13話 過去の遺産
初めに”それ”を見た時は、何の模様かと思った。
どこぞのアスリートが壁にラクガキをするように、壁一面に描かれた”それ”。――嵐にとって、見慣れた”それ”。けれども、この世界で目にするはずのない”それ”。
街に入ってすぐ、嵐が足を止めた理由。壁に描かれた”それ”というのは。
【 右に曲がれ 】
間違えようもなく日本語で書かれた、文字、だった。
―――*―――
「日本語を見たぁ?」
ファンレンから案内された小さな部屋に辿り着いてから、嵐は先ほど見た物のことを快晴に話した。
「ニ、ホンゴって何ですか?」
嵐の言葉に、プリムローズが小さな荷物をほどきながら首を傾げた。
グレイも、興味なさそうな顔を装ってはいるが、しっかり話は聞いている。
四人は今日から、同じ部屋で寝起きを共にすることになった。教会は孤児院も営んでおり、教会と街の人々の協力によって細々と経営している孤児院は、それほど広くない。養っている子どもは全員で七人。そこに、ジェードを始めとする嵐と快晴、グレイとプリムローズが転がり込んできているのだ。個室など望むのは間違いである。
ベッドは、ダブルサイズが二つのみ。これは、教会側に用意してもらった。ご近所の人か信者の人が、わざわざ運んでくれたのだ。本当はシングルを四つ、と言いたいところだが、そもそも彼らが寝起きする部屋の広さを考えると、ベッドを四つ入れるのは不可能だろう。寝泊まりできる場所があるだけでも感謝しなければならない。
当然、嵐と快晴で一つ、グレイとプリムローズで一つのベッドを使うことになった。双子とはいえ、男女が一緒のベッドなんて――と思うのは、どうやら嵐だけだった。ジェイドらは、数がねぇから仕方がないの一言だし、当の本人たちは、久しぶりだねーとのんびりしている。快晴はもとより何も考えていない。
この世界の倫理感はどうなっているのだろうと思いつつも、本人たちが気にしていないのであれば、問題はないのだろう、と結局のところ嵐も考えるのを放棄した。考えても仕方がないことは考えない。これは快晴の持論である。だから、快晴はいつまでたっても読書感想文が書けないのだと、嵐は思う。
話を元に戻して。
「日本語ってのは、俺たちの国の言葉だよ。ひらがなとカタカナと漢字があるんだ」
快晴が答えるのだが、その説明ではプリムローズにはさっぱり通じなかったらしい。「ひらがな? かた、? かん?」と、ますます首をかしげている。
が、そんなプリムローズを置いて、快晴は嵐に向き直る。
「でもさー、マジでそれ、日本語だったのかよ? だってここ、異世界だろ?」
「僕の視力を疑う気? 1.5を保持続けてるんだよ? あれは間違いなく日本語だったね。はっきりと、右に曲がれって書いてあった。他にも書いてあってさ、その通りに進んでたら、高台に到着して……」
「到着して?」
「そこで終わってた」
「はぁぁ? 何だよそれ! それじゃ、案内するだけしてポイじゃん!」
「うん。ポイ。仕方がないから、そこにいた人に教会の場所を聞いて、ここに来た。何か、すっごい歩き損したよ」
その間、ジェードは必死に嵐を探して走り回っていたのだが、それはどうでもいいらしい。
話を聞きながら、無表情の中にこっそりジェードに同情を抱いたのは、グレイのみである。と、そこまで思ってから、ふとグレイは気付いたように顔を上げた。
「そう言えば、レインはこの街を作る時に退魔の結界以外にもう一つの仕掛けを俺に作らせた」
「仕掛け?」
「あーっ、そういえば作ってましたね!」
「それ、どんなの?」
「韻を決められた順に踏むことで発動する術だった。大概の遺跡に仕掛けられている簡単なものと同じだ」
「イン……って何?」
「魔法発動の術式ですよ!」
快晴が首を傾げて、プリムローズが元気よく答える。が、案の定通じなかった。
グレイが引き継ぐように言葉を続ける。
「術を正常に発動させるためのものだ。それを決められた順に踏んでいくことで、術は発動する仕組みになっている」
「じゃあ……あの案内は何かの魔法が仕掛けられているんだけど、始めから順番通りに進まないと、何も起こらないってこと?」
「そうなる」
「へー、面白そうだな! 小学校の時の、自然の家を思い出すかも」
「ああ、クイズに答えて次のポイント探してってやつ? ……快晴、クイズに答えたの?」
「そういうの、俺の役目じゃないし」
「……快晴の班の奴ら、苦労しただろうな」
「嵐がいれば良かったのにな。おまえの班、一番だったろ?」
「まあね。あんな簡単なゲーム、負けるのは気に入らない。て、それはどうでもいいから」
「そうだった! じゃあ、さっそく行こうぜ!」
快晴が言うなり、ドアに向かって歩き出すのを、プリムロ-ズが目をまん丸にして見た。
「え、え、カイセー。どこに行くんですか?」
「決まってるじゃん、そのクイズを見つけに行くんだよ!」
「クイズじゃなくて、魔法を発動させに行くんだよ」
嵐が訂正を加えながら、グレイに近づいた。
「ねえグレイさん、魔法の一番最初ってどこか分かります?」
「始めの韻か? 分かる」
「じゃあ、そこに案内してください」
「……行くのか?」
「トーゼン!」
入口で今にも飛び出して行きそうな快晴が元気よく答えて、嵐も同意するように頷いた。
「あれ、日本語で書かれていたから。もしかして、僕達に見つけてほしいものかもしれないし」
「もしかしたら、お宝が隠されてるかもしんないし?」
「そうそう。それに今度こそ、勇者専用のアイテムも手に入るかも」
「で、武器を手に入れたら最強の称号もらえるんだよな」
「……それは無理だと思うけど」
「そっか?」
「そうだよ」
なんだつまんねーの、とぼやく快晴に、嵐は溜息をついた。
けれどもその表情は、何か大きな期待に輝いているのは、傍目にも明らかである。プリムローズはそんな二人のやりとりを微笑ましそうに見てから、ゆるく首をかしげた。
「けれど、ファインもレインも、そんな高価なもの、持っていましたっけ?」
「俺達と彼らの価値観が違うからな。どれがお宝になるかは分からないさ」
「そういえばそうでしたね」
そう言うと、グレイとプリムローズもまた、立ち上がった。
「ふふ。どんなお宝が見つかるのでしょうね。楽しみです!」
「存外、俺たちのよく知るものかもしれないけどな」
「グレイ、相変わらず夢がありませんね」
「常日頃夢ばっかり見てるプリムよりはましだ」
「ひどいです!」
「プリムさん、グレイさん、早く行こうってば!」
既に廊下に出ていた快晴の催促に、グレイとプリムローズは顔を見合せてから小さく笑うと、急いで部屋を飛び出したのだった。
一応、家主であるファンレン司祭とジェードに外出することを伝えると、ファンレン司祭はにこやかに、ジェードはさも厄介払いでもするかのように送り出してくれた。
どうやらジェードは、快晴と嵐をこの街に送り届けて仕事は終わり、というわけにはいかなくなったらしい。まだ子守りが続くのか、とボヤいていることから、これから先も快晴と嵐に関わる仕事が任されたのだろう。だが、その表情は言葉ほど嫌そうには見えなかった、と思うのはおそらく、快晴と嵐だけではない。
「――この街の退魔の結界は、あの高台を中心に展開されているんだ」
教会を出て、まずグレイが目指したのは高台だった。
先頭を歩くのはグレイである。結界の仕組みを詳しく覚えているのは彼であるし、プリムローズに案内を任せたのでは、日が暮れてもたどり着けそうにないと考えた結果だ。
「そういえば、この街を復興させる時、あの高台を真っ先に建ててほしいって言っていましたね」
「でも、そこはゴール地点だったけど」
「じゃあ、そのゴール地点がスタート地点ってことになるのかよ?」
快晴が首をかしげつつ尋ねた内容に、グレイは頷いた。
「財宝を隠す仕掛けとしては基礎的なものだ。決して誰にも奪われぬように、終わりを始まりの場とするのはな」
「うわ、それじゃあお宝とか取れないじゃん? お宝のある場所に行くためには、お宝の場所まで辿りつかなきゃいけないってことだろ? イジワルだなぁ」
「……だから仕掛けるんだろう。宝を奪われないために」
グレイは、あ、そうだった、と快晴が思い出したように笑うのを、溜息まじりで見てから、今度は嵐へと目を向けた。
「レイン達が仕掛けた魔法は、難しいものではない。手順は特殊だが、いたって基礎的な魔法陣を複数重ね合わせてあるだけだから、韻を正しく踏めばすぐにでも開くことは出来る」
「へえ、そうなんだ。でも、そうするともうとっくに盗られちゃってる可能性とかはどうなるんだろう」
「それはない。……基礎的なものでも、組み立て方によっては難攻不落の魔法陣となる。あれは俺が組み立てたんだ。だから、あの魔法陣が解かれている可能性などない」
「……グレイって」
意外と負けず嫌いなんだなぁ、と思ったが、口には出さないことにした。
そのまま広々とした田園を通り過ぎ、高台へと辿り着く。嵐にとってはつい先ほど来たばかりの場所である。近くのベンチには道を尋ねた老人がまだ座っていた。居眠りをしているのか、コクリコクリと船をこいでいる。
「アラシ、カイセー。ここが一番最初の韻だ」
グレイの言葉に、嵐と快晴は小走りで近付いた。高台の中央に建てられている石碑の前だった。
石で作られている真四角の土台の高さは1.5メートルほどか。上には建物が乗っていた。縦に細長く伸びるその建物は、西洋の塔を連想させた。
「何で高台の真ん中に塔があるんだ?」
不思議そうに首をかしげる快晴に、プリムローズが誇らしそうに答えた。
「これは”封印の塔”の原型なんですよ」
「封印の塔?」
「ファインとレインが災厄を封じ込めた塔があるんだ。これはそれと同じ形をしている」
「へー、”封印の塔”かぁ……。なんか、ロープレっぽい名前」
「ロープレ?」
「じゃあさ、じゃあさ、やっぱここには勇者のアイテムがあるんだよ! きっと、そのファインとレインって奴は、俺達のために武器を残しておいてくれたんだよ!」
「……うん、僕もそんな気分になってきた」
嵐と快晴の会話に、グレイは少し複雑そうな表情になったが、振り切るように頭を振った。そして、土台に触れると、口の中で何事かを唱え始める。
ポウ、とグレイが触れている部分が小さく輝いたのはほんの数秒のことだった。
「最初の韻は発動させた。後は、街中を回って定められた通りに発動させていけばいい」
「よっしゃー、いざしゅっぱーつ!」
「あ、カイセー! 待ってくださいっ。一人で行くと迷子になりますよっ」
「それをプリムさんが言う?」
猛然と走りだした快晴を追いかける形でプリムローズが走り出すのを、嵐は溜息まじりでついていく。その様子を無表情で見ていたグレイは、ややしてからはたと我に返った。
「待て。俺を置いていくな」
今から解こうとしている術式を正しく理解しているのは、グレイただ一人だということを、彼らは忘れているらしい。
姿を見失わないうちに追いつくことが出来たグレイは、心底ほっと安堵しながら、壁の前で立ち止まっている三人の見ているものを後ろから覗きこんだ。何やらラクガキが描かれているそれは、相当の年季が入っている。ひどく色褪せていた。
快晴が、うわぁ、と感嘆の声を上げている。
「すっげぇすっげぇすっげー! これ、ホントに日本語じゃん! 異世界で日本語ってありえなくね!? 左に曲がれ? 左ってどっちだよ! こっちか!?」
「快晴、興奮するのは分かるけど、右に進んでいかないでよ」
「え? こっち右!? うわもう俺すっげぇわくわくしてきた!」
「言っていることがメチャクチャですね」
「あいつ、イノシシだから」
「アラシは、言っていることに容赦がありませんね……」
「そう? 何せ従兄弟で幼馴染みだからさ。遠慮って言葉はとっくにご飯と一緒に食べてトイレに流しちゃったよ」
「ト、トイレ……?」
どうやらトイレという単語は通じなかったようだ。だが、意味を尋ねてこないのは、話の流れで察しているのかもしれない。
「随分と消化の良い代物だな、その遠慮とやらは」
それを裏付けるように、グレイは呆れたように言った。そして、ラクガキされている壁に手を置いた。ポウ、と淡い光と共に韻を起動させる。
そこから先は、右に曲がれ・左に曲がれの繰り返しで、最初こそは一つの文字に出会うたびに興奮していた快晴も、すぐに飽きたようだった。一つ一つを手動で起動させていかねばならないのは、数が多ければ単調な作業となるのである。それも一つの街全体に施されているのだから、移動に時間が掛かる。10に届く数の術の発動が済む頃には、快晴の口数はすっかり減っていた。
出発地点である高台が、すぐそばにきている。
「これで11個目だ」
「さすがに、街全部を歩き回るのは疲れるなぁ。ねえ、グレイさん、あとどのくらいあるの?」
「そうだな……あと二つか。高台に続く階段の柱の反対側の術式を発動させ、あとは高台の石碑にもう一度起動させれば、それで完了だ」
「やっと終わりが見えてきたってとこかぁ。なあ、快晴、あと少しだってさ」
「んー、まあ終わるならそれでいいよ俺。早く帰って飯食いたいから」
「……さっきまでのはしゃぎっぷり、どこに行ってしまったんですか」
「あいつ、飽きっぽいからね」
苦笑をまじえて嵐が言って、プリムローズはがっくりと肩を落とす。
グレイは無表情に肩を竦めてから、階段の柱の術を起動させた。そして、階段を登り始める。快晴も、どうでも良いと言ったわりにはすぐにグレイの後を追いかけた。さすがに最後の一つともなると気になるらしい。
高台に登ると、先ほどの石碑は変わらず真ん中に鎮座していた。ベンチでウトウトしていた老人は既にいない。空は日が暮れかけているから、家に帰ったのだろう、と嵐はとりとめなく考えた。そして四人は、石碑の前に立つ。
グレイは淡々とした調子で石碑に手を置くと、ポウ、淡い輝きが放たれる。それを固唾を飲んで見守るのは、子供二人だけだ。
ゴン、と石碑の中から鈍い音が響いた。続いて、歯車が動きだす音。
ガチガチガチ……
同時に、ブオン、と鈍く響く音が地面から湧きだした。音が形となったかのように、白い霧と共に。
「う、わっ!?」
「霧?」
慌てるように後ずさる嵐と快晴に、プリムローズは大丈夫ですよ、と二人の肩に手を置いた。
「これは幻影の霧です。この仕掛けが外から見られないようにする仕掛けです」
「それって、どういうこと?」
「霧の中にいる我々の姿が、霧の外からは見えなくなるということだ」
「へ~。すっげぇ」
「ほんと、魔法って便利だよね」
「この魔法があれば、じーさんから逃げることも楽なのにな」
「……今、快晴と同じことを思った自分がものすごいショックだよ」
「おまえそれ、俺のことすっげバカにしてね?」
「まさか。この僕が、従兄弟で幼馴染みの君をバカにするわけないじゃないか」
「その言葉が既にバカにしてる気がするんだけど」
「快晴の気のせいだよ、気のせい! ほら、ドアが開いた! 中に入ろうよ。念願のお宝とごたいめ~ん!」
「やっぱバカにされてるような……」
石碑の台座はドアになっていたらしい。鈍い音と共に開かれたその入口に、嵐は軽い足取りで踏み入れる。その後ろを、腑に落ちない顔ながらも快晴が追いかけようといて、一歩目で足を止めた嵐の背中にぶつかった。
嵐はぶつかった勢いに負けて身体がつんのめる。
「ぅわっ!? 快晴、押さないでよ!」
「嵐こそ、いきなり止まるなよ!」
「しょうがないろ。ここ、すんごい狭い部屋なんだから」
「へ? 部屋?」
「ほら、中見てみなよ」
嵐が身体をずらして快晴にも中が見えるように動く。快晴は仲を覗きこんで、へえ、と声を上げた。
中は窓がないからほとんどが暗闇に沈んでいるが、入口から差し込む光だけでも四方の壁が見えるほどの小さな部屋である。そして、その部屋の中央にはぽつんと置いてある物。それを見て、快晴はきょとんと目を瞬いた。
「あれって……本?」
「本、って言うよりあれだろ」
「でも、この世界にあれってさあ……」
それから、嵐は後ろのグレイとプリムローズに振り向いた。
「ね、グレイさん。あれって何か分かる?」
「あれ?」
「宝物は何だったんですか?」
快晴が動いて、グレイとプリムローズが中を覗きこむ。と、プリムローズが目を丸くした。
「あれ、ファインとレイン、二人の本でしたよね?」
「そうだな。予言の書ではなかったか? ……これが、300年後も残したかったもの?」
首をひねりつつ、グレイは部屋の中に身を滑らせると、本を手に取ってすぐに戻った。薄い水色の表紙に、黒い筆で文字が書いてある。その文字はファインとレインの世界の文字だったので、グレイには読めない。
やっぱり、と戸惑い気味に呟いたのは嵐だった。
「ファイルだ……」
「ファイル?」
オウム返しに尋ね返した言葉に、嵐はうんまあ、と頷いてから歯切れが悪そうに言葉を濁した。
答えにくい、というより本当にそう答えて良いものかと悩んでいるらしい。が、そんな嵐をよそに、快晴が感嘆の声を上げた。
「うわ本当にファイルだよ! それも、100円均一で三枚一組で売られている安物!」
「……三枚一組で売られている」
「安物……?」
グレイとプリムローズは目を瞬かせて、ファイルと呼ばれた本に目を落とした。
「グレイさん、それの中身見せてもらっていい?」
「ああ、構わないが……」
じゃあ、と言って嵐はグレイからファイルを受け取ると、ページを捲り始めた。
「”クラウスの花が散り終わる頃、グンニャーウの村が襲撃される。大半が火属性なので、水の魔法陣が最も有効である”……」
「あ、それってわたしが魔法を暴走させて、村中水びたしにしちゃった時の予言ですね!」
「みたいだね。続いて”ただしプリムローズが暴走するので、村人は屋内に避難させておくべし”って書いてあるよ」
「うう、細かいですね。っすがファインの予言書です」
「じゃあ……これは? ”全身白づくめの大男が行き倒れている。介抱すべし。ただし、フォブの実は厳禁”」
「行き倒れ……グレイズのことか。あいつはフォブを食べると倒れる体質だったな」
「アレルギーってこと?」
「そう言えば、レインがそんなことを言っていたか?」
「懐かしいですね~。グレイズさんは、ちょっぴり気の弱い優しい熊男さんだったんですよね~」
「それ、褒めてないよ。プリムさん」
「ええっ」
「まあ、とりあえずこれがその”予言の書”って奴に違いないのは分かったよ。文字も日本語だし、間違えようもなく”救いの者達”が残したものなんだろうけど……」
けれど、と言葉を継いだのはグレイだった。
「何のために過ぎた過去を記したそれを、これほど厳重に残したのだ? それには、300年後である今のことは書いてないのか?」
「うん、どうだろう? 最後は、……あれ?」
「どうしたんだ?」
「うん、これって、僕らへのメッセージじゃないかなって。ほら」
嵐はそう言って、快晴にファイルの最後のページを開いて見せた。
快晴はその文字を目で追いながら読み始めたが、やはり、グレイとプリムローズには読めなかった。
「封印の塔?」
快晴が首をかしげながら、呟いた。プリムローズが、ガマンしきれなかったように身を乗り出して言った。
「何て書いてあったのですか!? あの、あのっ、わたし達にも教えてくれませんかっ?」
「うん、いいよ」
あっさりと頷いた快晴と嵐に、プリムローズは拍子抜けしたように「へ?」と目を見開いた。
「ええと、いいんですか? あの、本当に?」
「うんいいよ。別に隠すことでもないし……それに、グレイさんとプリムさんへのメッセージも書いてあるし」
「俺とプリムに?」
「そうそう。レインからのメッセージはこう書いてあるよ」
『グレイ。君はどうも信じきれてなかったようだからもう一度言うけど、僕達はちゃんと会えるから、突っ走りすぎないように! まあ、これが伝わる頃には、大丈夫だと知っているけどね。それから、僕は約束をちゃんと忘れていないから、そっちも忘れないように。』
その内容に、グレイはぽかんと口を開けて固まっていた。
これはメッセージというよりお小言だ。しかも、約束を忘れるなと念押しまでしている。嵐としてはこんなのちっとも嬉しくないメッセージだろうにと、思うがどうやらグレイには違うらしい。
ぽかんとした表情が、徐々に笑顔に変化していく様は、とりあえずこれはこれでいいのかなぁと思わせるには十分のものだった。
「グレイさん、レインって人と何か約束してたんだ?」
「ああ。まあ……な」
「良かったですね、グレイ」
「プリムさんには、ファインからのメッセージがあるよ」
『元気? 俺はいつでも元気だよ』
「って、それだけ?」
呆れたように言う嵐に、プリムローズはこらえきれなかったように笑いだした。
「ふふっ。なんだかファインらしいですね」
「俺、ものすごくファインって人に親近感湧いた」
「そんなの君だけだよ、快晴。何かもうちょっと書くことなかったのかなその人」
「いいんですよ、アラシ。ファインは、いつも明るい太陽のように笑ってくれる人でしたから、あの人が元気だよって言ってくれることが、何より嬉しいです」
「そういうものなのかなぁ?」
「はい。そういうものなんですよ」
そう答えるプリムローズの表情は、とても嬉しそうだった。途端に、快晴がムッと眉間にシワを寄せた。
「……俺、ファインって人がものすごく嫌いになりそ」
ぽそりと呟いた言葉が聞こえた嵐が、じっと快晴を見てから――不意に、ニヤリ、と声をたてずに笑った。それに気付いたのは、誰もいなかった。
気を取り直すように、グレイが、それにしても、と呟いた。
「あの二人はこれをお前たちに残して、どうしてほしかったんだ? 過去の本など持っていても意味などないだろうに」
「そんなことはないみたいだよ」
「では、彼らの予言がそこに?」
嵐は最後のページに目を通しながら頷いた。
「これから何をするべきか、ってことが書いてあるよ。だから、教会に戻ったほうがいいみたいだね。これからのこと、ジェードと相談しなくちゃいけないと思うから」
「何と書いてあったんだ?」
「封印の塔へ行け、ってだって。そこで、封印の儀式をしろって。それに必要な物がいくつかあるみたい」
「封印の塔……」
グレイとプリムローズは、険しい顔でお互いの顔を見た。
封印の塔――かつて、救いの者と呼ばれたファインとレインが、大陸を襲う魔物の群れを封じ込めた場所だ。
そして今は、おそらく、最も強い魔物の出没する、大陸で一番危険な場所でもあった。