02話 どうやら勇者じゃないらしい
「ようこそ、救いの者達よ」
あまりの眩しさにまだ視界が戻らない二人の耳に届いたのは、ひどくしわがれた老人の声だった。
ゆっくりと目を開くと、目の前にずらりと居並ぶのは、綺麗に剃り上げられたつんつるてんの坊主頭で、嵐の顔が大きく引きつった。隣の快晴は、目の前にあるものが何かすぐには理解できていない顔で、きょとんと目を丸くしている。
が、徐々に頭が回転を始め、ようやく理解すると、
「……ハゲ!?」
素っ頓狂な声を上げた。途端、その場の空気が、音を立てて凍りついた。……ように、嵐には見えた。
だが、そんな空気はすぐにわざとらしい咳払いに払拭される。ゴホン、と注目を促すようなそれに、嵐と快晴は急いで目を向けた。だが、向いた先にも、綺麗に剃り上がった頭があった。
ほとんど無意識に、快晴がその坊主頭を指差し、口を開く。
「またハ……むが」
「快晴は黙って」
だが、今度は嵐が快晴の口をふさぐ。そして、それと分からないように、横目だけで周囲を見渡した。
視界はすでに元に戻っているにも関わらず、ずいぶんと暗い場所だった。まるで地下室のように窓もなく、明かりらしい明かりはロウソクほどの淡い光が壁に幾つかあるのみである。
足元は白く輝く文字が、嵐と快晴を囲むように並んでいた。二人を中心に円を形作っており、その円の中に文字がびっしり書き込まれているのである。幾何学模様に似た文字は、嵐には見たこともない文字だ。14年の間に見知ることの出来る言語などたかが知れているが、とりあえず、英語でも日本語でもないのは確かだろう。あえて言うならハングルやアラビア文字に近いかもしれない。
円の外側に、坊主頭の老人達は、並んで跪いていた。数は10人くらいか。皆が皆、黒に近い茶色のコートのようなものを羽織っており、例外なく坊主頭である。
その坊主頭の一つ――先ほどわざとらしい咳払いをしたと思われる人物へと、嵐は改めて目を向けた。
その人物だけは、白のコートを羽織っていた。いや、コートというより、ローブといったほうがいいのかもしれない。どことなく、教会の神父を彷彿させる出で立ちだった。一人だけローブの色が違うという事は、この人物は地位が高いのだろうか。
年は軽く70か80は過ぎていそうな、恰幅の良い老人である。老人は嵐がこちらに視線を向けると同時に、頭を上げた。
「げ。悪人」
いつの間にか嵐の手は快晴の口元から外され、快晴はこちらを見上げた老人の顔を見た途端に呟いた。
だが、その呟きは相手には届かなかったようで、反応はない。ほっと安堵しながらも、嵐は上目遣いでこちらを見る老人を見下ろしながら、快晴の感想はハズレてはないないな、とこっそりとだけ思った。
ずい分と目つきが鋭く、そこには一部の隙もないように見えた。眉間にはシワの跡がくっきりと刻まれており、この人物が日々眉間にシワを寄せて過ごしている人物である事を伺わせた。それだけではない。二人を見上げるその眼差しそのものが、とても、冷たかった。なのに口元だけには笑みが浮かんでいる。
老人はまるで二人を逃すまいとでもするかのように、見据えながら、言った。
「よくぞ我らの招きに応じてくださいました。我らが最後の希望。――”救いの者達”よ」
「救いの……者達?」
「何だそれ? いくらなんでも、ちょっと安直すぎるネーミングじゃないか?」
快晴が呆れたように言って、目の前の老人は片頬を思いきり引きつらせた。
嵐が、大きく溜め息をつきながら快晴の肩に手を置く。
「快晴、君は黙ってたほうがいいよ」
「何で」
「君が口を開くと、場の温度がとっても下がるから」
「……。だってさー、救い者達、なんてマジでダサいって。発案者誰だよ? もうちょっと勉強しなおしてこいって感じだよなー」
「何の勉強だよ、何の。……あのさ、今この場で重要なのは、ネーミングセンスじゃないと思うのは、絶対に僕だけじゃないね」
ちらりと目の前の老人を見る。すると、老人は大きく頷いた。
その眉間には、先ほどまでなかったシワが一本、増えているのを、嵐は見逃さない。
快晴は不承不承といった感情を隠すことなく、仕方がないなぁと呟いてから、口を閉じた。老人が安堵したように息を吐くと、改めて二人を見上げて言う。
「ようこそアウロティウル王国へ。わたくしめは、スウェルティノ教会の枢機卿を務めさせていただいております、クランノヴィエル・ルーゲンヴァッフと申します」
「……」
長すぎやしないか、その名前。
咄嗟に突っ込もうとした嵐だが、視界の隅で快晴がうずうずとしている姿を見て、思いとどまった。ここで、快晴のように、話の腰を折るような真似は出来ない。そんな事をしてしまえば、場の空気どころかこの先、話すら進まない。
老人――クランノヴィエル・ルーゲンヴァッフは、口元を大きく吊り上げて笑顔を浮かべてみせた。妙に作り笑いじみた、爽やかさとはほど遠い笑みである。
「300年前の時の約定、今、我々の手で叶えたもうことが出来ますこと、このクランノヴィエル・ルーゲンヴァッフ、至福の極みでございます」
「300年?」
「約定?」
「約定って何だ?」
「約束のことだよ、たぶん」
顔を見合わせて首を傾げる嵐と快晴を、クランノヴィエル・ルーゲンヴァッフはさらりと無視して、
「我らスウェルティノの末裔、心より”救いの者達”の再臨を、希っておりました」
「すえ?」
「再臨?」
さらに首を傾げる二人もまた、さらりと流される。
「さあ、今こそ300年前の約定を果たされるため、お預かりし宝具を、お返しする時」
「……あのー」
「さあ、こちらでございます」
手を上げておそるおそると口を開いた快晴も、やはりないものとされて、かわりに差し出されたのは、二振りの短剣だった。長さは30センチほどか。
一つは柄の部分に青い宝石が埋め込まれており、もう一つには同じ場所に赤い宝石が埋め込まれている。
「さあ、お受け取りください」
クランノヴィエル・ルーゲンヴァッフがもう一度言って、二人はもう一度顔を見合わせた。
その途端、快晴が嫌そうな表情を浮かべた。嵐の表情は普段と何ら変わらないように見えるのだが、快晴は知っているのだ。今、嵐が浮かべている”普通の顔”は、見せかけにすぎないことを。今、彼は確実に何か企んでいるのだと。
そんな快晴の心情が伝わったのかは分からないが、嵐はニコリと笑うと剣へと手を伸ばした。青い石がはめ込まれている側の剣だ。
「ま、いつまでもここでゴネてたって、しょうがないもんね」
「とか言って、楽しそうだよな」
「快晴の気のせいだよ」
「目が笑ってるじゃん」
「……。それこそ快晴の気のせいじゃない?」
快晴はしばらく半眼で嵐を見ていたが、最後は溜め息に近い息を吐いた。手にしていた青い石をズボンのポケットに押し込んで、自分は赤い石のはめ込まれた剣へと手を伸ばす。
剣は、見た目から予想さしたよりずしりと重みが感じられた。鞘にしまわれていない刃の部分が、薄暗い中で白銀の輝きを見せる。
快晴が、明らかに拍子抜けしたように肩を竦めた。
しげしげとその剣を持ち上げてみつめるが、それはどう見てもただの短剣であった。
嵐が、がっかりを存分に含めた声で呟いた。
「宝具っていうから、てっきり何かすごい事が起こると思ったけど……何もないね」
「それ、ゲームの話じゃないか?」
「何言ってるのさ。これは宝具なんでしょ? 勇者に必須アイテムだよ。大体にしてそういうものは、持ち主の手に渡れば何らかの奇跡を起こすものなんだよ」
「そういうもんか?」
「でなきゃ、必須アイテムだって分からないじゃないか」
「あー、確かに。……って、いつから俺達勇者になったんだ?」
納得しかけたところで再び首を傾げる快晴の横では、嵐は短剣を掲げたり青い石に触ってみたりと、色々試しているようだった。
だが、やはり何も起こらない。どこから見てもただの短剣だった。
一体これは何のアイテムなのか。そう尋ねようとして、ようやく、嵐は周囲の変化に気が付いた。
目の前のクランノヴィエル・ルーゲンヴァッフもそうだが、周囲も、何故か困惑に近い表情を浮かべて、二人を見ていたのだ。
「……?」
訝る嵐をよそに、クランノヴィエル・ルーゲンヴァッフは食い入るように、短剣を持つ嵐を快晴を見比べていた。
その表情は、「そんなはずはない」「どういうことだ!?」という動揺が、ありありと見て取れる。
「あの……」
「宝具が……、反応しない……?」
「え?」
クランノヴィエル・ルーゲンヴァッフの、呆然と呟かれた言葉に嵐は嫌な予感を抱いた。
そしてそれは、
「……まさか……儀式は……失敗した、のか……」
さらに続いた言葉によって、確信した。
(あ、なんかヤバいかも)
嵐がほとんど反射的に一歩後ろに下がるのとほぼ同時に、クランノヴィエル・ルーゲンヴァッフが唐突に立ち上がった。
見たところ70には確実に届いているだろうその身体は、まるで年を感じさせないくらいにシャンと背筋が伸びており、先ほどまで浮かべていた嘘くさい笑みは、欠片も残さず消えている。代わりに表に出てきたのは、この上なく不機嫌そうな眉間にシワを寄せている顔だった。
クランノヴィエル・ルーゲンヴァッフは、じろりと嵐と快晴を見た。いや、睨み付けたというのが正しいかもしれない。
その眼差しの中に苛立ちと軽蔑が混じっているのを見て、嵐は眉を顰める。快晴は、クランノヴィエル・ルーゲンヴァッフが突然、態度を豹変させた事態に目を白黒させているだけだ。
「何と無駄な時間を費やしたものだ」
「……え?」
「い、いきなり何だ?」
(無駄な時間、だって……?)
”無駄”とは、どう考えても、それは嵐や快晴と関わった時間について言っているようにしか聞こえない。
自然と、尋ねる声が低くなる。
「……どういう事だよ、それ」
「あ、嵐? 何怒ってるんだ?」
「時間を掛けて呼び寄せたのがこんな子供とは……。まったくもって不愉快極まりない」
「ちょっと!」
「フン――そもそも、こんな子供を”救いの者”と判じるほうがおかしな話か」
「子供って……」
「何をしている、さっさとこの失敗作をどうにかしろ、早急に新たな陣を敷くぞ」
「なっ……」
クランノヴィエル・ルーゲンヴァッフは、明らかに嵐の言葉を無視して、周囲の老人達へと指示を出し始めた。が、周囲の者達は今だ困惑から抜け出せずにいるのか、すぐに動き出す様子がない。
嵐と快晴に目を向けたり、クランノヴィエル・ルーゲンヴァッフに目を向けたりと、落ち着きがない。
周囲の困惑を鼻先で笑い、クランノヴィエル・ルーゲンヴァッフは踵を返すと、ドアへと歩き出した。そして、ドアをくぐる際に、
「良いな。さっさとこの失敗作を片付けておくのだぞ」
吐き捨てるように言うと、後は振り返りもせずにドアをくぐって去っていった。
残されたのは、何がどうなっているのかまったく理解できない快晴と、怒りに肩を震わせる嵐と、オロオロとうろたえる何人かの老人だけである。
嵐は、しばらくドアを睨みつけていた。対して快晴は、やはり周囲の状況が今いち分からず、うろたえる老人をしばらく見ているだけだった。怒りに震える嵐に声を掛けようという勇気は、彼にはない。
そうしているうちに嵐の怒りは沸点を超えたらしい。ダンダン、と力任せに床を踏みつける。まるで地団駄である。
「……何なんだよ、あのハゲ! 言いたいこと言ってさっさと行っちゃったよ!」
「あ、やっぱり嵐もあいつをハゲだって思って――うっ!?」
ノンキに同意しようとした快晴は、じろりと睨みの効いた嵐の目を見た途端、片頬を大きく引きつらせた。
が、嵐の怒りは快晴を通り抜けて、周囲にいる老人達へと向けられる。
「ちょっと! どういう事か説明してくれる人、いないわけ!?」
「はっ、え? あ、いや……」
唐突に怒鳴られた老人達は、ビクリと肩を縮こまらせた。
子供に怒鳴られたという反発心はないのか、それともその反発心を抱かせる暇を嵐が与えなかったのかは分からないが、周囲はまるで教師に叱られる生徒よろしく、身を縮こまらせて嵐の怒りを浴びるだけだった。
その勢いに乗ったのか、嵐は詰め寄るように数歩老人達に近付くと、ビシッと指を突きつけた。
人を指さしちゃいけないんじゃ、と快晴は思わないでもないが口を挟む勇気も度胸もない。
「大体、僕達の都合も関係なくここに連れてきながら、人違いって分かった途端あの態度! あれが大人の態度でいいわけ!? 間違えたら間違えたで、一言くらい謝るなり説明あるのが礼儀ってもんじゃないの!?」
「あ、そう、……です、ね……?」
そして何故か、老人達の口調が敬語になっている。
さすがに周囲の老人達が哀れになってきたのか、快晴は嵐の気を鎮めるために、そっと肩に手を置いた。
「嵐、そんなケンカ腰に言うなって。ほら、おじいさん達、ビビってる」
「何をノンキな事言ってるんだよ、快晴は! この状況であの態度って、腹立つと思わないのか!?」
「えー、この状況って……つまりは、ええと?」
「理解してないわけ!?」
「うっ。だ、だって、さっきのハゲじーさんも誰も、説明してくれてないじゃん」
「いちいち説明されなくたって、理解してよ! だいたい、こういう状況なんて、一つしかないじゃないか!」
「ヤ、ヤブヘビだった……」
視線をあちこちに泳がせながら、快晴は必死に周囲に助けを求めた。
だが、ことごとく視線はそらされてしまう。誰も怒り沸騰の嵐には関わりたくないとでもいうように。
「ま、まぁまぁ、怒ってても状況は変わらないわけだろ? ほら、それって怒った分のエネルギーがもったいないじゃん!」
「……」
「そ、それに、この人達だって、困ってるみたいだし。お互い様だろ? な?」
「……」
「あ、嵐?」
「……ったく、君はどうしてそう能天気なんだよ」
嵐は大きく息を吐くと、軽く肩を竦めた。どうやら怒りは収まったらしいことに、快晴はほっと胸を撫で下ろす。
「俺だって、何も考えてないわけじゃないんだけどさ」
「ま、そういう事にしとくよ」
「そうそう。それで、次はどうしようか?」
快晴の言葉に、嵐は少し考えてから、周囲の老人達へと目を向けた。
嵐が目を向けた途端にビクッと老人達の肩が震えたのを見て、快晴は苦笑を浮かべ、嵐は恥じ入るようにわずかに頬を赤くした。誤魔化すように、咳払いをする。
「ここで一番偉い人って、さっきの人だけですか? 同じくらい地位のある人か、それより上の人って、います?」
嵐の言葉に、周囲の老人達は意味を問うように首をかしげた。何故、突然そんなことを尋ねるのか分からないらしい。
なので、嵐は説明した。
「とりあえず、僕達は何故ここにいるのか、何も説明を受けていないんです。それを説明してくれる人が欲しいんですよ」
「ああ、それでしたらウォールフェア卿が……」
「何を言う、あのお方は、このたびの儀式に異を唱えたお方ではないか」
「しかし、この状況は、我々では対処のしようが」
「そもそも、あのお方はルーゲンヴァッフ卿とはあまり……。下手をしたら、我々の首が飛ぶぞ」
「ならば、ミストレイン卿はどうだ? あのお方なら……」
「ああ、あのお方なら……」
「そうだな……」
話はまとまったらしい。老人の1人が慌てて部屋から飛び出していき、残されたうちの二人ほどの老人が、嵐と快晴に近付いた。
「今、ミストレイン卿をお呼びいたします。少しお待ち下さい……ここはお身体を休ませることもできませんので、お部屋を移動いたしましょうか」
よろしいでしょうか、と特に嵐に対して腰を低くして伺う姿に、嵐はやや呆れたように、頷いた。
先ほどは、確かに怒りに任せて怒鳴った。だが、嵐は14歳の子どもだ。たまに年齢より上に見られることはあるが、それだってせいぜい一つか二つだ。祖父と同年代ほどの人達にビクビクとされる理由は、普通に考えれば何一つないはずなのだが。
だが、大きい態度に出られるよりはいい。そう思いなおして、案内するために歩きだした老人の後ろを、追いかけた。
その隣を歩き出しながら、快晴がこそりと尋ねる。
「なぁ、ところで嵐はどれだけ分かってるんだよ? 俺はさっぱりなんだけど」
「……あのさ、こういう話って聞いた事あるだろ? ある日突然見知らぬ世界に飛ばされて、伝説の勇者って言われて、仲間と旅しながら魔王をたおしてハッピーエンド」
「……マンガ?」
「そう。そこらへんに転がってる話だよ。で、今の状況を振り返ってごらんよ」
「今の? えーと、洞窟に落ちて、ヘンなおねーさんに石を渡されて、気付いたらここ。……」
「その、思いっきり何がどうなってんのか分からないって顔、やめてくれる?」
「え、だって」
「さっきのくそハゲじじいの言葉も思い出してよ! 我らの招きに応じてくれた、とか。救いの者達、とか」
「あ。……あー、そっか。救いの者達が伝説の勇者ってわけか。で、ここが異世界ってわけで?」
「そうだよ。でも、ハゲじじいは”失敗した”って言った。それはつまり――」
「そういや短剣もらったまんまだけど、いいのかな」
「快晴。僕の話聞く気ある?」
じとりと半眼で睨みつけられて、快晴は慌てて頷いた。
「うんうん、で?」
「失敗ってことは、僕らは”救いの者”じゃないって事。つまり、勇者じゃないってことだよ」
「ふんふん、それで?」
「……快晴、ほんとに話聞いてた?」
「もちろん。俺達は勇者じゃないって事は、人違いしたってことだろ。ま、間違いは誰にでもあるし、別にいーんじゃないの? あ、だから嵐はさっきのじーさんの態度を怒ってたのか」
「……」
なるほど、と納得して頷く快晴を、嵐はしばらくの間じっと見つめてから――
「話は聞いても、理解してなきゃ意味ないじゃん」
がっくりと肩を落として、呟いた。