竜騎士の私に「竜臭い女は妃にできん」と仰るなら、竜は殿下の城で飼います ~今日から王城の屋根は、竜のひなたぼっこ場です~
「竜臭い女は妃にできん。婚約は破棄だ。竜も、城から出せ」
ハルド王家の竜騎士七年目、マイラ。山で手入れを終え、竜のコハクに城門で降ろしてもらった私を、殿下が竜騎士棟の入口で待っていた。翌朝の閲兵の打合せに来たというのに、私の外套の匂いに鼻をつまんでいる。隣には侍従が、明日の予定の紙を胸に抱えて立っている。
「竜臭い、で、破棄……本気ですか?」
「俺は匂いにデリケートなのだ。今まで我慢してきたが、もう辛抱ならん!」
「そうですか、分かりました。では、条約通りに竜は今日から城で飼います」
「は? なぜそうなる?」
「本来竜騎士の住む所は城内で、条約では竜は乗り手の寝床の真上で眠ると決まっているからです」
条約では、乗り手を城の外へ出した国は竜の庇護を失う。
七年、私が週の半分を山の竜舎で寝ていたのは、匂いを嫌う婚約者のためだった。殿下が城を空ける夜だけ、私も城で眠る。
十八歳の馬丁だった私にコハクが首を下げ、私は竜騎士となり、殿下はその身分を気に入って私へ婚約を申し込んだのだ。臭いが生理的に合わないことだけは想定外だったようだが。
竜が選ぶ乗り手は一人だけ。竜に選ばれたことと、殿下に選ばれたことを、あの頃の私はうまく分けられずにいた。今は二十五歳。山へ戻るために結びかけた外套の紐を、私は解く。指が、七年ぶりに軽い。
「お前も竜も山へ行け!」
「七年、山へ通っていたのは殿下のためです! ですが、もう他人なら配慮はいたしません」
殿下は威厳を込めようと鼻から指を離す。けれど、息を吸うなり顔をしかめ、すぐに指を戻してしまう。威厳より、鼻のほうが大事らしい。
「妃は香りで語るものだ!」
「ではそういう方を選んでください。私は、竜の世話をする女ですので」
「減らず口を叩きおって!」
その時、竜のコハクが長い首を伸ばし、殿下の顔をのぞきこむ。
「ひっ、ひぃっ……」
その迫力に殿下は後ずさり。
侍従が予定の紙で口元を隠す。小さく震える肩につられて、紙の端まで頼りなく揺れている。
「侍従! 今、笑ったな?」
「と、とんでもございません。明日の予定を読み返しておっただけであります、殿下」
「読み返す顔ではなかった!」
「それは、気のせいでございます」
その時、コハクが大きく羽ばたき、辺りは猛烈な風に包まれる。
「おわぁ!」「うわっ」
コハクは一気に高度を上げ、城の上空を一回りした。黒い鱗が夕日を吸い、短い灰色の角が棟の屋根をかすめる。
「くっ、忌々しい……」
殿下はそんなコハクを見上げる。
夕日が棟の壁を赤く染め、殿下の帽子の影を長く伸ばす。山へ帰るには、そろそろ冷える時刻だ。そのことを考えてから、もう帰り支度はいらないのだと気づく。
やがて私の頭上に、大きな影が落ちる。コハクが降りてきたのだ。
「ねえさま、おやま?」
「ここでねんね。おやまには、いかないの」
琥珀色の目が、ぱちりと瞬く。それから、私を見つめたまま細くなる。透けた夕日が、その目の中で蜂蜜のように光る。
婚約が無くなったので、掟どおり城の寝床で寝る。だから黒竜コハクの巣は、今夜から王城の屋根になった。
丸まって馬車二台分。口は人の子供ほどの竜が、私の部屋の真上で尻尾を収める。以前は殿下の留守の夜だけ泊まり、朝の見回りのあとは山へ帰していた。これからは昼もここだ。瓦がゆっくりと軋む。重い体が落ち着くその音は、七年ぶんの遠慮がほどけていく音にも聞こえる。
「おい、あんなところで眠らせるな! 降ろせ!」
「掟です。それに条約で、乗り手を城から出した国は竜の庇護を失います。陛下がお読みになった条約です」
殿下の指が鼻へ食い込む。屋根では、その声を聞きつけた竜が振り向き、首を伸ばしている。
「陛下はもう下がられた!」
「では明日の朝、お読みになったご本人にお尋ねくださいませ」
「お前は、いつからそんな口を……」
殿下の声が、途中で細くなる。言い返した私の声は、まだ耳に残っている。私は外套の紐を、もう一度だけ握ってから手を離す。
「先ほどからです。婚約が無くなりましたので」
「……明日の閲兵で、その竜が邪魔をしたら山へ返す!」
「それは馬に聞いてくださいませ」
屋根から、長い首がゆっくり降りてくる。琥珀色の目が、殿下をジロリと見つめる。
「この人、なあに?」
「殿下よ。見るだけ。噛んではだめ」
冷え始めた夜気に、竜の匂いが混じる。日に温まった岩と、乾いた草を思わせる、慣れた匂いだ。私は屋根を見上げ、それから殿下へ向き直る。今度は、息を浅くする必要もない。
「竜臭くて結構じゃないですか。竜はこの国を守ります」
殿下は答えず、鼻をつまんだまま棟の前を去っていく。遠ざかる足音を、追わずに聞く。屋根の上では、竜が大きく息を吐いている。今夜からは、殿下の留守を待たなくていい。私は城の寝床で、竜の寝息を聞きながら眠る。
◇
二日目の朝。国境の見回りを終え、コハクは屋根へ、私は閲兵の庭へ。整列した軍馬十二頭が、乗られる前にそろって座り込む。普段は城外の馬場にいる馬たちには、初めての頭上の竜だ。一頭も動かない。磨かれた馬具だけが、朝日を受けて立派に光っている。
「動け! なぜ私の馬が動かん?」
「馬はみんな、屋根を見ていますよ!」
殿下が腕を振るほど、陛下も侍従も屋根を見上げる。黒竜は前足をきちんと揃え、閲兵を見物しているところだ。朝の光が黒い鱗に跳ね、庭じゅうの目がそこへ集まる。殿下の腕だけが忙しい。
「馬に竜を見せるな!」
「馬の目は、私にも閉じられません!」
殿下が父王を振り返る。振り上げた腕は、そのままだ。
「城から出ていけ!」
「お主、条約を読んでおらんのか?」
陛下が条約の綴りを開く。指先が止まるのは、私もよく知る条文だ。
「第三条、乗り手は王城に住まう。乗り手を出せば庇護を失う。竜が選んだ職を、お前が解けると思うな」
陛下が綴りを閉じる。ぱたりという乾いた音のあと、息子へ目を据える。
「婚約はお前の私事だ。竜騎士の居所は城だ」
「竜は山にいるのが正しい!」
すると、様子を見ていたコハクは、バサバサッと翼を羽ばたかせ、一気に広場へと降りてくる。
馬たちは一斉に立ち上がって後ずさり――。
「ひっ、ひぃっ……」
殿下はおびえて私の後ろに逃げた。
「はいはい、いい子ね。大丈夫よ、ふふっ」
私は琥珀の鼻先をてのひらで撫でてやる。
「おぉ、賢い奴じゃな、ほっほっほ」
陛下は楽しそうに笑った。
◇
その夜、私は寝床で瓦の軋みを数えていた。真上で竜が寝返りを打つたび、天井から細かな埃が降る。悪くない。あの大きな体が頭の上にあると思うと、寝具に預けた肩から力が抜ける。
その時だった、廊下を駆ける足音と、料理番の声が、その数を途切れさせた。
「油がこぼれたんだよ! みんな庭へ出てる!」
寝間着のまま厨房脇の庭へ出る。薄い布を夜風が抜け、焦げた匂いが鼻の奥を刺す。
「コハク、堀へ! 水を窓に吹き付けて!」
「はぁい」
コハクは一気に堀へと飛び込むと水を一気に吸い込んだ――。
「あそこへ吹いて!」
私は燃える窓を指す。
コハクは堀の水を口いっぱいに含んで、飛び上がると水を一吹き――。
ジュワァァといい音がして湯気がもわっと上がる。
全員が一斉にコハクを見上げる。その先にある黒い輪郭を、私も息を詰めたまま追っていた。
「よくやったわ、コハク」
「おみず、もう一吹き?」
「そうね、もう一吹きお願い」
再び堀で水を含み、再度噴射する――。シュワワワと少しだけ湯気が上がった。もう大丈夫そうだ。水の落ちる音を聞きながら、私もようやく長く息を吐く。
「ねえさま、みてた?」
「見てたわ! いい子ね」
私は降りてきた首を叩く。手のひらに触れる鱗は、芯まで冷えている。その下で、太い息が笑うように弾む。
「お堀のおみず、おいしい」
「の、飲んでたの? でも、よくやったわ!」
水音の向こう、庭の奥から陛下の声が飛ぶ。
「よくやった!」
陛下は竜から私へ顔を向ける。
「山の竜舎に居たら、城は焼けていた。ここに居てくれて良かった」
しかし、殿下は不満そうだ。
「何おっしゃるんですか、さらに竜臭くなってしまったじゃないですか!」
コハクが振り向く。殿下は慌てて後ずさり。
「助けてもらって、それはないのではないでしょうか?」
私は思わず声を上げてしまう。
「ふんっ! 臭いまで喜べと言うのか?」
「喜ばなくて結構です。でも、焼けずに済んだ厨房で作られた料理を食べる時には、思い出してください」
「竜騎士さん、明日は竜にも朝食を出すよ!」
「堀の水で足りていますわ。……鍋は、竜には小さすぎます」
頬を伝う堀の水を、私は袖で拭う。その手つきを、コハクが上から覗き込んでいた。まだ拭き残しがあるのかと思うほど、琥珀色の目が私から離れない。
三日目の朝は、鐘の音がない。澄んだ朝の空気に、紐の擦れる音ばかりが頼りなく響く。殿下の前で、侍従の手と紐だけが動いている。
「殿下、朝の予定は鐘の音から始まるのでありますが……」
「鳴らせ! 鳴らんなら、鳴るまで引け!」
「朝の鐘が鳴りません。紐のほうは動いているのでありますが」
屋根へ上がり、私は首を叩く。日向の瓦はもう温かい。なるほど、寝場所としては申し分ない。
「あはは、鐘まくら!」
鐘に顎を載せた黒竜は、満足げな寝顔をこちらへ向けている。あまりに気持ちよさそうで、起こす私のほうが悪い気さえしてくる。鐘でさえなければ、好きなだけ寝かせてやるのに。
◇
鐘を離れたコハクは、見回りのあと私を城門で降ろすと、そのまま山向こうへ飛んでいった。呼んでも振り向かず、私の声だけが門の外に残る。午後、門から上がってくる黒い翼に胸をなで下ろしかけて、目が止まる。背に乗っているのは、黒衣の男だ。
陛下が、庭の全員へ告げる。その声に、辺りの空気がぴんと張る。
「エルグの王、ラグナルだ。三百歳になられる」
三十歳ほどにしか見えない男だった。濃い灰色の外套に、飾りの少ない黒衣。肩で切った黒い髪。金色の瞳の縦長の瞳孔だけが、人ではないと告げている。その目が、まっすぐ私を捉える。目をそらす理由はないはずなのに、息を吸うのが少し遅れる。
「マイラだな? 弟と国から飛んできて、門の外で人の姿になった」
頷く私の横で、城の者が一斉に伏せる。衣擦れの音が庭を走る中、殿下も鼻をつまんだまま頭を下げる。コハクだけが棟の屋根で、弾むように首を振っている。
「ねえさま、にいさまつれてきた!」
「竜が増えたではないか!」
「一頭は人の姿です、殿下」
竜王が、殿下から私へ目を移す。風に揺れた黒衣の裾から、慣れた匂いが届く。屋根の匂いと同じだ。知らない相手なのに、肩に入っていた力が少し抜ける。
「弟が世話になっている。……竜臭い? 俺の匂いだが」
「世話をしていますとも! 鐘からも降ろします!」
帰ったばかりの弟の顎は、もう鐘台にある。証明は、もう鐘台にある。竜王が殿下へ向き直る。
「弟を泣かせたのはお前か?」
「……泣かせておりません」
殿下の指が、鼻から自分の口へ移る。竜王はその動きを追わず、弟を顎で示す。
「言いつけに来た」
「ねえさま、なかされた」
「私、泣いてません! 堀の水です!」
「弟は泣いていた」
コハクが頭を低くする。琥珀色の目が、私と兄の間を行き来している。さっきまで弾んでいた首が、今は小さく縮こまって見える。
「ねえさま、かなしいの、やだ」
泣いていないと、もう繰り返す気にはなれない。頬を拭った私を見て、山向こうまで兄を呼びにいったのだ。お礼を言うだけなのに、喉の奥が狭くなる。
「ありがとう。……でも、鐘は返しなさい!」
私は屋根の縁へ上がり、鐘台を指す。言葉が詰まっても、こちらは見逃せない。
「コハク、おりるの。おーりーるーの」
「ここ、まくらなのに……」
口を尖らせたまま、大きな足が屋根へ下りる。竜王も隣へ上がるけれど、その目は弟の足より、私の顔に向いている。
「弟を叱ったな」
「叱ります! 百歳ですもの!」
竜王の息が止まる。まずいことを言っただろうか、と考えかけたところで、低い笑いが漏れる。硬そうに見えた口元が、思いのほかやわらかい。
「……三百年で、初めて聞いた」
「竜王陛下も、悪いことをなさったら叱りますよ!」
「俺もか?」
「ええ。王だからと見逃しません!」
竜王が真面目に背筋を伸ばし、弟を見上げる。その律儀さに、こちらまで口元を引き締めなくてはならない。
「泣いたのなら、国へ帰るか?」
コハクは首を下ろし、前足の先で私の腕にしがみつく。腕などすっぽり隠れてしまいそうな大きさなのに、触れる力は痛くない。
「この人がいい」
弟の顎を見た竜王が、私へ向き直る。腕に触れる鱗の冷たさが、急にはっきりと分かる。
「俺も、ここにいていいか? お前の仕事を見たい」
命じずに、尋ねる王だ。私の返事が出るまで、言葉の続きを押しつけてこない。その短い間が、ひどく大切なものに思える。答えは、考えるより先に喉まで来ていた。
「はい。私が叱るところも、見ていてくださいませ」
「叱られるのは、弟だけでいい」
「お約束はいたしかねます」
竜王の口の端が、また上がる。今度は私も、その変化を正面から見ている。
屋根へ収まった顎は、鐘から離れて兄を追う。兄の目は、弟でなくこちらを向いている。仕事を見たいと言ってくれた声が、目を合わせるたびに胸の中へ戻ってくる。
◇
四日目の昼。破棄前から決まっていた南の隣国オルムとの交渉に、鎧の音が響く。窓から差す光が、金属の縁で冷たく跳ねる。私は客の竜王を窓辺へ案内する役で、交渉の間の隅に立っていた。陛下の前で、使節は胸を張る。
「川の水利を、当方へお譲りいただきたい」
「私が話をまとめよう。よく聞くがいい!」
「当方は、この一行の武装をもって、国境の川の水利を当方の権利として申し入れます」
書面をそのまま声にしたような長い口調が、部屋に響く。平らな声なのに、まだ鎧の音を聞かされている気がする。
「私の話が先だ!」
「殿下のお話は、書面で結構です」
殿下の口が開いたまま止まる。窓辺の竜王へ、私は場所を空ける。声をかけようとすると、仕事の言葉に、それだけではないものが混じる。
「窓の前へ。コハクの顔が見えます。……あなたに、見ていてほしいんです」
「ここで、お前の仕事を見ている」
使節がこちらを向く。私の外套と窓の外とを、目だけで見比べている。その視線を受けても、隣にいる人の声は、胸の奥に静かに残っている。
「山にいると聞いて来ました。竜を恐れろと仰るのですか?」
「城にいますわ。ほら、窓の外に」
交渉の窓の外で、コハクがあくびをする。窓が息で曇り、牙だけが白い。
張った胸はそのまま、使節の目だけが牙へ吸い寄せられる。さっきまで書面のように滑らかだった口も、動かない。
「要求は撤回します!」
「川は、これまでどおりですね?」
「はい、これまでどおりに!」
陛下が窓の外へ顎をしゃくる。その先には、あくびの途中の黒竜だ。
「五十年、竜が山に居たから誰も本気にしなかった。城に居れば、これだ」
殿下が挨拶を受けようと手を差し出す。使節はその横を通り、私へ深く頭を下げる。張っていた胸まで、きれいに折れる。
「竜騎士殿、これからもよろしくお願いいたします」
「見回りは続けます。川でもお会いしましょう」
「私が交渉していた!」
「あくびで済みましたわ」
殿下の手が、誰もいないところに残る。引き取り手のないその手を見て、私の口元が勝手に緩む。
「笑うな! まだ私の話がある!」
「聞いていましたわ! 竜が口を開く前から!」
「私の説得が効いたのだ!」
「でしたら、どうして私に挨拶なさるのです?」
隣で笑う竜王と目が合い、私も声を出して笑う。笑い声が、つかえずに喉を通っていく。窓の向こう、屋根のコハクはあくびを終え、何事もなかったように口を閉じる。
◇
五日目の昼、竜騎士棟の前に竜王が来る。陛下と殿下も庭にいる。屋根の上では、コハクが日向に腹を向けて伸びていた。瓦も鱗も温かそうで、見上げているとこちらまで眠くなる。けれど、目の前の人の声に、背筋が伸びる。
「今日は、お前と話すために来た」
「私も、あなたのことを、もっと聞きたいです」
「その前に、俺へ言っておきたいことはあるか?」
「私は、ここで竜騎士を続けます。寝床も変えません。それでも、私と?」
竜王が私へ身体ごと向き直る。金色の目が、まっすぐに私を見る。口にした条件を小さく言い直したくなる気持ちを、私は喉の手前で押しとどめる。
「それがいい。俺が通う。お前が弟を叱って、笑う。その隣にいたい」
「それは……弟の兄としてですか?」
自分の声が、少し震えたのが分かる。七年、私は聞きたいことを聞かずにきた。答えを聞いたあとで、今ある場所がなくなるのが怖くて。隣に立つのなら、どんな気持ちでそこにいてくれるのか知りたい。今日は聞く。声が震えても、言葉を引っ込めない。
返事を待つ私を、金色の目が見つめる。先に目をそらしたくなるのを、こらえる。聞いたのは私だ。答えまで、ちゃんと受け取りたい。
「乗り手を選ぶのは竜。妃を選ぶのは俺だ」
「……竜語で、仰ってくださいませ」
低い竜語が私の名を呼び、妃になってほしいと告げる。
聞き取れても、私には発音できない言葉だ。彼の目を見て頷く。今度は、私が選んだ答えを渡す番だ。
「はい。ラグナル、私もあなたの隣がいいです!」
「にいさまと、ねえさま!」
城の者が一斉に屋根を見上げ、ラグナルが目を細める。口に出した彼の名が、まだ唇に残っている気がする。
「ねえさま、ここでねる!」
「おててをまくら。そこでねんねよ」
「兄と姉か。……弟は気が早い」
「私は、もう返事をしました!」
陛下が咳払いをして、竜王へ向く。その音に、私も頬の熱を思い出す。
「五十年前、エルグが置いたのは竜一頭。今度は王まで通うのか?」
「通う。マイラに会うためだ」
「竜騎士の居所が変わらぬなら、余に異存はない」
書き直された条約には、竜は王城の屋根に住む、乗り手は竜の国の妃、と並ぶ。
陛下とラグナルが署名し、残る筆を陛下が息子へ渡す。筆先が、殿下の前で止まる。
「名を書け。立会人として」
「私の城の屋根だぞ!」
「屋根の持ち主は余だ。書け」
それでも殿下は、屋根の住人を認める紙へ名を書く。筆が紙を擦る音を、私は最後まで聞いている。
「竜臭い、と言ったのは……」
「殿下です」
殿下は筆を置き、鼻から指を離す。匂いはもう城じゅうにある。つまんでも同じだと、ようやく気づいたのかもしれない。
屋根を見上げる。コハクは前足を枕に、日向で眠っている。私の寝床の、真上だ。もう山へ戻る時刻を気にせず、深く息を吸う。日に温まった、いつもの匂いがする。
「殿下の城は今日も、竜のひなたぼっこ場です」




