喪失した銀狼の少女
もはや襲撃者などいなく、あるのは同胞たちの屍と人間たちの死体のみであった。どうやら、父の話ではこのあたりが人間の手によって一掃され、ここは幸いにも滝の近くということもあり、火計による災害は事前に防がれたという。しかし、ここに帰ってきてからはわかる、風向きが今度はこちらに流れてきているため、…匂うのだ。
食糧ではない、生物が焼ける匂い、すべて燃やされ、灰と化したものの焦げる匂い、もう何が何だか解らなかった、すべてが焼けたような匂い。私たちの群れと交流があったほかの種族も巻き込まれ、ここらの種族で完全に無害であったところなど、おそらく一つもないであろう…。
父の体を引きずりながら族長の間の隠し扉をさらに進んでいく。ここに実際に来るのはこれが初めてだ。父より存在自体を教わってはいたが、有事の時以外はなるべく使うことの無いようにと封をしているのだという。だが、いままで生きてきた中でこのような神秘的なオーラを肌で感じることはなかった。
「父よ、大丈夫か…?」
「…うむ、…先を急げ…」
息も絶え絶えに父はひたすら奥へ奥へと私をせかす。考えたくはないが、もう父の命は限界を通り越して、いつ倒れてもおかしくない、そう私に暗示しているように思えた。
うす暗く、岩ばかりでまわりを囲まれていた洞窟の奥に、なにやら木々が途中から群生して一種の擬態のように隠されている空間を2人は急ぎ進んでゆく。そして次第に淡く光る光源のようなものがちかちかと照り、私たちを照らしているかのように瞬き続ける。
「…ついたか、”呼ばれずの森に”」
「”呼ばれずの森”…」
「いつしか、太古の昔我らと人間が争い、世界を滅ぼしかけた戦乱の時代があった。我ら魔物は、人と違い、長い手足がなく、万能ともいえる能力がない。そのためどうしても力が一方に特化してしまい、同胞が屈強な人間たちに敗れ、耐えることが多くあった。しかし、度重なる戦乱と敗北に苛まれつづけ、我らが求めた安住の地には光が絶えない、摩訶不思議な光源が存在した…それがここだ」
父はゆっくりと体を起こすと自らの力で台座に這い、そのままその場で動きを停止する。
「来るのだ、レザリス…」
私は四本足を使って器用に台座まで上ると、父は光源に向かって吠えた。
「おおいなる祝福の光よ…!かのものに祝福を!その名は我が娘、レザリス」
「ち、父よ…どうなされた…?なにを」
父が一言発するたびに光源の光は強く瞬き、私の体を包んでゆく。
えも言われぬ神秘さに私は父を見ることさえせず、自らの体に集う光に凝視する。
「我らが命、骸を糧とし、…祝福の光を」
「!?」
父の体が薄く発光し始める。私には何が何だかさっぱりわからない、けれども父に叫ばずにはいられなかった。
「父よ…いったいどうしたというのですッ!?」
「我らの魂はレザリス、お前とともにある…今まで苦労を掛けたよ…」
「なぜ…別に私はッ」
父の閉じられた目から一筋の涙が伝い、下へと落ちてゆく。
「これが私たちがお前に送贈る最後の宝であり、力ーーー…」
光が臨界点に達し、フラッシュバックで視界がなくなる。
途中、同胞たち、母、父が見えた気がした。彼らは皆安らかな表情で天に昇るのだろうか。涙が止まらなかった。
四足歩行であるはずの体がいつの間にか人間のような手足に変換され、指も人のそれと近づき、顔も、胴体も、何もかもが私の知らない私に変わりはじめる。
”許しておくれ、レザリス…ともにいられぬことを…せめての未練と言えば、愛する娘の成長の生き証人となってやれぬことだ…どうか、このふがいなき父を…許しておく…れ…”
「うっ…ぅぁああ…ああ…」
光とともに、命は消えた。そこに残されたのはただ一人の少女である。同胞たちの屍もすべて、消滅した。この光はすべてを天上に連れて行ってしまった。もう、何もかもが初めからなかったかのように消滅した。
彼女は独り、光源の残滓に何度も変わったばかりの手で救おうともがきながら、何も掴めずに慟哭した…。
グレイウルフが祝福されて人と同じ姿を得た…。
獣が人に変化するのがかなりの年月と力がいる。しかしおおきな生贄を払って得た祝福は単にレザリスからすべてを奪っていった。