◆第36話:目覚めの断章◆
霊泉郷セイリョウにてリゼルの襲撃を受けてから、数日が経ったある日。
昼食を終え、テラスで小休憩を取っていたエクリナは、まどろみの中にいた。
肩に触れぬ銀糸の髪に碧眼を宿す、誇り高き王にしてメイドの少女。
その小柄な体が、ゆっくりと意識の深淵へ沈んでいく。
誰にも語ってこなかった記憶が、静かにその輪郭を現し始める。
かつて、意思もなく覚悟もない少女がいた。
あの頃の我は、まだ“家族”という言葉の意味を知らなかった。
◇ ◇ ◇
命令が響く。
魔力収束、標的指定、射出。
それはあまりにも機械的で、非人間的な動作だった。
「……ナハト=シンフォニア」
黒い楽譜のような紋章が空間に浮かび上がると同時に、音もなく闇刃が舞い踊るように飛び、敵兵たちの身体を穿つ。断末魔すら届かない、静寂の殺戮。
それが、魔王と呼ばれる少女――エクリナの仕事だった。
光を受けて輝く銀髪と、空虚な蒼の瞳。十代半ばに見える華奢な体躯の奥に潜む圧は、場の空気を変えるほどだった。
戦場は灰に染まり、瓦礫の中に積み上げられる死体。知性の無い兵たちすら、その姿を畏れ、敬い、あるいは忌み嫌いながら口にする。
「……来た。魔王、エクリナ……」
だが、その声も、彼女の耳には届かない。否、届いていても意味をなさない。
命令通りに戦い、命令通りに敵を殲滅し、任務が終われば回収されるだけ。
それを、彼女は何度繰り返してきたのだろう。
――我は、誰だ。
疑問すら生まれない。それが、兵器として設計された存在の“正常”だった。
冷酷で無感情。与えられた魔力と命令だけを頼りに、幾万の命を灰に変える。
そして今日も、命令が響く。
「次の戦場座標を指定。敵勢力壊滅を目標とする」
エクリナは無言で歩き出す。術式が展開されていく。
何も知らず、何も疑わず、ただ壊すだけの日々。
その無限に続くかに思えた循環に、やがて一つの“異物”が差し込まれる。
少女はまだ知らない。 己の名が、真の意味で“魔王”と呼ばれる日が来ることを――。




