◆第96話:儀式の刻、交わる決意◆
館の端、静寂に包まれたティセラの工房。
床一面に刻まれているのは、精密に設計された精神干渉魔法陣。
その中心には、一人の少女――エクリナが、未だうなされ続けたまま、静かに横たわっていた。
ベッドの周囲には術具や結晶体、制御装置が並び、異様な緊張感に包まれている。
ティセラは術具の調整を終えると、重々しい面持ちで皆に向き直った。
「儀式の準備は完了しました。この儀式は、エクリナの精神世界に干渉し、彼女の心の奥へ――私たちの意識を送り込むものです」
魔法陣の周囲では、すでにルゼリアとライナがそれぞれの位置に座していた。
精神を集中させ、魔力を高める二人の表情には、いつもの明るさも余裕もない。
ティセラが静かに続ける。
「ただし……これは極めて繊細な魔法式です。魔力消費も膨大。
大型魔導術具による供給はありますが、私とルゼリア、ライナの三人で制御してようやく維持できるレベルです」
そして、一呼吸置いてから言った。
「そのため……たとえ皆で精神世界に入れたとしても、セディオス以外は長くは持ちません。実質、主導できるのはあなた一人です」
セディオスは短く頷いた。
「短期決戦……だな。ああ、分かってる。何とかするしかない」
だが、胸の奥では言葉にできない不安が渦巻いていた。
(……俺にはもう、《魔導充式剣ディスフィルス》しかない。全力で戦える状態とは程遠い……それでも――やるしかない)
ティセラがわずかに言い淀み、やがて静かに口を開く。
「……確実ではありませんが、もし精神世界の中でエクリナが“強い意志”を持てば、
その世界の法則は彼女の心に従い、変われるはずです」
「強い意志……?」
「ええ。精神世界では、認識がすべてです。
彼女があなたを“信じ、求める”ほど、あなたの精神は彼女の意志に呼応して強くなれる。
理論上は、ですが……同時に、エクリナの心への負荷も大きいでしょう」
セディオスは短く息を吐いた。
「……信頼が力になる、か。……ありがとう、参考にさせてもらうよ」
ティセラはうなずき、視線を魔法陣へ向ける。
「では、始めます。セディオス、エクリナの隣に横になってください」
セディオスはそっとエクリナの隣に腰を下ろし、静かにその手を握った。
「……必ず、取り戻す。何をしてでも……」
それは祈りであり、誓いであり、そして彼自身を支える最後の信念でもあった。
ティセラ、ルゼリア、ライナの三人が位置に着く。
魔法陣が淡く、そしてゆっくりと光を帯び始める。
「魔力安定、結界展開確認……いきます」
ティセラの号令とともに、三人は一斉に術式を発動。
魔力の奔流が工房の空間を満たし、時の流れが歪むような感覚が広がっていく。
セディオスの視界に、淡い光の粒子が舞い始めた。
(……来い、エクリナ。お前の手を、今度も――)
思考が途切れ、重力のない深淵へと、意識が滑り落ちていく。
音も、光も、重さも消え――
ただ、彼女の気配だけが、遠くで揺らいでいた。
──エクリナを救う旅が、いま始まる。




