07話 コールイート山脈の攻防戦・後編
「修道士と、子ども二人と、女が一人……話の通りだな」
山賊の一人が、剣を構えながら言った。
ジェードの片眉がぴくりと動く。
「へぇ。って事は、雇われか。……物騒な世の中だぜ」
「おい、野郎共! 男とガキは確実に殺せ! だが、女は生かしておけよ!」
おう、と周囲から下卑た笑い声とともに承諾の声が上がる。数は8人。
対してこちらの戦闘能力は、ジェードと、魔法を使うプリムローズだけ。おまけに嵐と快晴は完全なる足手まといでありながら、安全な場所に隠れる事も、逃げることも出来ない。嵐と快晴には、不利な状況にしか見えなかった。
けれど、ジェードは余裕の態度を崩さない。ハッタリか本当に余裕なのか。二人には分からない。
「なかなか上玉じゃねぇか。後が楽しみだなぁ、おい」
山賊が舌なめずりをして、プリムローズの姿を舐め回すように見る。プリムローズは、はっきりと嫌悪感をあらわにした。
「イヤですね! だから山賊は嫌いなんですよ。ムードもないんですから。あんなんじゃ、どんな女だって振り向きません」
「僕は、この状況でそういうムードを作って口説くほうがイヤだけど」
「あ、それもそうですね。ってことはどちらにしてもイヤって事で解決! ジェード、こんな人達ちゃっちゃと倒しちゃってくださいね!」
「……あいつら、ほんとに怖いと思ってんのか?」
ジェードは疲れたように肩を落とすと、改めて槍を構えた。その目は、冷え冷えとした月よりも凍てついた鋭さのみが宿っている。
(正面に2、右に3、左に2、小屋の影に1……総数、8!)
長く息を吸う。そして、短く息を吐く。同時に飛び出した。
「ハッ!」
「がっ――!?」
その一歩は、多勢に無勢の有利的な状況で油断していた山賊達にとって、不意打ちにも等しかった。
ジェードの槍は、違わずに目の前の山賊の心臓の部分を貫いた。が、それに留まらず、次の瞬間には別の一歩を踏み出している。
槍を素早く巡らせ、一気に二人目の山賊を肩から腹に掛けて一閃した。狙い違わず、その刃を山賊を切り伏せる。
「なっ――ッ」
「このクソ野郎!!」
あまりの早業に、周囲の山賊が動揺し激昂するのが分かる。ジェードが、目線だけでプリムローズを見た。
唐突に始まった混乱から守るように、子ども二人を引き寄せつつ、状況を伺っていたプリムローズは、ジェードの意図を正確に理解して、頷いた。
「<ル・ドレ・フィア>」
両手を高く掲げ、短い呪文を発するとともに、勢い良く振り下ろす。
複数の炎の塊が一斉にプリムローズの手から飛び出した。そのまま動揺する二人の山賊はあっけなくを呑み込まれ、炎と共に急速に縮んでいき、すぐに消える。
「うっそぉ!?」
「ひ、人が消えちゃった!?」
「今の呪文はですね、闇魔法の一種なんですよ。闇魔法って基本的に相手を切り刻んだり苦しめたりするものが多いんですけど、これは血も飛ばない死体も残らない後始末に大変便利な術で」
「ごめんプリムさん、言ってること全然分かんない」
「あら、あなた達は、魔法の仕組みを知らないのでしたっけ」
「それ以前に、この状況で話を聞く余裕がないってことなんだけど」
「ああ、残念です。とっても残念です。ということで、<パ・シェル>」
プリムローズが右手を突き出すと、白い光が三人を包み込んだ。同時に、キィン、と金属音が甲高く響く。
山賊が振り下ろした剣が、空中で不自然な形で止まっていた。
「ぶ、物理結界で剣を止めた!?」
「バカなッ!」
「天才魔法使いは、何でもアリなんですよっ」
驚愕に歪める男の背中を、ジェードの槍が一閃した。これで地に伏すのは五人。残りは、三人となる。
ジェードは既に及び腰となり始めた山賊に向かって、唇の端を大きく吊り上げて見せた。
「まだ相手にするか? ああ、逃げるなよ。おまえらには聞きたいこともあるしな」
「うっ……」
「クソッ、こんな強いヤツだなんて聞いてねぇっ!」
「たかが修道士と子供を殺る簡単な仕事だって、言ってたくせに――報酬の割りが合わねぇぜ!」
山賊達は一斉に逃げ出した。が、そのまま見逃すほどジェードは優しくはない。
「プリム! 足止めだ!」ジェードはそう叫ぶや否や飛び出し、プリムローズは「はい!」と答えると共に、素早く呪文を紡ぎ出す。
「<タ・イム・レド>!」
「はぁっ!!」
プリムローズの呪文と同時に、逃げようとした山賊の目の前に、土の壁が現れた。
当然、突然のことなので山賊は土壁に真正面からぶつかり、反動で地面に倒れ込んだ。その山賊に、ジェードの槍で打ち付ける。もちろん、柄の部分で、だ。
そのまま山賊の首元に槍の刃をあてがう。残りの二人は逃げたようで、周囲に気配は残っておらず、一同はほっと息をついた。
危機が去ればはしゃぎ出すのは、子供組である。二人は、感動と尊敬の眼差しでプリムローズを見た。
「すっげ~」
「魔法の連発だよ! これこそファンタジーだよね!」
「あ、でもさ、ジェードとプリムさんって、実はすごい仲良しだったんだね」
「何アホなことを言ってるんだ? 快晴」
「だってさ、まるで昔からの知り合いみたいなチームワークっぷりだったじゃん」
「違いますよ! あたしが、ジェードに合わせて動いてあげているんですっ。こんな顔の怖い人と、息がピッタリだなんて、心外ですっ」
ジェードはぴくりと片眉を動かしたが、それに留めた。視線はわずかに怒気をはらんでいたが、口に出すつもりはなさそうだ。
嵐と快晴が、目を丸くして言った。
「ジェードが大人な反応してる!」
「すげぇ!」
「てめぇら、人が譲歩してるってのに、わざわざ突付くな」
「うわ。何だか知らないけど、これ以上触らぬ神に祟りなしっぽいよ」
「そうだな。やめとこっか」
「……分かっててやってだろ、おい」
「つまんないです」
「何がつまらんかは、この際聞かん。っつーか、絶対言うな」
「むー」
「……おまえら、楽しい会話してんじゃねーよ」
山賊が怒気を孕んだ目線で一同を睨みつけていた。首元にジェードの槍があり、腹の上からも押さえつけるようにジェードの足があるため、身動きが取れないのだ。
ジェードはニヤリと笑った。それを見た山賊がわずかに頬を引きつらせた。山賊も驚くほどの凶悪さらしい。
「バカ言うなよ。楽しいお喋りはこれからなんだぜ? ああ、ヘタな動きは寿命を縮めるからやめておいたほうがいい。さあ、こちらの質問に答えてもらおうか」
「だ、誰が……っ」
「だったら逃げ出したもう二人に聞くまでだ。当然、おまえはあの世行きだがな」
「……っ! わ、分かった、話す。喋るから槍をどけてくれっ!」
「はっは、面白い冗談だな」
「ふふ、安心してください。この人が逃げ出したら、あたしがきっちりトドメをさしてあげますからっ」
「……くそっ」
忌々しそうに悪態をついて、山賊はジェードとプリムローズを交互に見上げた。
そして、諦めの境地に達したようだった。
並みの腕では叶わぬ槍使いと、やはり並の実力では叶わぬ魔導師が相手では分が悪いと悟ったらしい。
「おまえら、雇われだと言っていたな? 依頼主は誰だ」
「……知らねぇよ。ほ、ほんとだっ! 黒づくめの男が俺らの住処に現れて、金を置いて行ったんだ! おまえらを殺せってな! それ以上は本当に知らねぇよ!」
「自白させる魔法も知ってますけど、どうします?」
「必要ねぇだろ。……じゃあ質問を変える。黒づくめの男は、どこかにこれと同じ模様を刺繍された服か荷物を持っていなかったか?」
「ジェード、敵の心当たりがあるの?」
「まぁな」
嵐の言葉に頷きながら、ジェードは山賊に槍の覆いにある、桜の刺繍の部分を見せた。
山賊はしばらく考えてから、おお、と思い出したように表情を動かした。
「見た、見たぞ! 確か……手袋だ! 右手の手の甲に刺繍があった! ピンク色だなんて少女趣味なキモい奴だって思ったから、よく覚えてる!」
「手袋か……なるほどな」
「それって、もしかして……」
「ああ。確実に同業者だ。この刺繍は、位置によってある程度の役割も表している。俺が槍使いで覆いに模様が縫われているように、手袋に縫われているってことは、」
その時、快晴が突然顔を上げた。
「ジェードっ! 何か来るよっ!」
「っ!?」
ジェードは一拍遅れて反応した。プリムローズの腕を掴んで自分の方に引き寄せた。そのまま、プリムローズを巻き込む形では嵐と快晴に体当たりをして、三人を地面に引き倒した。
四人の足が地面から離れた途端――
ドォォォンッ!!!
大きな爆音が、つい一拍前までジェードのいた場所に響いた。
爆風に押されるように四人ごと飛ばされ、プリムローズがジェードの肩越しに、爆風の起こった場所を見た。そこにいただろう山賊は、跡形もなく吹き飛んで姿はない。
「なっ、何が起こったんですかっ!?」
「手袋にサクラってことは――そいつは魔導師だ!」
「えええ!?」
ジェードの下敷きになり、背中を打ちつけつつもプリムローズと嵐と快晴は無傷だった。が、ジェードは立ち上がろうとした途端、呻きを上げて膝をつく。
慌ててジェードを支えようとしたプリムローズが、彼の背中を見て青褪めた。彼の背中が、赤くただれて血で染まっていた。
今の爆風をまともに浴びたのだ。三人を守るために、盾になって。
「ジェ、ジェード! 大丈夫っ!?」
「平気だ。……物理結界のおかげで、この程度で済んだ」
「でも、酷い火傷です。手当てを、」
「いや、お前は魔法結界を張れ。二発目が来る。……それから、カイセー、敵の行動を読め」
「で、でも……。いえ、分かりました」
一瞬躊躇ったものの、プリムローズは頷いた。そして、短い呪文を紡ぎ、四人の周囲に薄い光が表れる。途端に、また、大きな炎が四人に目掛けて飛び出した。だが、今度は結界の壁にぶつかって霧散しただけだった。
一方、すぐに行動を移したプリムローズとは対照的に、快晴は目を丸くしてすっとんきょうな声を上げた。
「て、敵の行動を読むって……ムリだよっ!? 俺、そんなことできないって!」
「精神感応力を使え。敵の行動と精神を同調させろ」
「力の使い方なんて知らないのに?」
「とにかくやってみろ!」
ジェードの一喝に、快晴は困惑の表情のまま、周囲を見回した。
暗闇とわずかな月明かりに包まれた山の中は、足元すらおぼつかないほどに薄暗い。快晴は、必死で、敵の姿を探した。だが、見つけられない。
困惑はすぐに諦めに変わった。力の使い方どころか、自分に「精神感応力」というものがあることすら、未だ実感に乏しいのだ。その力を使えと言われても、無理な話なのである。
また、木々の間から、炎が飛び出してくる。が、結界に阻まれてこちらに被害はない。ピシ、と壁に小さな亀裂が入った。
プリムローズが、やや険しい表情を浮かべる。
「ジェード、申し訳ないですけど。実はあたし、光魔法って苦手なんですよね……あまり、長くは持ちません」
「カイセー、」
「ダメだよ、出来ないって」
「目で探すな。精神感応ってのは、相手の存在を自分の中で感じることだ。そうだな……相手はオレ達を殺そうとしている。その殺気を探すんだ」
「……さっき」
殺気、と快晴はもう一度口の中で繰り返す。だが、14年間生きてきた中で、快晴は殺気など感じた事などない。
(殺気って、何だ? どんな感情なんだ?)
探したとして、そうだと分かるのか? いや、そもそも――快晴にそんな力など、本当にあるというのか。あったとしても、正常に発動するのか。もし失敗すれば? その結果だけは分かる。――最悪な場合、自分達は死ぬのだと。
快晴は、背中に嫌な汗が伝うのを自覚した。緊張どころではない。恐怖に等しい感情が溢れてくる。
赤点のテストをじーさんに見せる時だって、こんなに怖くなかったのに、と心の隅っこで思った。
不意に、肩に手を置かれた。確認しなくても、嵐の手だと分かった。
その手のひらから、あたたかな”何か”が流れ込んできたような気がして、快晴はハッと我に返る。振り向くと、嵐は真っ直ぐに快晴を見て、言った。
「快晴、頑張れ! でなきゃこの先、一生、君の高校生探偵が見れないよ!」
一瞬、快晴の頭の中が空白になった。
高校生探偵? あの人気番組が見れない。一生見れない……。
数秒を要してから、頭が意味を理解した。理解した途端、
「それは困る!」
一気に緊張も恐怖も吹き飛んだ。
ジェードが、頭痛に耐えるように頭を抱える。
「おまえ、それ励ましじゃなくてプレッシャーだろうが。つか、高校生探偵って何だよ……」
「僕らの間で流行ってるアニメだよ。あ、アニメってのは……まぁ説明は面倒だからいっか。とにかく、快晴にとってすっごく大切なものって事だよ!」
「……だからって、この非常時にそれはねぇだろ」
「何言ってるんだよ! 直接言わなきゃダメなんだよ! 快晴は、天然記念物並みにものすごく鈍いんだから! 自分の事好きな子が、そういう態度を目の前でありありとしてるのに、全然気付かないくらいにね!」
「えええっ!? そんな子いるの!? 俺に!?」
「ほらやっぱり。知らない。苑田も橋本も知ってるのにさ」
「あいつらまで知ってんの!? ってか誰だよ、それ!」
「だぁぁっ。てめぇら今の状況を忘れてんじゃねぇっつーの! カイセー! いいから精神集中だ!」
「わぁぁぁっごめんなさいっ!」
快晴は慌てて目を閉じた。せいしんしゅうちゅう、と口の中で言い聞かせる。
(ええと、殺気……って、知るわけないっての! でも今さらジェードに聞いたら……殴られそう。ええとええと……と、とりあえず俺達のことを、嫌ってるって事でいいよな)
精神集中、と今度は心の中で唱える。
途端に、快晴の中にぐるぐるとした”何か”が渦巻き始めた。胃の中身をぐちゃぐちゃとかき回されたような不快感に、眉間にしわが寄る。
「どうした、カイセー」
「……何だか、すごい気持ち悪い……色んなものがゴチャゴチャしてて……」
「俺達の存在も一度に受け入れようとしてるのか? 俺達のことは忘れろ。敵のことだけ考えろ」
「無茶、い、言わないでよ……」
快晴はどんどんと強くなる不快感に、足元までもがぐるぐると回り始めたような気分になり始めた。
やがて、不快感が嘔吐感までも引き起こしそうになった時、
(快晴くん、感情を全開にしても、見つけたいものは分からないわよ)
頭の中に、少女の声が響いた。驚きに、不快感も集中力も一気に吹き飛んで、目を開いて周囲に首を巡らした。突然の行動に、三人が訝しい顔をする。
「見つけたのか」
「えっ。その、」
(もう一度、精神を集中して。わたしが誘導してあげるから)
また、声が響く。少女の声には聞き覚えがあった。だが、プリムローズではない。ただ分かるのは、決して”悪い感じ”は伝わってこない事だけだ。
少女は、敵じゃない。それが分かれば十分な気がした。
「も、もう一回やってみる……」
快晴は目を閉じると、今度は少女の声に集中した。少女は満足そうに頷いた気がした。
(まずは、自分の心臓の音を聞きなさい)
(心臓の音?)
(ええ、自分の存在を基盤にするの。そうすれば、自分と他人の違いが分かるでしょう? 自分の存在を固定できたら、次は、周囲に自分以外の音、もしくは感覚があるのが分かる?)
快晴はその言葉に、自分の周りに三つの違和感がある事に気付いた。
一つはとても快晴の身を案じていた。ああ、嵐だと、一番最初に分かった。次に、快晴と嵐を守ろうとするかのような存在。――ジェードだ、と気付いた。三つ目は、嵐ともジェードともまるで違う感覚。冷たく凍えた、なのに不快な感覚はない。プリムローズだ、と遅れて気付く。
そして、もう一つ。四人から離れた場所に、違和感。明らかに嫌な感情を呼び起こす、息苦しさを感じる存在。
(そうよ、それがあなた達の敵。――もう、大丈夫ね)
(うん、ありがとう。でも、君は誰?)
(わたしは、”幸運の通りすがり”よ……。快晴くん、あなたに託した石、今はまだあなたの手元に持っていてね。そして、時が満ちたと思ったら、嵐くんに返して)
(嵐に、返す……? 時が満ちた時っていつだよ?)
(それは、あなたが”そうだ”と感じてくれた時。さあ、今は生き延びることを優先にして)
少女の声は、すぐに遠ざかって消えた。快晴は目を開けると、真っ直ぐにジェードの後ろを指差した。
「ジェード、あそこ! 何だかすごくヤバい感じがする!」
快晴の言葉と同時に、ジェードが飛び出した。
が、それとほぼ同時に、まさしく快晴が指差したその場所から、巨大な炎の塊が飛び出した。快晴や嵐とほぼ同じ大きさの炎で、先ほどプリムローズが生み出した炎とは、明らかに大きさが違っている。
ジェードは地面を強く蹴って横に跳ぶと、かろうじて炎の塊を避けた。服の裾や髪がこげるが、怪我を負うことはないようだった。
炎は真っ直ぐに嵐達がいる結界にぶつかり、その衝撃で、結界が派手な音を立てて破壊される。
ジェードは、もう一度飛び出そうとして苦痛に顔を歪めた。が、すぐに浮かんだ額の汗を服の裾で拭うと、槍を真っ直ぐに投げた。狙いは快晴が指差した木々の隙間である。
「ぐあっ」
「……へっ。大当たり」
茂みの向こうから呻き声が聞こえて、ジェードは表情を苦痛で歪めつつも、口元を笑みに歪めた。
そして、新たに魔法結界の呪文を唱えようとしているプリムローズに叫ぶ。
「プリム、ヤツ魔法を!」
「はいっ」
プリムローズは素早く呪文を唱え直した。すると、空から何本もの氷の柱が降ってきて、茂みの向こうに落ちる。
同時に、人の悲鳴が聞こえた。その間に、ジェードは茂みの中へと飛び込んだ。
そして、しばらく人が争う声が聞こえたかと思うと――ジェードが、ひょっこり顔を覗かせて、三人を呼ぶ。三人はおそるおそると茂みに入ると、そこには男が転がっていた。全身黒い服を身にまとった、ずいぶんと痩せた男だった。手足に何本かの氷が突き刺さっており、地面に縫い付けられているようだった。そして、口には猿ぐつわがされている。
三人はジェードの傍に集まっていた。
プリムローズが改めてジェードの背中を見る。その表情は芳しくない。
「すぐに、きちんとした手当てをしたほうが良いですね……。あたし、治癒魔法は使えないんです」
「この程度なら、急ぐことはねぇよ。それより、奴の魔法を封じるほうが先なんだが、おまえ、声封じはできるか?」
「……ごめんなさい、あたし、そういった繊細な術は使えないんです。あ、でも魔力を吸い取ることは出来ますから、時間稼ぎ程度にはなると思います」
「そうか。ならそれを頼む」
「はい」
「ジェード、あのさ、俺達の肩に掴まってよ」
「すっごく痛そうだよ、それ」
「はは、さすがのお前らも心配するか。……それじゃ、肩を借りるぞ」
ジェードが嵐と快晴に肩を預けるのを見てから、プリムローズは魔導師に近付いた。
その姿に気付いた魔導師が、必死で抵抗しようともがきだした。だが、唐突にその動きを止める。その目には驚愕の色が浮かんでいた。
何故、と強い衝撃を受けた感情に、快晴はちらりと男に目を向けた。
彼はプリムローズを見て、とても驚いている。いや、驚いているどころではない、彼女に対して――恐怖を感じている。
「……ああ、さすが魔道に通じる方。あたしのこと、分かりました?」
プリムローズが、口元に小さな笑みを浮かべた。けれど、目は冷え冷えとした氷のように、一切の温もりを宿していない。
その表情を見ることが出来たのは、魔導師だけだった。後ろの三人は、彼女の様子に気付いていない。快晴だけは、何かおかしい様子を感じているようだが、深い意味までは分からない。
一歩を踏み出すごとに、魔導師の瞳に浮かぶ、驚愕と恐怖の色が強くなるのを見ながら、プリムローズは右の手のひらを彼に額に当てた。
びくりと、魔導師の身体が震えた。
「余計なことは、言わないほうが身のためですよ。まぁ、その状態では通じないでしょうけれど」
続いて魔力を吸いきると、ジェードに「終わりました」と言いながら、振り返った。その顔は、先ほどのような冷たさは残っていない。
男は魔力を吸い取られて、息も絶え絶えだった。魔力を失うことはひどく精神力を消耗するのと同じ。これでは、猿ぐつわがなくともまともに喋れそうにはない。
嵐と快晴に肩を借りて、ジェードは魔導師の傍まで近付いた。
「ったく、同じサクラと戦うことになるとはな」
「ねぇ、ジェード。この人がサクラってことは、依頼主ってまさか……」
「おまえの予想通りだろうよ、アラシ。十中八九、神殿関係者だ。……まぁ、この状況で刺客なんざ差し向けるお偉い様なんざ、限られているけどな」
「……」
「アラシ? どうした?」
じっと、嵐は魔導師を見下ろしていた。ただ、じっと。
魔力を奪われた魔導師は、それでも戦う意思を放棄したわけではないようだった。起きあがろうともがいて、その度に手足に刺さっている氷が深く食い込んでいき、出血もひどい。
魔導師は、自分を見下ろす嵐に気付いて、そちらに目を向けたようだった。途端に、魔導師の目には、怒り――違う、憎しみに近い感情が浮かんだ。
ふと、嵐の脳裏にクランノヴィエル・ルーゲンヴァッフの顔が浮かんだ。
薄暗い部屋の中で嵐を見下ろす眼差しは、怒りと軽蔑が混じっていた。が、次第にその姿は別の男の姿へと変化していった。
年は60を超えた年老いた男だった。真っ黒のスーツを身にまとい、手には数珠が握られていた。その男もまた、怒りと憎しみの眼差しを宿して、嵐を見下ろしていた。男の口が動く。声は聞こえない。それでも、男が何と言ったのか、嵐は知っている。覚えている。はっきりと。
脳裏の男と、目の前の男の唇が動く。
―――おまえのせいで、死んだ―――
(同じだ。あの人の目と。こうなったのは僕のせい――ジェードが怪我をしたのは、僕のせい?)
――僕のせいだ。父さんと母さんが死んだのは、僕のせい――
それは小さい頃の、嵐の声だった。
「ああー!!」
前触れもなく、いきなり快晴が大きな声を上げた。
それはあまりに突然のことで、驚いたのは嵐だけではない。ジェードもプリムローズも、驚いた目で快晴を見ていた。
「いきなりどうした、カイセー?」
「何でもない」
「……はああ!?」
「だから、何でもないよ。ただ叫んでみただけ」
「おま、それを今この状態でやらかすのか……」
「うん、ごめん」
快晴はぺこりと小さく頭を下げてから、ちらりと横目で嵐を見た。
その仕草に、嵐はどかんと殴られたような気分になった。
(僕が何を考えたのか……気付いたんだ。だから、無意味に叫んだんだ。僕の考えを逸らすために)
「快晴、」
言い掛けた言葉は、ジェードの声に被った。
「まあとりあえず、だ」
快晴に肩を借りて立ち上がったジェードが、足元に転がる魔導師を槍の先で示す。
「こいつをどうするか、まずは決めるか。オレもこのままじゃ、さすがキツい」
「そ、そうですよ! すぐに手当てします!」
「ジェードって、我慢強いよな……。見ただけでもすごく痛そうな怪我なのに、あんまり痛そうな顔しないし」
「訓練を受けたサクラが、そう簡単に根を上げるもんかよ。アラシ、カイセー。どうする。おまえらの命を狙ったヤツだ。おまえらの好きにしろ」
いきなり話を振られて、嵐は戸惑った。それは快晴も同じのようで、二人は自然に顔を見合わせる。
その時はもう、快晴はいつも通りだった。嵐は、もはや声を掛けるタイミングを失ったのだと分かった。
なので、無理やり思考回路を目の前の男に切り替える。
「……どうするって」
「……言われても」
切り替えたところで、どうすれば一番良いのかなど、分かるわけがなかった。しばらく唸るように考えてから、快晴が言った。
「とりあえず俺達無事だったわけだし、このままでいいと思う」
「……そうだね。一発ブン殴らせてって言いたかったけど、これだけ怪我してる人殴るのは後味悪いからなぁ。僕も、このままここに置いていけばいいと思うよ」
「いいのか? そんなんで」
「殺すわけにもいかないだろ? 殺人者にはなりたくないよ」
「……このまま置いて行けば、確実に朝には失血死だがな」
「うわ、それも嫌だよ。せめて、死なないようにはしてあげてよ」
「それじゃ、氷だけ消していけばいい。そうすりゃ、自力で何とか出来るだろ。魔力が戻れば回復術もあるだろうし」
「皆さんがそれでいいなら、そうしますけど……」
プリムローズは不承不承といった顔をしながらも、氷を消した。
魔導師は、しばらく、信じられないといった表情で四人を見上げている。そんな男を置いて、四人は歩き出した。
行き先は、元来た道。一番近い場所にある村だ。さすがに、怪我人を連れて山越えはしない。