◆第10話:主の好物と王の矜持◆
ある晴れた午後。
エクリナは一人、メイド服で街の商店街へ買い出しに出ていた。
目的は、セディオスの大好物――特製ハーブバゲット。
ハーブが練り込まれたパンは香ばしくも、爽やかな香りが袋から伝わってくる。
いつもはエクリナお手製のパンが食卓に並ぶのだが、どうしても特製ハーブバゲットだけは再現できず、仕方なく定期購入しているのであった。
「ふふ、これが手に入れば、今夜は我が渾身のスープと合わせてみせよう……しかし、そろそろこやつの製法を我が手中に収めたいものだな」
エクリナはウキウキと袋を抱えて歩いていた。
だが、そんな平穏な時間を切り裂くかのように、突如として空気が揺れた。
ゴロツキどもが側道から現れたのだ。
エクリナに粘つく視線を送り、ナンパしてきた。
「随分とべっぴんだな、ご主人様のところへ帰る途中か? なあ、その前に俺たちにご奉仕してくれよ?」
「ゲヘヘ」と、品のない笑い声を上げる。
(はあ~。つまらんな……)
とエクリナは心の中で吐き捨て、無視して立ち去ろうとした。
それを妨げるように、不意に腕を乱暴に掴まれた。
バランスを崩した拍子に、抱えていた特製ハーブバゲットの袋が地面へと落ちる。
「……!? なっ……っ!」
咄嗟に拾おうとするが、ゴロツキに踏まれてしまいエクリナは硬直してしまった。
メイドは潰れた袋を見つめる、心の奥が冷えるのを感じていた。
袋の中からは、無残に潰れたバゲットの香りが、かすかに立ちのぼっていた。
(……セディオスの好物を、踏みにじったか……)
ゴロツキどもは、おとなしくなったと勘違いして更に迫ろうとしていた。
「グヘヘ」と、にやけながらエクリナの腕を掴む。
そのまま引くが全く動かない、メイドの華奢なはずの身体が、微動だにしなかった。
「………………」
沈黙し、天を仰ぐエクリナ。
そして――
「……許せぬ」
エクリナの瞳に光るのは、激怒ではない。それは冷ややかで凍りつくような、王の怒気。
指を鳴らした瞬間、空間が揺れ、一瞬だけ足元に魔法陣が展開し、ゴロツキの集団ごと街から離れた森の奥へと転移させた。
同時に、エクリナの手には《魔杖アビス・クレイヴ》が転移し、その柄を強く握りしめる。
「闇を往く我が王道、その身で味わうがいい」
ゴロツキどもは訳が分からなかった。つい先ほどまで街にいたはずなのに、なぜ森の中にいるのかと……。
そして、ナンパしていた可憐なメイドの手には杖が握られており、この世のものとは思えぬ気配を放っていた。
「あ、これは……」の続きを、彼らは最後まで口にすることはできなかった。
轟音と共に、森の一部が蒸発する。
ゴロツキが震える間もなく、次の魔法も放たれたのであった。
しばし後——
森の奥には、何も残っていなかった。ただ、静寂と、吹き抜ける風だけが証人だった。
(……店に戻る時間も惜しいな。よい、ならば我が焼けばよいだけのこと)
夕方、食卓には香ばしく焼けたパンと、ハーブの香るスープが並んでいた。
「そういえば、今日森の北側で“どっかーん”ってすごい音がしてさ! 近くで採取してたから見に行ったんだけど……あそこ、何もない平原になってたんだよね……」
ライナがパンを手に首をかしげ、ぽつりと呟く。
「……あれができるのって、相当強い人じゃないと……いや、まあ、気のせいかもね?」
もしかしたら、倒したはずの神からの刺客ではないかと勘繰っていた。
エクリナはスープを啜りながら、涼しい顔で返した。
「些末な問題だ。我が王たる矜持に触れた愚か者への、当然の報いである」
それを聞いた一同はなんとなく察した。
セディオスは呆れ半分、笑み半分でパンを口に運んだ。
「……やっぱり、店のバゲットも美味いが、エクリナが焼いたパンの方が俺は好きだな」
エクリナは、少しだけ頬を染めて、そっぽを向いた。
「ふ、ふん……当然であろう。我がこだわって焼いたパン、うぬの好みに合わぬはずがなかろう……」
主の好物を守り、そして自らの手で越えてみせること。
それが、彼女なりの“王の矜持”でもあった。
素知らぬ顔を決め込む魔王と、すべて察した上で何も問わない主であった。




