69.婚約破棄は付きものだから
開いた森カフェが久しぶりだったからか、カルヴィンとライナートがゆっくり過ごしてくれている。
「ルシール嬢、この二人との学園生活は大変だろう?二人はクラスの者とも馴染めてないのではないか?」
カルヴィンの問いかけに、ルシールが嬉しそうに答える。
「レオ様の漫画が人気なんですよ。皆さん休み時間の度に新作を見に集まって来ています。ね、レオ様」
「みんな魔物好きだよな。剣術授業に魔物連れて行ったら、もっと喜ぶんじゃないか?」
レオの言葉にライナートが冷たく言葉を放つ。
「勇者レオ、魔物の持ち出しは禁止です」
「もう本当にライナート様は頭が固いよな。クラスのみんなを失望させんなよ」
そこにルシールが優しくレオをたしなめる。
「レオ様、確かにクラスのみなさんは魔物好きですが、魔物を持ってカルヴィン王子様の執務室を通ると、部屋が散らかってしまいますからね。それに……きっと魔物を怖がる方もいると思いますよ」
ルシールは、チラリと気遣うようにカルヴィン王子に視線を送る。
ルシール自身も勿論魔物は怖いが、レオの魔物を連れた登校日は、ルシールは自分の部屋に閉じこもる事ができる。
だけど移動ドアが執務室にある限り、カルヴィン王子は逃げることも出来ないのだ。
「ルシールちゃんが言うなら止めておこうかな」
「ありがとうございます」
レオにお礼を言って、『怖いのは一緒ですよ』とカルヴィンに優しく微笑んだ。
『まだ私は魔物を怖がる設定のままなのか……』
静かに細くため息をついて、カルヴィンが話題を変える。
「エルノノーラの方はどうだ?」
「ノノちゃんは、可愛い上に賢くて強いですからね!クラスのみんなは気軽に話しかけられないみたいなんですよ」
さらに嬉しい話題が来て、元気よくルシールが答える。
「やはりエルノノーラに話しかける者はいませんか」
静かにかけられたライナートの言葉を聞き逃す事なく、ルシールはライナートにも元気に答えた。
「はい!高嶺の花ですからね」
「高嶺の花……?」
「はい。みんなの憧れの存在です」
「……そうですか。憧れの」
「はい」
スッとライナートは、エルノノーラに視線を向ける。
『お前みたいな妄想ヒロイン狂に、話しかけるような奇特な者などいるわけないだろう』
――冷たい目でそう語ってやる。
ライナートのその目に、正確にその視線の意図を感じ取ったエルノノーラは、挑戦的な目で見返す。
『ルル様はお前みたいな陰湿野郎とは違って、超絶清らかな聖女なんだよ。清らかな目を持つ私のヒロインは、お前の濁った目とは違うんだよ』
――口に出さない言葉で、そう語り返してやる。
そんなエルノノーラとライナートを見て――レオが嫉妬する。
「なんだよお前ら……なに見つめ合ってるんだよ。エル、浮気か?ライナート様と浮気してるのか?だからイチャイチャしてくれないのかよ!」
「「お前は馬鹿か」」
ライナートとエルノノーラの、冷ややかな言葉が被る。
見事に被った言葉に、二人の仲の良さを見せつけられるようだ。
「なんでそんなに仲良いんだよ。俺は婚約者の浮気なんて認めない。……エル、お前との婚約は破棄させてもらう。俺はルシールちゃんと婚約するよ」
「えっ?」
ルシールはレオの言葉に驚愕した。
レオとの婚約もあり得ないが――いや、それよりも。
エルノノーラとレオは、恋人同士じゃなくて婚約者同士だったという事実の方に驚かされた。
『婚約破棄だなんて。ここにも乙女ゲームがあったの?……誰の乙女ゲームなのかしら』
ルシールは戸惑った。
ここ最近は、乙女ゲームの事なんて忘れていて油断をしていた。いつの間にかどこかの乙女ゲームは始まっていたらしい。
婚約破棄を告げる勇者レオは――ヒーローだ。
婚約破棄を告げられたエルノノーラは――
『ノノちゃんが悪役令嬢だったの?一体誰の恋路の邪魔をして………待って。レオ様はノノちゃんとの婚約破棄をして、私と婚約すると言ったわ。まさか、私の乙女ゲームの世界だったの……?』
衝撃の事実に、ルシールは固まる。
『ノノちゃんの微笑ましい恋を見守りたいだけなのに』
――悲しくて涙が溢れそうだった。
「ノノちゃん……レオ様と婚約していたの……?」
『レオの戯言など無視して放っておくつもりだったが……レオとの仲にルル様が悲しんでくれている!
安心してください。私の心を占めるのはただ一人、ルル様だけですから!』
エルノノーラは喜びを噛み締めながら、ルシールに簡潔な言葉でレオとの婚約を否定した。
「婚約してないですよ」
「「え……?」」
その言葉に驚く、ルシールとレオの言葉が重なった。
レオが呆然とした顔でエルノノーラに問いかける。
「エル……昨日婚約しただろう?」
「………?」
レオの言葉にエルノノーラが首をかしげる。
――心当たりがなかった。
「昨日王城の食堂で夜ごはん食べながら話したじゃないか!『クレイグくん達、あの様子だと将来婚約するだろうし、俺達もしようぜ』って言ったら頷いただろう?」
「……そうだっけ?」
「そうだよ!」
『確かに、昨日の夕食は勇者レオと食堂でとったな』と、エルノノーラは昨日を振り返る。
……そういえば。
レオが隣であまりにうるさく、「クレイグくん達、手を繋いでた」とか「見つめ合ってた」とか「ネネシーちゃんにアーンってしてた」とか話し、「いいな〜」「俺もしたいな〜」と騒いでいたので、うんうんと適当に相槌を打っていた事を思い出す。
おそらく話題のひとつで、レオが「婚約しようぜ」とか言い出して、自分がちゃんと聞かないままに頷いていたのだろう。
『危ないところだった』
エルノノーラはホッと胸をなでおろし――そしてレオに残念そうに眉を下げてみせた。
「そうだった気がするな。でもそうか……婚約は破棄か。分かった、受け入れよう」
「え!」
レオが短く叫ぶ。
「……全然嫉妬してくれないなんて、酷すぎるんじゃないか?俺はこんなに嫉妬してるのに!ルシールちゃんとの事は誤解だ。ルシールちゃんは心の恋人で、心の婚約者なんだよ。
せっかく婚約したのに、絶対婚約破棄なんて絶対しないからな!」
レオの言葉にふうとルシールは安堵する。
どうやら自分は、レオの恋の駆け引きに使われただけのようだった。
可愛いエルノノーラは、確かに乙女ゲームのヒロインとしても相応しい。
もしこの世界がエルノノーラヒロインの乙女ゲームの世界なら、ヒーローは勇者レオであってほしいと、ルシールは思う。
『そうなると二人の邪魔をする役は誰になるだろう?
私は二人の悪役令嬢にならないから、誰か他に二人の仲を面白くないと思う人は……」
ルシールはそっとライナートの様子を窺う。
ルシールの視線に気がついたライナートが、はっきりと告げる。
「何を考えているかは知りませんが、絶対に違いますよ。それは間違いです」
「あ、はい」
ライナートが違うと言うならそうなのだろうと、ルシールは頷いた。




