◆第7話:魔導術具士ティセラの想い◆
朝の光が差し込む食卓。
少し早起きしていたティセラは、リマリスで週三回頒布されている新聞を読み終え、そっと椅子を引いた。
「さて……朝食前に、館の様子を確認しておきましょうか」
カップの底に残った紅茶の色を一瞥し、ティセラは静かに立ち上がる。
館の外周を歩きながら、結界のほころびを点検していく。
常設の術具で結界を展開しており、ティセラは朝食前に定期確認をするのが日課となっていた。
「この前、侵入者がいたとエクリナが言っていましたね。……館が大きすぎるので、どうしても隙が生じます」
指先に微かな魔力を乗せ、結界の縁をなぞるたび、肌をかすめる抵抗の強さが変化していく。
「強度に問題はなしと……どこにほころびがあるのか判断しがたいですね……」
静かな独り言が、朝の空気に溶けていく。
厨房ではエクリナが朝食を準備しているのが目に入る。
セディオスの好みに合わせて塩漬け豚を焼き、自作のハーブをまぶしている。
(ふふ、あのエクリナが……ここまで細やかな配慮をするとは)
玄関では、パンをくわえたライナが元気に駆け出していく。
(今日は森へ狩りですね。……いったい何を持ち帰るやら)
(危なっかしいようでいて……きちんと成果だけは上げてきますからね)
朝食後――
館内を巡り、今度は書庫へ入る。整然と並ぶ書物の匂いに安堵を覚える。
項目別に並べられた棚に立ち、背表紙を眺めていく。
「結界を強固にする術具の改良をしないと……」
呟きながら魔法書を探すと、整理をしていたルゼリアが一冊を勧めてくれた。
「この本に結界の魔法式が記述されてましたよ」
「ありがとうございます!」
礼を言い、本を受け取るティセラ。
(流石ですね。管理が行き届いているので、選出も的確です)
早速、自身が管理している工房へ足を運ぶ。
魔法書を開き必要な項目を閲覧し、魔法式を紙へ写していく。
いくつかを書き写し終えると、見比べ、思案を重ねる。
より頑丈で、誰も侵入させないために術具の改良案を紙に書いていく。
「あ! あまり制限を掛けると猫や鳥が入ってこれなくなりますね……両立は難しいものです……」
猫や鳥は館に侵入しては家族に癒しをもたらしていた。
結界のほころびを見つけ、侵入しているのは知っていた。
「襲撃者は多分、そこから無理やり入ってるんでしょうね……」
新たな策を考えるために魔法書を眺めていると、扉をノックする音がした。
「コンコンコン」と、小さく控えめなノック――現れたのはセディオスだった。
「こんにちは、セディオス。お茶を用意しますね。今日はアッサムにしましょうか」
「ありがとう、ティセラ。少し時間があったものでな」
向かい入れるティセラは、紅茶を準備する。
エクリナに影響され、紅茶の銘柄に詳しくなっていたティセラは、好みの茶葉を工房に置いていた。
二人で紅茶を口にしながら、窓の外へ視線をやる。
「……皆、元気に過ごしています。特にエクリナは、今朝も張り切っていましたよ」
「そうか。皆が平穏に過ごせるのも、おまえたちのおかげだ」
何気ない会話――それができるのは、過去にけじめをつけたからだ。
五人で死線を切り抜け、ようやくつかみ取った未来。平穏な生活自体が尊いものであった。
ティセラはふっと微笑む。
「……こうして、何も起こらぬ日が続くこと。かつては、それだけで“奇跡”でしたね」
「そうだな。そしてその奇跡を護り続けるのが、この家族だからこそだな」
セディオスは何気なく言う。
「はい。……そしてあなたが、わたしたちの中心です」
ティセラのその声の奥には、淡い影が潜んでいた。
(祝福したいのに、胸の奥が少しだけ冷える)
かつて、最も近くにいたのは自分だった。
目覚めた時から共にいて、苦痛も空虚も苦しみも理解してきた。
けれど今、エクリナが向ける柔らかな笑みは、セディオスに捧げられている。
もちろん、家族にも惜しみない愛情は注いでいる。でもそれは、セディオスとは違う愛。
(……あなたが導いたのですね。彼女を、変えた……わたしにはできなかったことを成し遂げた)
かつて、自身が生み出された意味を思い出す。
魔哭神の居城を守護する術具の『核』として創造された躯体。兵器ですらない、意志も、感情もすべてが不要であった。
それがティセラの命の意味であり、存在の証明であった。
ある時、魔哭神の戯れで、エクリナと同じ石牢に収監された。
ティセラにとってそれは幸運であった。
初めての友との出会いであり、戦争を共に駆け抜け、生涯傍にいると誓うことになったのだから。
冷えた石床に並んで座り、震える声で名前を名乗り合った、あの夜のことは今や良き思い出に変わっていた。
あの夜を境に、ティセラの世界は一変した。
石牢を出た彼女たちは、今度は戦場の最前線へと送り出される。
破壊の渦中で、エクリナは静かに「世界の終わり」を口にし、ティセラはただ、その傍らで術具として最高効率の戦略だけを提示した。
それが魔哭神と変わらぬ振る舞いだと分かっていても、止めることはなかった。
(でも、わたしはエクリナの傍にいるだけだった。あの時止めていたら……)
(いえいえ、それをしていたら……この未来はなかったですね……)
紅茶を啜り、過ぎ去った想いを振り払う。
そして願うように声を出す。
「……この日常が続くことを願います。そして、それを見護る立場に甘んじるのも、悪くはありませんね」
言葉には、柔らかな口調の中に、どこか遠回しな強さが滲んでいた。
(認めていないわけではありません。ええ……ただ、少しだけ、寂しいだけなのです)
その瞳には、すべてを見通す慈しみ、そして形を変えた愛情の揺らぎが、確かに宿っていた。
その声は決して大きくはなかったが、確かな響きがそこにはあった。




