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そんな裏の顔があるだなんて聞いてない!

それから1ヶ月がたった。


矢吹との寮生活は可もなく不可もなく、ただただ平凡な毎日だった。



部活もしていない俺は、授業が終わればクラスメイトに誘われたら遊びにいくし、なにもなけれなそのまま寮に帰る生活。


矢吹も帰宅部で、俺と違って友達という友達はいないようだから、てっきりまっすぐ寮に帰っていると思っていたが、…どうやらそうでもないらしい。



部屋に戻っても、矢吹がいないことが度々あった。


土日も毎週のように外出している。



それも決まって夕方から。


そして、門限ギリギリの夜10時前に帰ってくる。



初めは気に留めていなかったが、あまりにも外出の頻度が高いから思いきって矢吹に聞いてみると、意外にもバイトをしているのだとか。



矢吹がバイト…?


正直想像がつかなかった。



見た目はこんなだし、人と話すのは得意じゃなさそうだから、接客業ではないだろう。


となると、商品の品出しとか、工場での作業とかの目立たない仕事か?



まあ、どっちにしても俺には関係ないけど。



寮での生活はそんな感じで、新しい2年1組のクラスは順風満帆だった。


朝起きるのがつらくても、愛奈ちゃんが同じクラスにいるというだけでパワーがみなぎる。



朝礼のチャイムが鳴るまでの朝の時間、クラスの男友達と話しながら愛奈ちゃんを横目で見ていた。



今日の愛奈ちゃんもかわいいな。


でも、なんだか少し元気がないようにも見える。



「愛奈、どうした?体調でも悪い?」



愛奈ちゃんがいつもと違うことに、愛奈ちゃんと1年のときから同じクラスの親友、高田さんが声をかけた。



希子(きこ)、おはよ〜。体調は全然普通なんだけどね」


「じゃあ、なにかあった?」



高田さんの問いに、愛奈ちゃんは視線を落とす。



「…うん。昨日…ピーちゃんが逃げちゃって」


「えっ、ピーちゃんが!?」



どうやら、愛奈ちゃん家のペットのオカメインコが鳥かごから外へ逃げてしまったようだ。


愛奈ちゃんが10歳の誕生日に両親からプレゼントされたらしく、家族同然なのだとか。



…そりゃ、突然家族がいなくなったら落ち込むよな。



「今頃ピーちゃん、どこでなにしてるのかなとか、こわい思いしてないかなとか考えたら…心配で心配で」


「…そうだよね。ピーちゃん、無事に帰ってきてくれるといいね」



一応、目印として右足にピンクの足環をしているらしいが、飛んでいった鳥を見つけるというのは…ほぼ絶望的だろう。



笑顔がかわいい愛奈ちゃんが、あんなに落ち込んでいる。


その姿を見ているだけで、俺は胸が痛かった。




「椎葉ってさ、ほんと森さんのこと好きだよな」



その日、寮の部屋に戻ると、ベッドで寝転がってマンガを読んでいた俺に、下から矢吹が話しかけてきた。


今日はバイトがないのか、めずらしくずっと部屋にいる矢吹。



「…い、いきなりどうしたんだよっ」


「いや、今日も椎葉は森さんのことばかり見てるなって思って見てたから」


「“今日も”って…、そんなストーカーみたいなことしてねーよ」



ムスッとして俺がロフトの柵から身を乗り出して反論すると、同じようにベッドに寝転がってスマホをいじっていた矢吹がクスッと笑ったのが見えた。



「それに、今日は愛奈ちゃんが落ち込んでたから余計に気になって」



と言い訳も付け加えておく。



「いいんじゃね?無意識に好きな人を目で追うのは、仕方のないことだと思うし。オレもそうだからわかる」



“わかる”って、…もしかして矢吹も今好きなやつがいたりするのか?



「森さんのどこが好きなんだよ?」


「…えっ!…えっと、その〜…。入学式のときに、一目惚れ…したんだよな。たぶん俺、黒髪のストレートのロングヘアがタイプみたいで」



思い返せば、これまで好きになってきた女子はみんなそんな感じの髪型だった。


サラサラとなびく黒髪ストレートは男の憧れというか。



たしか…、(さくら)ちゃんがそうだった。



桜ちゃんとは、小学1年生のときの俺の初恋相手。



桜ちゃんはすぐに転校してしまったが、それまでは頻繁にいっしょに遊ぶ仲だった。


桜ちゃんの前だと、気取らず自然体でいられてとても居心地がよかったのを今でも覚えている。



その桜ちゃんが、きれいな長い黒髪をしていた。


どうやら俺のタイプは、その頃からブレていないらしい。



でもまさか、矢吹と恋愛の話をするとは思ってもみなかった。


矢吹だって、見た目からして今まで彼女がいた経験はなさそうだし。



同じぼっちの矢吹に共感されたところで、それほどうれしくもない。



そういえば、さっきの矢吹の言葉――。



『今日も椎葉は森さんのことばかり見てるなって思って見てたから』



“今日も”、“見てたから”…?


それって、矢吹が俺のことを?



でも、なんで?




次の日。



今日は、10年近く集めているマンガの新刊の発売日。


前回の発売日から半年ぶりで、めちゃくちゃ気になるところで終わっていたから、この日をどれだけ心待ちにしていたことか。



俺は、授業が終わると走って学校を出た。


そのとき、校門を過ぎたところで矢吹を追い越した。



寮にも戻らずどこかへ行くということは、あいつ…今日はバイトか?



その瞬間だけ矢吹を気にかけたくらいで、俺は急いで駅前の書店へと向かった。



お目当てのマンガの新刊をゲットし、上機嫌で書店を出た。


そのとき、俺の顔の前をなにかがかすめていく。



驚いて足を一歩後ろへ引き、なんだったのかと思って慌てて目を向けると――。



歩道に路駐された自転車のハンドルに、1羽の黄色い小鳥が留まっていた。


頬を赤く染めたようなかわいらしい小鳥。



俺でも知っている。


あれは、オカメインコだ。



でも、オカメインコが野生でいるはずがない。


しかもよく見ると、右足にピンクの足環をしていた。



『昨日…ピーちゃんが逃げちゃって』



昨日の愛奈ちゃんの話を思い出し、足環の特徴もピーちゃんといっしょ。



今俺の目の前に、愛奈ちゃんがずっと心配しているピーちゃんがいる。


このまま見過ごすことなんてできない。



「…あっ!ま、待て!ピーちゃん!」



俺は飛んでいくピーちゃんを追った。



ピーちゃんは空高く飛んでいくことはないものの、まるで俺を嘲笑うかのように通りを右へ左へと曲がっていく。


そして、気づけば俺は見知らぬ路地に迷い込んでいた。



「どこだ、ここ…」



周りは古びたビルに囲まれていて、薄暗くて気味が悪い。


さらに最悪なことに、ここへきてピーちゃんを見失ってしまった。



せっかく、あと少しでピーちゃんを捕まえられるところだったのに…。



唇を噛み、スマホに目をやると【18:14】と画面に表示されていた。



日の入り前のこの時間で、ただでさえ普段から太陽の光が差し込みづらそうなこの場所には街灯もなく、さらに暗く感じた。



タバコの吸い殻や空き缶が所々に落ちていて、雰囲気もよくない。


後ろを振り返ると、大通りの街灯の明かりが漏れていた。



…仕方ないけど、こんなところ早く出よう。



そう思って、迷路の出口のように見える大通りからの明かりに向かって歩いていくと――。



「あっれー?こんなところにだれかいるー」


「ほんとだっ。てっきり野良猫かと思ったら」


「この辺りでは見ない顔だな」



もう少しで大通りに出られるというところで、脇道からぬっと3人の男が出てきた。


3人ともたぶん俺より年上で、オーバーサイズの服の上からでもわかるくらいに体格がいい。



「兄ちゃん、どうした?迷ったか?」



1人の男が俺の顔を覗き込んできた。


鼻にも口にも輪っかのピアスがついている。



「だったら、オレたちが道案内してやるよ〜」


「そうそう。オレたち、やさしいから」



3人に周りを囲まれて、俺は恐怖でその場に固まった。


3人ともタバコ臭くて、思わず息を止める。



「…あ、あの。ご親切にしていただきうれしいのですが…、道案内といっても…もう目の前が大通りなので――」


「あぁ!?なんか言ったか?」



突然1人の男が顔をしかめて俺に詰め寄ってきた。


それに俺の驚いて、俺の額から一気に嫌な汗が吹き出す。



「えっと…、どうかここは穏便に…」


「穏便にって、せっかく親切にしてやってんのに、それを無碍にしようとしてんのはお前のほうだろうがっ」


「お前、オレたちにケンカ売ってんのか!?あぁ!?」



…ひぃっ!!


こ…こわすぎる…!!



完全によくない人たちに絡まれてしまった。


しかし、俺にはここから逃げ出す術が思いつかない。



「す、す、すみせん…。ボク、そろそろ寮に帰らないといけなくて…」


「寮だぁ!?」


「はっ!そんなに帰りたいのかよ?」



その質問に対して、俺はブンブンと首を縦に振る。



「だったら、帰してやってもいいぞ」


「えっ…」


「その代わり、もらうもんもらってからな」



ニヤリと口角を上げて、男たちが俺にイヤな視線を向ける。


そして、一斉に俺の前に手を差し出した。



「ほら、よこせ」


「よ…よこせ、とは…」


「はぁ?そんなの、金に決まってんだろ」


「お前の手持ち金、すべてオレたちにくれるなら帰してやるよ」



…な、なんということだろうか。


これが俗に言う“カツアゲ”というやつだ。



しかし、昨日お小遣いをもらったところ。


それにこのお金は、父さんと母さんが一生懸命に働いて稼いだお金。



今会ったばかりのこの人たちに渡すわけにはいかない…!



「…すみません。それだけは無理――」



勇気を振り絞ってそう口にした瞬間、俺の左頬に頭まで響くような鈍い衝撃が走った。


そのまま地面のよろけながら倒れて、落ちていた鏡の破片を見てようやく理解した。



左頬が赤く腫れている。


同時に患部が熱くなって、ヒリヒリとした痛みを伴う。



…俺、殴られたんだ。


これまで殴られたことなんてなかったから初めての経験だけど…、フツーに痛い。



「うっせぇ!口答えしてねぇで、さっさと出しやがれ!!」



俺に対する怒鳴り声が、殺風景な路地に反響する。



「あ〜あ。いきなり殴っちゃうなんてかわいそう」


「でもまあ、こいつ短気だから、早く言うこと聞いておいたほうが身のためだよ?」



他の2人の男が、地面にへたり込む俺の前にしゃがみ込む。



…こ、こわいっ。


俺はただ、ピーちゃんを追ってここに迷い込んでしまっただけなのに。



それが…、どうしてこんなことに。



「おい、てめぇ…聞こえてんのか?さっさと出せって言ってんだよ!」



俺を殴った男がズカズカと俺に歩み寄る。



こんな状況、もう俺にはどうすることもできない。


それなら、さっさとお金だけ渡して逃がしてもらうほうがいいのだろうか。



「いい度胸だな…。シカトか?ああ!?」



殴ってきた男が俺の胸ぐらをつかみ、無理やり地面から引っ張りあげる。


絶体絶命のピンチに、俺は声を発することもできずにいた。



「…聞き分けのわりぃガキだな。どうやら、もう一発殴られてぇみたいだな」



男が握り拳をつくり、それを大きく振りかぶる。


それを見た無抵抗な俺はギュッと目をつむり、奥歯をぐっと噛みしめた。



――そのとき。



「てめぇ…。なにしようとしてんだ、コラァ!!」



まるで心臓までをも揺らすかのような野太い声が、突然路地に響き渡る。



俺は驚いて目を向けると、大通りからの明かりを背中に受けた黒い人影がこちらに向かって走ってくるのが見えた。


そして、そのまま俺の胸ぐらをつかんでいた男の脇腹に飛び蹴りを食らわす。



男は飛び蹴りの衝撃で俺から手を離すと、水切りの石のようにバウンドして吹っ飛んでいった。



「お…おいっ!」


「なにやってんだよ!」



残りの2人の男たちは、慌てて飛んでいった男のもとへ駆け寄る。



「す、すげー…」



その光景に、俺は口がぽかんと開いた。


恐怖で手も足も出なかった俺と違い、あんな大柄な男に蹴りを食らわすだなんて。



「大丈夫か!?」



見上げると、黒のタンクトップに白いシャツを羽織った男が立っていた。


新たな男の登場に、俺の思考がついていけない。



ただ言えるのは、どうやら俺を助けてくれたようだ。



「あ…、は…はい。なんとか大丈夫です…」



安心で表情が緩んだ瞬間、左頬の痛みにとっさに顔が引きつった。



「おいっ。大丈夫って、…殴られてるじゃねぇか!」


「ま…まあ、一発だけですし」



同じ男なのに情けない姿を見られ、痩せ我慢でハハハと笑ってみせる。


すると、白シャツの男の表情が変わった。



「…ぜってぇ許さねぇ」



ゆっくりと長い前髪をかき上げると、現れた鋭い瞳で不良3人組を睨みつける。


さらに、なにかを発しているわけでもないのに、ビリッとピリついた空気間を俺は肌で感じ取った。



「てめぇ…、よくもやってくれたな」



殴られた男が手に膝をついて立ち上がる。



「正義のヒーローにでもなったつもりか?まずはお前からだ」


「まったくバカなやつだよ。わざわざ自分から殴られにくるなんて」


「おい、わかってんのか?こっちは3人。オレたちのほうが有利に決まってんだろ」



たしかにあいつらの言うとおりだ。



相手はガタイのいい男が3人。


なのにこっちは、俺は戦力外だし…実質1人だけ。



どう考えたって、あいつらに勝てるわけがない…!



「も…もういいよ!俺のせいで、赤の他人を巻き込むわけには――」


「お前はそこで黙って見てるだけでいいんだよ。すぐに方を付けてくっから」



白シャツ男は、そう言って俺に微笑みかけた。


まるで、窮地から救い出してくれる王子様のような振る舞いに、思わず俺の胸がドキッと鳴った。



…なんだこのイケメン。



「悪いけど、これだけ預かってほしい」



そう言って手渡されたのはエコバッグ。


買い物帰りなのだろうか、ずっしりと重みがある。



白シャツ男はポキポキと指を鳴らすと、羽織っていたシャツを脱ぎ捨てた。


そこで露わになる、鍛え上げられて引き締まった両腕。



左腕の手首から肘にかけて、まとわりつくようなデザインの入れ墨がゴリゴリに入っていた。


なんかそれだけで、めちゃくちゃ強そうなオーラが漂う。



――その後の勝負は一瞬だった。



3人相手だろうと関係なく、白シャツ男はあっという間に不良たちを蹴散らしてしまった。



突然現れた俺のヒーロー。


しかし、絵に描いたようなキラキラした雰囲気ではなく、両耳にいくつものピアスをつけた気だるげなダウナー系男子。



俺に絡んできたあの3人も大概不良だったけど、よくよく考えたら白シャツ男はあいつらよりも見た目はワル。



俺、なんか…ヤバイやつらに関わってしまったとか!?



で…でも、ひとまず助けてもらったお礼を言わないと。


あと、預かったエコバッグも返さないとだし。



「す、すみません…!助けていただき――」



そう言いながら俺が駆け寄ると、なぜか白シャツ男は俺を睨みつけてきた。


その眼光は俺の瞳を貫くようにまっすぐ向けられ、その場に固まってしまった俺のところへ白シャツ男が足早にやってくる。



「なんで1人でこんなところにきたっ!!」



耳をつんざくような怒鳴り声に、俺は頭の中がぐわんぐわんと揺れた。



な…なんか、俺…怒られてる?


どうして、初対面の人なんかに――。



「この辺りはなぁ!さっきみたいなやつらが縄張りにして、そのへんをウロウロしてんだよ!あんなザコじゃなくて、もしもっとヤベーやつらに出くわしていたらっ…」



そう言って、白シャツ男は唇を噛んだ。



「…でも、無事でよかった。もしお前になにかあったら、オレは…」



そのとき、一瞬白シャツ男の目が潤んだように見えた。


だけど、初対面の俺なんかにそこまで感情移入するだろうか。



白シャツ男は目元を隠すようにして、かき上げていた前髪をくしゃくしゃにして下ろした。



それを見て、…はっとした。



まったく雰囲気が違ったから気づかなかったが…。


見覚えのある、そのくしゃくしゃボサボサの黒髪――。



「…もしかして、矢吹?」



半信半疑で俺が尋ねると、白シャツ男の口角が少しだけ上がった。



「今頃気づいたのかよ」



その声に、まるで俺の体に雷が落ちたかのような衝撃が全身を駆け巡った。


さっきまではテンパってそれどころじゃなかったが、冷静になって聞いてみたら矢吹の声だ。



「で、なんで椎葉がこんなところにいるんだよ」


「え…えっと、ピーちゃんを見かけて…」


「“ピーちゃん”?」


「そう、愛奈ちゃんのところのインコ。捕まえようと思って追いかけたら、気づいたらこんなところに…」



その俺の話を聞いて、「はぁ〜…」と重いため息をつく矢吹。



「そ、それよりも…!矢吹…その格好」



この前、意外と矢吹の体が引き締まっていることを知ったが、黒いタイトなタンクトップを着ている今のほうが筋肉質な上半身がさらに際立って見える。


それに、左腕のその入れ墨…。



「まあ聞きたいこともいろいろあるだろうけど、まずは椎葉の手当てが先だ」


「…手当て?」


「ここ」



そう言って、矢吹が俺の左頬を人差し指で軽く突つく。


その瞬間、波紋のように痛みが顔全体に広まった。



「……ッ…!!」



…そうだった。


俺、殴られてたんだった。



「早く冷やさないとな」


「いいよ。寮に帰ってから適当に冷やすから」


「それじゃ遅いだろ。オレのバイト先、この近くだから」



矢吹は、片手にエコバッグ。


そしてもう片方の手で俺の手首を握ると、半ば強引にバイト先へと連れていった。




矢吹はそこから歩いて数分のところにある歓楽街へと入っていった。


たくさんの居酒屋が並び、俺は馴染みのない場所に辺りをキョロキョロと窺うが、矢吹は慣れた調子で通りを進んでいく。



そして、とあるビルの地下1階へと続く階段を下りていく。



「矢吹、ここって…」


「いいから、いいから」



さっきから矢吹は俺の手首を握ったままで離してくれそうにない。


ごくりとつばを飲み込んで、俺は矢吹のあとに続いた。



「戻りましたー。遅くなってすみません」



そう言って、下り階段を下りてすぐの店のドアを開ける矢吹。



ドアの先には、ぼんやりと温かみのあるオレンジの光に包まれた長細い空間が広がっていた。



L字型のカウンターに、そのカウンターの中の棚にはぎっしりと並べて置かれた酒瓶の数々。



「ここが、矢吹のバイト先…?」


「ああ。バーテンダーの見習いしてんだ」



矢吹はそれだけ言うと、1人でカウンターの中へと入っていった。


俺は初めてのバーに呆然として、ただただ入口で突っ立っているだけ。



矢吹のやつ、てっきり地味で目立たないようなバイトをしているのかと思っていたら…。


めちゃくちゃオシャレすぎて度肝を抜かれた。



「おう、戻ったか」



すると、カウンター奥のドアからだれかが出てきた。



黒シャツに黒のズボン、腰に黒のロングエプロンをかけた全身真っ黒の男の人。


だからか、ブリーチでキンキンに染められた金髪がまぶしく見える。



「遅かったな。なんかあったか?」


「学校の友達が、変なやつらに絡まれているのをたまたま見かけて」



矢吹がそう言うと、金髪の男の人が俺に視線を向けた。



「ああ、なるほど」



なにかを悟ってくれたのか、金髪の男の人はニッと歯を見せタバコの煙を吐く。



「マスター、氷もらいます」


「構わねぇよ」



氷を詰めた袋を持った矢吹が歩み寄ってきたかと思ったら、突然俺の左頬にその袋を押し当てた。



「冷たっ…!!」


「それくらい我慢しろ」


「だ、だって…」



俺は渋々矢吹から氷の入った袋を受け取る。



「オレ、ちょっと着替えてくるから。しばらくそれで冷やしておけよ」



矢吹はそう言うと、金髪の男の人――マスターが出てきた奥の部屋へと入っていった。


ぽかんとその場に立ち尽くす俺。



「まあ、座れよ」



マスターに促され、俺は緊張した面持ちでカウンター席へと座った。



な…なにか頼んだほうがいいのだろうか。


でも、バーって酒を提供するところだよな…?



そんなふうに思っていることが顔に出ていたのか、マスターがクスクスと笑う。



「痛みが引くまでゆっくりしていったらいいから。まだこの時間は客もこないだろうし」


「あ…はい、ありがとうございます」



マスターはとりあえずお冷を俺の前に出してくれた。



「このへんを歩くなら気をつけたほうがいいぞ。1本通りを逸れただけで、雰囲気がガラッと変わるからな」


「そう…みたいですね」


「店の買い物で外に出してたが、偶然あいつが通りかかってよかったな。あいつなら、この辺りの不良くらい簡単にのしちまうから」



…えぇ、矢吹ってそんなに強いのか!?


まあ…たしかに強かったけど。



でも…、俺が知るもやし(と思っていた)矢吹からでは、未だに信じられなかったりする。



「ちなみにおれは、昔この辺りを牛耳っていたちょっとしたワルだったからな。いくらあいつが強くたって、おれのほうが上だぞっ」



マスターは自慢げに腕を曲げて、力こぶを見せつける。


シャツの上からでもマッチョなのがわかる。



それに、首筋に入れ墨がチラ見えしているから、おそらく全身に入っているような気がする。


もうそれだけで、ゴリゴリ強そう。



矢吹も、まさか左腕にあんな入れ墨が入っているとは思わなかった。


シャツや体操着が年中長袖だったのは、入れ墨を隠すためだったのか。



「そういや、あいつの友達なんだって?」


「…そうっすね。友達というか、寮で同じ部屋のルームメイトで」


「へ〜、ルームメイトね〜…」



マスターは頬を緩ませ、なぜか含み笑いをする。



そのとき、ドアが開く音がした。


現れたのは、マスターと同じ全身黒の服装に身を包んだ矢吹。



前髪をかき上げ、さっきよりもセットされたオールバックの髪型から覗かせる耳には複数の形の違うピアスがついていた。


普段はボサボサの髪で耳が隠れてしまっているけど、本当はあんなにたくさんのピアスが…。



年中長袖の矢吹だが、黒シャツを腕まくりした左腕には黒い入れ墨。



学校の雰囲気とまったく違う矢吹の姿に、思わず俺は口がぽかんと開いた。



…いやいやいや。


別人すぎるだろ、…これ。



「お前…、本当に矢吹か?」



放心状態の俺の声に反応して、チラリと視線を向ける矢吹。


そして、照れたようにはにかんだ。



「なに言ってんだよ、オレだよ。でも、周りには秘密にしてたから…。椎葉に見られて、ちょっと恥ずかしかったりもする」



なんだか矢吹の頬が赤くみえるのは、オレンジ色の店の照明のせいだろうか。


それとも――。



「せっかくだから、お友達になにか作ってやれよ」


「え、いいんすか?」


「ああ。お前の腕前も見ておかないとだしな」


「ありがとうございます!」



マスターにお辞儀すると、矢吹はさっそく準備に取りかかった。



「椎葉、苦手な飲み物とかあったりする?」


「べつに…、ないとは思うけど」


「了解」



矢吹は、迷うことなく次々とボトルを手に取るとシェイカーの中に注いでいく。


そして、そのシェイカーをリズミカルに振りだした。



心地よいシェイカーの音に、伏し目がちな矢吹の表情がこのバーの雰囲気とマッチして、どこか色っぽさをかもし出している。



矢吹はシェイカーからグラスに注ぐと、それを俺の前に滑らせるようにして差し出した。


出てきたのは、透明の炭酸水の中に薄くスライスされたレモンとミントが浮かぶドリンク。



「お待たせ。モヒート風はちみつレモン」



それを聞いて、俺はグラスの中を覗き込んだ。



モヒートって、たしかカクテルの名前だよな…?



「矢吹、これって…」


「心配すんなって。ジュースだよ」



俺が言おうとしたことがわかったのか、すぐに矢吹が付け加えた。



よかった、酒じゃないのか。



「それじゃあ、いただきます」



安心した俺はさっそくひと口飲む。


すると、レモンとミントの香りが口いっぱいに広がった。



はちみつだから甘ったるいかと思ったが、炭酸水とレモンが調和して飲みやすい。


それに、ちょこんとのったミントが爽やかでいいアクセントになっている。



「おいしいよ、矢吹!」


「そうか?それならよかった」



矢吹は白い歯を見せて笑った。



その表情を見て、はっとする。


矢吹って、こんなふうに笑うんだと。




「ごちそうさまでした」



俺は空になったグラスを矢吹に差し出す。



「で、お会計なんだけど…。俺、今二千円くらいしか持ってないんだけど…足りるかな?」



おずおずとリュックから厚みのない財布を取り出す。


すると、なぜかマスターが大笑いした。



「椎葉くん、そんなことしなくていいよ!これは店からのサービスだから」


「でも…」


「それに、こちらこそこんなバーテン見習いのドリンクを提供しちゃってごめんね〜。こんなので、お金なんて取れないよ」


「ちょっとマスター、“こんなの”って…」


「だってそうだろ?ちょっとオシャレジュース作れたからって威張んなよ」



マスターに言い負かされ、ムスッと少し頬を膨らませる矢吹。



「椎葉、そういうことだから。それに友達から金は取らないよ」


「そうそう。あと数年後、椎葉くんが酒飲める歳になったら客としてきてくれよな」



こんなおいしいものをいただいたのに、本当にいいのかな。


と思いつつも、マスターと矢吹がそう言ってくれるならと思って、俺は財布をリュックにしまった。



「そうだ、千冬(ちふゆ)。今日はもう上がっていいぞ」


「え、もう?」


「ああ。椎葉くんといっしょに帰ったらいいから」


「でもオレ、今日まだ全然働いてないっすけど…」


「おれがいいって言ったらいいんだよ。それにほらっ、椎葉くんがまたさっきと同じやつらに逆恨みで絡まれないとも言い切れねぇし」



マスターの言葉に、矢吹はチラリと俺のほうを振り返る。


その表情はどこか不安そうだ。



「わかりました。じゃあ、今日は上がらせてもらいます」



矢吹はそう言うと、奥の部屋へと着替えに行った。



少しすると、俺と同じ制服姿の矢吹が出てきた。


その格好は、いつもよく見るボサボサ髪のダッサイ矢吹に戻っている。



「じゃあ、椎葉くん。よかったら、また遊びにきてよ。酒は出せないけど」


「はいっ、ありがとうございます」


「千冬、次のシフト明後日だから。よろしくな」



――“千冬”。


今まで気にしたことなかったけど、矢吹の下の名前って千冬だったんだ。



その名前の響き、どこか懐かしい気がするんだけど――。



「……ば!…椎葉!」



突然、俺を呼ぶ声が聞こえてはっとする。


隣を見ると、歓楽街を並んで歩く矢吹が俺の顔を覗き込んでいた。



「話聞いてた?」


「…ごめん、ぼうっとしてた」



それを聞いて、呆れたように笑う矢吹。



「お願いがあるんだけどさ、このこと…だれにも言わないでほしいんだ」


「“このこと”って?」


「オレが…、外ではあんな感じなこと」



“あんな感じ”とは、細マッチョでケンカが強くて、イケてる髪型でそれが似合うイケメンで、入れ墨やピアスがゴリゴリのダウナー系男子だったってことだよな…?



「マスターから聞いたけど、あっちが素の矢吹なんだよな?断然あっちのほうがモテるって!」


「そんなのいらねぇよ」


「なんで!?」



実はダウナー系イケメン男子だったって女子が知れば、みんな矢吹に対する見る目が一変すると思うけど。



女子だけじゃない、男子だってそうだ。


マッチョでケンカが強いとか、男の憧れだろ。



しかし、矢吹はそんなことは一切望んでいないらしい。



聞くと、中学生のときはそれで大失敗をしてしまったと話す矢吹。


矢吹のイケメンっぷりが学校中に知れ渡り、常に女子たちに囲まれて大変だったとか。



そもそも女子は苦手らしく、目立つことも苦手は矢吹は、青峰高校では素の自分を隠し地味男子を装っていた。



「それに、周りからモテたいんじゃなくて、オレは…1人の人だけに見てもらいたいから」



そう言って、矢吹は俺のことをじっと見つめる。



なんだ…?この展開。


まるで、矢吹の好きなやつが俺みたいな――。



って、なにおかしなこと考えてんだ、俺は。



とにかく、矢吹は素の自分は好きな人の前だけに留めておきたいってことだな。



そんな大切なこと、俺が知っちゃってよかったのかな。



「だから…。オレの秘密、みんなには内緒な」



ウインクしながら口元に人差し指を立て、はにかんで笑ってみせる矢吹。


一度素の矢吹を知ってしまった俺からすると、たとえ地味な格好だったとしても、もうなにをやってもイケメンにしか見えない。



「お、おう…!絶対だれにも言わない」


「ありがとう、椎葉。2人だけのヒミツってことで」



――“2人だけのヒミツ”。



矢吹がめちゃくちゃイケメンだっていうことは、周りは知らない。


俺だけが知っている矢吹の…本当の姿。



そんなことを考えたら、秘密の共有になぜだか胸がドキドキした。



「そうだ、矢吹。連絡先、聞いてもいいか?」


「…えっ」



俺の何気ない問いかけに、驚いたように大きく目を見開く矢吹。



「あ、ごめん…。無理にとは言わないんだけど、その〜…また今日みたいなやつらに絡まれたときに助けてほしいな〜、なんて」



でも、そんなことのために矢吹の連絡先を聞こうとするなんて虫がよすぎるか。


矢吹からしたら便利屋じゃねぇんだから、男ならそれくらい1人でなんとかしろって話だよな。



「わりぃ…!やっぱり、今の話はナシで――」


「…したいっ」



そのとき、隣から語尾の強まった返事が返ってきた。



「え?」



キョトンとして顔を上げると、頬を赤くし恥ずかしそうに俺に視線を向ける矢吹と目が合った。



「オレも…、椎葉と連絡先交換……したい」



やっとのことで声を絞り出す矢吹。


その姿がなんだかかわいくて、思わず俺は頬が緩んだ。



その日、俺たちは初めて連絡先を交換した。




ピーちゃんを追って変な路地に迷い込み、そこで不良に絡まれ殴られてしまった俺。



「椎葉くん、顔どうしたの?」


「あ〜…、ちょっと猫に引っかかれちゃって。…ハハハ」



次の日、驚いたように目を丸くして俺の顔を覗き込んできた愛奈ちゃんに、俺は笑いながらそう答えた。



ピーちゃんを見つけたけど捕まえられなかったなんて話したら、愛奈ちゃんを糠喜びさせるだけだし。


それに、無抵抗で不良に殴られたなんて…男として恥ずかしいし。



その後、何事もなかったかのようにピーちゃんが戻ってきたそうだ。



自分で家に帰れるなら、あのとき俺が必死になって追いかけて、挙句の果てに変なやつらに殴られた意味が…。


とも思ったが、愛奈ちゃんのためにと思って負った傷だから、名誉の負傷だと思っておく。



この傷のわけを知っているの矢吹だけ。


そして、そのときの矢吹の本当の姿を知っているのも――俺だけ。

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