静伝
短編です
私は、言葉をうまく扱えない。別に精神的な疾患があるとか、そう言うことでなく、ただ、自分の感情や感覚を言葉にすることが苦手だった。
そんな私が、唯一自分を表現できたのが、“絵”の世界だった。
ぼんやりとした色彩で色を塗っても、「芸術」として評価してくれる絵の世界は私を安心させた。
しかし、大学生になると、評価を受けられる回数が次第に減って行った。
無機物のデッサンに始まり、動物などの動きのある物の絵、好きな街の風景や、海、川などの自然の風景。いろいろなものを描いたけど、私の中のモヤモヤと形のない感情を吐き出すには至らなかった。
もちろん大学は、絵の勉強をしに行くのだから、いろいろなものを描くのが正解なんだろうけど、私は正直、嫌になりかけていた。
卒業制作と言う言葉がちらついてきた3年の秋頃、お題のない授業があった。先生に「何を描いても良い。描かなくても良い」と言われ、私は混乱した。足がかりになるものが何もない状態で絵を描くのはかなり困難を極めた。
結局、さんざん悩んだ挙句に無難に空の絵を描いて、先生には「つまらん」と一蹴されてしまった。友人たちもおなじような評価を受けていたので、さほど心は折れなかったけど。
そしてついに、卒業制作を作り始める時期が来た。お題はまた「何でもいい」だった。
うんうんと悩んで、私はまた、空の絵を描いてしまった。あの時よりも画力は上がった様な気がしていたけど、やっぱり何か物足りない。何か、何か、他の人と違うものを、爪痕を残さなければ。
焦った私は、その日久しぶりに熱を出した。
翌朝、重たい体を引きずって、もう一度絵を見て、私はその絵のど真ん中に、真っ赤な絵の具をつけた筆を一回押し当てた。
その絵を、私は卒業制作として提出した。評価を貰う前に、展示会がある事をすっかり忘れていた。
展示会の受付をしながら、自分の絵の前で足を止める人がいないかと横目でそっと観察したけど、ほとんど誰も足を止めようとはしない。折れそうな心を何とか保って、受付でニコニコ笑顔を作った。
その日の夕方、高校生くらいの男の子が、私の絵の前で足を止めた。じっと赤い点を見つめている。他の絵には目もくれず、ずっと、ただただ見つめていた。閉館の時間まで、彼はずっと見つめ続けていた。
それから5年が経った頃、私は卒業した大学の卒業個展に足を運んだ。インスピレーションを貰えないかなと、淡い期待を持って足を踏み入れた。
たくさんの絵が並ぶ中、一つの絵の前で、私の脚が止まった。
真っ青な空に、朝日が昇るような海辺の絵。夜空を押し上げるように澄みわたる青の空、まるで吸い込まれてしまいそうな複雑な青の海。水平線の向こうから登るその朝日に一本、ナイフが刺さっていた。
見間違いかと思っていたけど、間違いなくナイフだけが3Dだった。
私はその絵から目が離せなくなっていた。
じわじわと汗が出てきて、体が震えた。
持っていた肩掛けバッグのひもをギュウと握りしめていた。
——静伝——
それは波のようなものかもしれませんね




