◆第44話:闘争と逃走◆
夜戦後の戦場――
焦土と化した戦場を背に、エクリナは浮遊する球型術具を相手に報告を行なっていた。
地面の煤がわずかに舞い、空にはまだ焼け残った臭いが漂っている。
「こちら、エクリナ。敵本拠地制圧完了。早朝に回収を要請する」
その声は冷徹で、規律正しく、任務を遂行した兵器として完璧な応答だった。
だが――
その手は、わずかに震えていた。
「カクニンチュウ……カクニンチュウ……」
浮遊する球型術具はヴァルザに報告していた。
(恐らく大丈夫なはずだが……)
「ショウニン……カンリョウ。ソウチョウマデ タイキ」
浮遊する球型術具は無機質な声を出し承諾した。
「センジョウチョウサ ニ ムカウ」
人属が珍しい魔法を戦場で使うたびに調査するのが、ヴァルザの基本命令であった。
今回も例に漏れず、人属では珍しい”対魔法術式”の残滓を調査するために、球型術具はエクリナとティセラを残し、仮拠点を離れる。
この数分――監視は“枷”だけになる。
(やはり……そう動くと思っていた……)
いつもなら何もせず、そのまま待機しているエクリナ。
しかし――状況が変わった今となっては行動は覆る。
地面には、魔力枯渇により意識が朦朧とするティセラが横たわっている。
背に浮かぶ《ソリッド・エデン》は沈黙し、その胸の上下だけがかすかに命を示していた。
「……待っていろ、ティセラ。今、すべてを変えてやる」
エクリナは、瓦礫の陰から一人の男を呼び寄せた。
瀕死の重傷を負い、捕虜となっていた人属の上級魔導士――
彼を、誰にも知られぬよう密かに匿っていたのだ。
「約束は守る、我は貴様を助けた。対価として、我らの“枷”を壊せ」
冷酷な目をして告げるエクリナ。
逆らえば亡き者にしてやるという圧を放っていた。
男は、苦しげに笑った。
「……お前たち、“神の兵器”が……人間の魔法に頼るとはな」
上級魔導士は軽口を叩く。
「貴様の力が必要なのだ。使えるなら、敵であろうと構わぬ」
エクリナは冷徹に淡々と言う。
両腕の拘束具を差し出す、強制発動で魔力封じに転じる枷。
例え逃げても、ひとたび枷が効果を発揮すれば無力な少女となる。
魔哭神城への即時回収を免れ、監視の球型術具は不在。
この時が好機であった。
男はため息をつき、両手を魔力で満たしていく。
「我が願いに応えろ……空間の裂け目よ、ディスロケーション・ブレイクッ!」
空間が一瞬ねじれ、エクリナの枷の術式に走る魔力が揺らぎを見せる。
バチバチと火花が散った後、亀裂が走り――
パキンッ!という破砕音とともに、拘束具が砕け散った。
「でかした……これで、我は……!」
自由を得たエクリナは、すぐさまティセラの手枷にも同じ術を施させ破砕に成功する。
ティセラの手首も、ようやくその枷から解き放たれる。
「終わりだ、もう……縛らせはせぬ」
枷が砕けた瞬間、ティセラの瞳にわずかな光が宿った。
「……一緒に……行きたい……です……」
その声は風に溶け、再び瞼はゆっくりと閉じられた。
その瞬間、空気が変わった。
浮遊する球型術具が警報を鳴らす。
枷の波長が消えた――それだけで十分だった。
常に監視しているエクリナとティセラの拘束具の魔力が、感知できなくなったからだ。
ピーピーピーと鳴る球型術具。
「ケイコク……ケイコク……トウソウ ノ オソレアリ」
周囲の神の兵に聞かせるように、声量を上げて告げ回る。
「ちぃ!」
エクリナは歯噛みする。
「周到なことだな!」
押収していた魔導収納鞄に魔盾とティセラの戦具を詰め込むエクリナ。
ティセラを背負い、その場を離れていた。
実は神造生命体の逃亡自体は過去に数件起きていた。
その教訓から、拘束具として魔力封じ可能な枷を常時取り付けていた。
そして、魔力波長を監視するようにしていたのであった。
当然、魔力波長が途絶えれば、補佐であり監視役である球型術具は警報を鳴らす。
周囲で戦利品を漁っていた下級兵が集まり出す。
瓦礫の影からは、上級兵たちが中級兵に呼びかけ全体招集をかけていた。
異形の仮面、冷たい金属の脚音。魔力を帯びた殺気が辺りを包む。
上級兵の一体がエクリナとティセラを視認する。
「……逃走個体確認。殲滅を許可する」
その声は冷酷であった。
神造生命体が逃亡する際の対処は決まっていた。
上級兵の権限でも十分に指示を出すことは可能であった。
エクリナは、ティセラの身体を背負い直す。
炎に縁取られた外門が見える――狭い瓦礫路地を抜ければ出られる。
外門の向こうは闇の森――街の灯りが途切れる場所だった。
それだけが生き筋だと確信した。
「……邪魔をするな。これは、我が選んだ道だ!」
彼女の周囲に魔力が集中し、〈シャドウ・グラトニー〉〈シャドウ・バレット〉を交互に展開。
影の顎が敵兵を呑み込み、闇の魔弾が下級兵たちを撃ち抜いていく。
それでも、数は多い。
冷たい足音が増えていく――そして口々に言葉が重なる。
「魔王……殺す」「好機だ……」
長きに渡る戦場で、魔王エクリナは神の兵たちから忌み嫌われていた。
発せられる言の葉からは、喜びさえくみ取れた。
それほどまでに憎み、邪魔と感じていたらしい。
共に戦場に在りながら、本当に味方ではなかったのだ。
「そう……か……そうか!……我がそんなに嫌いか!」
「我は……兵器としてしか……見られていなかったのだな……」
廃墟となった街を、ティセラを背負って駆けていく。
エクリナは押し迫る神の兵たちの言葉を聞いていた。
常に蔑まれてはいたが――それでも共に戦場で戦っていた者。
それらから告げられる言葉に失望と怒りを感じるエクリナ。
「意思なき傀儡よ……もういい……黙れ!」
すでに限界に近い魔力を、エクリナは無理やり練り上げる。
呼吸は浅く、肺の奥が灼けるように熱い。
それでも――止まらない。
懸命に走りながら極大魔法の詠唱を始める。
本来であれば呼吸を整え、静止して魔力を収束する切り札。
それでもエクリナにはこの選択肢しかなかった。
神の兵は下級でも魔法耐性が高く、簡単には倒れない。
敵となれば魔術師・魔導士には厄介な相手となる。
逃亡するには全てを葬るしかなかったのだった。
(隙だらけだな……だが……何故攻撃が当たらない?)
エクリナは疑問だった。
神の兵の気配が増す一方で、攻撃が全く当たっていなかったのだ。
身体強化して移動速度が上がっているとはいえ、不思議であった。
刃が迫るたび、空気が一枚だけ“硬く”なる。
そしてようやく気付く――
迫りくる神の兵、だがその刃と魔法は届かない。
エクリナに背負われているティセラが、攻撃に合わせ結界を展開していた。
最小限の魔力で、効率よく守護していた。
「ティセラ……」
背中に鼓動と魔力を感じ、涙が出てくるエクリナ。
一人ではないと感じさせる温もりだった。
「頑張って……わたしが護りますから……」
ティセラはつぶやく。
満足に魔力は回復しておらず、強固な結界など張れない状態。
だからこそ、周囲を観察し攻撃に合わせ局所的に阻む。
短い期間ではあったが、戦場で感覚を研いでいたのであった。
「頼むぞ!」
ティセラに背中を任せ、走りながら魔力を収束させる。
「我が王命に……従え……」
低く、掠れた声。
それでも戦場に残るすべての視線を、確かに引き寄せた。
「終わりの……淵よ……開かれよ……」
一瞬、言葉が途切れる。
喉に鉄の味が広がり、血が口端から伝った。
それでも、その目は前だけを見ている。
足元の大地が震え、瓦礫が跳ねる。
神の兵たちの間に走るのは、戦慄か、畏怖か。
「闇の……息吹よ……世界を包み……光を……喰らえ……」
声が震える。
魔力の奔流が制御を拒み、全身の骨が軋んだ。
「諸行……無常を……知れ……骸よ……塵よ……神すらも――」
視界が霞む。
だが、その一言ごとに、闇が空へと立ち昇っていく。
背の温もりが、まだここにある。
最後の一息――
「……今こそ……虚無の名を冠し……現界せよ!」
全身から魔力が千切れるように解き放たれる。
「アポカリプス・リメナッ!!」
空が裂けた――
真夜中のような闇が局地に降り、重力が反転し、世界が裏返る。
虚無の塔のような魔柱が地へ突き刺さり、地面からは無数の闇輪が湧き上がる。
地面そのものを崩壊に導く。
集結していた戦域の神兵は地割れに阻まれ、迫りくる闇に飲まれていく。
浮遊する球型術具たちも例外ではなく、強大な魔力波長の影響で爆散していった。
敵も、陣形も、地形すらも、原型を留めないほどの破壊。
あまりの威力に、一瞬だけ――戦場が静まり返った。
後ろを振り返ることなく、エクリナはティセラを背負って脱出した。
◇
森を抜け、谷を越え、岩場をよじ登る。
崩れる足場、飛来する追撃、漂う血煙。
そのすべてを、ぎりぎりでかいくぐり、撃退する。
背中から微かな声が届く。
「……エクリナ、さん……」
かすれるその音に、彼女は振り返らず足を速めた。
もう魔力は底を尽きかけていた。
それでも――
「我を止められるものか……ッ! 我らの未来を、この手で掴み取る!!」
ティセラがエクリナに必死にしがみつく。
その温もりが、今のエクリナにとってただ一つの道標だった。
やがて、深い山中の洞窟へと辿り着いた。
無人の隙間。風すら通わぬ静寂。
エクリナはティセラを寝かせると、魔力をかき集め、闇の壁を張り終える。
安堵の息を吐いた瞬間、無意識のようにティセラの手がエクリナの服の端を掴んだ。
その力は弱々しくも、離すまいとする意志だけは確かにあった。
壁にもたれるようにして、その場に座るエクリナ。
「我は……選んだのだ……自由を……うぬを、守る道を」
ティセラの手を優しく握っていた。
闇の中で、炎のように灯るその言葉。
命令ではなく、欲望でもない。
ただ、たった一つの“決意”。
魔王は、ここに誓う。
これは逃走ではない。
復讐の序章であり――自らの意志による“新たな運命の始まり”だった。
次回は、『8月21日(木)20時ごろ』となります。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
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