◆第43話:戦線の先に◆
戦火の嵐は止むことなく、幾夜を越えて戦場を灼き尽くしていた。
エクリナとティセラは、連日連夜の激戦に晒され、碌な休息も取れぬまま次々と新たな戦地へ投入されていく。
最低限の栄養を携行食で補いながら、戦域を制圧していく。
神の兵はエクリナたちに協力しない。
意志はないが生存本能にも似た薄い自我が、魔王を忌み嫌う。
彼女の魔法に巻き込まれないためにほとんど近づかない。
それは何十年と繰り返されていることであり、エクリナは承知しており問題もなかった。
戦場では孤高を貫き、魔哭神城では慰み者の玩具となる。
それだけが『魔王エクリナ』の存在証明だった。
そう、『ティセラ』と出会うまでは――
――隣に立つ影が、初めて“重い”と感じた。
「敵軍、また新たな結界を展開してきました……部隊の集結も図っているようです」
ティセラの報告には、明らかな疲労がにじんでいた。
その声は掠れ、瞳は鈍い光を宿し、彼女の膝が崩れるように地へ落ちる。
背後に浮かぶ《浮遊式聖印装置ソリッド・エデン》の輝きも弱く、回転すら不安定だった。
「もう、魔力が……限界……っ」
「ティセラ……下がっていろ」
エクリナはそれ以上言わせず、彼女の前に歩み出た。
命令通りに戦う兵器でありながら、その背は、傷ついた仲間をかばう者のようだった。
この戦場では、人属軍が新たに実戦投入した設置型の“魔導結界”が展開されていた。
さらに、これまでの戦場では姿を見せなかった“上級魔導士”たちも、陣形の中枢に位置している。
彼らは、ただの人属部隊ではなかった。
極限まで訓練された兵士たちが、守護結界・対魔法術式・攻撃魔法を連携させることで、エクリナの魔法に対抗していた。
「雷撃!? ――っく!」
放った闇魔弾を無効化され、エクリナの脇腹に稲妻が走る。
人属側の魔導士が、闇魔法への干渉を行ない、術式の穴を突いたのだ。
「……ッぐぅうっ!」
黒焦げた外套の下から血が噴き、エクリナは膝をつく。
だが、退かない。倒れない。
歯を噛み、魔核の鼓動を押し戻す。
「シャドウ・ランス!」
咆哮と共に、闇の槍が敵陣へ突き刺さる。
だが、魔導結界がそれを分散し陣形は崩れなかった。
近隣の戦域を渡り歩いている影響で、エクリナの魔法属性と効力は看破されているようであった。
エクリナは闇魔法しか使えない、大体の神造生命体は一つの属性しか使えないのが普通であった。
複数扱えたとしても、秀でた属性は一つだけであった。
エクリナの魔法は、確かに強大だったが対策され、窮地に立たされていた。
人属軍もまた、確かな理と戦術を持ち、彼女に“対抗”しうる領域に到達し始めていた。
――ただし、それは“短時間”であれば、の話だった。
ティセラが、目の端でそれを見ていた。
魔力が枯渇しかけ、まともな結界を張ることすらできない状態。
それでもエクリナの役に立つために観察を続けていた。
敵の上級魔導士たちは、魔力の反動に顔をしかめ、手を震わせていた。
「使い手が……持たない……?」
人属の肉体と精神では、膨大な術式処理を長時間維持するには限界がある。
ティセラの言葉を横で聞くエクリナ。
「なるほどな……でかしたぞティセラ」
「ダークネス・フラクトル、時間を稼げ……」
”二体”の影人形が顕現する。
エクリナの魔力も底をつきかけている。
それでも勝機を信じて布石を打つ。
影人形に十分な魔力を分けられず、本来四体のはずが二体の顕現にとどまっていた。
それでも影人形は主の命を全うするために上級魔導士たちに立ち向かう。
そして――
エクリナの魔力が、死力を尽くし再び奔流を成す。
「倒れるわけにはいかぬ……まだ、我には……!」
全魔力を集中し、彼女は詠唱を開始する。
「我が王命に従いし夜よ……」
低く、しかし確かな響きが戦場を満たす。空気が震え、砂塵が足元に集まっていく。
エクリナにとっては久々の極大闇魔法、詠唱と時間を必須とする切り札。
「顕現せよ、終わりを告げる黒き月……」
彼女の頭上、夜色の光粒が集まり始める。
敵兵たちは思わず足を止め、その黒い輝きに目を奪われていた。
一拍――呼吸を整える。
胸の奥で魔力が渦を巻き、骨の髄まで熱を帯びていく。
「天を焦がし、地を穿て……」
声がわずかに低くなり、戦場の空気が重く沈む。
鼓膜を圧迫するほどの魔力の圧が敵陣を覆った。
上級魔導士たちは懸命に抵抗するが――
影人形たちは相殺し詠唱時間を稼ぐ。低級魔法を何度も解き放ち妨害していく。
「命も、咎も、運命すらも――」
敵陣の中から悲鳴が漏れる。
広域にわたる魔力波長――魔力に鈍感な人属ですら伝わる危機感。
上級魔導士たちが連携を以て、ようやく影人形を一体撃破する。
だが、残る一体の影人形は〈シャドウ・グラトニー〉を複数展開し、闇に誘おうとする。
エクリナは紡ぐ、言の葉の一つ一つを丁寧に口に出す。
それは魔法が発動する前の、“予感”に呑まれた声だった。
「……一つ残らず、焼き尽くしてみせよう……!」
最後の言葉と同時に、黒き月は完成形を迎え、その輝きが戦場全体を呑み込む。
主の命に従っていた影人形が止まった。
役目を果たし、敵陣を見て嗤いかけたように見えた――
「ディア・エクリプス・サンクション!!」
高らかにエクリナは極大闇魔法の名を告げる。
夜空に浮かぶ漆黒の月が、戦場全体を逆重力で引き上げる。
敵陣の足元に巨大な魔法陣が描かれていた。
黒き月と巨大魔法陣が引かれ合う、もはや逃れられない。
引き裂かれ、浮かぶ敵兵たち。その上から、超密度の闇光線が降り注ぐ――
「ぐああああああッ!!」「結界がッ……破られる……ッ!!」
人属軍の陣形が崩壊する。
結界は破られ、戦具は焦げ付き、次々と固定砲台が沈黙していく。
瓦礫が爆ぜ、土が捩れ、赤黒い熱風がすべてを飲み込んだ。
精練された戦術部隊は消滅していく――
「はあはあはあ……」
エクリナは魔核を最大限搾り上げ、撃ち放った極大魔法。
息を切らし、肩が揺れる、目の前にはもはや敵はいなかった。
ようやく制圧が完了した。
「さすがです……エクリナ……さん」
ティセラは戦争の結果を見届けると意識を失い倒れた。
寝息を立て、深い眠りにつく。
生きている――それだけで、今はよかった。
「今のうちに眠っておくといい……」
ティセラが気絶するのを見て言うエクリナ。
(今回は厳しかったな……我の魔法もどこまで通じるか………)
(ティセラ……生き抜くとは辛いな……こんな世界など嫌いだ……)
ティセラの顔を撫で、これからを憂うエクリナだった。
◇
神の兵が人属の残党兵を撲滅すべく奔走していた。
戦場の中心へと踏み入ったエクリナは、燃え落ちた塔の一角――
そこにあった頑丈な施錠付きの箱に目を止める。
「……?」
魔杖の一撃で鍵を破壊し、蓋をこじ開ける。
中には、銀黒の装甲盾のような魔導戦具が保管されていた。
「これは?……“魔盾盤……ヴェヌ……シエラ”……?」
戦具に刻まれた銘文を読むエクリナ。
箱の中には書面が一枚入っていた。
「どれ……」
エクリナは書面を開き、読み始める。
【神の侵略戦域が拡大中につき、《魔盾盤ヴェヌシエラ》を送る。
魔導都市イグナメルに所属する高位魔術師でも十全に扱えるものはいなかった。
今回の部隊は上級に至った魔導士がいる、もしかしたら扱える者がいるかもしれない。】
「なるほど……これは戦術用の魔導戦具なのか……」
【この《魔盾盤ヴェヌシエラ》には空間魔法が刻まれている。
低級から極大まで、全ての序列の魔法を操ることができる。
複数の魔導術具でしか実現できなかった対魔法戦術も、《ヴェヌシエラ》ならば単体発動可能だろう。
但し、強固な魔核を有した者にしか操れない、適性のない者では命を落とす危険がある。
そのため、いざという時に使用しろ。人属の守護になることを願う。】
「空間魔法……あやつらが使っていた魔法か……」
「魔法発動に干渉できる力……」
封じられた術式構造――空間魔法と魔法干渉術式の結合。
人属軍が魔法対策として開発していた《魔盾盤ヴェスペリア》。
極秘兵器の一端であると即座に見抜いた。
試しにエクリナは《ヴェヌシエラ》に回復したばかりの魔力を流す。
中央にある紫の魔晶が光を帯びていく。
魔核の奥が、針で抉られたように疼いた。
エクリナの魔力を吸収し、その輝きを増していく。
魔盾の裏は鏡のような艶やかな面をしており、突然文字が現れる。
そこには――”《魔盾盤ヴェヌシエラ》起動”と書かれていた。
「!?……我を……受け入れたのか……」
次々と文字が浮かび上がり、流れていく。
魔法名と効果が浮かび上がっていく。
「……これがあれば……!」
胸の底が、久々に熱を持った。
エクリナの瞳が、光を取り戻す。
対魔法への戦術戦具を手に入れた瞬間であった。
逃走、反逆、そして復讐――
すべての道が、今この手に繋がった。
その魔盾を抱きしめるように持ち、彼女は倒れ伏すティセラのもとへ戻った。
「……ティセラ」
静かに肩に手を置き、囁く。
「必ず、うぬを自由にしてやろう……そのために、我は――“選ぶ”」
それは、命令ではなかった。
魔王は、初めて“自分の意思”で戦うことを決めた。




