12話 到着、始まりの街
「魔法って便利だよなー」
「んー?」
魔法の鳥を飛ばすために外へ出たジェードとグレイを待ちながら、快晴がテーブルに頬杖をつきながら言った。
目の前にはカリカリに焼かれたベーコンもどきと、レタスもどきとトマトもどきが山盛りのサラダと、ミルクもどきの飲み物、そしてパンもどきのパンがある。よく似ている姿と、そのままのベーコンにレタスにトマトにミルクという名称ではあるが、やはり原材料が違うし異世界の食べ物なので、嵐と快晴にとっては” もどき”である。
隣では、嵐が同じく頬杖をつきながら、先を促すように首をかしげる。プリムローズも、快晴の言葉に顔を向けていた。
「歩いて10日はかかる山をテレポートで一瞬とか、何日も掛けて届くはずの手紙を、たった数分で届ける鳥とか」
「あー……。確かに便利だよな。でも僕達の世界にはメールがあるけど」
「あ、そういやそうだったっけ。でもやっぱり魔法って便利だよ。グレイさんって、空を飛べるのかなぁ」
「……空?」
「ホウキでばーんって」
「……快晴の趣味って……」
「趣味言うな!」
「ふふ、グレイは空も飛べますよ。魔術の制御は完璧ですから。手先も器用だし、たいていのことは出来ちゃいます」
「へー。じゃあ、プリムさんは?」
「う。わたし、ですか?」
「うん。プリムさんも魔法は得意でしょ? どうなのかな~って」
「ううっ、分かってて聞いてますねアラシ。どうせわたしは、繊細な技は使えませんよう。転移魔法も鳥を作ることだってできません! 大技だけです!」
「あはは」
「嵐、プリムさんが困ってるだろ」
にやにやと笑う嵐に、快晴が肘で小突いた。プリムローズがほっと安堵して、嵐が意外そうな顔で快晴を見る。
「意外だね。快晴が止めるなんて」
「そ、そっか? 困ってる人がいたら、助けるのは当然だろっ」
「とかカッコいいこと言いつつ、何で目を逸らすのさ」
「べ、別にっ」
そう言ってそっぽを向く快晴の顔は、何故か赤い。
じっと快晴の顔を見ていた嵐だったが、肩を竦めてすぐにやめた。
「ま、この話は後でじっくり考えるとして……ジェードとグレイさん、まだかな」
「もうすぐですよ。鳥を飛ばしに行っているだけですし」
そう交わしていると、ジェードとグレイが部屋に入ってくる。
噂をすれば何とやら、である。
「おかえり二人とも。早く朝ごはんにしようよ。僕、お腹ペコペコなんだ」
「あ、ああ……」
どうしてだか、嵐の言葉にグレイが足を止めた。その横を、ジェードは不思議そうな顔で通り過ぎて、手近な椅子に座った。
「どうして、グレイ?」
「あ、いや……おかえり、なんて久し振りに聞いたなと思って……何だ、プリムローズ。その笑顔は」
「ふふ、グレイったら可愛いんだから。嵐に”おかえり”って言われて、嬉しかったんですね?」
「そんなことは言っていない」
「顔はそう言ってます」
「冗談を言うな」
「ほんとですよ?」
「……あのさあ、どっちでもいいから早くご飯にしてほしいんだけど」
嵐の言葉に、プリムローズは笑顔で両手をパンと合わせる。グレイは納得いかないようになおもぶつぶつ呟いていたが、やがて諦めたように椅子に座った。
いただきます、と快晴が両手を合わせて言って、ようやく本日の朝ご飯が始まったのだった。
「この村を出るのは、今日の午後からになるぞ」
だから午前中は自由にしていてくれ、と食事中に切り出したジェードの言葉に、プリムローズが顔を向けた。
「何故ですか?」
「セルトフォームに向かう前触れを出しておきたいからだ。予定より少し早めの到着になりそうだからな」
「早めなの?」
「ああ。山越えに10日ほど費やす予定が、グレイのおかげで、1日で済んだからな」
「お役に立てたなら良かったです。ね、グレイ」
「……どうでもいい」
たいして興味なさそうに答えるグレイだが、その表情は少し嬉しそうである。
その様子をじっと嵐と快晴が見ていることに気付いたグレイは、慌てて話題を変えた。
「と、ところで、その先触れは魔術では飛ばさないのか?」
「あ? ああ、あの街は魔術が効きにくいんだよ」
「効きにくい? ……あ、そう言えば、退魔の結界が張ってあったか。ならば、俺の鳥も街に入った途端に消えてしまうな」
「おまえ、よく知ってるな。確かにあの街には退魔の結界が敷いてあるが、今でそれを知るのは教会関係者か、歴史家くらいだぞ」
「結界を張るのに、俺達も手伝ったからだ。他の街にも張っていたが、時と共に風化してしまったようだな」
「おまえらが退魔の結界を? ……そりゃ、複雑な立場だな」
ジェードはやや言葉を濁しながら言った。魔族の末裔が退魔の結界を張る手伝いである。
確かに立場は複雑だ。だが、プリムローズはまったく気にしていないように、思い出しながら言った。
「そういえばあの結界、下級の魔物なら結界に入ることが叶わなくなるから、ずいぶんと戦いが楽になった覚えがありました。まぁ、結界の中だとあたし達も、ちょっと居心地悪くなりますけど」
「四六時中魔物の相手をするよりは、断然いい。……そう言えば、おまえ達は何故セルトフォームへ向かう?」
「その街には、オーシャン様の信頼する司祭がいるんだ。俺の身内でな、カイセーとアラシを匿うために向かっているんだ」
「匿う?」
プリムローズが不思議そうな顔で繰り返した。
「こいつらが”救いの者達”ではないと判断されたからな。異世界の子供なんて、どういう扱い受けるか分からねぇだろ? 混乱も起こるしな。それを避けるためだ。今は本物だって分かったから報告はしたが……どうなるんだろうな。返事はセルトフォームで聞く予定だ」
「そうだったんですか……。あの街は、ファインとレインが一番長く滞在した街ですから、昔のことで聞きたいことがあれば、言ってくださいね」
「じゃあガキのお守りはおまえに任せた」
「ガキって僕達のこと!?」
「でなきゃ誰がいる。……ああ、」
「そこで俺を見るのは何故だ、ジェード」
ジェードは嵐から視線を外して、グレイを見た。グレイが訝しそうにジェードを見返す。
プリムローズは、その意図を正確に理解したらしい。
「それって、グレイが子供って意味ですか!? ひどいですっ」
「そうか、よく考えればこいつら全員ってことか……」
「……何気にジェードって、めちゃくちゃ酷いこと言ってるよな」
快晴がパンをかじりながら呟いた。
けれど、誰も否定はしないのは、自覚があるのかもしれない。
「退魔の結界が残る街、ですか……魔族の血を引くあたしとグレイが入るのは、良く思われないのでしょうね」
ジェードが出掛けた後、プリムローズが荷物の確認をしながらぽつりと呟いた。
同じく荷物の整理をしていたグレイが、ことさら淡白に切り返す。
「まともに良く思われるほうが珍しいだろ、俺達は」
「そうかもしれませんけど」
「惜しいよな、その街。魔法ってすげーのに使えなくするなんて」
「うんうん、勿体ないよね。上手く使えば、日常生活ものすごく楽になるし。ま、背に腹は変えられないかぁ」
「ふふ、あなた達、ファインやレインと同じこと言うのね。姿も良く似ているし……もしかして、あなた達って転生者?」
「転生者?」
「生まれ変わりのことだ。……まぁ、ありえないことはないかもな。彼らは人間だ。300年も生きられない。もっとも、向こうの世界が俺達と同じ速度で時間が流れていればの話だが」
「そっか。そういう考え方もあるんだ」
「じゃ、俺達って実は”救いの者達”の生まれ変わり? だから石の力が使えたりする?」
「それだけじゃないよ。”塔”の力も使えるってことになるよね? 昔の彼らみたいに、魔物をやっつけられるんだ」
ハッ、とグレイとプリムローズが顔を見合わせた。
プリムローズは戯れに言っただけで、そこまで深くは考えていなかった。だが、快晴と嵐の言葉は、もっともだった。召喚された理由、石が使える理由――転生者だと考えると、辻褄が合う。
「”塔”は、僕達を呼んでいるんでしょ? だったら、そうかもしれないよ!」
「だが、”塔”を起動させる方法が分からない。俺達は、ファインとレインが”塔”を起動させる場面には居合わせていないんだ。”塔”の外で、魔物を食い止めていたから。たとえ本当に転生者だとしても、輪廻の輪の中で記憶は消されるのが常だ。おまえ達も、知らないだろう?」
「あ。そういやそうだ。俺達、何も知らないな」
「でもほら、こういう場合、いざって時には記憶がパーッて甦るシステムになってるかもしれないじゃん?」
「それ、絶対マンガの読みすぎだろー」
「そうかなぁ」
「そんな都合のいい話、あったらいいですよね~」
「俺は嫌だ」
プリムローズのノンキな言葉に、グレイが嫌そうに答える。
嵐は残念そうに肩を落として、面白そうな案だと思ったんだけどなぁ、と呟いた。
面白そう、だけで話が進んではたまったものではない、とジェードがいたなら言うに違いないと思ったのは、出会って数日しか過ぎていない付き合いの一番浅いグレイである。
―――*―――
「手紙を届けたいんだが。あて先はセルトフォームのファンレン司祭に」
郵便所に出向き、届け先を伝えると、受付は複雑そうに顔を歪めた。
怪訝そうに目を向けると、受付は途端に及び腰になった。心なしか顔も怯え気味に引きつっている。ジェードはあえて何も突っ込まずに、尋ねた。認めたくはないが、見知らぬ店に入ると、まず、この対応を受けるのだ。昔から。
「セルトフォームに何かあったのか」
「はっはいぃぃ。……あ、いえ、魔物の襲撃が先日あったみたいで、現在街への出入りは困難な状況で、手紙の配達も止まっております」
「セルトフォームが? 被害の状況はどうだ? ひどいのか?」
「いいえ、被害は軽微だそうです。あそこは警護団がしっかりしていますから」
さすがは、ミストレイン枢機卿の直轄地ですよね――と続く言葉を軽く流して、ジェードは足早に郵便所を出た。
と、その隣を人影が静かに近付いた。頭から黒い外套を羽織る少女で、片手には背丈ほどの鍵の形をした杖を持っている。
「こんにちは」
「おまえは、ユウリエ、だったか」
「覚えていてくれてありがとう、修道士さん」
「どこへ行っていたんだ、おまえ。気がついたら姿がなかったようだが?」
「これでも忙しい身なのよね。この事件にだけ関わってもいられなくって。世界の危機って、どうしてあっちこっちに転がっているのかしらねぇ」
「……」
お互いに歩みは緩めない。ただ、ジェードは胡乱げな視線をユウリエに向けるだけ。
その視線にも、ユウリエはまったく気にしていない様子で続けた。
「そうそう、セルトフォームが魔物の襲撃に遭ったって聞いた?」
「ああ、今しがた」
「心配するだろうと思って、良い知らせを持ってきたわ。セルトフォームの人的被害はゼロ! すごいわ。今でも退魔の結界があれほど正常に作動している場所は、他にはないわよ」
「……よく調べているな。退魔の結界のことまで知っているなんて」
「ま、あたしって全能だから。あなた達のために力を使うことは出来ないけど」
「そうかい、別に期待はしてねぇよ」
「実はもう一つ、悪い知らせもあるの。この先、魔物の襲撃が相次ぐことになるわよ」
「何だと?」
「”塔”がまた自分達を封じようとしているってことを、本能で気付いてる。まぁ、300年前と同じことが起きようとしているんだものね。魔物だってバカじゃないってことかしら。そして、その力を持つ嵐くんと快晴くんは、最優先で潰すべき”敵”として認識されるってわけ」
そこでようやく、ジェードは足を止めた。その表情は険しい。
「おかしいぞ、それは。だったら、どうして今までは魔物と無縁の旅が出来たんだ?」
「それは、今までの彼らは力を持っていなかったからよ。嵐くんと快晴くんの力の源は、”輝石”。あの石は、1つならただの”輝石”ですむけど、石が二つ揃った時、”塔”を起動させる鍵となる。その力が、魔物にとっては敵と認識させる判断の源だからよ。あ、それから、グレイもさりげなく守ってくれていたようだけど。魔物があなた達に近付かないように抑えてたみたいだし」
「……冗談キツいぞ」
「どっこい、冗談じゃないのよ。これからは、グレイとプリムローズは嵐くんと快晴くんを守るためにつきっきりになるでしょうね。彼らは、何のかんの言っても、優しい子達だから、嵐くんと快晴くんがファインとレインじゃなくても、見捨てることなんてできない。だから、あなたはグレイとプリムローズのことを守ってあげてね」
「はぁ? 俺よりよっぽどグレイやプリムローズのほうが強いだろ。魔族は体力・魔力とも人間とは比べものにならねぇからな」
「あなたは全然気にしてないけれど、魔族の血を引くのって、それだけでこの世界では生きにくい理由になるわ。あの子達、表面は明るく振舞っているけれど、内心はとても繊細で傷付きやすいの。……それは、嵐くんと快晴くんにも言えることだけどね。まだ14歳の子供なんだから当たり前でしょ?」
「まぁ、そうだが」
「あなたのような、一見無神経に見えて、しかも怖い顔してても、実は自然に相手の信頼を得ちゃうような希少な人間って、ほんと、そういう事に自覚ないわよねぇ」
「ケンカ売ってんのか?」
にこりとユウリエは笑って答えず、さて、と周囲を見渡した。
「じゃあそろそろ行くわね。今度あなた達と会えるのは、当分先になるでしょうから、ま、頑張ってね」
「は? おいっ」
「じゃあね~」
「ちょ、待て!」
咄嗟に手を伸ばすが、すでにユウリエの姿は消えていた。
「何なんだ、あの女は!」
舌打ちしながら、ジェードは宿へと足を向けた。
そして午後には町を出て、翌日。一行は目的地へと辿り着いた。街の名をセルトフォーム。
かつて、”救いの者達”によって救われた街の一つである。
―――*―――
「ここがセルトフォームだ」
そう言ってジェードが指差す先には、アーチ型の門と、その向こう側に幾つものレンガの建物が見えた。
アーチ型の門はそれなりに大きく、看板がぶら下がっていた。看板に描かれているのは、当然この世界の文字で、嵐と快晴には読めない。はずなのだが。
「……うぇるかむ、とぅ、せる……?」
「Welcome to seltform……ようこそセルトフォームへ、と読むべきだろうね、これ」
「どう見ても英語に見えるのは、俺の気の迷いか?」
「快晴が気の迷いだったら、僕は幻覚を見ているってことになるよ」
「どっちもいやだなそれ」
二人揃って看板を見上げていたら、グレイが隣に並んだ。
「この文字が分かるのか?」
「英語でしょ? って、え、実はこの文字、この世界でも使われているの!?」
「いや」
あっさりとグレイは否定した。そして、付け加える。
「この文字は、ファインとレインの世界で使われている文字の一つだそうだ。ここは確か……ファインが初めて予知の力を発現させた街だったから、記念に門を作ろうってことになって……」
「記念って……何の?」
「初めて予知したよ記念、だったかしら」
「何だそりゃ」
「意味分かんないなぁ、その人達。僕、その人達の転生者っていうネタ、保留したくなってきた」
「え、あれネタだったのか?」
「快晴はいいよ、深く考えなくても」
「ひでっ」
「まぁまぁ、これでファインとレインの世界が、快晴と嵐の世界と同じであることは分かったってことですから、いいじゃないですか」
「ああ、そっか。そうなるんだ」
「それに、この街はファインとレインが再建に深く携わった街でもありますし。この街の造りを考えたんですよ」
「へ~。その人達、建築家だったのかな」
嵐はもう一度看板を見上げた。
ファインとレインという名前。この看板の文字。”救いの者”達は、英語圏に住む人だったのだろうか。
(そういや、桜もそうだっけ)
ジェードをちらりと見る。だが、桜を英語で言うならチェリーブロッサムだ。どうしてその名称だけ、日本語読みなのだろう。
桜が好きな外人は多いようだから、それかもしれない。どちらにしろ、”救いの者達”は、嵐と快晴が住んでいる世界と同じ世界から来ているのは間違いないらしい。
(僕らの前世かもしれない人かぁ)
どんな人達だったのだろう。嵐は考える。
彼らは怖くなかったのだろうか。魔物が闊歩するこの世界を。
コールイート山脈を越えてから――正しくはグレイと合流してから、魔物が嵐や快晴の前にも現れるようになった。グレイ曰く、今まではグレイが赤い輝石を使って抑えていたが、今は石が完全に嵐の制御下に移り同じことが出来なくなったため、魔物達は己の意志で動いているという。
そして彼らは、また自分達を封じ込める力を持つ嵐と快晴を、狙っている。
もっとも、嵐と快晴の傍には魔法使いのエキスパートたるプリムローズとグレイがいる。ジェードもいる。大人しく守られている限り、危険なことは何一つない。魔物の相手をするたびに多少足止めは喰らうが、支障はない程度だ。
そして、この街ならば、よほどの魔物でない限り入る事すら叶わない。
「おまえら、さっさと来い」
先に歩き出していたジェードに呼ばれて、やがて、嵐達も歩き出した。
セルトフォームの街は、のどかでゆったりとした雰囲気に包まれていた。
先日、魔物の襲撃に遭ったと聞くが、今の様子を見る限り被害らしい被害はないようだ。退魔の結界と、この街を統治する人の裁量が良かったのだろう、とグレイはしきりに感心していた。
魔物の集団に襲われて人的被害がゼロなど、奇跡に等しいらしい。
街では、教会の制服を着るジェードに気がつくと、丁寧に頭を下げて通り過ぎる人が多くいる。教会本部がある街ほどではないが、この街もずいぶんと信心深い人が多いらしい。この街の復興に”救いの者達”が深く関わっているという伝説があるのだから、それは当たり前なのかもしれないが。
街に入ってしばらくしてから、ふと、嵐は”それ”に気がついた。驚きに目をいっぱいに見開き、立ち止まる。
快晴は、店先に並ぶ食べ物に目を奪われるたびに足が止まり、グレイが急かすように背中をつついている。プリムローズは懐かしそうに目を細めながら歩き、ジェードはいちいち頭を下げて通っていく住民に手を上げて答えている。
ゆえに、彼らは、嵐が立ち止まったことに気付かなかった。
街中から抜けて、田園風景が広がる場所に、立派な教会が立っていた。白いレンガを積み上げられ、門構えも重厚である。
表の道は花壇が並び、綺麗に咲いていた。手入れがよく行き届いている様子に、この教会に多くの人が行き来している様子が伺える。
ジェードが、門の前で止まった。
「さて、ここがおまえ達を保護してくれるファンレン司祭の――ああ?」
「どうしたんですか、ジェード?」
「アラシがいねぇぞ」
「え!?」
快晴もグレイもプリムローズも驚いて周囲を見渡した。確かに、嵐はいなかった。
「いつの間にはぐれたんだ?」
「もしかしてアラシ、迷子になってしまったのでしょうか?」
「おまえと一緒にするなよ。アラシは、そこまでアホとは思わんが」
「さらっと毒を吐くよな、ジェードって。……でも、嵐どうしたんだ? 単独行動は確かに嵐の得意技だけどさ」
「得意技かよ! ったく、とりあえず俺が探しに出る。おまえら、教会の中に入ってろよ。誰でもいいから、ジェード・グリーンが来たとファンレン司祭に伝えてもらえ。そうすりゃ問題ねぇはずだ」
「え、でもジェード一人じゃ、」
「カイセー、俺の荷物持ってろ」
ジェードはさっさと快晴に自分の荷物を手渡すと、走り出した。
プリムローズが、咄嗟に一歩を出しかける。と、ほぼ同じタイミングで、ジェードが振り向いた。
「いいか、プリムローズ。特にお前は来るなよ。俺の仕事を増やすだけだからな」
「ひどいですっ」
「……分かった。俺たちはここで待つ」
「グレイ、いいんですか!? ジェード、あんなこと言ってるんですよ!」
憤慨するプリムローズに、グレイやや躊躇ってから、
「だが事実だ」
ぼそっと小さく呟いた。プリムローズは、うっと言葉に詰まる。
快晴はジェードの荷物を抱え直してから、そっと、プリムローズの肩に手を置いて、首を横に振った。その表情は、諦めと苦笑が混ざっている。確かに、今プリムローズまで動くのは良策ではない。彼女が迷子にならずに戻ってこられる確率は、ゼロに等しいのだから当然だろう。ジェードの探す対象が二人に増えるだけだ。
快晴の表情に、プリムローズは心底衝撃を受けたような表情となり、次に、がっくりと肩を落とした。
「分かりました……」
そう答える声は、地獄の底から呻くように暗い。
ジェードはそれを満足そうに見届けてから、さらにもう一度念押しのように同じことを言ってから、街のほうへ向かって走り出すのだった。
「にしても嵐、どんな面白いコト見つけたんだろ」
ジェードの後姿を見送りながら、快晴が、悔しそうに言った。
初めての訪れる街だ。珍しいなぁと口に指を加えているだけなどという、勿体ないことはするつもりはない。どうやら嵐が一足先に何かを見つけたのだろう。それが羨ましく、気付けなかったことが悔しい。
コン、と足元の小石を蹴っ飛ばす。勢い良く蹴飛ばされた小石は、教会の壁へと当たった。
しまった、と快晴が顔を上げると。
「……」
「……」
門の影から、じっとこちらを見つめる四つの小さな瞳と、ばっちりと視線が重なった。
「――ああくそっ。何でここまで来て、こんな面倒くせぇことしなるんだッ」
足早で街中に戻りながら、ジェードは悪態をついた。
街に入る時は、嵐はいた。だから、嵐が街の中にいるのは確実だろう。いくら単独行動が得意技でも、さすがに魔物がうようよと出る外には出るまい。だとしたら、いつ、一行から離れたか。
こればかりは、来た道を辿り街の人間に聞いて回るしかない。
ジェードは出来る限りにこやかに、けれど背後に背負う怒りオーラで思いっきり街の人達に怯えられながら、嵐を探した。さすがに、普段見かけない子どもが一人でウロウロしているのは、目立つらしい。聞く人は、嵐の姿を覚えていた。
「14歳の子ども? ああ、あの男の子かね。そう言えば、探しものをしているような感じであっちへ行ったよ」
向かった先は、街の中央広場である。広場の人間も、嵐の姿を見ていた。
「あの少年、迷子なの? 考えごとをしながらあの壁を睨んでいたけど……。え? 向かった先? あっちの高台のほうよ」
高台へ向かえば、のんびりとした老人がベンチに座っていた。老人に尋ねると、確かに嵐はここに来たらしい。
「あはは、あんた冗談はいかんよ。あんなハキハキした迷子がいるもんかい。まぁ、この街に詳しくないみたいではあったけどね」
が、ジェードがたどり着く少し前に、高台を下りていた。
出会わなかったのは、どうやらジェードが登ってきた反対側から降りたからだ。向かったのは街外れの方向だった。
(……あいつ、どこに向かってるんだ?)
嵐が向かったという足取りを追いつつ、ジェードは首を傾げた。
どうも、嵐は何か目的があってあちこちを彷徨っている節がある。だが、初めて来た街で、何があると言うのか。それに、嵐の足取りは、どんどん街から離れていっている。このままでは教会へと戻ってしまいそうだ、とジェードは思った。
思ってから、ハッとした。
(このまま進むと、教会……って、まさか!)
ジェードは全力で走り出した。向かう先は、快晴達を置いてきた教会だ。
建物の姿はすぐに見えた。ジェードはそのまま教会へと走りこみ、正面のドアを力任せに開いた。
バタン、と勢い良く開いたドアの向こう、聖堂の真ん中に、果たして嵐はいた。
ジェードは自分の予想が当たったことを知った。そうだ、嵐は見知らぬ街をただ彷徨っていたわけではない。この教会を探して歩き回っていたのだ。だから、足取りに迷いはなく、本人に不安や焦りが見られなかった。行き先は”教会”だと分かっているのだから。
駆け込んできたジェードをきょとんとした顔で見ている顔は、きっと、何も分かっていない。そう、ジェードが嵐を探して街中を駆け回ったことなど。
「あ、ジェード。この教会で良いんだよね?」
嵐がのんびりと言って、ジェードはふらふらとその場にしゃがみこんだ。
(俺の頑張りって一体何だ……)
あまりの脱力に、言葉も出ない。
怒鳴りたいし安心したいし呆れたしで、頭の中はぐちゃぐちゃである。もう何でも良い気がした。
「ジェード?」
嵐がやはり、首を傾げてそんなジェードを見ている。そのうち、聖堂の奥から、快晴とグレイ、プリムローズが現れた。
「あ、良かったアラシ。無事だったんですね」
「嵐! どんな面白いこと見つけてきたんだよっ。後で俺にも教えろよな!」
「ジェードは……何故、入口で座り込んでいるんだ?」
三者三様、好き放題に言っている。
そしてもう一人。
白い頭と口元にヒゲを蓄えた老人もいた。老人は入口で座り込むジェードを見て、緩く笑った。
老人の姿に気がつくと、ジェードは苦笑を浮かべた。
「ようやく到着したようじゃのう。ジェード・グリーンよ」
「本当に、ようやく到着ですよ。……お久しぶりです、ファンレン司祭」
ジェードはそう言って立ち上がると、ファンレン司祭と呼んだ老人に、丁寧な教会式の挨拶を向けたのだった。