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09話 離ればなれの、夜


―――それは、五年前の、話。


耳をつんざくほどの轟音。炎上する車。途切れた携帯の声。すべてが目の前で起こっていた。

つい一瞬前までは、携帯越しに会話していた母が。

車を運転していただろう父が。


ほんの、数秒の間に、いなくなった、あの日。


(雨のせいだ)

(信号無視をした車のせいだ)

(日曜日に社会見学なんてあった学校のせいだ)


違う。

全部全部、僕のせいだ。


傘を忘れて、雨に濡れるのが嫌で、バスで帰るのが面倒で、駅まで迎えに来て、と言ったのは嵐だ。

雨の中、嵐を迎えに行くために車を出しさえしなければ、父も母も、事故に遭うことなどなかった。命を落とすことなどなかった。

そうだ。

全部全部、嵐のせい。嵐が悪い。

あの男も言ったじゃないか。父を誰よりも溺愛し、母との結婚を、嵐の誕生を決して祝うことのなかった父方の祖父が。

『何もかも、おまえのせいだ。おまえさえいなければ!』

男の顔が真っ黒に塗り潰されて、世界も闇に閉ざされた。


その中で、たった一つ。

『おまえは悪くない!』

ボロボロと涙を流しながらそう言った、従兄弟の顔が思い浮かんだ。

それは本当に、自分自身が”悪”となった暗闇の中で響いた、小さな小さな光だったのだ。




―――*―――




『片割れは、いただく』


空気を掴むだけで終わった手を、快晴はしばらく呆然と見下ろしていた。

何が起きたのか。頭はとっくに理解している。次に何をすべきなのかも、とっくに理解してる。なのに、体が動かない。それは――目の前の突然の出来事に呆然としているのも、ある。だが、一番大きな理由は、少年が残していった感情の残滓。

嵐を誘拐した。快晴達に対して、怒りにも憎しみにも近い感情を抱いていた。同時に罪悪感も抱いていた。

そして――

快晴は見下ろしていた手を、ぎゅっと強く握りしめた。


「……くそっ!」


くるりと踵を返した。向かう先は、宿屋の二階。ピンク色の髪をした少女の部屋である。



宿屋に戻ると、驚く店主に挨拶もそこそこ、快晴はプリムローズの部屋に飛び込んだ。

ドアをノックもしない。勢い良く開けたドアは、バタン、と大きな音を立てた。部屋では、荷物の整理をしていたのか、プリムローズがベッドの上に座ってカバンを開いていた。

突然飛び込んできた快晴に驚いて、きょとんと目を開いている。


「カ、カイセー? どうし」

「嵐が誘拐された!」

「アラシが誘拐ですか? ……はい? ……ゆ、誘拐!?」


バサバサッとカバンを取り落として、プリムローズが立ち上がる。

ベッドの縁に足を引っ掛けて転びそうになりながら快晴の目の前まで走り寄ると、両肩をがしりと掴んだ。


「うわっ!?」

「どこの不埒者ですか! アラシを誘拐だなんて! 身代金は幾らですか!? ああ何て可哀想なアラシ! 追われている身の上に、誘拐まで……ああっ、もしかして、またあの刺客が襲ってきたのですか!? やっぱりあの時トドメを差しておくべきでした!」

「あの、プリムさん落ち着いて……」

「これが落ち着いていられましょうか! 今すぐアラシを助けに行きましょう! 大丈夫、あたしなら難なく助けることが出来ますから! さあ、身代金の受け渡し場所はどこですか!?」

「いや、あのさ……お金は要求されてないんだよね……」


そもそも、先日の刺客が襲ってきたのなら、身代金など要求しないだろう。彼らの目的は嵐と快晴の抹殺なのだから。


「お金を請求されたのではないとすると……ま、まさか……」

「もしもーし、プリムさん? 俺の話を聞いてくれる?」

「ああ……なんて酷い……命を何だと思って……」


どうやらプリムローズの中では、相当の悲劇が繰り広げられているようで、既に涙ぐんでいた。

快晴は頭を抱えたい気分になりながら、いいにくそうに、ぽつりと言った。少年が残していった謎の言葉を。


「お前達は”彼ら”ではない。けれど塔はおまえ達を呼んでいるから。けれど俺は、それを認められない」

「え……?」

「嵐を誘拐した人が言ってた言葉だよ。それから、プリムさんにも伝言。『おまえのしていることは、茶番だ』」


快晴は真っ直ぐにプリムローズを見た。

プリムローズは、信じられないと今にも叫び出しそうな表情で、快晴を見つめた。ゆっくりと両手を胸の前に持ってくると、きつく握りしめる。


「……カイセー。アラシを誘拐したというのは……」

「うん、俺より少し年上で、ピンク色の髪をしてたよ。それから、」

「あたしによく似た顔立ちをした男の人、だったのですね……」

「うん」

「……」


プリムローズは深く俯いた。両目は閉じられて、眉根が寄せられている。

ごめんなさい、と呟いたプリムローズの声は、とても小さかった。快晴はそれには答えず、別の問いを口にした。


「プリムさんの知っている人だよね?」

「……はい。双子の弟の、グレイです」

「あの人、俺達のことをすごく憎んでいるようだった」

「……はい。待ち続けた結果が、あなた達だったから」

「でも、同じくらい、すごく……泣いていた」

「え? ……グレイが、泣いて?」

「うん。事情は全然分からないけどさ。そのグレイさん、プリムさんと同じくらい、悪い人じゃないって、俺、分かってるよ。大丈夫。あ、嵐は誘拐されちゃったけどさ」


快晴は、にこりと笑った。

プリムローズは呆然と快晴の顔を見つめ返して――やがて、泣き笑いのような表情を浮かべた。まっすぐに両手を伸ばすと、快晴の頭を思い切り抱きしめる。


「うわっ!? プ、プリムさんっ!?」

「……ありがとう、カイセー」

「いや、その、あの、えっと……」


プリムローズに抱きしめられた快晴は、首まで真っ赤になっていた。

女性に抱きしめられて恥ずかしいのもある。だが、今の快晴の頭にあるのは、プリムローズの柔らかな胸の感触だった。プリムローズが快晴の頭を抱きしめたせいで、頬に彼女の胸が当たっているのだ。

だが、彼女が心底喜んでいるところを水を差すようなことも言えなかった。結局そのまま抱きしめられるしかなく、頬にプリムローズの柔らかな感触に触れながら、快晴は強く思った。


こんな事、絶対に嵐に言えない。この先一生、からかわれるに決まってるのだから。




―――*―――




「――っ」


嵐は、はっと目を覚ました。

だが、目の前は真っ暗だった。ぱちぱちと瞬きを数回繰り返して、ようやく、周囲が暗いせいで何も見えないのだと理解する。

しばらく瞬きを繰り返しているうちに、暗闇に慣れてきた目が周囲の状況を映し出し始めた。


(どっかの、部屋?)


「目が覚めたか」


ぼんやりと天井を眺めていると、唐突に声が掛かってぎくりと肩を震わせた。

慌てて周囲を見回すと、灯りもついていない部屋の真ん中にあるテーブルに、少年が椅子に腰掛けてこちらを見ていた。

嵐は条件反射のようにベッドから飛び降りると、少年から離れるように壁まで走った。壁に背中をぺたりをつけると、すぐに部屋全体を見る。暗闇の中でも目が慣れてしまえば部屋の全体を見ることは出来るものだ。ドアの位置、少年の位置、自分が今いる位置を――そして、どうすればこの場所から逃げられるか。他のどんな事より、まっさきにその考えが頭を占めていた。


「状況判断より先に、逃げ道の確認か。何も知らないながらも、この状況下では一番正しい判断かもしれないな」

「……」

「予想通り、そのドアの鍵は掛けてある。鍵は俺の手の中だ。それから、仲間はもう一人いる。……いや、あれは正確には仲間ではないか」


協力者――とも言えないが、と少年は気だるそうに言いながら、手の中の鍵をいじっていた。

嵐はじっと口を閉じて少年を睨みつけるだけだった。問い質したい事は山のように、頭の中を駆け巡っている。ここはどこだ。おまえは誰だ。どうして僕はここにいる。そして、一緒にいたはずの快晴の姿がないのは、何故だ。

何度もその疑問を口にしそうになっては、留まる。

理由は分からない。

ただ、問うより先にこの場から逃げろ、と頭も身体も叫んでいる。

少年はただ座っているだけで、剣やら飛び道具やらの、嵐が知る限りの危険物を持っている様子はない。年は17.8ほどで、あまり体格も良いほうには見えない。むしろ、ひょろりとした印象だ。暗闇の中にあっては、細かい部分までは見えないが。

嵐はじっと少年の睨みつけているうちに、だんだんと、違和感が湧き上がってくることに気付いた。

年は17.8くらいの少年。髪はピンク色。顔は冷たい印象を与える中性的な雰囲気で、――ああそうか、教会の朝に池のところで会った。いや、そうじゃない。もっと別のところで見たことがある。でもどこで?


(どこだっけ……すごくよく知ってるような……)


ぐるぐると回り始めた思考は、すぐに打ち破られた。暗闇の中に、唐突に光が現われたからだった。


「ああ、良かった。まだ、何もないわね?」


何もない空間が突如として光を放ち、同時に現れたのは、真っ黒いコートを羽織っており、右手には大きな鍵のような形をした杖を持っている少女だった。

嵐は今度こそ、その顔に見覚えがあった。




―――*―――




「では、アラシは無事だというんですね? カイセー」

「うん、グレイさんからは殺気……っていうの? そういうの感じられなかったし。そもそも、アラシを誘拐する時だって、悪いことしてるって罪悪感があったみたいだったし」

「……はぁ。相変わらず、分かっていても何かせずにはいられないんですね、あの子」

「そうなの?」

「はい。昔からそうだったんですよ。いじめられたら倍返しはあたしの役目なのに、守られてばかりは嫌だって言って、手を出してくるんです。でも、優しい子だからけっきょく爪の甘さからのされてあたしがさらに倍返しっていうパターンばかりで」

「……や、やられたら倍返し?」

「ええ。あたしとグレイは、生まれがちょっと特殊なんです。だから、小さい頃からいじめられることが多くて。……ふふ。ファインやレインに対しても、グレイはお礼に手伝いをしようとして大失敗した時もありましたっけ」

「何だか、グレイさんてものすごい不器用な人っぽく聞こえるけど」

「はい、ものすごく不器用ですよ」


きっぱり言い切るプリムローズに快晴はぱっと見ただけの、冷たい眼差しの少年を思い浮かべた。

顔立ちはプリムローズによく似ていたが、もっとクールな性格に見えたのだが。人は見た目の印象通りとは限らないらしい。この世界は、見た目と中身が逆、というのが普通なのだろうか。


(良かった。俺、この力持ってて)


プリムローズの安心した顔を見ながら、快晴はそう思った。

相手の心を感じられたからこそ、快晴は今、冷静でいられる。相手のことを考えながら行動できる。

もし、快晴に精神感応の力がなく、彼の見た目だけで判断していたならば、今頃プリムローズを責めて、事情を知っている彼女を問い詰めていたにちがいない。

五年前の時のように、相手がどんな思いでいるかなど知ろうともせず、一時の感情のままに相手を罵倒していただろう。


『おまえなんか死んじまえ!』


五年前、と心の中で呟いて、快晴はわずかに目を伏せた。

大切な友達が、嵐が傷付いたのは、目の前の男のせい。

それを知った時、怒りで頭も身体もいっぱいになって、殴りかかった。父親に止められたから実際に殴ることはなかったけれど。そのまま力ずくで抱えられて別の部屋に連れて行かれる途中、快晴は怒りのままに叫んだのだ。

おまえなんか死んじまえ、と。

嵐は父も母もなくして、独りぼっちになってしまったのに。そんな嵐に、両親が死んだのはおまえのせいだと責める。

大切な、快晴の友達を傷付ける。

そんなヤツは悪だ。そんなヤツはこの世から消えてしまえ。


幼い快晴は、本気でそう思った。


だけど――そう、だけど。

嵐が父と母を亡くしたのなら。あの男は子供を亡くしたことになるのだ、と快晴の父は言った。あの男は、嵐の父の”父親”だったのだから。

大切な家族を失って独りぼっちになってしまったのは、あの男も同じなたのだ、と。

快晴は教えられた。


『快晴、よく覚えておきなさい。誰かを傷付ける人は、その人自身も傷を抱えていることが多いんだ。だから許してあげろ、といわない。ただ、何もせずに憎むということだけはしてはいけないよ。憎んでしまったら、その心はまた別の誰かを傷つけてしまうからね』


――だから、よく見なさい。知ろうとしなさい。その人は、誰かを傷付ける刃をもって、本当は、何を叫んでいるのか。


その日以来、快晴は決めたのだ。自分はすでに誰かを傷付けた。ならば、今度は誰かを守ろう、と。

もう二度と、同じ過ちをしないように。


「カイセー?」


快晴の様子に、プリムローズが気遣うように顔を覗きこんだ。

咄嗟に先ほどの胸の感触やらあたたかさやらが思い出されて、快晴は顔に熱がのぼる。プリムローズの近付いた分だけ、体ごと、後ろに後退する。


「どうしたのですか? カイセー?」

「あっ、いや、何でもないよ! それよりさ嵐のことだけど! ……あー、そうだよ、嵐! あいつ、誘拐されちゃったじゃん」

「ええ。そうですね……」

「あ、別にプリムさんを責めてるわけじゃないよ? たださ、どうしようかなって思って」

「どうしよう、とは?」

「えっと、嵐は多分、大丈夫だと思うけどさ……肝心の嵐が、どこに攫われたのか、分かんないなぁって」

「あ」


そこまで思い至らなかったのだろう。プリムローズは、きょとんと目を丸くした。

そうだ。

嵐は誘拐された。分かっているのは誘拐犯はプリムローズの弟で、快晴の見立てでは彼が嵐を傷付けるほど悪い人ではないということだけ――他のことはいっさい、何も分かっていない。グレイから何かしらの要求があるわけでもない。手掛かりは何もなかった。

そんな状態で、これから、何をどうすれば良いのか。


「ど、どうしよ?」

「ど、どうしましょう……」


二人は考え込んだ。頭から湯気がたつのではないかという思うくらい考え込んで、数分ほど。


「と、とりあえずさー……。ジェードに、相談しにいこっか」

「うう。そ、そうですね……。それが一番良いと思います」


そして夜半に訪れた病院で、とんでもない怒号が響くのは、さらに半時ほど後の事となる。




―――*―――




「なっ――」

「久しぶりね、嵐くん」


はろー、と気軽なノリでひらひらと手をふる少女に、嵐の怒りの沸点は一瞬で越えた。


「何であんたがここにいるんだよっ! 快晴はどこだ!!」


叫んだ途端、バリンッ! と壁に大きな日々が入った。

突然のことに、嵐は足をもつれさせて、転ぶ。腰をしたたかに打ちつけたが、痛みよりも驚きが勝った。壁一面だけではなく、窓にも亀裂が入っていた。


「そんなに怒鳴らなくても聞こえてるよ。で、まぁちょっと待ってね。――グレイ」


少女はその異様な光景に驚くでもなく、困ったように肩を竦めると、後ろに座っている少年へと顔を向けた。

グレイと呼ばれた少年はちらりと少女を見て、ややふて腐れたように目を逸らした。彼もまた、動揺している様子は見られない。自分だけが無様に尻餅をついて驚いたことに羞恥を覚えて、嵐は口はつぐんだ。その間に、少女は少年への前へと近付いていた。

片手を腰に当てており、まるでお説教する先生である。彼女が何を言おうとしているか承知しているのだろう、少年が先に口を開いた。


「小言は聞かないからな」

「まったく。グレイは貧乏くじしか引けないタイプなんだから、ヘタに動けばロクなことにならないって、この300年間で身につけなかったの?」

「……」

「ほんと、君には困ったものね。ま、嵐くんは無傷みたいだから、不問にしときましょうか。さて、嵐くん、お待たせ」


くるりと少女は、嵐に振り向いた。相変わらず、少女の周りは白い光がふわふわと浮遊していて、部屋の暗闇を振り払っている。

が、それはつまり、少女の奇妙さを際立たせていることでもあった。

白く光る球体を周囲に浮かばせている人間など、ひたすらに奇妙でしかない。たとえ、魔法使いだと知っていても。


「ごめんね。突然こんな場所に連れてこられて、びっくりしたでしょう?」

「……そりゃもう、天地がひっくり返るくらいにはね」

「うんうん、でも大丈夫。グレイは――ああ、グレイってあの子のことなんだけどね、彼、雰囲気ほど悪い子じゃないから、命の保証は大丈夫だよ。それから、快晴くんはここには来てないから。今もプリムローズと一緒にいるんじゃないかな」

「えっ……快晴、無事?」

「ええ、無事よ」

「そう……か」


嵐はほう、と大きく息を吐いた。

その様子を微笑ましそうに見て、少女は未だに壁を背中にして立つ嵐に近付いた。数歩前のところで、手を差し伸べる。


「だから、こっちで座ってお話しましょ」

「……」


差し伸べられた手を、嵐はじっと見つめた。それは信じて良いかどうか迷う目ではなく、胡散臭いものを見るような目つきだった。


「手をとった途端、頭からパクリってオチはないよね」

「あはは。そんなことしないって。グレイだって、結局誘拐したけど何も出来なかったみたいだし――今はあたしもいるから、大丈夫!」


ね、と少女は片目を瞑った。

嵐は少女を見てから、不機嫌そうにそっぽを向いている少年を見て、ゆっくりと少女の差し出す手を取った。そのままグレイが座るテーブルに近付き、向かい側に座る。嵐が座った後、少女も椅子に腰掛けた。

座ってから、少女が気付いたように周囲を見渡した。


「あれ? グレイ、灯りも着けてないの?」

「俺やおまえには必要ないだろ」

「そりゃ、グレイやあたしには必要ないかもしれないけどね。嵐くんは普通の人間なのよ? それに、こんな暗い場所にいると、精神衛生にも良くないって言ったじゃないの。ほら、さっさと灯りを着けて」

「……分かった」


グレイは渋々と右の指をテーブルの真ん中に置かれている白い石に向けて、「ラーイ」と短く呟いた。途端に、白い石が光を放つ。

嵐はしげしげと白い石を見つめた。旅が始まって、何度か宿に寝泊りしている間に、白い石が夜の明かりがわりとして使われていることは知っている。だが、その原理は未だに分からない。石は発光していても熱くない。


「相変わらず、不思議な石だね、これ。何で光ってるの?」

「ああ、光石ひかりいしのこと? 古代の亜精霊の化石よ。亜精霊は純粋な精霊と違って、血肉を供えているし、加えて、精霊に属しているから、死後も何かしらの力を宿しているの」

「あせいれい?」

「精霊が血肉と寿命を備えた存在のことを言うのよ。まぁ、ドラゴン・ロード以下のすべての精霊は、程度の差こそあれ、寿命か血肉のどちらかを供えている存在が多いから、精霊そのもののことを指してると言っても間違いないけど」

「……あのさー」

「あ、ごめんね。嵐くんは異世界から来たもんね。この世界のことは知らないから、分からないよね」

「そうだけど、……あんたに言われるとヤな感じ」

「あんたなんて失礼ね、名前で呼んで――って、あれ?」

「僕、あんたの名前もこの人の名前も知らない。……そっちは、僕のことをよく知っているようだけどさ」


そうだったね、とこれまた少女はちっとも悪びれていない顔で言ってから、自分の顔を指差した。


「わたし、ユウリエっていうの。で、こっちの君を誘拐したのはグレイ。プリムローズの弟よ」

「ああ、そ……。――――は?」


さらりとユウリエは言った。嵐はその意味を一瞬、把握し損ねて、じっとグレイを見る。

ピンク色の髪、17.8の年頃、すっきりと整った中世的な顔立ち――どこかで見た事があると思った顔に、プリムローズの顔が苦もなく重なった。

「え――――っ!?」


その部屋で、嵐のすっとんきょうな声が、響いた。

その声を嫌そうな顔でやり過ごして、グレイは、ぽかんと口を開いたまま固まっている嵐を、やはり、嫌そうな顔で見てから、懐に手を入れる。取り出したのは、子ども親指ほどの大きさの、楕円形の赤い石だった。

それを見下ろしてから、無言のままに嵐に差し出した。


「これを、おまえの片割れに渡せ」

「片割れって……快晴のこと?」

「そうだ。これは、ファインの輝石。おそらく、カイセーとやらに受け継がれた石だ。レインの輝石は、未だカイセーが持っているようだが……彼が力を使うには、石が傍にあることが必要だからな。儀式の時でないのならいい」

「……? ファインのきせき? 儀式? 力?」

「あ、ファインっていうのはね、”救いの者”の一人のことよ。もう一人はレインっていうの」

「ファインとレイン? ……晴れと雨?」

「ふふふ。間違ってはいないわね。何せ、彼らも異世界の人間だったから」

「そう――なの?」

「ええ。それから、レインの輝石は、今、快晴くんが持っている青い石のことよ。あれは本来、嵐くんが持つべきものなのよ。でも、その石が力を与えるのは快晴くんが願った時だけ」

「?? それっておかしいだろ? 僕の石なのに、快晴のためにしか働かないなんて」

「いいえ。それが正しいあり方なのよ。だってその石は、持ち主の願いを聞き入れるものだもの」

「意味が分からないよ」

「そうだね。とりあえず、快晴くんが力を正しく発揮するためには、嵐くんが青い石を持っていることが必要で、嵐くんが力を正しく発揮するためには、快晴くんが赤い石を持っていることが必要ってことを、覚えていてね。そう遠くないうちに、君達は”塔”で儀式をすることになるだろうから」

「儀式? 何の儀式だよ?」


嵐の問いに、ユウリエは言葉を躊躇った。気遣うようにグレイに目を向ける。

グレイは、辛そうに顔を歪めていた。が、ユウリエと嵐の視線に気付くと、バツの悪い表情になって、そっぽを向く。そして、ことさらぶっきらぼうに言った。


「300年前のように、この大陸に蔓延る”魔”を払拭するためだ。”塔”は300年間、ずっと動き続けていたが、そろそろ限界が近い。だから、青い石と赤い石の持ち主を呼ぶ」


それがおまえとカイセーだ、とグレイが続けた言葉に、嵐は首を横に振った。

それは、おかしい。


「僕も快晴も、間違ってこの世界に呼ばれただけだよ。そんな力はない」

「だが現に、青い石はカイセーの願いに応じて力を発揮した。そして、この赤い石もおまえが傍にいることで、本来の力を取り戻している」

「そんなの間違いだよ!」


嵐は叫んだ。その途端――


バリン、と。テーブルの上に乗っていた光石が、砕ける。

ぎょっとする嵐に、グレイは赤い石を嵐の目の前に置いた。石は、自ら輝きをまとっていた。まるで、嵐の感情をそのまま映し出しているかのように、輝きかたは落ち着きがない。


「物質に干渉する力、か。おまえもレインと同じ力を発現するのだな」

「今の……は」

「君の力だよ、嵐くん。赤い石が傍にあるから、君は力を手に入れた。……逆だね。君が傍にいるから、石は力を与えたんだ」

「そんな……の」

「さっきの、壁がひび割れたのも、君の力なんだよ。ま、ここは廃屋だから、壊しても誰も困らないからいいけどね」


茶化すようなユウリエの言葉に、嵐は笑えなかった。

気持ちを落ち着けるためか、深く息を吸って、吐く。もう一度繰り返す。吐く息が、わずかに震えていた。その動揺を振り払うように、嵐は言葉に力を込めて言った。


「じゃあ、何で最初の時に、僕達は間違いだって判断されたんだ? いや、それ以前に――どうして僕は、グレイさんに誘拐されたんだよ? ユウリエさんも、何者なんだよ?」


嵐はじとりと二人を睨み付けた。ユウリエは困ったように笑い、グレイは言葉に詰まったように目を逸らす。

数秒か、数分か。

沈黙が続き、観念したかのように、グレイが大きく息を吐いた。


「それを説明するには、まずは、300年前の”伝説”から話さなければならなくなる」


伝説―――それは、救いの者達のことだろう、と聞かなくても分かった。

そう思った途端、どうしてここに快晴がいないのだろう、と思った。この世界に呼ばれたのが、本当は間違いではない、ということを含めて、嵐にとっても快晴にとってもとんでもなく重要なことが、これから、話されようとしている。

なのに、ここに快晴はいない。

嵐は強くこぶしを握った。強く、強く――てのひらに爪が食い込むのではないかというほど、強く。

でなければ、今にも大きな声で叫んで、ここから逃げ出してしまいそうだった。


(嵐のように生きるのが、僕の信条なのに)


自分で自分を叱ってみる。だけど、恐れは消えそうになかった。

そう言えば、一人は、とても怖いものだったな、と、心の隅っこで思った。


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