第九話 ずっと隣に
「よ、」
玄関を開けると、キャップを被ったひな姉が
いつも通り元気に手を上げた。
「ひな姉、どうしたの?」
「ハナコさんに借りてた本、返しに来たんだ」
ひな姉が差し出してきたのは
『最新!神コーデ』というファッション誌だった。
……ひな姉がそれ読んでどうするの?
「ハナコさんなら、さっき遊びに行っちゃったよ」
「えー、今日返してって言ってたのに……」
ひな姉が露骨に面倒そうな顔をする。
「そうなの? 忘れちゃったのかな。
俺が預かっておこうか?」
「んー、じゃあお願いしようかな。ありがと」
ひな姉はそこで言葉を切ると
帽子のツバをぐいっと下げた。
「……でもさ、ハナコさん、今いないんだよね。
じゃあ、たまには二人で散歩でも行かない?」
「あ、いいね。
最近はハナコさんに振り回されっぱなしだし
ひな姉とのんびりしたいかも」
「でしょ!? じゃあ、いつもの公園行こうよ」
柔らかな日差しの中、二人で公園へと歩く。
「ねぇ」隣を歩くひな姉が、不意に声をかけてきた。
「……同棲って、どんな感じなの?」
「どんなって……
ひな姉が想像してるようなのじゃないよ。
俺、押し入れで寝てるし」
「押し入れ!? なんでよ」
「いや、最初はなんか恥ずかしくて
逃げちゃったんだけどさ。
ハナコさん、めちゃくちゃ寝相が悪くて……
一緒に寝てたら命に関わるんだよ」
「あはは、そうなの」
ひな姉の表情が少しだけ和らいだ。
「じゃあさ……何も、その
恋人っぽいこと、してないの?」
「全然ないよ。俺がビビりなのもあるけど」
「……ううん。たーくんは、それでいいと思うよ」
なぜか、彼女は自分に言い聞かせるように小さく頷いた。
公園に着くと、人影はまばらだった。
入り口付近で、一人の男の子が
サッカーボールを蹴っている。
けれど、その子はボールよりも
道路を通る車に夢中なようで、
危なっかしく車道の方ばかりを見ていた。
「ボク、そっちは危ないよ」
ひな姉が注意すと男の子はチラッとこちらを見て、
照れくさいのか無言でボールを抱え奥へ走っていった。
「挨拶くらいすればいいのにな」
俺が少しムッとすると、ひな姉は苦笑いした。
「いいよ、別にプレッシャーをかけたいわけじゃないし
危ないことをしなくなったんなら、それで十分」
そのまま歩き
俺たちは古びたブランコの前で足を止めた。
「ここ、よく一緒に遊んだよね」
「そうだね。昔はよく
ひな姉に背中を押してもらったっけ」
「また、押してあげようか?」
「え、今? 恥ずかしいって」
「いいからいいから、ほら座って!」
強引に促されて座ると、
背中にトンと懐かしい感触が伝わってきた。
ゆらり、と視界が揺れる。
……あれ?楽しい。
「そういえばさ、ひな姉。
受験勉強とかしなくていいの?」
「私、ソフトでスカウトが来てるんだ。
だからもう、大学は決まってるよ」
「えぇっ!?
知らなかった、凄いじゃん!」
「別に……好きでやってるだけだからね」
「……場所、どこ?」
「……県外だよ」
背中を押す手の力が、ふっと弱くなった。
「そっか……
ひな姉と離れちゃうのか」
「……寂しい?」
「うん。今までずっと隣にいるのが
当たり前だったから。
……やっぱり、寂しいよ」
「…………それだけ?」
ブランコが、静かに止まった。
振り返ると、ひな姉と真っ直ぐに目が合った。
「私も、寂しいよ……
たーくんはいつも『ひな姉』って呼ぶけどさ」
彼女は一歩踏み出し、俺との距離を詰める。
「私は……お姉ちゃんじゃないよ」
……わかっていた。ずっと前から、その言葉の意味を。
「……知ってる。でも、その呼び方、嫌だった?」
「ううん、嬉しかった。
……でも、これからはもう、嫌かも」
ひな姉が帽子を深く被ると、顔が隠れて見えなくなる。
「私……私ね! たーくんのこと――!」
そよ風が吹き、足元の砂が小さく舞った。
俺は、次に続く言葉を待つことしかできなかった。




