◆第218話:水都の夜◆
豪奢な宿の一室。
四人の会合がようやく終わった。
昼過ぎに始まった話し合いは、いつの間にか夕方になっていた。
「もう遅いですし、夕食にしましょう。今日は店を貸し切っているわ。同行の方たちもねぎらわないと」
ヴァレンシアは、旅に関わる職人・護衛・船乗り・商人たちを気遣い、店を押さえていた。
「貸し切りたぁ豪勢だな! で、どこなんだ?」
ガンゴが笑いながら問う。
「庶民的なお店よ。分かる人には分かるけど、皆きっと気に入るはず。特にエクリナさんはね?」
ヴァレンシアがエクリナを見やる。
「めずらしい料理でもあるのか?」
「人が多いのは苦手ですが、楽しみですね!」
エクリナとティセラは言う。
「宿はここを取ってあるから安心して。どうせガンゴは段取りしてないでしょうしね?」
ヴァレンシアが意地悪く笑う。
「道中で予約するつもりだったんだ! ……まあ、助かったがな」
怒りつつも礼を言うガンゴ。幼馴染の気安さがにじむ。
四人は宿を出て、貸し切りの店へ向かった。
◇
夜の街並みは、灯りが賑やかさを飾っていた。
呼び込みの声も多く、どの店も活気に満ちている。
やがて、ヴァレンシアが貸し切った店に到着。
店名は『海の家』だった。
エクリナはヴァレンシアを見る。
「ここは!」
「気づいてもらえて嬉しいわ。有名なお店なの」
ヴァレンシアは先導して店に入る。
店主ナミスケがヴァレンシアに気づき、慌てて駆け寄る。
「この度も貸し切り、ありがとうございやんす! 一同、張り切っておもてなしさせて頂きやんす!」
「今回も無理を言ってごめんなさい。よろしくお願いします」
ヴァレンシアは礼を述べた。
「こちらへどうぞでやんす」
ナミスケが特別席へ案内する。
「ここは確かに有名な店だが、馴染みなのか?」
ガンゴが隣で問う。
「この都市で大きな取引をするときに使わせてもらっているわ」
ヴァレンシアが答える。
「こちらにお掛けくださいでやんす」
舞台がよく見える主賓席。他の卓も見渡せる。
「ありがとうございます」
ヴァレンシアが礼を述べ、みんなの着席を促す。
「さあ、皆さんも座ってください。あたくしの大事なお客さまでもありますから」
四人は円卓を囲んだ(ガンゴ、ヴァレンシア、エクリナ、ティセラの順)。
「舞台があるということは……」
「ええ、期待していいですよ」
思案するエクリナに、ヴァレンシアが意味ありげに微笑む。二人だけの秘密めいた空気だ。
料理と酒が次々と運ばれ、卓上は嬉しい渋滞になった。
給仕の中に、栗色の長髪の少女の姿もある。
「給仕もやっているのだな……」
昼の歌姫を見つけ、エクリナが小さく呟く。
「……手を出してはいけませんよ?」
ジトっと、見つめるティセラ。
給仕姿の少女を見つめるエクリナに注意を促していた。
「そんなんではないぞ!」
エクリナは即否定した。
ヴァレンシアの元へ秘書が近づき、拡声術具を手渡す。
「ええ、分かったわ」
どうやら宴の合図の準備が整った。
ヴァレンシアがすっと立つ。
「皆さん、今回は集まって頂きありがとうございます」
拡声術具が澄んだ声を店中に届ける。
「明日からが本番ですが、今日は準備でお疲れでしょう」
「大いに飲んで、食べて、英気を養ってね」
「では、乾杯!」
小さな樽型ジョッキを掲げる。
「乾杯!!」
号令が重なり、宴会が始まった。
「見たことない料理ばかりだな、興味深い!」
エクリナは嬉々として料理を少しずつ取り分ける。
「どれもおいしい!」
ティセラは舌鼓を打ち、ご機嫌だ。
「んくんく……ぷはぁ~、うまい酒だ! 同じものをくれ!」
ガンゴは豪快に飲み、お代わりを頼む。
「ふふ。皆さん、いい顔をしていますわね。よかった」
ヴァレンシアは賑わいを確かめて微笑む。
「簡潔で良い号令だったと思うぞ? 何より料理が美味だ」
エクリナは酒を口にしながら声を掛ける。
「ありがとう。この店は安心できるけど、皆の笑顔を見るまでは不安なのよね」
ヴァレンシアも一口飲んで言う。
「いい店主だな」
エクリナが答える。
「いつでも雇ってあげますからね?」
ヴァレンシアは冗談まじりに商談を仕掛ける。
「はは! 我らは平穏を望んでおる。早く隠居生活を再開したいものだな」
エクリナはグビグビと酒をあおる。
「わ~ら~し~も~~そう思います! あいつらのせいで!」
酒の回りが早いティセラは、もう頬が赤い。
「あいつら……なるほどね。まあ、気が変わったら言ってちょうだい」
「あたくしはあなたたちを気に入っています。ガンゴより良い待遇は保証するわ」
ヴァレンシアが横目でガンゴを見る。
「何言ってんだ! そいつのとこに行ったら、こき使われるぞ!」
既に三杯目のガンゴ。
「ちゃんと報酬は払っていますよ! 払い過ぎなくらい。――お代わり」
ヴァレンシアは一杯目を空け、葡萄酒を追加。
「ふん、経営者も大変だな」
「人がいないのはあなたのせいでしょ? ちょうどここに元弟子がいるんだから、あとで行ってらっしゃい」
ヴァレンシアはさりげなく差し向ける。
「ああ、分かっとる。もう少し酔ったらな……」
ガンゴは素直に受け入れた。
やり取りの最中、舞台に立つ者がいた。店主ナミスケだ。
「皆様、楽しんで頂けているようで何よりでやんす」
「ここからは当店名物・歌姫の登場で、さらに盛り上がって頂ければと思いやんす!」
歌姫を紹介する。
長髪の少女が、飾り気のない清楚なドレスで舞台に上がる。
オドオドと肩をすぼめ、体が小刻みに震えている。
「待ってました!」「期待してるぞ!」
「あれが歌姫?」「自信なさそうじゃない?」
知る者・知らぬ者の声が交錯する。
「歌姫クリシュニアです! さあ、お楽しみくださいでやんす!」
ナミスケは紹介を終え、舞台袖へ移動する。
小さな舞台に先ほど見かけた給仕の栗色長髪の少女が一人。
震える手で拡声術具を握る――その瞬間、空気が変わる。
舞台後方で伴奏が走り出す。心を持ち上げる進行曲だ。
「この曲は!」
エクリナは気づく。昼間に耳へ刻んだ曲。
前髪の陰で、クリシュニアの瞳がかすかに光った。
タイミングを合わせ、発声。
「♪♪♪♪♪! ♬♬♬♬♬――!!」
最初は速いテンポ。行進歌の強拍に合わせて、声が軽やかに弾む。
一節で会場の心をつかみ、手拍子が自然にそろう。
木製のジョッキで拍を取る客もいる。
最初の疑心暗鬼は消え、誰もがその声に魅了されていく。
「うむ……やはり良いな!」
エクリナも思わず手拍子を打ち、体を揺らす。
ティセラは驚きつつも微笑み、同じ波に身を委ねた。
三曲を歌い終えると、小休止。
舞台袖の椅子に腰かけ、クリシュニアは喉を整える。
店内では歓談が戻り、歌の感想が飛び交った。
エクリナはヴァレンシアに言う。
「そのクリシュニアとやらと話したいのだが」
「よほど気に入ったようですわね」
ヴァレンシアはエクリナの願いを聞き入れるため、ナミスケを呼び交渉する。
ナミスケはヴァレンシアの依頼ならばと承諾し、エクリナを舞台袖に案内した。
案内され内部に入るエクリナ。
突然の訪問にビクッとするクリシュニア。
「クリシュニア、お客様でやんす。粗相のないようにするでやんすよ」
簡単に紹介すると、エクリナに一礼をし舞台袖から出るナミスケ。
それを見送ったエクリナは、歌姫の隣に腰かける。
「初めまして、エクリナだ。いい歌だった、あんなに高揚したのは初めてだ!」
歌姫に笑顔で声を掛けていた。
「あ、あ、あ、ありがとう……ございます……」
称賛の声に頭を下げ礼を言う歌姫。
「ひ、ひ、昼間も……き、聞かれてました……よね?」
オドオドと問うクリシュニア。
「気づいておったか。ああ、あの時も実にいい声だった」
エクリナの碧眼が柔らかく光る。
「う、う、嬉しいです」
美しくまっすぐな視線に、伏し目がちで応えるクリシュニア。
「うぬは変わっておるな……」
ビクリと肩が揺れる。
「歌う時だけは凛としておる。常に自信を持てばよいのに……」
的確に見抜くエクリナ。
「ひ、ひ、人前は恥ずかしくて……で、でも、でもでも――う、歌うのは好きなんです……」
「か、か、変わって……ますよね……はは……」
オドオドしたままの返答する。
「?」
クリシュニアの悲し気な声に首を傾げるエクリナ。
「だれしも”変わって”おる。悲観することはないぞ?」
スパっと言い切る。
これまで向けられてきた戸惑いとも、憐れみとも違う。
まっすぐに歌そのものを自身を見てくれる眼差しだった。
クリシュニアは髪の奥の瞳で、ジっと彼女を見つめた。
エクリナの堂々たる声、美しい顔に何故だか紅潮していく
(こ、こ、こ、こなたは昔から……でもでもでも……)
「え、え、エクリナ……様」
思わず銀髪の少女の名を声に出してしまう歌姫。
「ん? どうした?」
微笑み、碧の目でクリシュニアを見つめる。
「いえいえいえ! あのあのあの!」
緊張するクリシュニアは言葉の先を探しながら声を出す。
「あ、あ、あ、あ、後で二人きりで……お会いできましゅか……」
どもり、言葉も噛みながら、とんでもないことを言い放った。
(い、い、い、い、言っちゃった!! こ、こ、こ、告白みたい……)
顔を真っ赤にしつつ、頑張ってエクリナを見た。
「!!」
その発言に目を丸くするエクリナ。
そして――
「ああ、良いぞ。後で抜け出そう」
歌姫に答えるエクリナであった。
「まだ歌はあるのだろう? 続きも楽しみにしておるぞ」
そう告げて舞台袖を離れていった。
「……こ、こなたのこと、わかってくれる人がいるんだ……」
クリシュニアはぽつりと呟き、水を飲む。
自身の熱を冷ますかのようにゴクゴク飲んでいた。
酒場は大いに盛り上がっていた。
ガンゴは元弟子とおぼしき若者たちと冗談を交わし、少しだけ過去を取り戻したようだった。
歌姫の歌が再開される。
それは子守唄のように静かで、荒ぶる海のようでもあった。
誰もが魅了され――水都の夜は、ゆっくりと更けていく。




