◆第37話:血塗られた戦場◆
「……ノワール・ブレイクアーク」
術式が起動した瞬間、空気が沈み、音だけが遅れて落ちてきた。
エクリナの指先から黒く染まった空へと魔力が放たれ、幾つもの巨大な闇の柱が展開される。
それは地に落ち、地面に魔法陣を描いて爆散していく広域爆撃魔法。
地を揺らし、天を焦がし、敵陣は一瞬で塵と化す。
焼け焦げた臭い。地鳴りの残響。
それすらも彼女の心を動かすことはない。
「センメツカンリョウ。センカ……キロク」
無感情に呟き、背後に浮遊している球型の魔導術具が情報をまとめていた。
続けて声を出す。
「カクニン……カクニン……ツギノニンム……」
任務が残っていないか、同じ言葉を繰り返しながら検索していた。
エクリナは球型術具の言葉を待っていた。
次なる戦場、次なる任務、魔哭神ヴァルザを満足させるために。
それがエクリナの世界であり、理であり、全てであった。
周囲には、まだ震える神の兵たちの姿がある。
味方でありながら、誰一人彼女に近づこうとはしない。
数歩離れた先で、兵たちは待機していた。
「魔王……いや、“化け物”………」
「俺たちを……魔法で巻き込む……迷惑…」
「……人間のまがい物」
低く吐き捨てるような声が、誰ともなく漏れる。
エクリナの力は圧倒的であった。
極大魔法まで唱えられるのに、高位魔法止まりで戦域を制圧。
数百の敵を一瞬で灰に変え、味方をも巻き込んで全てを支配する存在。
神の兵たちは、畏れと嘲りを込めて『魔王』の二つ名を語り継ぐ。
最初に名付けた人属は既にいないが、神の兵は何十年も呼び続ける。
公式な階級でもなければ、称号でもない。
だがその二文字は、誰よりも“戦場で死をもたらす存在”として、彼女を象徴していた。
『エクリナ』という名は、神の兵は決して口に出さない、出すことはない。
その名は、ヴァルザと球型術具しか覚えていなかったからだ。
戦場ではただの『魔王』として動いていた。
いつも通りに『魔王』と呼ばれ、神の兵の畏怖が聞こえる中。
エクリナは天を見ていた、やることもなくただ見ていた。
(我は世界を滅ぼす……神の意思であり……我のただ一つの任務)
(我も世界は嫌いだ……我の世界には何もない……ずっと何もない……)
『神造生命体』は思考ができる。
魔法式を紡ぐために必要な機構であり、苦痛の一つでもあった。
”意志”を持たないのに”思考”ができるゆえに空虚な想いを持つ。
何を考えようと、何もできない——ただただ命じられるがままに動くだけ。
意思なき行動は、彼女にとって苦痛でしかなかった。
浮遊する球型術具の検索は続いていた。
「カクニン……カクニン……」
「ツギノニンム……」
『魔王』エクリナは暇を持て余していた。
命令を待ち、まだまだ立ち続ける。
ふと、足元の瓦礫の影に、何かが転がっているのを見た。
血塗れの人属の手だ、それも小さな、小さな手。
熱が残っていた。——死が、まだ冷え切っていない。
戦場に似つかわしくない白いリボンが、その指に絡まっていた。
「…………」
一瞬だけ、エクリナの瞳に揺らぎが生まれる。
胸の奥で、名のない感情がかすかに鳴った。
まるで、そこに“何か”を見出そうとするかのように。
エクリナは両腕の拘束具を見た。
腕輪状のそれは、自由を縛る枷。
命令違反。逃亡。任務不履行。そのいずれかで、枷は作動する。
恐らく魔力が封じられ、無力な生物になるだろう。
だが――
反抗の思考は出てこない。
ヴァルザは『神造生命体』を製造する時に、投薬による洗脳を施す。
自身に忠誠を誓うよう、いいなりの『玩具』になるように。
拘束具はただの保険、何かのきっかけで”意志”を持ち、裏切ることを想定して。
理性ある生物を信じないヴァルザ、そこには『神造生命体』も当然含まれていた。
(我は……いつ終わるのだろうか……世界はまだ我に……終焉を与えてくれない)
虚ろに思考するエクリナ。
美しい碧眼に光はなく、ちぎれている人属の手を見つめていた。
ようやく――
「カクニン……ツギノニンム……ナシ」
「キカン……メイレイ」
浮遊する球型術具の検索はようやく終わる。
地面を見ていたエクリナに命令を下す。
球型術具はエクリナの足元に魔法陣を展開する。
紋様がゆっくりと輝き、やがて眩い光になる。
強制転移される――
術具の音声と共に、視界が暗転した。
瞳に宿った微かな揺らぎは、次なる命令の前には意味をなさない。
魔王は、ただ機械のように“神の城”へと帰還するのだった。




