◆第215話:水の都で歌う少女◆
異国の街並み――水都ヴェルミオラ。
都の中央では流通のない食材や装飾、術具が屋台に所狭しと並ぶ。
見慣れた洋装の商人に混じって、見たこともない民族衣装の一団も行き交う。
ヴァレンシアとの合流までの刻にはまだ余裕があった。
空気に飲まれたエクリナたちは観光を選ぶ。
「あ! 見たことのない術具」
見かけ相応に、はしゃぐティセラ。
その隣では――
「こいつはどういった効果だ?」
同じく、はしゃぐガンゴが商人に詰め寄る。
まさに師弟の姿だった。
「ふ。楽しそうだな」
エクリナは微笑ましく眺める。
少し離れた広場から、音楽が聞こえてくる。
視線を向けると、簡易的な舞台が設置されており、何かしらの催し物が行われていた。
数人の奏者が調弦を終え、司会が次の出演者を呼び込もうとしていた。
興味をひかれたエクリナは何気なく近づく。
「次は酒場『海の家』から、クリシュニアが歌います!」
エクリナよりも背の高い少女が、ゆっくりと舞台中央へ上がる。
心なしかオドオドしている。
栗色の長髪が肩に沿って流れ、目元を半ば隠す。
「し、し、し、紹介されました……く、く、く、クリシュニアです……い、一生懸命、う、歌います」
拡声術具を抱くように握り、どもりがちに一礼をする。
(やたらに挙動不審だな。あれで舞台に立てるのか?)
舞台の少女を見つめ思うエクリナ。
そして――伴奏が流れ出す。
観客の視線は不安と期待の間であった。
だが――
最初の二拍で、隠れていた瞳が観客を射抜くように前を向いた。
背筋を伸ばし、一歩前へと踏み出し、手を鳩尾に添え、息を支える。
髪の色がかすかにきらめいた気がした。
「♪♪♪♪♪! ♬♬♬♬♬――!!」
歌い出し――。
澄んだ上澄みだけをすくったような聲が、まっすぐに飛んだ。
広場のざわめきが、一段、静まる。
(おっ? 雰囲気が変わったな)
思わぬ始まりに目を見張るエクリナ。
先ほどまでの頼りなさは消え、舞台中央には別人のような歌姫が立っていた。
最初は速いテンポの曲。
行進歌の強拍に合わせ、彼女の声は軽く跳ね、客の手拍子が自然にそろっていく。
「――――♬! ♬! ♬! sfz―――!!」
さらにテンポが速くなり、一段と盛り上がると、最後の一打だけをことさらに強く叩きつけた。
次の曲では、空気が変わった。弦は薄く和音を敷くだけ。
彼女はレガートで息を繋ぎ、尾を引く母音が噴水の水面に丸い輪を描くように広がっていく。
歌いながらも身振りを加え、調べを表現していく。
三曲目――伴奏が止む。
無伴奏のアリア。
鐘楼の鳥さえ鳴き止むほどの静けさの中、彼女の高音はきらりと立ち上がり、低音は湖底の石を撫でるように柔らかい。
ブレスは浅くも深くもなく、必要なだけ――ただ、音があった。
(おお、これは、中々に凄いな……)
エクリナは内心で高揚し、思わず聴き入る。
開演前のオドオドは消え、立ち姿は端正。
三曲を終えるころには、観客が広場を埋め尽くしていた。
「いいぞ!」
「流石は歌姫!」
歓声が一斉に弾け、拍手は長く続く。
屋台の客が足を止め、買い物袋を抱えた女たちが振り返る。
子どもは手を叩き、商人たちは笑みを浮かべながら拍を合わせていた。
クリシュニアの声に誘われた民衆は喝采と声援を送る。
気分を高ぶらせた観客たちは、さらなる歌を求めて声を上げる。
まるで広場そのものが、彼女の歌に掌握されたかのようだった。
「なるほどな、この都市の名物というやつか」
周囲の熱を受け、エクリナは思う。
「いつ聞いても素晴らしい歌声ね、そう思うでしょエクリナさん?」
いつの間にか、気品ある老婆が隣に立っていた。
頭上で結った白髪と濃紺のドレスが、人混みの中でもよく映える。
扇を口に当て、優雅に目を細めていた。
「……油断したようだ。だが素晴らしい歌であったのは事実だな」
気のゆるみを引き締めつつ、エクリナは素直に評する。
「無事到着したようで良かったわ」
「ああ、時間があったものでな、観光をしていた」
「それは良かったわ。とりあえず離れましょうか?」
「そうだな」
エクリナは微笑み、頷く。
予期せぬところで合流した二人だった。
渦巻く拍手の余韻の中、さっきまで光を放っていた歌姫は――ふと幕が下りたように、先ほどのオドオドした姿へ戻っていた。




