◆第54話:魔王、怒りの咆哮◆
拠点の中枢部――
エクリナは、異様な静けさに気づいていた。
空気が重く、耳に届くのは自らの鼓動と魔力の脈動だけ。
ライナも、ルゼリアも、帰ってこない。
さっきまで確かに感じていた二人の魔力の気配が、まるで霧に溶けるように途絶えていた。
胸の奥に、冷たい不安がゆっくりと広がっていく。
その瞬間、魔力がざわめいた。
「……何者だ?」
声に応じて、薄暗い通路の奥から一人の男が姿を現す。
剣を背負い、ボロボロのマントを纏った影――セディオス。
そして彼の両手には、意識を失ったライナとルゼリアの姿。
無言のまま、彼はその身体をそっと床に下ろした。
どこかに敬意にも似た仕草があったが、それは戦の情ではない。
エクリナの瞳に、怒りが灯る。
「……よくも……よくも我の仲間を……ッ!!」
その咆哮は闇光を呼び、魔力が空間を震わせる。
「我が闇よ、ここに集まりッ! 響かせよ! 我が前より消え失せろッ!
――ダーク・レゾナンス!!」
漆黒の奔流が炸裂し、拠点全体を揺るがす魔力の嵐が奔る。
対するセディオスも、ついに剣を抜いた。
「――フレイム・スラスト」
紅の突撃が黒の奔流を裂き、爆炎と闇が衝突する――!
二人の戦いは、激烈を極めた。
「ナハト=シンフォニア!」
空中に現れた黒の五線譜から、刃のような闇が無数に放たれる。
「スペース・ランス!」
空間を裂く魔槍が轟き、地を穿つ――が、
「……ッ!」
カウンターが弾けた瞬間、セディオスの影が眼前に迫っていた。
撃ち出す魔法はことごとく弾かれ、退路を奪われる。
刹那、時間が凍りつく。
迫る剣閃――逃げ場もなく、防ぐ術もなく、ただ死だけがエクリナの目前に迫っていた。
「やめてぇええええッ!!」
ティセラが飛び出し、四基の《遊式聖印装置ソリッド=エデン》を展開して即座に〈多層結界〉を形成。
だが――魔導術具開発で連日睡眠も削り、魔力の循環が不安定だったティセラの防御は脆かった。
「……無理を、するな……!」
エクリナの警告が届くよりも早く、セディオスの斬撃が結界を粉砕する。
次の瞬間――
「きゃあああぁぁッ!!」
一閃が胸元をかすめ、衝撃波が腹部を穿った 。さらに衝撃波が爆ぜ、彼女を吹き飛ばす。
その余波がエクリナにも及び、壁に叩きつけられる。
エクリナは呻きながらも立ち上がろうとする――
だが。
セディオスは静かにティセラへ手をかざし、淡い光の術式を発動した。
「……眠れ、少女よ」
柔らかな光がティセラの身体を包み、脈拍が低下していく。
「ティセラぁあああああああああああッ!!」
エクリナの絶叫が、空間を裂いた。
ティセラはたどたどしく、最後の力で微笑む。
「……エクリナ……護れて……よかった…… 」
血を吐きながらも、その手を伸ばす。
それは初めて名前を呼んでくれた夜――
闇の檻の中で交わした“あの絆”が、ふと胸を過る。
しかし、手は届かず――
ティセラの身体は、静かに地に伏した。
エクリナの感情が、限界を超えて爆発する。
「……貴様ァァァァアアアアアアアア!!」
魔力が暴走し、闇の魔力が瘴気となって周囲の物質を崩壊させる。
「すべて……我から奪うつもりか……? ライナも……ルゼリアも……ティセラまでも……!」
魔王の咆哮が、まるで雷鳴のように轟く。
「ならば貴様こそ、我がすべてを懸けて討ち滅ぼす――!!」
全魔力が一点に収束し、背後に現れるのは、闇の女神の幻影。
髪が揺れ、影が爆ぜ、黒の王印が浮かび上がる。
セディオスは、ただ静かに構えを取り直す。
その瞳に宿るのは、怒りではない――“理解しなければならぬ”という覚悟だった。
二つの存在が対峙する。
怒りと静寂がぶつかり合い、拠点の空気すら震える。
拠点を震わせる魔力の激突――魔王と剣士の決戦が、いま始まった。




