◆第227話:均衡が崩れる瞬間◆
木造りで曲線を描く屋根、それを支える逞しい石柱が美しい――”アーク駅”。
自治区とはいえ、研究者や観光客が集まる要の駅だ。
賑やかなはずの構内は、いまや静寂に包まれ、時が凍り付いたように見えた。
霊機自治区アークの警備隊は、長身の魔導銃を構えている。
正面には、幾日もかけて技術都市フォルネアから遥々訪れた使節団。
人属と亜人属の外交再開の日に――亜人側は銃口を突きつけていた。
「警備隊! ま、待つのであるぞ! 撃ってはならんぞ!」
号令を発したのは、礼装の竜人・リンデであった。
その隣に立つ、新品の白衣を着たエルフは、胸のブローチを外し各方位へ向ける。
ビー、ビー――という警報を頼りに”何か”を捜索する。
ほどなくして、警報音が強まる対象を”二つ”見つけた。
それは、銀髪の少女と金髪の少女。
エルフは眼鏡のテンプルに指を添え、思案する。
その時――
「イーサリ、やっぱりあいつら?」
琥珀色の短いツインテールの少女が、白衣のエルフに声を落とす。
「決めつけは良くないが……可能性は高いと考える」
イーサリは小さく返した。
「だよね……最初は分かんなかったけど、少し前に出てからは感じるよ。ヤバイって、ね……」
少女はリンデを庇う姿勢のまま、イーサリにだけ届く声量で続ける。
「コルネ、まだだぞ……誤検知だってあり得るのだ……」
竜人の低い声が、少女を落ち着かせようとする。
「ああ……正直、動けない状態だね……」
睨み合いは膠着し、動けば護れない――そんな空気が全体を縛っていた。
それはフォルネア使節団も同じだった。
(なんだこれは……”外交”ではなかったのか?)
周囲を警戒しつつ、エクリナは考える。
(ガンゴ殿とヴァレンシア殿は、人間にとって要人……だが、まさか――)
決定打に欠ける推測が、彼女の足を縫いとめる。
(いざ護るとなると厳しいな……せめて、わずかな隙でも……)
今は、魔杖も魔盾盤もなく、魔装すら着ていない己を省みて、エクリナは歯噛みした。
エクリナの頬を伝う冷や汗を見たティセラも、黙して思考を研ぐ。
(……先に結界を張っていれば……今からでは悟られれば、何をしてくるか……)
(少し――いえ、ほんの”一瞬”だけでいい)
封界の少女は、ただ僅かな時間を欲した。
二人に護られる老女――ヴァレンシアは混乱を抑えきれない。
(なぜ……うまくいっていたはず……あたくしは何か間違いを?)
交渉は得意。表情を読み、言葉を交わす――それが強みであり、生き方だった。
(仕方ないですわね……皆……せめて、ガンゴだけでも生かさないと)
幼馴染であり、生涯の好敵手、そして……ヴァレンシアにとって、命を賭しても守るべき存在だった。
そのヴァレンシアの背を見て、職人ガンゴは短く息を吐く。
(なんだこりゃ……儂は飲み過ぎたのか? いや、現実だな)
(よく分からんが、儂にできることは少ない……まあ、仕方なかろう)
彼は静かに覚悟を定める。
『潮刃隊』警備隊長・ナギロの胸にも、熱がこみ上げていた。
(なぜだ……なぜなのだ、自治長! 今日は”祝いの日”にも等しいはずではなかったか!)
(謀反か? 戦か? 何のために!! やっと平和を盤石にできる時だというのに……)
空想も仮定も、武官の怒りに油を注ぐ。
「お前ら、絶対に動くなよ! 絶対だぞ!」
コルネは全体に向け吠える。誤った選択をさせないため、そして時間を稼ぐために。
――だが、その声音は威圧にも聞こえた。
「小官はナギロと申す! 自治長リンデ様、話し合いの場を願いたい!」
海人の武官は必死だった。ここで好機を失うわけにはいかない。
「その警報が何なのかは知らぬ! だが客人に怪しい素振りはない! 数多の監視からもそう報告を受けておる!」
主観と客観を束ね、ナギロは叫ぶ。
「落ち着かれよ、ペラギアの警備隊長」
霊機自治区アークの統括者・リンデは、冷静さを求める。
ナギロの勇ましい声に、動いた者が一人。
深く息を吐き、覚悟を決める。
老女をそっと動かし、さりげなく武官の背後へ下がらせた。
**掌が震えていない。焼けた鉄を受け止めてきた手だ**
「お前ら! 目的は知らん! だがフォルネアにとって――いや、人間にとって重要なのは、ひょっとすると儂だぁ!」
ガンゴが声を張る。
**背筋が、若い頃のまま真っ直ぐになる。**
(人生は面白いな……ティセラが戻ってきて……最高の剣をまた打てて……弟子だった奴らとも酒が飲めた……あとは……)
「儂は名匠ガンゴ! 人属最強の剣を打った男だ! 不足は、あるまい!!」
あえて標的になるよう、彼は構内に響く声で言い放つ。
**犠牲なら、儂ひとりで足りる **
(ヴァレンシア……いつも、すまんな)
胸中で詫びる――残らない遺言のように。
名匠ガンゴの一世一代の大舞台。
視線は一点に集まり、人属も亜人属も、ただ呆けて見つめるしかなかった。
その最中――
ニヤリと嗤った者が二人。
どうしても欲しかった”一瞬”。世話になりっぱなしの老人へ最高の賛辞を贈る。
(流石だ!)(流石です!)
エクリナとティセラの《瞬装環アペリオ》が、静かに、力強く煌めく。
薄光が指輪から血流へ――鼓動と同じ拍で布と装具が編まれていく。
二人に、本来の姿を返すように。
エクリナは瞬時に漆黒のワンピースをまとい、魔法式紋章が浮かぶ上衣を羽織る。
右手には、深紫の魔晶が脈動する《魔杖アビス・クレイヴ》。
左手には、魔法盾と術式盤が融合した《魔盾盤ヴェヌシエラ》。
ティセラは周囲を覆うように結界を張る。
白のゆったりとしたワンピースにケープを重ね、
背に四基の《浮遊式聖印装置ソリッド・エデン》を浮かべ、即時展開。
そして二人は、冷たい眼差しで眼前の”敵”を射抜いた。
《アビス・クレイヴ》が低く喉鳴るように脈打ち、 《ソリッド・エデン》が応じて共鳴し聲を重ねる。
護るべきものが増えた――戦う理由は、もう十分だった。
完全装備の顕現とともに、場の圧が跳ね上がる。
イーサリの手の赤い警報術具が「ビビィーーーッ!」と絶叫し、そのまま自壊した。
「なっ……小生の術具が!」
術具の爆発音と圧に耐えかね、アーク側の警備隊が引き金を絞る。
パン、パァン! 構内に乾いた音が跳ねた。
「馬鹿者!」
リンデの怒号が響く。
しかし、弾丸はキン、キンと軽い音を立てて弾かれた。
すでに結界を巡らせたティセラの防御を破る術は、そう多くない。
「……撃ったな?」
エクリナは銃声の出所を睨む。
威圧に耐えられず、獣人の一人が糸の切れたように気絶した。
「――覚悟、できているな?」
ザリ――ザリ――
赤い絨毯を静かに踏む音だけが、響く。
エクリナは、一歩。また一歩と歩みだす。
かつて世界を滅ぼそうとした魔王と、その親友。
いまは――大切なものを護るために、前へ出る。




