◆第39話:神の実験場◆
神より、新たな魔法実験の命令が下った。
神の城――その中でも特に巨大な空間、“実験領域”。
天井の果てまで刻まれた魔法陣。四方に配された魔導術具群。
魔法の耐久性、干渉反応、感情誘発の収集。
すべては“創造主”の観察と愉悦のために構築された異常な実験場だった。
そこへ、二人の少女――エクリナとティセラが、鎖に繋がれ、移送されていく。
その場に立つ神が、彼女たちを見下ろしていた。
漆黒の長髪が風に揺れ、左右で異なる瞳が光を返す。
右目には神聖印が金の光を宿し、左目には紫紋の呪印が闇を湛えていた。
均整の取れた長身には、銀糸で古代魔法の紋様が縫い込まれた黒衣が纏われている。
“魔哭神”――ヴァルザ。
「滅びを嗤う者」として知られる異端の神。
人間の苦悶や絶望を“美”と称し、その極限の感情を集めることを目的に、幾多の戦争と破壊を演出してきた存在。
かつては自然を司る風・海・地の神であったが――
人間の「恐怖する感情」に魅せられ、神としての座を捨て、堕落した。
今や彼は、神でありながら、破壊の観察者。
そしてエクリナとティセラは、その“因子”を用いて造られた神造生命体だった。
「来たか、エクリナ。……戦線の拡大は順調だな。これまで造った中では、上出来だ」
ヴァルザは楽しげに嗤うと、隣の少女にも視線を向ける。
「ティセラ。お前はこの城の結界術具の中核として造った。今日から、エクリナと共に実験だ」
“実験”――それが、彼女たちに与えられた唯一の役割だった。
「次の戦争にはしばらく準備がある。間が空くゆえ……今日は幾つか新しい魔法を試してみようと思っていてね」
その言葉の直後。
ヴァルザは、風の魔法でティセラを壁際に吹き飛ばし、同時に雷と炎の魔法を、エクリナへと解き放った。
エクリナは動かない。
命令に背くことは“機能停止”を意味する。彼女の中に、選択肢はなかった。
「……がッ!」
雷が神経を焼き、炎が皮膚を焦がす。
それでも、我慢する。それが“兵器”の矜持だった。
だがヴァルザは、そんな我慢すら“芸術”として楽しむ。
「大分前に雷と炎の実験体が使えなくなってな。久々に構築してみたが……ほう、こうなるか」
「痺れ、焼け焦げる。そうか、そういう顔をするのだな」
彼の声は嬉々としていた。
苦痛、恐怖、絶望。そのすべてが、彼にとっては娯楽だった。
「では次は……反属性の光だ。光刃で切り裂いてみよう」
無数の光刃が天から降り注ぎ、エクリナの四肢を切り裂く。
その肉を穿ち、骨を砕く。もはや耐えきれず、彼女は悲鳴をあげた。
「うむ、いい顔だなぁ! やっぱりお前は、なかなかに上質だ……」
ヴァルザは命じる。
「エクリナの魔封じの枷を外せ。……闇魔法を、何でもいい。空中に展開しろ」
魔導術具が動き、彼女の封印が一時的に解除される。
震える声で、エクリナは従う。
「……シャドウ・バレット……展開」
疲弊しきった身体から、複数の闇の弾丸が静かに浮かび上がる。
「次は……これだ」
ヴァルザが召喚した光の槍が降り注ぎ、闇魔弾と交差する。
その瞬間――反発現象が発生し、大爆発が起きた。
エクリナの身体は爆風に包まれ、光の刃が彼女の胸を貫いた。
「ぐぅぅ゛ッ! か、はッ……っがああああああぁぁあああッ!!」
魔力が暴走し、全身が痙攣する。胸を貫いた光の槍からは、まだ白煙が立ちのぼっていた。
肋骨が砕け、内臓が焦げ、喉から絞り出された悲鳴は、もはや“声”ではなかった。
「――う、ああ……ッ、い゛っ、だい……やだ……もう、やだ……ッ!」
「ははっ……いいねェ、実にいい! さすがは吾の因子の賜物……見事な苦悶だ」
ヴァルザは舌なめずりをしながら、その崩れゆく姿を陶酔した目で見つめていた。
――だが、終わらない。
エクリナの体に治癒魔法がゆっくりと流れ込む――それは慈悲ではなく、拷問の延長。
肉が再生し、神経が繋がるその一瞬一瞬が、さらなる痛みとなって全身を焼く。
「ぁあああああああっ!! っやぁ……っ! やめっ……うぐっ、あ゛ぁぁああああ!!」
爪が砕けるほどに床を掻き、口から血混じりの息が漏れる。
「……や、だ……いや……もう、壊して……お願い……」
涙を流しながら、彼女は治癒を“耐えた”。
それは癒しではなく、拷問だった。
ヴァルザは笑った。
「ははっ! いいぞエクリナぁぁ! やはりお前の苦しみは逸品だな!」
満足げな嗤いの中、ヴァルザはゆっくりとティセラへと向き直る。
「そういえば……今日からもう一つ、楽しみが増えたんだったな」
浮遊する魔導術具がエクリナの封印を再装着し、代わりにティセラの拘束が外される。
「まずは……結界魔法の発動確認といこうか」
次の瞬間、告知もなく氷の槍がティセラへと放たれた。
「ひっ……!!」
思わず手をかざし、彼女は結界を展開する。
咄嗟の防御――それすらも観察対象だった。
「本能で魔法を使うか……これは面白い。次は強度だな」
爆発魔法が唸りを上げて放たれた。
ティセラの薄氷のような結界は、一発目で砕け散り――
「きゃあああああぁぁあっっ!!!」
炎の衝撃波が彼女の細い身体を吹き飛ばし、無造作に壁へと叩きつけた。
石壁に激突した瞬間、乾いた悲鳴のような音が肉の奥から絞り出され、口から息と悲鳴が同時に漏れた。
「あぐっ……ッ、がっ、ひぃっ……い゛っ、い゛い゛い゛い゛い゛い゛っっ!!!」
肩が外れ、背中を焼くような激痛が奔る。視界は白く反転し、世界は耳鳴りだけに支配された。
息が、できない。声にならない声で、涙と嗚咽だけが零れ落ちていく。
追撃の鋼の矢が、その身体を貫いた。
「ぎゃああああああああッッ!! あ゛ッ、がっ、いやあああああああああッ!!!」
傷口から血が噴き出し、地に倒れたティセラは、嗚咽混じりに呻いた。
造られて初めて味わう“痛み”。
それでもティセラは、止めてとは言えなかった。逆らえば、もっと酷い“実験”があると理解していた。
……死ぬまで耐える。それが、『この世界の”理”』だった。
実験は、何時間も続いた、魔哭神が満足するまで。
エクリナとティセラ――交互に響く悲鳴が、神の城に木霊していた。




