73.セルフィシュ国での名前
今日もエルノノーラは朝から仕事が入ったようだ。
機嫌の悪そうなエルノノーラを「行ってらっしゃい」と送り出し、今日もルシールはセルフィシュ国で授業を受ける事になった。
今はセルフィシュ国の文化や歴史を学ぶ授業中だ。
「先生。セルフィシュ国では家名は名乗らないのですか?」
「そうだ。この国は『家』で権力が続くのではなく、『個人の力』で権力を勝ち取るものだからな。家名など何の意味もない。役職名や仕事先が家名の代わりになるな。
この執務室の者達も、『側近のライナート』『勇者レオ』『護衛のエルノノーラ』と呼ばれているだろう?」
今日のルシールの教師となったカルヴィンが答える。
「でも……先生は第一王子様ですよね。第二王子様とか第三王子様とか、王様にも側近や護衛の方はいらっしゃいますよね?
『側近の』とか『護衛の』では分かりにくいのではないですか?もし同じ名前の方が、同じ職場にいる場合はどうやって区別するのでしょうか?」
「同じ名前の者がいるくらいで困る事はないな。
……というより、それで困る者は実力不足ということだ。
たとえば『護衛のエルノノーラ』という名の者が二人いたとして、一番強い者が『護衛のエルノノーラ』次に強い者が『二番手護衛のエルノノーラ』と名乗るとなると、『ニ番手』とまで言われるくらいなら、新たに名前を変えるだろうからな。同じ場所で名前に困る事はまずないだろう。
エルノノーラは護衛としては一番の実力者だし、『護衛のエルノノーラ』でどこに行っても通じる。
私にしても、確かに私は第一王子だが、わざわざ私を「第一王子」と呼ぶ者はいないだろう?
それは王子中で―――というよりこの城の中で私が最も力を持つ者だから、通常王子と呼べば私の事を指すんだ」
セルフィシュ国の呼び名事情も、実力重視の世界だった。
『なるほど』とルシールは頷く。
力が全てのセルフィシュ国らしい考え方だが、それなら自分はこの国で改名を迫られる日が来るのかもしれない。
「先生。じゃあ私はいつか『執務室にいるルシール』と名乗れなくなっちゃうかもしれないですね……」
「執務室?ルシール嬢は、『聖女ルシール』と呼ばれているだろう?」
「もし同じ名前の人がいたら、『執務室』の中でも『聖女』の中でも負けちゃいますから」
ルシールはきっぱりと言い切った。
「……そうか?同じ名前の者はともかく、聖女は伝説のような存在だから、ルシール嬢の他に聖女を名乗れる者は誰も現れないと思うが」
「先生。それでも他に聖女が現れた時は、私が負ける自信があるのです」
「……そうか」
カルヴィンはルシールの堂々とした敗者宣言に、返す言葉も見つからず、呼び名についての補足の話を付け足した。
「役職名の他には、地名や街の名前などを付けることもある。『一番街のビル』みたいにな。
他は婚約者の名前――たとえば『勇者レオの婚約者のエルノノーラ』のようにも名乗れる。婚約者が強い者ほど名乗りやすいものだろうな」
「そうですか。ノノちゃんはレオ様の婚約者ですからね。強いレオ様の名前が付いていれば、可愛いノノちゃんに誰も近づけないから安心ですよね。
とてもよく分かりました。先生、ありがとうございます」
「いや……」とルシールからのお礼を手で制しながら、カルヴィンは「先生」呼びの方が気になっていた。
それは「エルノノーラは勇者レオが付いていなくても、近づこうと思う者などいない」という事実よりも気になる事だった。
どうやらルシールは何かを教えてもらう時、相手を「先生」呼びするらしい。
『ルシール嬢からの先生呼びは悪くないな』
そう思った時にカルヴィンは、エルノノーラの家庭教師排除の真意に気づく。
ルシールに先生呼びされる者を排除して、自分がその立場にのし上がろうとしての事なのだろう。
『アイツ、ルシール嬢に先生呼びされたかったのか。
どうりで次々と執拗に家庭教師を排除させていくはずだ。相変わらずの狂愛ぶりだな……』
そしてもう一つの事実を見せる存在に気づく。
文句ひとつ言わず、ルシールの授業を引き受けるライナート。
『コイツもだったか……』
ライナートに視線を向ける事なく、カルヴィンは気づいた事実を静かに受け入れた。
『こんなクセある者達ばかりに、ルシールの教育を任せっぱなしにするのは良くないだろう』
そう考えて、『私もこれからもルシールの教育には関わっていくか』と、なんだかんだで『先生』呼びが気に入ったクセあるカルヴィン王子が考える。
「ルル様、今日の授業の講師はカルヴィン王子だったのでしょう?王子の授業は高圧すぎて、緊張されたのではないですか?」
ルシールから「そうなの」という言葉を引き出したいエルノノーラが、ルシールを労わるように声をかけた。
「今日はセルフィシュ国の名前呼びについてのお話で、とても分かりやすかったわ。授業のなかで、カルヴィン王子様はノノチャンの事を「護衛の中で一番の実力者」だって、今日も褒めてたの。
ノノちゃんは本当にカルヴィン王子様に頼りにされてるよね。素敵なお姉さんだって思ってると思うの。私だってそう思うもの」
嬉しそうに話すルシールから、聞きたい言葉は聞き出せなかったが、かけられた言葉は最高だ。
「全く。カルヴィン王子には、気持ちに応えられない事を伝えてるんですけどね」
「レオ様がいるものね」
「アイツは関係ないですよ」
エルノノーラの否定に、まあふふふと可愛い者を見るようにルシールは優しく微笑む。
「本当に冗談なんかじゃないんですよ」と、必死にルシールに伝えるエルノノーラに、カルヴィンも伝えたかった。
『本当に冗談じゃない。お前のどこに素敵要素があるというのだ。自覚しろ』
そう言いたかった。
「そうだ。ノノちゃんは、『勇者レオ様の婚約者のノノちゃん』っても名乗れるんだって。
私も他の人に負けて名前を変えなくちゃいけなくなる時のために、何か地位を確立しようかしら?」
「私はレオの婚約者では――いえ、それより。ルル様、婚約者を迎えるつもりなんですか?」
「それなら私が」と名乗りあげようと、エルノノーラが食い気味に尋ねる。
「婚約は破棄される事もあるでしょう?だから『森カフェのルシール』みたいに、お仕事名で呼ばれたらいいなって思って。
……他のルシールさんが森カフェ開いてたら、負けちゃうかしら?もっと負けない名前があるかしら?」
真剣に悩む様子を見せて黙り込んでしまったルシールに、エルノノーラが熱い視線を送る。
『婚約者を名乗るのは、この私だ。もしそうなれないなら、私より人格が劣る者以外は認めない』
――ルシールへの狂愛と、強い決意に満ち溢れていた。




