◆第56話:魔王の慟哭◆
「……終わったよ。君の戦いは」
静かに降り立つセディオスの声には、責める色はなかった。
ただ、すべてを受け止めるような温度だけがあった。
魔力を使い果たし、生命としての限界すら超えてなお、エクリナは歯を食いしばっていた。
けれど、もう立ち上がれない。
その時――
「……お前はまだ、世界の全てを視たわけではない」
差し伸べられた手が、彼女の頬に触れる。
その手のひらは温かく、優しかった。
だがその温もりの奥に、確かな痛みがあった。
かつて、セディオスもまた奪われた者だった――。
名門の家に生まれながら、政争の犠牲となり、名誉を剥奪され、信じていた仲間にも背を向けられ、誇りと使命をすべて喪った剣士。
剣と魔法を一つに昇華し、“未来の騎士団長”とまで謳われた才覚は、やがて妬みと恐れの的となった。
気づけば、隣に立つはずの仲間は誰もいなかった。
「正しき力さえあれば、人は裏切らないと信じていた。だが……現実はそうではなかった」
力は正義ではなく、忠誠も、誓いも、容易く打ち砕かれるものだった。
剣を振るう意味を失い、彼は戦場を彷徨った。
血と鉄の匂いだけが、確かに彼の存在を証明していた。
斬っているものが敵か、自分自身かさえ分からなくなっていた。
――そんな彼の前に、“魔王”と呼ばれる少女が立っていた。
命令ではなく、力のためでもなく、ただ自らの意志で戦う存在。
その姿を見た時、彼は忘れていた問いを思い出した。
剣は、何のためにあるのか。
戦うとは、誰のためにあるのか。
命令に従い、感情を殺して人属を滅ぼしていた少女――
だがその瞳の奥に、彼は自分と同じ“虚無”を見た。
だからこそ、彼は知っていたのだ。
この少女は、生まれながらに狂っていたのではない。
世界に裏切られ、居場所を失い、ただ“仲間”を得たことで、自らの意志を持ってしまった者。
彼はもう一度、信じたかった。
“意志”の力で未来を選び取ろうとする者を。
そして、誰かを守ることで、自分自身を――もう一度、証明したかった。
「力に裏切られた俺に聞かせてくれ……お前は、何を成し遂げたかった? 」
セディオスは、彼女の“動機”を問うた。
その問いに、エクリナはぷつりと堰を切ったように、崩れ落ちる。
「……我は、虐げ続けられた……世界に…………我らの居場所がなかった…」
「我らは兵器であり、玩具であり、あいつの……”魔哭神”の慰みものでしかなかった…」
かすれた声が、嗚咽と共に漏れ出す。
「世界は味方ではない……人間は弱く頼りにならない……では、どうしたらいい?
ティセラ、ルゼリア、ライナ……初めてできた仲間だった……信じられる者たちだった……
だから復讐を……我が軍で、あいつに復讐をと!」
「世界? 人間?……知るかそんなもの!
我は我の為すべきを――何もかも無に帰して……あいつに、世界に! 報いを与えようと……!」
「ティセラも、ルゼリアも、ライナも……我を責めることなどなかった……
だから……余計に……苦しくて……っ!」
拳を震わせ、涙が頬を伝う。
「この世界が……我らのような存在を切り捨てるというのなら……
いっそ消してしまえばいいと思ったのだ……!」
セディオスは一言も発さず、ただその震える肩を見守っていた。
否定も肯定もせず、すべてを受け入れるまなざしで。
やがて、エクリナはしゃくり上げる声で、ぽつりと漏らす。
「……それでも、まだ……この我に、価値があると……うぬは、そう言ってくれるのか……?」
その問いに――セディオスは迷いなくうなずいた。
「“魔哭神”を討ちに行こう。お前の正しさが証明されるその場所へ」
静かな、その言葉が、崩れかけた心に小さな火を灯す。
エクリナはつぶやいた。
「もう少し早く出会えていれば……我が仲間を失うことは……」
だが、セディオスは柔らかな声で告げた。
「それなのだが…彼女らはまだ生きている。
命を守るため、意図的に深い昏睡へと落としていただけだ」
それは――戦いを止めるための封印でもあった。
その事実が、彼女の内なる絶望を打ち砕いた。
「な! んん、ぐぅ……あ…ぁぁぁ…、そ、それは誠か……!!
良かった、我が……我の……仲間は……ッ!」
震える両手で顔を覆う――が、堰き止められなかった。
「ひぐ……ぅ……あぁあっ……うぁ、うぅぅ……っ」
その声は、「魔王」のものではなかった。
ただの――壊れそうな少女の叫びだった。
「……まだすべてを失っていない……? あ、ああ……そうか……! ……あああッ……!」
それは歓喜の――全てを吐き出すような、魂の悲鳴だった。
涙は止まらない。声は止まらない。
もはや王としてではない、ただ一人の仲間として少女は感情を見せていた。
“心”が、張り裂けるように泣いていた。
セディオスは、その姿から目を逸らさなかった。
その沈黙は、彼女を突き放すためのものではない。
言葉で汚してはならぬ瞬間を守るための沈黙だった。
「魔王」としての日々も、「少女」として泣くいまも、どちらも否定せず受け止めるための沈黙。
セディオスは、そっと彼女の頭を抱き寄せる。
「まずは皆の回復だ」
彼はそれ以上を求めず、エクリナに“静かな時間”を与えた。
――その時、“魔王”は崩れ、“少女”だけが残った。
そしてその涙は、新たな戦いへの誓いとなった。
次回は、『9月4日(木)20時ごろ』の投稿となります。
引き続きよろしくお願いしますm(__)m
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