴は近くの宿屋に泊まっている。

宿代はジェードの財布からだ。嵐と快晴はもちろん、プリムローズも財布の中身は驚くほど空に等しかった。一体どうやって旅をしてきたのか謎であるが、問うても、彼女はにっこり笑って答えをはぐらかすだけだ。

教会のことに詳しくて、魔術の才能があって、旅慣れているけど貧乏娘。まったくもってその素性は想像すらしがたいほどに、謎だらけだ。

ジェードは相当に怪しがっていたが、嵐と快晴は気にしない。

プリムローズの素性が怪しいのならば、二人の素性はどうなるのだろう。異世界から来ました、などと――どんな顔して言えば良いのだろう。それに、言ったところで信じてもらえるわけもなく、行き着く果ては彼女と同じ、怪しさ全開の謎となる。他人のことは言えないのである。


ガシャン、と花瓶の割れる音がして、快晴は振り向いた。

音がした場所には嵐がおり、その足元には想像の通りに割れた花瓶が転がっている。彼らと同じく部屋へと戻ろうとしていたプリムローズが、慌てて嵐のもとへと駆け寄った。


「大丈夫ですか、アラシ? 怪我はしてませんか?」

「あ、うん。僕は大丈夫」


嵐は、足元に散らばっている花瓶の破片を見下ろしつつ、しまったなぁと顔をしかめた。

破片を踏まないように気を付けながら嵐の傍に近寄る。


「嵐? どうしたんだ?」

「あ――うん。考えごとしてたら、手をぶつけちゃったみたいだ。どうしよ……弁償かな」

「二人とも、弁償もそうですけど、まずは割れた破片をどうしようって思ってくださいね。踏んだりしたら危ないですから」

「あ、ごめん。お店の人を呼んでくるよ」

「はい、お願いします」


プリムローズの言葉に、嵐は慌ててカウンターへと走った。

泊まることの出来る部屋は二階にあるこの宿屋は、一階が食堂とカウンターを兼ねている。大通りからやや奥まったところ、人がたくさん集まるような眼を引くほどのものがない通りに位置するためか、宿屋全体がそれほど広くない。今でも、食堂で食事をしているのは、五、六人ほどだ。その全てが、宿泊客ではない。何しろ、客は嵐達三人だけなのだ。

宿屋として繁盛しているとは言いがたいが、雰囲気は悪くなかった。素朴でのんびりとした時間が流れているようで、居心地はそれなりに良い。一階に下りると、宿屋の主人はカウンターでのんびりとウエイトレスの少女と会話していた。

嵐が近付いてくるのを、娘が先に気付く。年のころなら17、8か。プリムローズと同じくらいの娘だ。


「すみません」

「おや、何だい」

「ごめんなさい、廊下の花瓶を割っちゃったんです」

「花瓶を? ああ、いいよ。こっちで片付けておくから。怪我はないかね?」

「怪我はないです。あの、片付けは僕がやります。うっかりしてた僕が悪いから……」

「パーニエ、片付けてきなさい」

「は~い。じゃあ父さん、もう上がりでいい? 明日朝早くてさ。お弁当作ってあげるの」

「まったく、またロディのところへ押しかける気かね。あまり迷惑にならないようにしないと、愛想をつかれるぞ」

「失礼ね! あたしとロディはラブラブなんだからね!」

「あの、えっと……」


どうやら親子らしい二人はそれだけをやり取りをして、パーニエと呼ばれた娘は戸惑う嵐を置いて、さっさと奥に引っ込んでしまった。

すぐにホウキとチリトリを手に現れると、やはり嵐をその場に残して階段を上がっていく。嵐はぽかんとパーニエの姿を見送っていたが、はっと我に返ったように彼女の後ろを追い掛けた。

そして、階段を駆け上がろうと一歩出した時、


カラン、カラン


宿の入口が開く音が聞こえて、何とはなしにそちらを見た。

入口に立っているのは、旅人のようだった。ちらりと見ただけで顔は見えないが、背格好から、男だと分かる。肩から膝までを覆う外套を着込み、右肩には小さな荷物を担いでいた。その髪は、薄いピンク色だ。

決して明るいとは言えない室内だが、あの髪の色合いはプリムローズで見慣れたから分かる。

(あ、プリムさんと同じ髪の色だ)と、頭の隅っこで考えて、嵐は階段を駆け上がった。


「お客さん、いいですよ。あたしが片付けますから」

「じゃあお願いしますね」


パーニエに追いつく頃には、すでにプリムローズとの話は終わっていたようだった。

プリムローズは嵐の姿に気が付くと、手招きして部屋へ戻ろう、と言って歩き出す。これ以上、我を張って自分が片付けると主張する必要もないのだろう。嵐は大人しくそれに従った。パーニエの横を通り過ぎる時、軽く頭を下げると、気付いたパーニエは、気にするなと言うように、にこりと笑った。

部屋割りは、嵐と快晴が二人で一つの部屋を、プリムローズが個室となっている。

夕食も済ませた三人は、それぞれ寝る前の言葉を交わして、部屋に引っ込んだ。明日も病院に行って、ジェードのお見舞いを兼ねて手伝いをするつもりだ。何せこの世界のことも国のこともまったく知らない上に、無一文の嵐と快晴は、暇つぶしに出来ることが何もない。

村の中の冒険は一日目で終了している。子供の足で一日三周してしまえるほど、この村は何もなかった。


「はぁ~、ここで寝るのも四回目だな」


ぽすん、とベッドに飛び込むように倒れこんで、快晴が感慨深く呟いた。

隣のベッドに腰を下ろしながら、嵐も同じ気持ちのようで、何度も頷く。ジェードが病院に入院して四日目。つまり、嵐達がこの宿屋で寝泊りするのも四日目となる。


「確かジェードの入院って十日間の予定だろ? この状態があと六日かぁ。ま、野宿よりはましだけどさ」

「ジェードが大人しくしてれば、の話でしょ。今日の様子だと、十日どころか本当に完治するまで病院に縛り付けられそうだよ」

「うわ~。って、俺達は別にいいけどな」

「まぁね。ジェードって、急がば回れって言葉を知らないのかな」

「絶対に知らないと思う」


そうだね、と嵐は苦笑しながら同意して、ベッドから立ち上がった。


「じゃ、風呂に行こうか」

「ん、そうだな」


快晴もベッドから起き上がると、嵐の後ろを歩き出した。

この宿屋には風呂の設備がない。そもそも、この世界では宿屋に入浴設備があるのは貴族御用達の宿屋くらいだという。かわりに、公衆浴場が町には必ず一つか二つはあるから、そこを利用する仕組みになっている。もちろん、代金は宿とは別払いだ。


「お風呂に行ってきまーす」

「はいよ。気をつけてな」


プリムローズに声を掛けると、後で行くと答えが返ってきたので、二人だけで行くことにした。

一階に下りると、食堂は相変わらずまばらに人がいるだけで、カウンターには主人がのんびりと座っていた。

嵐と快晴はひと声掛けてから、宿を出て行く。外に出ると、夕焼けが沈みかけていて、行き交う人々は、仕事帰りなのかどこか疲れた顔をしているようだった。それでも表情は明るく、家路に向かう足取りは軽い人が多い。

そんな人達の姿を、嵐は横目で見ながら歩いた。

子供二人、夕暮れの中を歩いている姿は、彼らにはどう見えているだろう。

彼らと同じく、家に帰る子供達――が、やはり一般的だろうか。家に帰ったら父と母がいて、あたたかな夕食が待っている、幸せで平凡な子供達。

(現実はまったく違うのに?)

そう思ったら、唐突に、目に入る光景がひどく冷めたものに見え始める。


(そんなのとは、掛け離れてる。僕達には――僕の帰る場所は……)


帰る場所、と思い描くのは快晴の父と母、祖父の姿だった。

そこに嵐が父と呼ぶべき人、母と呼ぶべき人はいない。彼らの姿さえ、おぼろげにしか浮かばない。声だってはっきりとは思い出せない。

元の世界に帰っても、どこにも、いない。


何故なら、父も母も、五年前に――死んだ。


(でもそれは、僕のせいだ)

不意に。

嵐はすべてがどうでも良くなっていく。

帰れないことも、命を狙われたことも、すべてが。自分のことのはずなのに、まるで遠い他人事のようで。

いっそ、放り出してしまおうか、と思う。このまま、誰も知らない場所に行ってしまおうか。どうせ自分には関係ないことなのだ。そうしたって誰も困らない。

例えそれで”救いの者達”が来られなくなったとしても、嵐は何も悪くない。間違えた教会の人達が悪いのであって――魔物被害がどんどん大きくなろうとも、そのせいで結局嵐自身が死ぬことになろうとも。

もう、どうでもいい。


(ああ、どうせなら……全部全部、壊れてしまえばいいのに)


「嵐!!」


思考の海に落ちそうになっていた嵐の耳に、快晴の声が届いた。と、同時に、


「あだだだだっ!?」


思いっきり、耳を引っ張られる。

力いっぱい快晴の腕を振り払って、嵐は引っ張られた耳を手で押さえた。痛みでじんじんと痺れている。

痛みと驚きで涙を浮かべながら、嵐は快晴を睨み付けた。快晴も、嵐を睨みつけていた。


「何だよ、いきなり!」

「おまえ、今、すげぇ物騒なこと考えてただろ」

「な、」


思わぬ快晴の言葉に、嵐は声を詰まらせた。

真っ直ぐにこちらを睨みつける快晴の目は、怒りをたたえているようだった。ほんの今、嵐が考えていたことを見抜いているように。

咄嗟に、視線が下がる。先ほどまであった感情が、急速に萎んでいく。かわりに、嵐の心に、罪悪感が沸き起こった。


「別に、そんなに物騒なことなんて」

「嘘つけ。絶対、考えちゃいけないことを考えてた」

「……何で分かるんだよ。精神感応の力で覗いたのか?」

「そんな力なくたって、分かるに決まってるだろ。おまえ、顔に出るし」

「顔に? そんなこと、言われたことないけど」

「バカ、おまえは考えちゃいけないことを考えてる時は、のっぺらぼうになるんだよ。俺、その顔すっげぇ嫌い」

「のっぺらぼうって……」

「とにかく、その顔するな!」


快晴はそれだけを言うと、足早に歩き出した。

その足取りはそのまま快晴の怒りを表していて、嵐はしばらくの間、ぼんやりと遠ざかっていく後姿を見ていた。

引っ張られた耳は、まだ、痛みを残している。

快晴は足取りを緩めることなく、どんどんと進んでいく。このままでは姿を見失ってしまいそうだと思い至って、嵐は急いで走り出した。

すぐに追いついて、その肩に手を置こうと、腕を伸ばす。

謝らなければ、と思った。

そうだ。謝らなければいけない。


―――おまえは悪くない!


かつて、そう言ってくれた。

両親を失って、そのせいで嵐が深く傷ついた時。生きている自分が”悪”だと思った時。

そうじゃないと言い切って、世界を塗り替えてくれたのは。

一人となった嵐を、”独り”から助け出してくれたのは、他でもない、快晴だったのだから。快晴の家族だったのだから。

世界を捨てることは、快晴をも捨てることになる。

大切な人達を、裏切ることになる。


あと少しでその指が快晴に触れる、という時。

唐突に目の前が真っ暗となり、嵐の手は快晴の肩に触れることはなく――




「……嵐?」


快晴は急に不安を感じて、後ろを振り返った。

怒りのままに一人進んでいたが、後ろから嵐が追い掛けてくることは分かっていた。だから、振り向けば、そこに嵐がいるはずだった。

だが、そこにいるのは、見知らぬ少年だった。年は17.8ほどか。

少年が、快晴の後ろに立っていた。

髪が薄いピンクを思わせる色で、咄嗟に脳裏に思い浮かんだのはプリムローズだった。それは、髪の色だけからそう思わせたのではない。顔立ちだった。少年の顔立ちが、プリムローズを思わせた。

快晴は眉を顰めた。

目の前の少年は、まったく見知らぬ人だ。だが、少年から感じる感情は、ひどくぐちゃぐちゃだった。

懐かしさがあった。怒りがあった。憎しみがった。そして――


「……プリムローズに伝えろ」

「え……」

「おまえのすることは、茶番だと」


少年はそれだけを言うと、踵を返す。そのまま人込みの中へと歩き出して、ふと、その足を止めた。


「おまえ達は、”彼ら”ではない。けれど塔は、呼んでいる。おまえ達を。だが俺は、それを認めたくない」

「塔……?」

「片割れは、いただく」

「え……。ッ!?」


快晴は、少年の一言で、頭の中が真っ白になった。

少年から感じる感情。その最も大きなもの。それは、罪悪。嵐と快晴に対する。

その、意味するところ。

後ろにいたはずの嵐がいない。かわりにいたのは、目の前の少年。

その、意味するところ。

片割れはいただく、という言葉。

その、意味するところ。

快晴は、それを頭で理解するよう先に、少年に掴みかかるように、腕を伸ばした。


「嵐を返せ!」


叫んで、地を蹴った。だがその手は虚しく空気を掴んだだけで、少年へとは届かなかった。

少年の姿はもう、消えていた。


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