◆第40話:名前を呼ぶ夜◆
やがて、ようやく“今日”の実験が終わった。
実験場内は焼き焦げ、壁は破損し、張り巡らされた防護魔法陣は欠損にまで至っていた。
魔哭神ヴァルザは既に退室しており、久々の”玩具”との遊びを堪能し満足した顔をしていた。
実験場は明日も稼働する。
浮遊する球型術具たちが十台現れ、文句も言わずに修繕に励んでいた。
悲鳴の跡だけを消し、明日のために“舞台”を整える。
エクリナとティセラは球型術具に鎖を引かれ実験場を出ていた。
ゆっくり、ゆっくりと歩く――
身体は完璧に治っているが、心は極限まで削られている。
どんな手段を使っても癒す魔法などはない、繰り返し刻まれる傷。
対処法は――心を閉ざすことが最も容易であった。
実際、エクリナはそうやって生きてきた、生きてしまった。
球型術具が引く鎖がジャラジャラと音を鳴らす――ただそれだけ。
他には何もない、地下の回廊を力なく歩くエクリナとティセラ。
湿った石壁。遠い滴り。足音だけが鎖の音に遅れてついてくる。
実験場から数十歩離れた石造りの牢へ向かう。
二人は無言で、石の牢に戻された。
冷たい床。揺れる鎖。光のない空間。
球型術具が石牢の鎖へ繋ぎ替える。
「アシタモ ジッケンヲ オコナウ」
それだけ告げると牢を出て、扉を閉めた。
ティセラは、壁にもたれ掛かり、膝を抱いて静かに泣いていた。
死ねない、逆らえない、逃げられない。
初めて見た神は、優しさも慈悲もなかった。
嗜虐と悦楽を欲する堕落した神。
それが創造主であり、神に尽くすために造られたのが自身だった。
これからも続くであろう”実験”。
死に至る痛みを受け、なお死ねない、人もどきの絶叫を聞かせるだけの時間。
ティセラは早々に”壊れたい”と思った。
それでも――隣に、同じ痛みを知る少女がいた。
隣の石牢にいるエクリナを見るティセラ。
「………………」
「エ、エクリナさん……いつも、あのような……?」
涙を拭き、エクリナに声を掛けるティセラ。
「…………」
返答はない、返事をしない。
けれど、ティセラは続けた。
「わたし……怖かったです。死にたいと思うくらい、痛くて……怖くて……でも……」
エクリナをしっかりと見て告げる。
「でも、エクリナさんが、あんなに頑張ってたから……わたしも、頑張らなきゃって、思ったんです」
エクリナの強さに影響を受けた。
魔力封じを受けても変わることのない心の強さ。
嗜虐を受け絶叫はしても、膝を付くことはなかった。倒れるときは前のめりだった。
その姿に励まされたティセラだった。
そして、その言葉は、確かに届いていた。
エクリナの中に――
命令でも、魔法でもない、初めての“温かさ”が灯った。
やがて、他に誰もいない夜の中で――喉がひとつ鳴った。
「……ティセラ……だったか」
エクリナが、初めて彼女の名前を呼んだ。
「……はい」
闇の中、ふたりは微かに微笑み合った。
「エクリナさん……」
ティセラは、初めて名前を呼ばれ嬉しくなる。
何故かあふれてくる涙を止められなかった。
「泣くのはよせ……ここでは心を閉ざすのだ……感情を持つな」
エクリナは神の城での過ごし方を静かに言う。
「そうすれば……多少はマシだ……我らでは十全であろうとも神……ヴァルザには勝てん……」
ティセラに語り、置かれている立場を言葉にする。
「……そうやって耐えてきたんですね……」
「分かりました……」
エクリナの言葉に励まされ、涙を拭く。
「今日は……寝ますね。また明日……」
ティセラは目を閉じ、眠る。
緊張が解けたのか、蓄積した疲労の影響か、膝を抱いたまま寝息を立てていた。
「ああ、よく眠るといい。明日も辛いぞ……」
エクリナはティセラが寝入るのを見守った。
(この世界は残酷だ……妹分が出来ても、救ってやれない……)
(我ができるのは苦しまない方法を教えることだけなのか?それとも別の……)
エクリナは初めて他者に対して思考を巡らせていた。
ヴァルザや球型術具以外で久々に名前を呼ばれた――ただそれだけだったのに。
瞼が重くなる――ティセラと同じように膝を抱えたまま眠りに落ちた。
冷たい、とても冷たい石牢で眠る二人。
出会ってまだ一日程度だったが、同じ境遇の二人。
この絆が、やがて魔王の運命を変えてゆくのだった。
明日も”実験”という名の残虐が待っている。




