10話 語られる”伝説”
それは嵐を誘拐した直後の話。
ベッドで気を失ったままの嵐を見下ろしながら、グレイは短剣を彼の喉元に突きつけていた。その切っ先が振り降ろされれば、確実に、この子供は死ぬだろう。
眠った嵐の表情は、恐怖も怒りも、何も浮かんでいない。無表情だ。だが、それゆえなのか、その顔に”彼”の顔が容易に重なった。
短剣の切っ先が、わずかに揺れる。脳裏に、”彼”の――レインの言葉が蘇る。
『じゃあ、約束だ』
『約束?』
『300年後、僕達は、もう一度この世界に降り立つ』
『なっ――』
グレイは絶句した。あまりに簡単に言われた台詞は、決して言葉ほどに簡単なことではないと、知っているからだ。
ユウリエが言ったではないか。世界と世界を渡ることは、本来なら、禁忌に等しい行為だと。
だが、レインはあっけらかんと言い切った。隣にいたファインも、同じく何でもないような顔でいる。いや――ファインはいつだってどんな時だって、何も考えていないような顔でいるが。
『君は、もう一度僕達に会う。だから……約束。その時、この剣を、君にあげるよ』
『……それは、本当、か?』
『ああ、本当だ。――これは、グレイと僕の約束だ』
レインが差し出すてのひらを、グレイは、泣きそうになる気持ちで握り返した。
きっとそんな約束は、果たされない。
だけど、300年。待ち続けていれば。もしかしたら―――もしかしたら。
だが、300年後。
この世界に降り立ち、赤い石が反応したのは、姿こそ似ているがレインよりも年下の、見知らぬ少年だった。
間違いが起こったのだと思った。けれど石は反応し、塔は彼らを呼んでいる。間違いなどではない。彼らが、300年前に予言された通りの”救いの者達”なのだ。
全身を、怒りが支配した。
(約束は――果たされない、んだ)
怒りはレインへと向けられ、けれど、彼はいない。いるのは、レインによく似た少年だけ。
ゆえに、グレイは彼を攫った。レインの赤い石を受け継ぐこの少年を。この少年は何も関係ないと分かっていても、何もしないではいられなかった。そして今、怒りに任せて、短剣をかざしている。
けれども、かざされた短剣は、嵐の喉元に突き立てられることはなかった。ゆっくりと引き戻される。
「……殺せる、わけが、ない……。この子どもは、何も悪くない……」
ならばこの怒りと悲しみは、どこに行けばいいのか。
短剣を強く握りしめて、グレイは目を伏せた。足元に、ぽつりと、小さな雫が落ちたが、なかったふりをした。
―――*―――
「この大ボケ共がぁっ!」
夜も更けた時刻。病院を揺るがすのではないかと思われるほどの怒号が、響いた。
そのあまりの大きさに、患者も看護師も医者も廊下に飛び出して、怒号の発生源を探す。その大元はすぐに見付かった。何故なら、怒号はその一回に収まらなかったからである。
ぞろぞろとその病室の前に人が集まるが、怒号は止まる様子はない。だが、誰も病室へ足を踏み入れる者もいなかった。医者ですらドアをノックすることが出来ない。病室から響くその声には、それほどの迫力があった。
病室の主、すなわちこの病院の患者。ジェード=グリーン。
入院して四日しか過ぎていないが、すでに名物患者。何が名物かと問われれば――凶悪犯罪者も恐れるほどの、目つき顔つき口調態度ガンコさも含めた、ありとあらゆる素行の悪さ、である。
「てめぇら、今何時だと思ってやがる! もう夜だぞ、夜! アラシが誘拐されてから二時間以上も過ぎてるだと!? どこでほっつき歩いて遊んでたんだっ!!」
「遊んでたわけじゃないよ!」
「じゃあ何してた、言ってみろ!」
「ええと、話し合いです!」
「誰と誰のだ!」
「俺とプリムさんだよ!」
「その結果は!」
「何にも出ませんでした!」
「胸張って言うな、このアホ共がぁっ! ――で? 犯人は分かってるって言ったな? プリムローズ」
あまりの大声に両耳を塞いでいたプリムローズは、自分に問われたのだと気付くのが遅れた。あ、と気付いた時にはジェードの額に青筋が一気に何本も浮かび上がったのが見えた。それはもう、くっきりと。
「ああああのっ、はいそうですそうです! ええと、アラシを誘拐したのは、あたしの弟なんです~っ!」
「何故だ」
「ああごめんなさいごめんなさい~! 後でグレイはきっちり叱っておきますからごめんなさい~!」
「じゃなくてだ!」
「もちろんアラシは無事ですから安心してください! カイセーだって太鼓判を押してくれましたから! それにですね、それにですね!」
「人の話を聞け!」
ごん、とジェードの拳がプリムローズの脳天に直撃した。
その衝撃に、プリムローズは頭を抱えてうずくまる。快晴はびっくり顔のまま固まっていた。
「お、女の子の頭を殴った……」
「これのどこが女の子だ」
「い、痛いです~……」
「当たり前だ。手加減はしなかったからな。で? 何故おまえの弟はアラシを誘拐したんだ? 理由は分かっているのか?」
「……はい~。分かってます……」
頭のてっぺんをさすりながら、プリムローズは立ち上がった。
その目には涙が浮かび、恨めしげにジェードを見つめていたが、ジェードはきっぱりと無視した。
「ええとですね、それを説明するには、まずは300年前の伝説からお話しなくちゃいけませんけど……いいですか?」
「300年前の伝説だと? それは、こいつらが間違って呼ばれたとかいう、”救いの者達”のことか」
「はい、その通りです」
300年前の伝説と、嵐が誘拐された事に、どんな接点があるのか。
ジェードは不審そうな顔になったが、頷いた。プリムローズの表情はそれなりに真剣だった。たとえ、頭のてっぺんを押さえて、涙目でいようとも。快晴がジト目でジェードを睨んでいても。そんな、緊張感がまるでない雰囲気でも。
ジェードの了解を得て、プリムローズは安心したように息を吐いた。
「それじゃあ、まず。300年前に、実際何があったのかをお話をしますね。あ、これは伝承でも何でもありませんから。あたしが実際に見て経験した、本当の話ですからね」
そう、プリムローズは切り出した。
―――*―――
「……は?」
グレイが切り出した言葉に、嵐は思わずマヌケな声を出した。
今、彼は何と言った? 300年前に実際あったことを、教えてやる、と言った。そこまではいい。だが、続いた言葉は、
「いいか。この話は、ただの伝承や言い伝えじゃない。俺自身が実際にその渦中にいて、体験した真実だということを覚えておけよ」
だった。
嵐は考えた。これからグレイが話そうとしているのは、300年前の伝説のこと、ではなかっただろうか、と。
それを、グレイは実際に渦中にいて、体験したという。
どう解釈すれば良いのだろう。何かの例えだろうか。
「嵐くん、深く考えてはダメよ」
ぽん、とユウリエが嵐を励ますように、嵐の肩に手を置いた。
「ユウリエ、さん……」
「グレイはウソは言わないから、言葉をきちんと、額面通りに受け取らなきゃ」
「……」
「大丈夫、大丈夫。グレイはね、人間じゃないから。あ、ちなみにわたしも今は人間じゃない側にいるけどね」
これは余談だけど、とからりとユウリエは笑ってから、さ、とグレイに話の続きを促した。
「わたしも300年前の当事者の一人だから、嵐くん、グレイの説明で分からないことがあったら気軽に聞いてね」
「……」
そう言えば、と思い出したように付け足された言葉に、嵐はとうとう深く考えることをやめた。
とりあえず、話は聞こう。そうでなければ、何も始まらない。
そう、深く考えても仕方がないのだ。忘れていないつもりで忘れているのだが、何せここは、異世界なのだから。
―――*―――
―――それは、300年前の話。
グレイとプリムローズは、特殊な生まれの双子だった。父を魔族に持ち、母を人間に持つ。
魔物同様、魔族は忌み嫌われる存在で、その血を引く子らも当然忌み嫌われた。父は子らに興味を示すことなくいずこかヘ姿を消し、母は双子を育てるために苦労して体を壊して早くに死んだ。二人は正体を悟られないように、ひっそりと暮らしていた。
そこへ。
二人の少年が、空から落ちてきた。
揶揄でも比喩でもなく、言葉通りに空から落ちてきて、二人の目の前で湖に落ちたという。
名を、ファインとレイン。
18歳の少年で、人間だった。そして、異世界からやって来たと、自ら、言った。
その真偽はともかくとして、行くあてがないという二人を保護してからグレイとプリムローズの、ひっそりとした生活は一変した。
まず、魔物に襲われて家を失った。家を失った彼らが新たな家を探して旅に出るのは、まぁ、不本意ではあるが仕方のない展開だろう。もとより、世間は魔物が異常発生して荒んでいたのだから。この大陸で暮らしている以上、免れない。
だが、問題はその後だ。
旅に出た途端、何故か新興宗教団体に入信することになった。
宗教団体の名は、スウェルティノ教会――今でこそ、この国では最も力ある教会だが、当時は人数が30人にも満たない、宗教というより傭兵集団だった。活動内容は、大陸に蔓延る魔物の討伐と被害者の救援を主としていたから。ただ、彼らの大半は様々な宗派の元神官達だったから、教会という名を掲げているにすぎない。おかげで信仰神は多種多様な多神教の状態で、今でもその余波は残ってスウェルティノ教会は信仰すべき最高神を定めていない。暮らす街、地域、職種によって変わるらしい。
やがて、ファインとレインが――主にファインが、予言めいたことを口にするようになり、スウェルティノ教会の活動に多大な貢献をした。ファインが魔物の出没や規模を予見して、その予見を元に防衛の手段をとり、街や人々を魔物の被害を出来る限り小さくする事が出来た。ファインの予言はとても正確で、外れることはなかった。また、彼ら自身も少しではあるが不思議な力を有していたこともあり、おかげで、次第にスウェルティノ教会は名を馳せるようになり、当時の有力な国家を味方につけた。
やがて、力をつけた二人は、二つの”塔”を建てさせ、二振りの短剣を作らせた。
何故こんな物を作るのか、と誰かが尋ねた。二人は、こう答えた。
『僕達は、この大陸から魔物を退けるために来たんです』 ――と。
そして、二人の少年はその言葉通りに、この大陸から魔物を退けたのだった。
”塔”と”青い石”と”赤い石”を使って。
そして”救いの者”達は、予言を残して去って行った。
「あたし達は、ファインとレインの一番近くにいたんです。彼らを保護したのは確かにわたし達ですけれど、本当に助けられていたのは、あたし達のほうだった。魔族の血を引いているから、どこへ行っても居場所はなかった。白い目で見られて、刃をもって追われるばかりで……でも、あの二人は違った。あたし達を、受け入れてくれた。怖がらずに、一緒に……いてくれた」
共に過ごしたのは半年にも満たない。だが、別れは辛かった、とプレイムローズは小さく呟いた。
そんな二人に、ファインとレインは言った。もう一度、会える、と。
魔族の血を引くグレイとプリムローズは、人間より遙かに長い寿命を持つ。300年は決して短い時間ではなかったが――もう一度会えると思えば、待つ苦痛に耐えられると思った。
そう、もう一度会えると思えばこそ。
「だが、300年後、この世界に降り立ったのは、ファインでもレインでもなかった」
「僕と快晴だった。――だから、僕を誘拐した?」
グレイの言葉に、嵐は尋ねた。グレイは一瞬言葉に詰まったが、はっきりと頷いた。
「おまえがいなくなれば、レインが現れるのではないかと……思った」
「そんなこと、グレイには出来ないくせにね」
ユウリエが呆れたように言って、グレイは俯いた。嵐はじっとグレイの顔を見つめてから――はぁ、と大きく溜め息をついた。
「教会の人もさ、僕と快晴を殺そうとしたよ」
「……!?」
「あの人達が僕達を殺そうとしたのって、どうしてだろうって思ってたけど、今ので何となく分かった。あの人達も、僕達がいなくなれば本物の”救いの者達”が現れるんじゃないかって、思ったのかもしれないんだ」
「馬鹿な! 教会が……」
「残念ながら本当のことよ、グレイ。わたしも知ってる」
「聖職者だろう、その人間達は! 300年前だって、俺やプリムローズのことを認めてくれた!」
「すべての聖職者が、聖職者たるに相応しい行動だけを取るとは、限らないのよ。名を穢さぬために穢れに手を伸ばす者もいる。特に、今みたいな切羽詰った状況じゃね」
「俺が魔物を抑えているのにか!? 300年前と比べれば、被害など半分に等しいんだぞ!?」
「そんな昔のことを覚えている人、いないわよ」
だが、と激昂するグレイに、嵐は首を傾げた。グレイが、魔物を抑えている?
「グレイさんが魔物を抑えている? あれ? そう言えば、魔物を操って村を襲っている誰かがいるって……」
「逆だ!」
「グレイは”塔”の力を使って、魔物を強制的に目覚めさせて、自分の支配下に置いているの。そうすることで、魔物達が勝手に暴れないように、って。まぁ、たまに……それが裏目に出て、集団で村を襲ったりとか、あるけれど」
「俺にだって限界はある。仕方がないだろ」
「じゃあ、魔王ってグレイさんのことだったんだ。しかも、実は魔物を操ってるんじゃなくて、魔物を抑えてるんだ」
だが、世間はそうは見ていないのだろう。
彼らにとって、グレイは魔物を指揮して村を襲っているようにしか見られていない。
「別に人間にどう思われようが構わない。あの二人が戻ってきた時、少しでも人間に被害が少ないほうが、喜ぶだろうと思ったからやっているだけで……」
「グレイは、レイン一筋だからね」
「誤解を招くような言い方はやめろ。あの二人は俺とプリムローズにとって、……その、兄のような存在だったんだ」
「そこで赤くならないでよ」
嵐の突っ込みに、グレイはますます赤くなりながら、眉根を思い切り寄せた。
うるさい、と答える声は覇気がまるでない。見た目はクールな印象を与えるが、実はそうでもないらしい。嵐は、しばらくそんなグレイを見つめてから、また、大きな溜め息をついた。
自分勝手な理由で誘拐したり、実は殺そうとしていたと分かった今でも、何故だか心の中には怒りが沸いてこない。
彼が、見た目ままのクールな性格だったのならばもう少し違った結果になったかもしれないが、今の嵐には、もうグレイを責める気持ちも怒りの気持ちも、キレイになくなっていた。
「もういいよ。ところでさ、僕はこれからどうなるわけ?」
そう尋ねたら、何故だかグレイは目を丸くしてから、あ、と小さく声をこぼした。
そして、小さく呟いた。
「……考えてなかった。どうすればいい?」
「僕に聞かないでよ!」
この人確かにプリムローズの兄弟だ、と嵐は思った。
見た目はいいのに、中身が大ボケなところは、本当にそっくりだ。
―――*―――
「―――で、これからどうすれば良いのでしょう、と思って」
すべての話を終えてから、そう付け足したプリムローズの言葉に、ジェードははっきりと頭を抱えていた。
「てめぇら双子は、本当にアホだな」
「ひっひどいです!」
「本当だろうが。特にグレイという奴は大ボケもいいところだ。まあ、悪い奴じゃねぇようだがな」
「え……あの、あたしの話、信じてくれるんですか?」
「嘘を言ってるのか?」
「いいえ!」
「なら、カイセーの言う通り、アラシは無事なんだろ。だったら放っておけ」
あっさりと言い切ったジェードの言葉に、プリムローズも快晴も目を丸くした。
「ほ、放って、おく……んですか?」
「そうだ」
「で、でも、嵐は誘拐されてるんだよ?」
「平気だろ。そもそも、探しに行こうにもアテはまるでねぇし、アラシを誘拐した理由が腹いせで、身の安全は心配する必要がないなら、そのうち気が済んで戻してくるだろ」
「そ、そんな大雑把な……」
「だったら、何だ。カイセーはアラシの気配が探せるのか? プリムローズは?」
「俺にはムリだよ! こんな街の中じゃ」
「あたしは……」
言いかけて、プリムローズは固まった。そして、唐突に顔を赤くして俯いた。
怪訝に彼女を見る二人に、プリムローズは申し訳なさそうに、
「グレイの居場所、あたし、探せました……」
手を上げながら、言った。途端、ジェードの拳が、プリムローズの脳天に直撃した。
ついでに、「この大ボケ娘が!」と盛大な怒号もオマケについて。
「ごっ……ごめんなさい~……。ちょっと忘れていました~」
「この状況で”ちょっと忘れてた”とか言うなやるなするな!」
「ジェ、ジェード! 暴力は良くないよ! ほら、人って話し合えば分かる生き物だろっ!?」
「それが適応しない大ボケもいる」
「それってあたしのことですか!? ひどいです~」
反抗するようにプリムローズが涙目で睨み付けたが、それ以上の迫力でジェードに睨み返されて、口を噤んだ。
ジェードの額には青筋が何本も浮かんでいる。これ以上ヘタな事を言うと、さらなる拳が降ってくる気がした。
「ったく、さっさとそれをやれ」
「は、はい! ……。……あれ?」
勢い良く頷いたプリムローズが、精神集中しようと目を閉じた。が、すぐに目が開く。その間2秒とない。
そして、くるりと病室の入口に振り向いた。
「どうした?」
「い、いえ。廊下にグレイの気配が……ユウリエのものも……」
「は?」
快晴がきょとんと目を瞬いて、ドアのほうへ目を向けた。そして、何かに気付いたように、慌ててイスから立ち上がった。
飛びつく勢いでドアを開くと、そこには、嵐が立っていた。後ろにはプリムローズに良く似た顔立ちの少年と、全身黒づくめの少女もいる。
嵐は右手を不自然に差し出した状態で、驚きに止まっていた。
「嵐!?」
「か、……快晴?」
「おまえ、無事だったんだな!?」
「あ、うん、何とか。……びっくりした。ドア開けようとしたら、そっちから開くんだからなぁ」
「……戻った第一声がそれか。感動が薄いな」
嵐の後ろで、グレイがぼそりと突っ込んだ。
嵐はじろりとグレイを睨みつけてから、快晴と、驚きに止まっているプリムローズとジェードを見る。
「あの、遅くなったけど、帰りました」
「そうみたいだな。ガキが夜更かしたぁ、あんまり感心しねぇぞ、アラシ。……と、後ろの二人も、似たような年みたいだが」
「俺とプリムローズは、見た目の通りの年齢じゃない」
「軽く300年は生きているって? それじゃあ若作りジジィと呼んでやろうか」
ジェードの軽口に、グレイが驚いた顔をした。プリムローズが、こくりと頷いた。
「プリムローズ、おまえ……」
「全部、話しました。大丈夫、ジェードは悪い人じゃありませんから」
「相変わらず甘いヤツだな」
「グレイこそ。……アラシがあなたに攫われたと知った時は、ダメかと思いましたよ。あなたは思い込んだら他が見えなくなるところがありますから」
プリムローズはそう言うと、グレイの前まで近付いた。
プリムローズはグレイの目を真っ直ぐに見つめて、泣きそうになりながらも、微笑んだ。
「久しぶりですね、グレイ。……もう、いいのですか?」
「全然駄目だ。……けれど結局、俺には何も出来ないことも、分かった」
「そんなことはありません。あなたが魔物を抑えてくれているから、たくさんの人が、助かっているのです。きっと、ファインもレインも、喜んでいます」
「そうだと……いいな」
「絶対、絶対です」
プリムローズの断言に、グレイはわずかに微笑んだ。そんな二人に、嵐も快晴もお互いの顔を見て笑った。
が、途中でふと快晴が首を傾げた。
「……なぁ、何だかものすごい大団円って感じだけどさ」
「何? 快晴」
「結局、嵐が攫われた意味って、あったのか?」
瞬間、病室の空気が凍りついた。
「……お、おまえ……」
「そ、それは……」
ジェードが額を押さえつつ、グレイがうろたえて一歩後ろに下がる。
プリムローズは引きつった苦笑いをしつつ、ユウリエは今にも吹き出しそうに口元を抑えていた。
嵐が、頭痛に耐えるように表情をしかめながら、言った。
「それは言わないのが、世のため人のためってもんだよ、快晴」
「そうなのか?」
「……んなこたぁどうでもいいから、おまえら、さっさと帰れ。今何時だと思ってやがる。病院で夜中に騒ぐんじゃねぇよ」
ジェードが面倒そうに言って、グレイがむっと気分を害したようだった。
「俺達が来る時は、この部屋の前にはたくさんの人間が集まっていたぞ。おまえの怒鳴り声が、病院中に響いていたと聞いた。相当騒がしくしていたようだな。ああ、今は彼らにはそれぞれの部屋に戻ってもらっているから、いいが」
「……」
ぴくり、とジェードの片眉が器用に跳ね上がった。
嵐が、呆れた表情でプリムローズに小声で囁いた。
「グレイも余計なこと言うよね……」
「やられたら黙っていないのが、あの子ですから」
「何だか、嵐に似てないか? それ」
「余計なひと言は、むしろ快晴だろ」
む、と快晴は眉根を真ん中に寄せたが、返す言葉が見付からずに悔しそうに口を噤んだ。自覚があったらしい。
「どうでもいいけど、外は、もう朝よ」
ユウリエが、肩を竦めながら言った。
彼女の言葉に、一同は窓の外に向いた。外は、うっすらと朝焼けが掛かり始めていた。
「何だか、ものすごい長い夜だった気がするよ」
朝日を見ながら、嵐が呟いた。隣で、快晴がしみじみと頷いたのだった。




