◆第43話:戦線の先に◆
戦火の嵐は止むことなく、幾夜を越えて戦場を灼き尽くしていた。
エクリナとティセラの部隊は、連日連夜の激戦に晒され、碌な休息も取れぬまま次々と新たな戦地へ投入されていく。
「敵軍、また新たな魔導障壁を展開してきました……」
ティセラの報告には、明らかな疲労がにじんでいた。
その声は掠れ、瞳は鈍い光を宿し、彼女の膝が崩れるように地へ落ちる。
背後に浮かぶ《浮遊式聖印装置ソリッド=エデン》の輝きも弱く、回転すら不安定だった。
「もう、魔力が……限界……っ」
「ティセラ……下がっていろ」
エクリナはそれ以上言わせず、彼女の前に歩み出た。
命令通りに戦う兵器でありながら、その背は、傷ついた仲間をかばう者のようだった。
◇ ◇
この戦場では、人間軍が新たに実戦投入した“魔導障壁”が展開されていた。
対魔属性中和術式に加え、空間位相干渉すら受け流す新たな魔導術具が前線を支えていた。
さらに、これまでの戦場では姿を見せなかった“上級魔導士”たちも、陣形の中枢に位置している。
彼らは、ただの人間ではなかった。
極限まで訓練された術士たちが、対魔属性中和術式と攻撃魔法を連携させることで、エクリナの魔法に対抗していた。
「雷撃!? ――っく!」
エクリナの脇腹に稲妻が走る。
人間側の魔導士が、闇魔法との属性反転干渉を読み、術式の穴を突いたのだ。
「……ッぐぅうっ!」
黒焦げた外套の下から血が噴き、エクリナは膝をつく。
だが、退かない。倒れない。
「スペース・ランス!」
咆哮と共に、空間を裂く闇の槍が敵陣へ突き刺さる。
だが、魔導障壁がそれを分散し、陣形は崩れなかった。
◇ ◇
エクリナの魔法は、確かに強大だった。
だが、人間軍もまた確かな理と戦術を持ち、彼女に“対抗”しうる領域に到達し始めていた。
――ただし、それは“短時間”であれば、の話だった。
ティセラが、目の端でそれを見ていた。
敵の上級魔導士たちは、魔力の反動に顔をしかめ、手を震わせていた。
「使い手が……持たない……?」
人間の肉体と精神では、膨大な術式処理を長時間維持するには限界がある。
そして――
エクリナの魔力が、再び奔流を成す。
「倒れるわけにはいかぬ……まだ、我には……!」
全魔力を集中し、彼女は詠唱を開始する。
「我が王命に従いし夜よ……」
低く、しかし確かな響きが戦場を満たす。空気が震え、砂塵が足元に集まっていく。
「顕現せよ、終わりを告げる黒き月……」
彼女の頭上、夜色の光粒が集まり始める。敵兵たちは思わず足を止め、その黒い輝きに目を奪われた。
一拍――呼吸を整える。
胸の奥で魔力が渦を巻き、骨の髄まで熱を帯びていく。
「天を焦がし、地を穿て……」
声がわずかに低くなり、戦場の空気が重く沈む。鼓膜を圧迫するほどの魔力の圧が、半径百メートルを覆った。
「命も、咎も、運命すらも――」
敵陣の中から悲鳴が漏れる。
それは魔法が発動する前の、“予感”に呑まれた声だった。
「……一つ残らず、焼き尽くしてみせよう……!」
最後の言葉と同時に、黒き月は完成形を迎え、その輝きが戦場全体を呑み込む。
〈ディア=エクリプス・サンクション〉――
夜空に浮かぶ漆黒の月が、戦場全体を逆重力で引き上げる。
引き裂かれ、浮かぶ敵兵たち。その上から、超密度の闇光線が降り注ぐ――
「ぐああああああッ!!」「障壁がッ……破られる……ッ!!」
人間軍の陣形が崩壊する。
術式は破られ、障壁は焦げ付き、次々と砲台が沈黙していく。
瓦礫が爆ぜ、土が捩れ、赤黒い熱風がすべてを飲み込んだ。
◇ ◇
戦場の中心へと踏み入ったエクリナは、燃え落ちた塔の一角――
そこにあった頑丈な施錠付きの箱に目を止める。
「……?」
魔杖の一撃で鍵を破壊し、蓋をこじ開ける。
中には、銀黒の装甲盾のような魔導術具が保管されていた。
「これは?……“魔盾盤…ヴェス…ペリア”……?」
術具に刻まれた銘文と、封じられた術式構造――
空間魔法と干渉遮断式の結合。
人間軍が魔法対策として開発していた、極秘兵器の一端であると即座に見抜いた。
「……これがあれば……!」
エクリナの瞳が、光を取り戻す。
逃走、反逆、そして復讐――
すべての道が、今この手に繋がった。
その箱を抱きしめるように持ち、彼女は倒れ伏すティセラのもとへ歩み寄った。
「……ティセラ」
静かに肩に手を置き、囁く。
「必ず、うぬを自由にしてやろう……そのために、我は――“選ぶ”」
それは、命令ではなかった。
魔王は、初めて“自分の意思”で戦うことを決めた。




