◆幕間:境界の向こうへ◆
人属領西端――“最後の街”カディル。
石造りの城壁に囲まれた街は、日暮れと共に門を閉じる習わしだった。
その理由は、誰も口にはしない。だが、誰もが知っていた。
「……この先は、本当に行くのですか」
物資商の老人は、干し肉の詰まった袋をエクリナに渡しながら、低く問いかけてきた。
「ああ、行くとも」
即答する少女に、老人は小さく息を呑む。
「……神領は、生きて帰れぬ場所だと、皆そう申します」
「それでも……行かねばならぬのだ」
老人はそれ以上は問わず、袋の口を固く縛って差し出した。
その手はわずかに震えていた。――それが恐怖か、それとも哀悼か、誰にも分からなかった。
◇
翌朝、まだ薄明かりのうちに一行は街を発った。
背後で城門が閉じる重い音が響く。
ルゼリアは無言でその音を聞き、ライナは何度も振り返った。
「……門、もう開けてくれないかもね」
「戻る気はない」エクリナは淡々と答える。
その音は――帰路を断ち切る合図のように、重く響いていた。
◇
やがて、境界線が見えてきた。
人属領と神領を隔てるのは、自然の森ではなく、黒く煤けた大地――
そこに立つ一本の石柱には、崩れかけた刻印が残っていた。
ティセラが魔力を注ぐと、刻印が鈍く光り、淡い結界の線が浮かび上がる。
「古い警戒術式……向こう側の侵入者感知用ですね。今は機能が低下してます」
「ならば、突破は容易いな」
「ええ……少し待ってください、魔法式に干渉して一時的に機能停止します」
セディオスが剣の柄に手をかけ、視線を前へ向けた。
「頼むぞ。もう戻る道はない」
一行が境界を踏み越えた瞬間――空気が変わった。
湿った腐臭と、肌を刺すほど濃密な魔力の粒子。
遠くで低く唸るような音が響き、地の奥から何かが蠢く気配がする。
「……まるで、死んだ獣の腹の中を歩いているようです」
ルゼリアの呟きに、誰も否定の言葉を返せなかった。
そして、彼らは深い森へと足を踏み入れる。
木々は黒ずみ、葉は半ば枯れ、風は冷たい。
焚き火も、声も、この空間ではやけに小さく感じられた。
山の奥、闇よりも深い影がひときわ濃く沈む場所――
そこに“魔哭神”の城が、今も静かに、しかし確かに息を潜めていた。
それは待ち受ける魔の巣か、それとも試練の門か。
彼らの旅路は、ついに 境界の向こうへ 踏み出したのだった。




