◆第105話:エクリナの休日―館の朝―◆
セディオスの寝室。
カーテンの隙間から朝日が差す。
光がゆっくりと床を滑り、白い寝具を照らしていた。
「……朝か……」
茶色で無造作に逆立つような短髪を持つ三十代半の男、セディオスはゆっくりと身を起こす。
その動きに合わせ、微かな寝息が耳に届く。
隣には、美しい銀糸を纏う少女が寝間着姿で寝ていた。
「すう、すう……すう、すう……」
銀髪の少女エクリナは、先日まで悪夢を見ていた。
今はいない敵が夢に現れ、屈辱に耐えていた。
得た楽園は幻と思わされ、全ては変えられない、変わらない世界であった。
……しかし、今は違う。
その悪夢を乗り越え、安住の地を再び得た。
いつもは誰よりも早く起きるエクリナは、今日ばかりは深い眠りについていた。
連日の悪夢に精神をすり減らしていたからだ。
セディオスは、エクリナを起こさないように、そっとベッドを抜ける。
足音を殺し、彼女の寝息を確かめるように一度だけ振り返る。
「ゆっくり、お休みエクリナ……」
小さな声でつぶやくと、静かな扉の音を残して、厨房へ向かう。
* * *
厨房では朝食の準備が進んでいた。
窓から射す柔らかな光が、白い蒸気を照らしている。
ルゼリアがスープを煮込んでいた。
農園で取れたニンジンやトマトを使った赤いスープ。
それは、紅い髪を短く整えた彼女が好む色でもあった。
「う~ん、もう少し塩を……」
味見をして整えていく。
木匙の音が、鍋の縁を軽く叩いた。
その後ろではライナが、左右非対称に切り揃えられた水色の髪を揺らしながら、パン生地を切って丸めていた。
「ふう……やっと終わった」
「あとはこれを窯に入れてと……」
鉄板に乗せられたパン生地が、慎重に窯へと入れられる。
ふわりと小麦と火の香りが広がった。
ライナの前では、柔らかな金髪を束ねたティセラが燻製の猪肉を切っていた。
「これくらいでいいですかね」
皆が食べられる分の肉を切りそろえながら言う。
香ばしい匂いが漂う厨房に、セディオスが入ってくる。
一瞬、調理の手が止まり、顔を上げる三人。
「皆、おはよう。随分進んでいるな」
「ええ、エクリナがいつもの時刻にいなかったので、先に始めていました」
鍋をかき混ぜながら答えるルゼリア。
湯気の向こうで、微かに笑みがこぼれた。
「王様、ずっと大変だったもんね」
ライナが顔についた小麦粉をぬぐいながら言った。
「たまには遅い朝食もいいでしょう」
切った猪肉を焼きながら言うティセラ。
焦げ目の弾ける音が、心地よく響く。
「そうだな、俺も手伝おう」
言いながら、袖をまくるセディオス。
力強い手が、まな板の上に並ぶ野菜を手際よく刻み始めた。
皆でサラダを作り、盛り付け、それらを厨房と連なる食卓へ運び始める。
香りが廊下へと流れ出していく――その時。
たっ、たっ、たっ――と軽い足音が響いた。
「すまぬ、寝坊してしまった!」
厨房の扉を開け、急ぎ足で入るエクリナ。
いつものメイド服に着替えていた。
銀の髪が、まだ寝癖のまま少しだけ揺れる。
「お、起きたか」
「おはようございます」
「おはよう王様!」
「良く眠れましたか? エクリナ」
それぞれが思い思いの挨拶をした。
柔らかい笑い声が重なり、朝の光に溶けていく。
「ああ……おはようだ……」
既に朝食の準備は完了し、食卓には香り豊かな皿が並んでいた。
温かな湯気と、揃った手の動き。そこに、ようやく“いつもの朝”が戻ってきた。
「まあ、昨日の今日だ。ゆっくりするといい」
セディオスは笑いながら、エクリナを食卓へ誘った。
エクリナは一瞬だけ彼を見上げ、そして静かに頷く。
こうして――エクリナの休日が、静かに始まった。




