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お前じゃなきゃダメなんだ!

文化祭から3週間。



実は矢吹がイケメンだったという噂はまたたく間に広まったが、あれからも矢吹は地味男子モードを徹底し続けた。


そのため、あの劇で見たイケメンは幻だったのではといった感じで、矢吹に集まる女子たちは日に日に減っていき大きな混乱には至らなかった。



矢吹の本当の顔がバレたときはどうなることかと思ったが、今では以前と変わらない平凡な日々を過ごしている。



――と言いたいところだが、実際はそうでもない。


俺が。



「なあ、椎葉。ちょっといいか――」


「…うぉわあぁぁ!な、なんだよ、矢吹!」



休み時間、矢吹が俺に話しかけにちょっと俺の肩をたたいただけで、俺は変なリアクションを取ってしまった。



「どうした?ごめん、脅かすつもりじゃなかったんだけど」


「…いや、俺もそんなつもりじゃなかったんだけど。なんか…」



なんか、矢吹に話しかけられると心臓がビクッと跳ねる。


しかも、ボディタッチ付きだと余計に。



“あの夜”以降、なぜだかまともに矢吹の顔を見れなくなった。



“あの夜”というのは、文化祭があった日の夜だ。


みんなで打ち上げで焼肉屋へ行き、そのあと肝試しをしに墓地へ。



そこで、女の幽霊が着ている白い着物のようなものを目撃してしまった俺たちは、手を繋いで一目散に逃げた。


あとからあれは、風で飛ばされて木に引っかかっていた白いタオルだったことをクラスメイトから聞かされたが、あのときの俺たちはマジで幽霊だと思っていた。



幽霊が苦手な俺と、俺と同じくらい…いや、それ以上かもしれない矢吹は、本当は自分も怖いことを隠して俺のそばに寄り添ってくれていた。


そんな健気でやさしい矢吹に、あのときの俺は正直ドキッとした。



それに、俺しか知らなかった矢吹の本当の顔を他のやつにも知られたという嫉妬も相まって、そのときからやたらと矢吹のことを意識するようになった。



こんな感覚…、自分でも不思議だけど。



でも、なんだか懐かしいような気もする。


そういえば、前にもこんな感じがあった。



――そう。


あれは、小学1年生のときだ。



初恋の相手、桜ちゃんを見て想ったあの初々しい気持ちと同じ。



愛奈ちゃんを好きだったときの気持ちとも似ているけど、矢吹を見たらドキッとするこの気持ちは、どちらかというと桜ちゃんへの気持ちに近い。



矢吹と同じ部屋だったとしても、矢吹がいないときは今なにしてるのかななんて、ふとしたときに矢吹のことを考えている。


そのくせ、矢吹が戻ってきたら胸がドキドキしだして、まともに矢吹の顔も見ることができなくなってしまうから困りものだ。



前みたいに、なにも考えずに矢吹と話せたらいいのに――。


今はそれができない。



そして、矢吹がたまに話しかけてくれるものなら、内心めちゃくちゃ喜んでいる。


 

でも、俺に向けてくれるその笑顔も俺だけのものじゃないと思うと…やっぱり切なくなる。



『彼女はいないけど、好きな人なら…いる』



打ち上げのときにこう話していた矢吹。



その人には好きな人がいるようで、矢吹はその人のことを想っているからこそ、あえて気持ちを伝えるつもりはないのだそう。



しょせん俺は、ただのルームメイト。


よくても、かわいい弟くらいにしか思われていないだろう。




そんなある日。



「椎葉。今度の日曜日、遊園地行かね?」



まさかの矢吹からお誘いがあった。


しかも、遊園地デート。



驚いた俺は、目を丸くして矢吹を凝視した。



「…あ、ごめん。言い忘れてたけど、べつにオレと2人きりってわけじゃなくて」



慌てて訂正し直した矢吹だったけど、それを聞いて内心ショックだった。



…なんだ、矢吹と2人じゃないのか。



てっきりクラスの男子たちとでも行くのかと思っていると――。



「高田さんと森さんといっしょなんだよな」


「え?あ…、そうなの?」



意外な名前が出てきて、俺はすぐに返事ができなかった。


そんな俺の顔を矢吹が覗き込む。



「もしかして、用事あった?それなら、違う日に――」


「ううん、ちょうど空いてる」


「マジ?よかった。じゃあ、そういうことでよろしく」



そう言って、矢吹は白い歯を見せて教室から出ていった。



高田さんと…、愛奈ちゃんもいっしょなんだ。


きっと前までの俺なら、飛び跳ねて喜んだことだろう。



それなのに、愛奈ちゃんに対してのあれだけ高ぶっていた気持ちが、文化祭以降不思議と落ち着いていた。


愛奈ちゃんにしか目が行っていなかったのに、ふと気づいたときに俺がいつも目で追っているのは矢吹だった。




そして、日曜日。



「……ば。し…ば」



未だに夢の中にいる俺の耳に、だれかの声が響く。



「…椎葉、椎葉」



ようやく俺の名前が呼ばれていることに気づいて、はっとして目を開けた。


すぐそばに顔を向けると、俺のベッドに頬杖をついて俺を見下ろす矢吹のドアップの顔があった。



「や、矢吹…!」


「おはよ、椎葉」



目が覚めたら矢吹の顔が視界いっぱいに映って驚く俺に、矢吹はマイペースにあいさつをする。



「椎葉、今日みんなで遊園地って覚えてるか?そろそろ起きたほうがいいぞ」


「あ…ああ」



どうやら矢吹は、2階のロフトにいる俺をお越しにきてくれたみたいだった。



「えっ、もうこんな時間!?」


「そうだよ。椎葉、アラーム鳴ってるのに何回も自分で消して寝てたから」


「…そ、そっか」


「あまりにも気持ちよさそうに寝てるから、本当は起こしたくはなかったけど」



そう言って、矢吹は穏やかに微笑んだ。


その顔が、寝起きの俺にとっては朝からまぶしく見える。



「早く準備しないと遅れるぞ。いいのか?初っ端から森さんにかっこ悪いところ見られても」



矢吹は、俺の歯ブラシに歯磨き粉をつけて渡してくれた。



愛奈ちゃんにかっこ悪いところ…か。



今の俺にとっては、愛奈ちゃんにどう思われるかなんてたいしたことでもないんだけどな。



歯磨きをする俺の隣で、髪をセットする矢吹が鏡に映った。


伊達メガネは外して、普段はあえてボサボサにしている髪をワックスで整えて。



「あれ?愛奈ちゃんや高田さんもいっしょなのに、いつもの格好じゃなくていいのか?」


「まあ、せっかく出かけるしな。それに、文化祭のときにオレの顔は一度みんなに見られてるし」



だから今日は、ダウナー系矢吹で行くのだそう。



正直、意外だった。


俺と2人で遊ぶときならわかるけど、そうでないのに矢吹がオシャレをするだなんて。



それに、いくら女子への苦手意識が徐々になくなってきたとはいえ、2対2で遊びにいくだろうか。


しかも、デートスポットの定番である遊園地なんかに。



これはもはや、いわゆるWデートというやつだ。



でも、Wデートというと…どういう組み合わせになる?


俺と高田さん、矢吹と愛奈ちゃん…はちょっとおかしいよな。



だとすると、俺と愛奈ちゃん、矢吹と高田さんってことか。



アトラクションで、もし俺が愛奈ちゃんと2人きりになることがあってもそれはそれでべつにいいんだけど、矢吹は高田さんと2人きりになっても平気なのだろうか?


1年のときも同じクラスとはいえ、2人で仲よさそうに話してるところはあんまり見たことがないけど。



そんな状況になるかもしれないということくらい、きっと矢吹だってわかっているはずだ。


だけど、それでも4人で遊園地に行くことを決めた。



……まさか。



ここで、あることが俺の脳裏をよぎった。



そういえば、この前の打ち上げのとき――。



『進展なしっていうか、その人にはすでに好きな人がいるし。だから、オレは見ているだけでいいから』


『いいんだよ。もともと両想いになれるとも思ってないから』



どうやら、矢吹は叶わない恋をしているということがわかった。



ハナから諦めているということは、おそらく矢吹の好きな人は『彼氏持ち』。


彼氏という絶対的な存在がいるから、自分なんて入り込む隙間もない。



きっと矢吹はそう思っているんだ。



そして、彼氏持ちで一応矢吹の一番身近にいる女子といったら――。


それが、高田さん!



この推理で俺は、矢吹の好きな人は高田さんだという答えを導きだした。


そうなると、これまでの矢吹の言動にも納得がいく。



しかも、高田さんはつい最近俺たちが水族館で見かけた彼氏と別れたと愚痴をこぼしていた。


それをチャンスに思って、矢吹は今回4人で遊園地に行くことを決めたに違いない。



だから、高田さんに本当の自分をすべて見せるために、こんなにも念入りに服装やヘアスタイルをセットして――。



4人だろうと、俺は矢吹と遊園地に行けることを楽しみにしていたけど、…違った。


矢吹は、高田さんとのデートを楽しむつもりだったんだ。



愛奈ちゃんには悪いけど、俺たちはいっしょに行くことになっただけのただのモブ。


今日の主役は、矢吹と高田さんなんだ。



俺と矢吹は寮を出て、待ち合わせ場所の駅へと向かった。



「あっ!椎葉く〜ん、矢吹く〜ん!」



駅の改札前で、俺たちに向かって手を振る愛奈ちゃんを見つけた。


その隣には高田さんの姿も。



「おはよう。今日はよろしくね」


「うん!楽しもうね」



そう話す俺たちの横で、矢吹と高田さんはなにも言わずにアイコンタクトを交わす。


それが、なんだか意味深に感じた。




開園時間ピッタリに目的の遊園地に到着。



まず初めに、4人でコーヒーカップに乗った。


ハンドルを思いきり回してはしゃぐ愛奈ちゃんは見ていてかわいいのだが、それよりも俺は隣に座る矢吹と、その隣に座る高田さんのことが気になって仕方がなかった。



…だって。


なんか2人、座る距離近くね…?



と思ったり。



そのあと、ゴーカートに乗ったりジェットコースターに乗ったりと、遊園地にあるアトラクションをすべて乗る勢いでまわった。


休憩を挟んでいなかったため、昼メシを食べに入ったフードコートのベンチでようやくひと息つく。



「午前のうちにけっこう乗れたよな」


「そうだね。お昼食べたら、まだ行けてないあっちのエリア行こうよ」



そう言いながら、愛奈ちゃんはテーブルに三つ折りになっていた遊園地のマップを広げる。



「愛奈、椎葉くん。お昼、なに食べる?あたしと矢吹で買ってくるからさ」



…え、矢吹と高田さんが2人で?



これまで乗ったアトラクションでも、2人1組で乗るものはすべて俺と愛奈ちゃん、矢吹と高田さんペアで乗った。


本当は矢吹と2人で乗りたいとも思ったが、なんだか自然なふうに毎回そうなった。



それなのに、お昼も2人いっしょに買いにいくのか…?



「高田さん!2人に任せるのは悪いから、俺も行くよ!」


「大丈夫、大丈夫!それにここも混んできたから、愛奈と椎葉くんで場所取りよろしくね」


「ちゃんと椎葉の分も買ってくるから安心しろよ」



俺に向かってフッと笑ってみせる矢吹。



…べつにそんなことを心配しているわけじゃない。


今日の矢吹と高田さん、…やっぱりいつもより距離が近いよな?



俺は、そのことを気にしてんだよ。



「じゃあ、希子。わたしはハンバーガーのAセットでお願い。ドリンクはリンゴジュースで」


「オッケー。椎葉くんは?」


「じゃ…じゃあ、ホットドッグのBセットで。ドリンクは適当で」


「はいはーい。じゃあ矢吹、行こっか」


「ああ」



そう言って、2人は人混みの中へと消えていった。


この場に残されたのは、俺と愛奈ちゃん。



「あの2人、なんだかお似合いだと思わない?」



2人の行方を目で追っていた俺に愛奈ちゃんが話しかけてきた。



「…えっ、そ…そう?」


「うん、そうだよ。希子も矢吹くんも背が高いし、スタイルもいいし」



そう言われてみたらそうだ。


園内でも2人が並んで歩く姿は、まるでモデルのようにどこか様になっていた。



「希子、前の彼氏に浮気されちゃって別れたんだよね」



あの水族館のときの彼氏か。


けっこう長く付き合ってたみたいだけど、…そうだったんだ。



「しばらく彼氏は作る気ないとは言ってるけど、もし次付き合うことがあれば、わたしは矢吹くんみたいなやさしい人がいいなって思ってるの。希子の親友としてね」



愛奈ちゃんのやさしげな表情を見ると、本当に高田さんのことを大切に思っているんだなということが伝わってくる。


同時に、俺の中でモヤモヤしていたことが確信へと変わった。



愛奈ちゃんの話からして、やっぱり今日の遊園地は高田さんと矢吹の距離を縮めるためのものだったんだ。



おそらく愛奈ちゃんが計画して、高田さんと矢吹を誘い――。


男1人はいやだからとかなんとか言った矢吹が、人数合わせのために俺を誘ったのだろう。



「でも、矢吹くんって好きな人がいるとかだったよね?だから、今すぐ希子とどうなってほしいとかじゃないんだけど…」


「いいんじゃない?たぶん、遅かれ早かれそうなるんじゃないかな」



俺は力なく吐き捨てた。



矢吹の好きな人は高田さん。


愛奈ちゃんも高田さんのことを応援するのなら、俺も…矢吹のことを応援してやらなきゃいけないよな。



本当はそんなのいやだし、悔しいけど…。


矢吹が長年想っている人といい感じになれるのなら、俺が協力しないでどうすんだよ。



そう自分に無理やり言い聞かせる。




「お待たせー」



少しすると、全員分の注文した商品を買った高田さんと矢吹が戻ってきた。



「はいっ。これ、愛奈の分のセットね」


「ありがとう。お金、あとで返すね」



俺の正面に並んで座る愛奈ちゃんと高田さん。


俺の隣には矢吹が座った。



「矢吹はなに買ったんだ?」


「椎葉といっしょ。ホットドッグのBセット」



矢吹がテーブルに置いたトレイの上には、ホットドッグとフライドポテトと容器に入ったドリンクがそれぞれ2つずつのっていた。


同じものを頼むことはべつに不思議でもなんでもないが、なんだか矢吹とお揃いみたいで俺は少しだけうれしかった。



「ドリンクだけど、適当って言ったからオレが勝手に決めたけど、コーラかジンジャーエールどっちがいい?」



矢吹は俺の前に、どっちものドリンクを置く。



「椎葉、炭酸好きだろ?でもなにが飲みたいのかまではわからなかったから、とりあえずどっちも炭酸にしたけど」



矢吹、俺が炭酸好きなこと知ってくれていたんだ。


それで、俺がどっちを選んでもいいように2種類の炭酸ジュースを買ってくれた。



「椎葉が選んで。オレはどっちでもいいから」



やさしすぎるだろ、矢吹。



俺はうれしさを噛みしめながら、片方のドリンクにそっと手を伸ばした。



「…じゃあ、コーラで」


「やっぱり。オレも椎葉はなんかそっちを選ぶ気してた」



なに笑ってんだよ、矢吹。


俺のことを知り尽くしてるみたいな言い方されると、やたらと心臓がドキドキするからやめろって…!




昼メシを食べ、午後からは愛奈ちゃんが言っていたまだ行っていないエリアへと向かった。


ここでも、ペアになるようなアトラクションは俺は積極的に愛奈ちゃんと乗るようにした。



本当は、矢吹と高田さんが2人きりではしゃぐ姿なんて見たくもない。


見たくもないけど…、矢吹のためなら仕方ない。



「高田さん、次あれいっしょに乗ろ」


「いいよ!行こ行こ!」



ほら、矢吹から高田さんを誘ってる。


やっぱり、“そういうこと”なんだよな。



楽しむ場であるから表情には出さなかったか、本当は泣きたいくらいにつらかった。



「次は、あれ行ってみない?」



ふと、足を止めて指さす愛奈ちゃん。


その指の先にあったのは、ぱっと見ても不気味な雰囲気が漂う建物があった。



そう。


それは、お化け屋敷。



そういえば、愛奈ちゃんと高田さんは怖いものが好きなようで、この前の肝試しだって楽しそうにしていた。



そんな2人とは違い、俺と矢吹は苦手…!


しかも、こんななんでも得意そうなダウナー系男子の姿の矢吹が、実はめちゃくちゃ怖がりということを高田さんに知られたら――。



ほら、矢吹だって笑ってはいるが俺にはわかる。


実は顔が引きつっていることくらい。



矢吹のためにも、ここは俺がどうにかしないと…!



「あ、愛奈ちゃん!あのお化け屋敷、混んでるみたいだよ!?」


「え?でも、だれも並んでないよ?」


「入口に待ち時間が表示されてるけど、3時間待ちだって!」


「待ち時間…?でも、これまでのアトラクションには、入口にそんな表示あったかな」


「あれだけ特別なんじゃないかな!?」



とにかく俺は、お化け屋敷から遠ざけることに必死。



「この距離からじゃ、わたしには3時間待ちっていう表示も見えないけど…。矢吹くん、目いいんだね!」


「そう!それが取り柄だから!」



ほんとはウソ。


普通の視力しかない。



「せっかくきたんだし、あまり並ばずに乗れるものにしようよ!」


「そうだね」



お化け屋敷が混んでいるというのも、待ち時間が表示されているというのもすべてが嘘だけど、なんとか愛奈ちゃんの足を別に向かわせることに成功した。



「じゃあ、あれはどうかな?」


「いいね!」



やってきたのは、これまたお化け屋敷のような箱型の建物。


しかし、さっきとは違って飾りもないシンプルな造りだ。



「『リアル脱出ゲーム』だってさ。おもしろそう!ねっ、矢吹」


「そうだな」



高田さんと矢吹も乗り気なようだ。



さっそく中に入ると、係員さんがゲートの前に立っていた。



「ようこそ、リアル脱出ゲームへ!ここでは2人1組になって、数々の謎を問いてゴールを目指してもらいます」



ここも、2人1組か。


――だったら。



「行こう、愛奈ちゃん」


「えっ…!」



俺は自ら愛奈ちゃんの手を取った。


なぜか、愛奈ちゃんの頬がぽっと赤くなったような気がするのは気のせいだろうか。



矢吹、お前は高田さんと2人で仲よくやれよ。



俺は背中で矢吹に語りかけると、振り返ることなく愛奈ちゃんと入口のゲートをくぐった。



お化け屋敷と違って、怖いものはなかった。


ただ、ちょっと頭を使うくらい。



意外と順調に進んでいき、最後の部屋の問題を問いていた。



「椎葉くん、…わかる?」


「うん、ちょっと待って。あと少しで解けそう」



俺は暗号を解読していき、そしてついに答えを導き出す。



「…『サクラ』!扉を開けるパスワードは、『サクラ』だ!」



それを聞いた愛奈ちゃんがパネルに『サクラ』の文字を入力すると、ようやく最後の扉が開いた。


西の空に傾いたオレンジ色の太陽の光が差し込んできて、俺は思わず顔を背けた。



ゴールの出口は、建物の入口の真裏に繋がっていた。



「希子たちはまだかな?」


「う〜ん…、そうみたいだね」



辺りを見回したが、矢吹と高田さんの姿はなかった。


俺たちは2人が出てきたらすぐにわかるようにと、出口が見えるベンチに座って待っていた。



「それにしても、椎葉くんすごいね!ほとんど1人で問いちゃうんだもん」


「…ごめんね。俺ばっかりで、愛奈ちゃんはつまらなかったよね」


「ううん、そんなことないよ!それに、最後の答えの『サクラ』は、難しすぎてわたしには絶対に解けなかったよ」



暇なときに、スマホのアプリの謎解きゲームをよくしているから、そのおかげかもしれない。



「希子と矢吹くん、遅いね」


「うん。苦戦してるのかな」



そうつぶやきながら、出口から矢吹が出てくるのを待っている俺の肩を愛奈ちゃんがたたいた。



「ねぇねぇ!最後のパスワードの『サクラ』で思い出したんだけど、矢吹くんの前の名字って『桜』だったらしいね」


「…桜?そうなの?」


「うん。さっきたまたま聞いて」



矢吹の前の名字があるなんて知らなかった。


矢吹は矢吹だと思っていたから。



「椎葉くんはジュースを買いにいってていなかったときけど、園内を走っていく女の子を後ろからそのお父さんが呼んだの。『サクラ』って」



その『サクラ』というのは女の子の名前だったようだが、同時になぜか矢吹も振り返ったんだそう。



「聞いたら、両親が離婚する前の名字が『桜』だったって話してくれて。それで、反射的に自分が呼ばれたのかと思って体が反応しちゃったんだって」



たしか、矢吹の下の名前は『千冬』だったよな?


ということは、小学生のときの名前は『桜千冬』。



桜…、千冬――。



その瞬間、俺の頭の中をまるで電流が流れるかのようになにかが駆け巡った。


そして思い出されるのは、小学1年生のときの俺の記憶。



手を繋いで俺の隣をいっしょになって駆けているのは、美しい黒い髪を風になびかせる…桜ちゃん。



まさか、俺の初恋の“桜ちゃん”って――。



「お待たせ〜!」



そこへ、リアル脱出ゲームからようやく出てきた高田さんと矢吹がやってきた。



「お疲れさま。けっこう時間かかったね」


「そうなの。あたしも矢吹も暗号系苦手だからさ」



高田さんが矢吹のほうを振り返り、それに応えるように苦笑いを浮かべる矢吹。



「思ったよりも難しかったけど、森さんと椎葉は早かったんだ」


「うん。って言っても、ほとんど椎葉くんが問いてくれたんだけど。ねっ、椎葉くん」


「あ…、う…うん」



愛奈ちゃんが俺の顔を覗き込んでくるが、それに対して俺は適当な相づちしか打てなかった。


なぜなら、今は矢吹のことしか見えていないから。



「それにしても、出てきたらもう日が暮れかけててびっくりしちゃった」



矢吹と高田さんを待っている間に太陽はほぼ西の山に隠れ、空は夜の装いへと変わっていく。


チカチカと色とりどりのイルミネーションも灯り始め、園内は幻想的な風景に。



「寒くなってきたことだし、最後に1つだけ乗って帰ろっか」



高田さんの提案に俺たちはうなずく。



「あたし、どうしても乗りたいやつがあるんだよね。いいかな!?」


「うん、いいよ」



今日は、高田さんのためにあるようなもの。


最後に高田さんが好きなものを乗ろう。



絶叫系が好きらしいから、初めのほうに乗った一番人気のジェットコースターをもう1回乗りたいとかかな?



そう思いながら、愛奈ちゃんの手を引いて先を歩く高田さんの後ろ姿を眺めていた。



「今日1日でいろいろ乗ったけど、ほんと高田さんって元気だよな。見てて飽きない」



俺と同じように高田さんを見つめていた矢吹が言った。



「…そうだな」



俺はきゅっと唇を噛みしめる。



やっぱり矢吹は、高田さんのことが――。



「お〜い、2人とも!こっちこっち〜!」



そう言って、高田さんが向こうのほうで大きく手を振っている。



てっきり、人気アトラクションが並ぶエリアかと思ったが、やってきたのは雑踏から離れた静かな湖畔。


同じ園内とは思えないほど、ここだけゆったりとした時間が流れているように感じる。



夜空が湖に映り、星が散らばっているかのように見える水面(みなも)をいくつものボートが滑っていく。


聞こえるのは、オールで水をかく柔らかな水音だけ。



「高田さんがどうしても乗りたいやつって、このボート?」


「うん、そう」



意外な返事に少しだけ驚いた。



桟橋から暗がりの中見渡すが、ボートに乗っているのはもれなくカップルばかり。


俺たちのような友達同士で乗っているボートはひとつとも見当たらない。



でも、最後にこういうのもアリかもしれない。



船着き場へ行くと、係員さんが待機していた。



「ボートには4人までいっしょに乗ることができますし、2人ずつでも乗れます。どうしますか?」



それを聞いて、高田さんは大きく手を挙げた。



「それじゃあ、4人でお願いします!」



それを聞いて、俺は高田さんを二度見した。


雰囲気からして、ここでも2人ずつに分かれて乗ると思っていたから。



だけど、そうとなると矢吹ともいっしょに乗ることができる…!



「椎葉くん、先に乗ってよ」


「うん、わかった」



高田さんに促され、俺は一番にボートに乗り込んた。



「次に愛奈ね」



高田さんに肩をぽんっとたたかれた愛奈ちゃんが、桟橋からボートへ足を伸ばす。



「愛奈ちゃん、こっち。少しボートが揺れるから気をつけて」


「ありがとう、椎葉くん」



俺は愛奈ちゃんが転けないようにと、とっさに手を差し伸べた。


その俺の手を取った愛奈ちゃんが無事にボートへ乗り込む。



「じゃあ、次は高田さんね」



そう言って、俺が愛奈ちゃんのときと同様に高田さんに手を伸ばしたら、なぜか高田さんはニンマリと笑った。



「あとはお2人でごゆっくり〜♪」



そして、俺たちが乗っているボートを遠くへ押し出したのだった。



「…えっ!?まだ2人とも乗ってな――」


「あたしと矢吹は先に帰るから〜!楽しんできて〜」



高田さんは、今日一番の笑顔見せて手を振ると、隣に突っ立っている矢吹の服の袖を引っ張った。


まるで、「行こう」と言っているかのようだ。



そんな矢吹は、俺たちのボートにずっと視線を向けている。


その表情がなぜか切なそうに見えるのは、暗がりだからそんなふうに感じるだけだろうか。



そうして、高田さんと矢吹は本当に帰ってしまったのだった。



「ま、待って…!どういうこと!?」



俺は2人のあとを追おうとするが、ここがボートの上だということを忘れていた。


バランスを崩し、危うく湖に落ちそうになったところを愛奈ちゃんが引っ張って助けてくれた。



「椎葉くん、大丈夫…?」


「うん…、なんとか」



まったく今の状況が理解できず、すぐさまオールを握り桟橋へ戻ろうとした。


だけど、オールの使い方も不慣れでなかなか思いどおりにボートを操れない。



そうこうしているうちに、ドーン!と心臓に響くような大きな音が聞こえたかと思ったら、夜空に明るい花が咲いた。


遊園地の花火イベントだ。



「うわぁ、きれい〜!ここからだと、ちょうどよく見えるね」



この湖は花火を眺めるには絶好の場所で、愛奈ちゃんはうっとりとした表情で空を見上げる。


だから、せっかくだししばらくの間ボートに乗ることにした。



その間に、俺は少しずつだがボートの漕ぎ方がわかるようになってきた。



「花火、きれいだったね」


「うん。こんな時期に花火もいいね」



15分ほどで花火は終わり、俺は桟橋に向かって漕ぐ。



「それにしても高田さん、どういうつもりなんだろう。自分からボートに乗りたいって言っておいて、俺たちだけ置いてけぼりにするなんて」



矢吹と2人きりになりたかったのなら、初めから2人ずつでボートに乗ろうと言ってくれたら俺も協力したのに。



「…違うの」



すると、向かい合わせで座る愛奈ちゃんがぽつりとつぶやいた。



「わたしが希子に、最後に椎葉くんと2人にさせてほしいって頼んだの」


「え、愛奈ちゃんが?どうして?」


「それは…。今日の遊園地の最後に、椎葉くんに告白しようって決めてたから」



それを聞いて、オールを漕ぐ俺の手が止まった。



「…へ?こ…、告白?」



告白って…なんだっけ?



予想もしていなかった展開に、告白の意味すら理解できないほどに俺の頭の中は混乱していた。



「1年のときから椎葉くんってやさしくていい人だなって思ってたんだけど、2年になって同じクラスになって、ますます椎葉くんのことが気になって――」



…ま、待って。


嘘…だろ?



入学式で一目惚れして、それからずっと好きだった愛奈ちゃんが――。



「椎葉くんのことが好きです。わたしと付き合ってください」



まさか、俺のことを好きでいてくれていたなんて。



星空の下、穏やかな水面に浮かぶ2人だけのボートの上で告白。


こんなロマンチックなシチュエーション、どう考えたって成功フラグしか立たない。



俺がここでひと言「はい」と言えば、晴れて俺は愛奈ちゃんとカップルに。


思い描いていたとおりの、好きな女の子と付き合えて青春キラッキラの学校生活が待っている。



そう。


たったひと言、「はい」と言えばいいものの――。



「…愛奈ちゃん、ごめん」



気づいたら俺は、まったく違う返事を愛奈ちゃんにしていた。



驚いて、言葉に詰まる愛奈ちゃん。


その瞳が涙で潤んでいるように見える。



本当は、愛奈ちゃんにこんな顔はさせたくなかった。



――だけど、愛奈ちゃんに告白されてようやく気づいた。


俺の中の本当の気持ちに。



「俺、好きな人がいるんだ」



だから、自分に嘘はつけない。



あんなに愛奈ちゃんのことが好きだったのに、それをも上回る人に出会ってしまったから。



そいつに、高田さんという好きな人がいるのはわかっている。


この恋は実らないだろうけど、それでも俺はあいつのことが好きなんだ。



だって、おそらく矢吹は俺の初恋の――。



「そう…なんだ……。それなら…、しょうがないね」



そう言って、愛奈ちゃんは微笑んだ。


今にも泣き出しそうな顔をしていたけど、愛奈ちゃんは最後まで涙は流さなかった。



そのとき、コンッと音がしてボートが少し揺れた。


振り返ると、いつの間にかボートが桟橋まで流れついていた。



「おかえりなさい。足元お気をつけくださいね」



係員さんに誘導され、俺と愛奈ちゃんは桟橋へと降りた。



「希子に、ここのシチュエーションなら絶対大丈夫だよって言われてがんばって告白してみたんだけど…。残念っ」



愛奈ちゃんはおどけたように舌をペロッと出す。


いつもと同じように振る舞おうとしてくれる愛奈ちゃんに俺は心が救われた。



「…ほんとごめんね。でもまさか、愛奈ちゃんから告白されるなんて思わなかったよ。だって今日って、そもそも高田さんと矢吹をいい感じにするための企画だよね?」



俺と愛奈ちゃんは、そんな2人の見届人くらいにしか思っていなかったから。



すると、愛奈ちゃんはキョトンとして首をかしげた。



「希子と矢吹くんを…いい感じに?」



その愛奈ちゃんの言葉を聞いて、俺の胸の中がざわつきだす。


とんでもない勘違いをしてしまっていたような――。



「椎葉くん、なんか勘違いしてるよね?2人は、わたしに協力してくれただけだよ」



そしてついに、胸のざわつきが確信へと変わった。



「椎葉くんといっしょに遊んでみたくて希子に相談したら、椎葉くんと仲がいい矢吹くんに聞いてくれて。それで4人で遊ぼうって話になったんだよ」



…なっ。


なんだそれ!?!?



思わず、声を大にして叫びそうになった。



「いやいや、だって…!高田さん最近彼氏と別れたから、それで矢吹を…。矢吹の好きな人っていうのも高田さんだから――」


「希子、今はべつに彼氏を作る気はまったくないらしいよ?矢吹くんの好きな人がだれかは知らないけど、2人の様子を見ていても、その相手が希子じゃないってことは断言できるかな」



そう…なの?


俺は、すでに2人がそういう関係だと思って、今日1日中ずっとモヤモヤしていたというのに。



今日何度も矢吹と高田さんがペアになってアトラクションを乗るところを見てきたけど、それは2人がいっしょに乗りたいというわけではなく、俺と愛奈ちゃんをいっしょにするため――。


度々見かけた矢吹と高田さんのアイコンタクトや妙なやり取りは、そのための合図だったのか。



すると、隣を歩いていた愛奈ちゃんが足を止めた。



「椎葉くん、ここでいいよ」


「え?でも、出口はまだ――」


「希子ね、帰るフリして園内で待っててくれてるの。だから、一番に報告しなくちゃ」



…そっか。


高田さんが、親友の愛奈ちゃんを置いて帰るわけないよな。



俺が愛奈ちゃんの隣にいたところでどうにもならない。


ここは、高田さんが一番適任だろう。



「わかった。それじゃあ、俺は行くね」


「うん、ありがとう」



愛奈ちゃんはずっと笑顔を絶やさない。



「明日からもよろしくね。クラスメイトとして」



そう言って手を振る愛奈ちゃんに、俺は大きくうなずいた。



そして、愛奈ちゃんに背中を向けて歩いていこうとしたとき――。



「椎葉くん!」



突然、愛奈ちゃんに呼び止められた。


すぐに振り返ると、愛奈ちゃんが駆け寄ってきた。



「お節介かもしれないけど、椎葉くんも好きな人にちゃんと気持ち伝えたほうがいいよ」


「…え、でも…俺は――」


「わたし、けっこう前から椎葉くんのことが好きだったんだ。けど、結局勇気が出なくて今になって。もしもっと早くに告白してたら結果は違ってたのかなって、今すごく後悔してるから」



愛奈ちゃんの言うとおり、もしもっと前に愛奈ちゃんに告白されていたら、きっと俺は二つ返事をしただろう。


だけど、それからお互いの状況が変わり今に至った。



「ずっと気持ちを伝えないままのほうが苦しくない…?わたしは、今ちょっとスッキリしてる」



その言葉に、俺は心が動かされた。


俺としたことが、なにチキってたんだろう。



視界を覆い尽くしていた霧が晴れたような。


そんな気がした。



「愛奈ちゃん、ありがとう。俺、行ってくる」



なにかに吹っ切れたような俺の表情を見て、愛奈ちゃんは笑ってうなずいた。



そして、俺は“あいつ”のところへと向かった。



俺は、あいつに話さなきゃいけないことがある。


帰ってからでいいやではなく、今伝えたいんだ…!



――走って、走って、走って。


そして、ようやく見つけた。



今まさに遊園地のゲートをくぐり外に出ようとする、“あいつ”の姿を。



「矢吹!」



俺が後ろから叫ぶと、驚いたように矢吹が振り返った。


そして、一目散に矢吹のもとへ向かうと、俺はコートのポケットに突っ込んでいた矢吹の手を取った。



「ちょっとこっちにこいよ」



そう言って、矢吹を引っ張ってきたの観覧車のそば。


2人きりで話せる場が思いつかなくて、目についたここにやってきた。



空いていたから、すぐにゴンドラに乗ることができた。



「いきなりなんだよ!?…ていうか、なんで観覧車?しかも、森さんは?」


「ごめん、急に。でも、どうしても矢吹と話したくて。あと、愛奈ちゃんには告られたけど振っちゃった」


「はっ!?振った!?…なんで!?」



向かいに座る矢吹が噛みつくように迫ってくる。



「それは…、愛奈ちゃんのことは…好きじゃなかったから」


「好きじゃないって…。そもそも、オレと森さんとを間違って告白してきたやつがなに言ってだよ」


「あのときのことは…ごめん。たしかに愛奈ちゃんのことは好きだったけど、その…、他に好きな人ができたというか…」



俺がそう漏らすと、鋭い視線で矢吹が睨みつけてきた。



「他に好きな人ができただと?…ふざけんなっ!今日だって、オレがどんな思いをして引き受けて――って…いいや、オレの話は」



矢吹は苛立ちを見せながら、ため息をついて足を組む。



「本当によかったのかよ。あんなに好きだったんだろ?森さんこと」


「うん。でも、もう俺の気持ちは愛奈ちゃんじゃないから」


「だったら、だれだっていうんだよ。正直、森さんよりもいい人なんて、他には考えられ――」


「お前だよ」



ゴンドラの中に静かに響く俺の声。


ふてくされたように頬杖をついて外を眺めていた矢吹が、目を丸くしてゆっくりと俺に顔を向けた。



「…は?」



矢吹の開いた口が塞がらない。



「聞こえなかったか?俺が好きなのは、矢吹…お前だって言ってんだよ」



俺のまなざしはまっすぐに矢吹へと向けられる。


それでなにかを読み取った矢吹は崩していた足を戻して座り直す。



「な、なんの冗談だよ」


「冗談じゃねーよ。本気だよ」


「本気…っつったって、どうしてオレなんかを――」


「知らねーよ!気づいたら、矢吹のことが好きになってたんだから!つーか、そもそも俺の初恋はお前なんだよ!だから、また好きになったってなにもおかしくねぇじゃねーか!」



俺は、狭いゴンドラの中でなにを叫んでいるのだろうと思う。



だけど、次から次へと気持ちがあふれ出して――。


自分でもこの感情をどうしたらいいのかわからなかった。



「お前に好きなやつがいるのはわかってる。その恋を邪魔するつもりもない。でも、どうしても俺の気持ちを伝えたかったから――」



その瞬間、俺は強い力で引き寄せられた。


気づいたときには、俺は矢吹の腕の中にいた。



「バカ野郎」



そうつぶやく矢吹の声が耳元に響く。



「…オレに好きなやつ?いるよ。それがお前のことだよ、椎葉」



心臓が震えた。


今までに感じたこともない速さで心臓がドクンドクンと暴れだす。



「てか。さっきの、初恋がオレって話…本当?」


「本当だよ。…好きだったのに、なんで気づかなかったんだろう。なっ、“桜ちゃん”」



俺がそう呼ぶと、はっとしたように矢吹が目を見開けた。


そして、目を潤ませて細くする。



「やっと思い出してくれたんだ…、“がっくん”」



久々に聞く呼び名に、俺は思わずはにかんだ。



俺の下の名前が『岳』ということで、小学生のときは『がっくん』と呼ばれていた。


しかし、その呼び名で呼んでいたのは――ただの1人だけ。



それこそ、黒髪ロングのストレートヘアが美しい桜ちゃんだった。


今そのわけを矢吹に聞くと、病気のおじいちゃんのためにヘアドネーションで髪を伸ばしていたのだそう。



当時の矢吹の見た目や、“桜”というのが名字ということも忘れて“桜ちゃん”と呼んでいたという記憶で、俺の中で勝手に桜ちゃんは“女の子”だと長年思い込んできた。


しかしそれは、当時『桜千冬』という名の矢吹のことだった。



ただ言えるのは、どちらにしてもその頃の俺は桜ちゃんのことが好きで、今の俺は矢吹のことが好き。


名前は違っても、今も昔も俺の好きな人は矢吹だったんだ。



「見た目に偏見なくオレにやさしく接してくれた椎葉のことが忘れられなくて、転校してからもずっとお前のことが好きだった」


「もしかして、矢吹の初恋も…俺?」


「当たり前だろ。オレ、初めからお前しか見てねぇよ」



矢吹には好きな人がいるものだと思い込んでいた。



『その人にはすでに好きな人がいるし。だから、オレは見ているだけでいいから』



あのときの言葉は、愛奈ちゃんのことを好きな俺のことを意味していた。



たしかに、矢吹との始まりは愛奈ちゃんと間違って告白したところから始まって――。


2年になって同じクラス、同じ部屋で俺のことを見てきたんだから、俺が愛奈ちゃんを想ってるってことは痛いくらいにわかってたよな。



「今日だって高田さんに頼まれて協力してたけど、正直…森さんと2人でいる椎葉は見たくなかった」



…矢吹もそんなことを。


実は俺と同じ気持ちだったんだ。



「でも、オレにとっては椎葉といっしょに出かけることには変わりないから。地味なオレじゃなくて素のオレで行きたかった」



そうだったんだ。


てっきり高田さんのためにオシャレをしてるのかと思っていたけど、本当は俺のためだったなんて。



「だけど、椎葉もオレを好きでいてくれたとか…。未だに信じらんねぇ」


「俺だってそうだよ。てか、お前じゃなきゃダメなんだよ」



矢吹以外のやつなんて、もう考えらんねー。



「ただ両想いとか経験ないから…、どうしたらいいのか困ってる」



うれしさはもちろんあるが、同時に戸惑いと緊張もあって勝手に手が震える。


そんな俺の手をそっと矢吹が自分の手で包み込んだ。



「いいんじゃね?これまで通り、フツーで」


「…いいのか?そんなので」


「いいんだよ。オレはありのままの椎葉が好きだから」


「そんなのずりーよ!俺だって今の矢吹が好きだし、でもでも、地味系矢吹もちゃんと好きだし!」



必死に説明する俺を見て、矢吹が笑みをこぼす。



「ハハッ、なんの張り合いだよ」


「なんだろな?相手のこと、どれだけ好きか選手権?」


「それなら、優勝はオレだな」


「…なっ!俺だって負けるつもりはねーよ!」



自分でもなにを言っているのだろうと思う。


だけど、矢吹とじゃれ合うこのゴンドラの中は、おそらく今この瞬間の地球上において最もハッピーな空間であることは間違いない。




俺の青春、思っていたのとなんか違ったけど――。



好きな人と両想いになれたんだから、終わりよければすべてよし。


でいいよな。




Fin.

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